12、家族会議
永禄四年(1561年) 二月 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「赤井悪右衛門が再婚とな?」
「はい。近衛家の姫が嫁ぐそうにございまする」
堤五郎兵衛が深く頷きながら、言った。赤井の後妻に近衛関白の妹が嫁ぐという。近衛関白の義弟が義輝だ。義輝の妻は近衛家の姫だ。ということは、近衛、足利、赤井は親戚同士になる。
「なるほどな。赤井の背後には義輝様がいたわけか。波多野も手が出せぬはずよ」
赤井の勢いは増している。軍勢を集めて、訓練を行っている。鷹狩りなどもしている。赤井直正、やる気なのだ。その上、足利、近衛まで味方につけるとは。
「三好に対抗するために近衛家の姫を娶る。赤井悪右衛門、本気のようでございます」
堤五郎兵衛が言う。赤井悪右衛門が南下すれば、京を攻め取ることができる。問題は若狭武田、朝倉、六角がどう動くかだ。
「朝倉とも縁続きになりまするな」
五郎兵衛が言った。朝倉義景も近衛関白の妹だ。赤井と朝倉もこれで縁戚になる。
「赤井だけならまだいい。問題は朝倉よ」
越前の雄・朝倉家。朝倉が南下すれば、三好は困るだろう。播磨の赤松・小寺、大和の豪族。河内の畠山。これらが一斉に三好に牙を剥く。三好は窮地に陥るだろう。
「朝倉を探らねばな。浅井の背後にも朝倉がいるという風聞であるし」
五郎兵衛が頷いた。史実でも朝倉と浅井は組んでいた。この世界でも恐らくそうなのだろう。
「それと三河の松平の動きだが」
「今川から離反致しましたな」
そう、松平元康が今川を裏切り、織田の清洲城を訪れた。歩き巫女の鈴奈が知らせてくれた。史実よりも早い動きだ。織田の目は北の美濃に向いている。美濃を支配する斎藤は信長の仇だ。織田は東の守りは松平・水野に任せて、北上するつもりなのだろう。斎藤は六角家と結ぶことに失敗した。六角義治は幽閉され、隠居の父・義賢が再び実権を握っている。織田にとっては有利な状況が続く。今川は松平討伐軍を出せずに静観している。もはや今川には力がないといっていい。信長が動く。そうすれば、畿内の情勢も揺れ動くだろう。鈴奈に指示を出しておこう。俺は松平元康と組む。元康に貢物を送ろう。松平も巫女の忍者部隊がいるらしい。巫女つながりで連絡を取る。敵の敵は味方だしな。
永禄四年(1561年) 二月 近衛前久の屋敷 近衛慶子
「お母様、これでは理亜が可哀想にございまする」
真剣な表情で娘が言ってくる。隣の秀山尊性尼がうんうんと頷いています。二人とも大事な私の娘です。次女の由宇姫は将軍家に嫁ぎ、御台所に。四女の尊性尼は尼になっています。そして今度は五女の理亜が丹波の赤井家に嫁ぐことになります。
「赤井などという粗暴の者に嫁げば、公家の女子がどんな思いをするか」
由宇が首を振って、顔をしかめます。尊性尼も険しい顔つきになります。
「いっそのこと、私が還俗して代わってあげたいくらいです。父上も何をお考えなのでしょうか」
「そのようなことを言うものではありません。太閤殿下のお決めになられたことです」
夫は関白を務めていました。今は周りから太閤と呼ばれています。
「それと我が夫・義輝です。夫は身勝手です」
由宇がギリと奥歯を噛みしめます。由宇が足利で居場所をなくしているという話をよく聞きます。義輝殿の寵愛は側室に注がれています。理亜にも同じ思いをさせたくないのでしょう。
「どうしたのじゃ。大きな声を出して」
夫が襖を開けて、入ってきました。娘たちを見回して座ります。
「由宇、廊下まで聞こえておじゃりましたぞ」
夫が由宇をたしなめます。由宇の体がプルプルと震えます。
「理亜のこと、納得がいきませぬ。あの子が不幸になるだけではありませぬかッ。叔母上とて、そうです。近衛家の姫として、穏やかに過ごせるかと思いきや、幕臣たちは自分勝手に振る舞い。自分の知行のことしか、考えぬ。あれが幕臣と呼べましょうかっ」
「まあまあ落ち着くのじゃ。前久の決めたことでもある」
近衛前久、出奔した息子です。関白だった息子は越後の長尾の所に下向しました。目的は関東の北条を討って、上杉殿の関東支配を取り戻すため。すべては足利のためです。長尾が関東を平定し、越後に戻れば、そのまま京に攻め込む。前久はそう考えているのです。夫は息子の策に乗りました。そして、赤井に理亜を嫁がせることに決めたのです。
「父上」
「幕府とて、人材がいないわけではない」
夫が娘たちを見回します。
「伊勢虎福丸殿より、理亜に着物が送られてきた。唐物の美しい模様が入っておる」
「あの変わった童子として有名な?」
尊性尼が夫に聞きます。夫が頷きます。
「虎福丸殿は理亜のことを気にかけてくれての。簪に鏡も送ってきたわ。真に気遣いのできる御仁よ」
娘が二人とも声を上げて、驚きます。
「赤井殿への嫁入りにも付き添うと提案してきた。麿は断ったがな。伊勢虎福丸が理亜の婚礼の後押しをしておる。赤井も理亜を粗略には扱えまい」
「虎福丸は夫・義輝のお気に入りですから。幕臣たちも一目置いています」
由宇が絞り出すように言いました。
「そうじゃ。虎福丸殿は幕臣の中でもその才、抜きん出ておる。将来、幕府の中核を担うに相違あるまい。その虎福丸殿が近衛の家を心配してくれているのじゃ。理亜にとってこれほど心強い味方はおるまいて」
夫が娘たちを見据えます。
「ここは虎福丸殿を味方につけて、三好に抗していくしかあるまい。三好の力も衰えてきた。播磨・丹波の反三好の動きを抑えられぬ。三好の時代も長くあるまい」
夫の声が低くなります。娘たちが息を呑みました。
「赤井、朝倉に兵を挙げさせる。そして前久が関東より長尾弾正少弼景虎の大軍を連れてくる。これにて三好は京より追い払われよう」
「父上、本気で三好を討つのですか」
由宇の声が震えています。
「討つ。この世は近衛の血を受けた義輝殿が治めれば良い。増長者の三好が出しゃばれば、民の命が失われていくのみよ」
夫の言葉に娘たちが言葉を失っています。三好討伐。このことが三好方に漏れれば、私たち近衛もただでは済まないでしょう。それでもこの乱世を治めるのが夫と息子の願いです。妻として、近衛の家を支えないわけにはいきません。




