11、丹波国動乱
永禄三年(1560年) 十一月 丹波 並河城付近 瑞穂の隠れ家 北条友成
「内藤備前守が丹波より逃げ出したぞ」
姪が表情を変えずにこちらを見た。変わった女子じゃ。亡き兄上に似たのか。
「早く逃げたものですね。虎福丸様の御助言がよっぽど効いたのでしょう」
「これから丹波は武田に狙われるか」
丹波の北・若狭国は武田が治めている。しかし、武田は家臣たちと揉めている。丹波に手を出してくることはないはずだ。
「武田は動けないでしょう。動くとしたら、波多野が動きましょう」
「やはり波多野か」
姪が頷いた。波多野は丹波の有力国人だ。それでも赤井、川勝、宇津といった諸侯は従っていない。
「波多野は諸侯を討伐して回るか。よもや京に攻め込むつもりでは」
姪が湯飲みを手に取った。
「だとしたら、京が危のうございます」
姪が私に呼びかけてくる。波多野と近江の六角が手を組めば京に攻め込んでくるだろう。となると、三好もきついことになる。
「虎福丸様に使者を送らねば」
「叔父上、もう使いは送ってあります」
姪が静かに言った。丹波は荒れる。我らが主に危険が及ばねば良いのだが。
永禄三年(1560年) 十二月 伊勢貞孝の屋敷 伊勢虎福丸
「波多野越中守が死んだ、とな?」
家臣の堤五郎兵衛が深刻そうな顔で頷いた。五郎兵衛の隣には北条弥七郎友成がいる。瑞穂の叔父だ。
「急死だそうでございます」
弥七郎が言った。男前だな。瑞穂の父もイケメンだったのだろう。
「ふむ。風のないところに煙は立たない。弥七郎、謀殺ということにして噂を流すのだ」
「噂、でございますか」
弥七郎が息を呑んだ。
「赤井が殺したと。赤井は三好に通じているとな」
「赤井悪右衛門が、いや、悪右衛門ならやりかねんと波多野は思うでしょうな」
弥七郎がうんうんと頷いている。赤井と波多野を揉めさせる。丹波を混乱させ、赤井と波多野、どちらかを滅ぼす。食い合ってくれれば、伊勢がつけこむ隙ができる。近江の六角は浅井に離反されたものの、隠居の六角承禎入道と家臣たちの結束が固い。狙うとしたら、丹波のトラブルメーカーである赤井悪右衛門直正だ。この男を揺さぶってやる。その次は若狭だ。武田もお家騒動の後遺症で弱体化しているしな。
「早速、姪の瑞穂に伝えまする」
「うむ。任せたぞ。弥七郎」
俺は今度は堤五郎兵衛の方を向いた。
「大殿と話したのですが、十河讃岐守様の具合が良くないそうで」
「讃岐守様が……」
三好五兄弟の四男である十河讃岐守一存。和泉岸和田城主で河内高屋城の畠山高政を抑えるために和泉国をまとめ上げている。
「まだお若いはずだ。二十九歳ではなかったか」
「御意。ですが寝たり起きたりを繰り返しているようです」
十河一存。史実ではもうそろそろ死ぬ頃だな。寿命が来たということか。
「もし讃岐守様が亡くなれば、三好は」
「弱くなろう。和泉の国人衆も騒ぐだろうな」
「となると、畠山も動きますかな?」
「動く。岸和田城を取り戻しに来るかもしれん」
十河讃岐守の病。そして丹波の波多野越中守晴通の死。三好の周囲が揺れている。三好の衰退と信長の台頭が始まるだろう。ここは伊勢の領地を拡大せねばならぬ。狙うは赤井か、波多野。崩れた方を先に討とう。
「五郎兵衛、兵たちはどうだ?」
「はっ、弓や槍の稽古に励ませておりまする」
五郎兵衛が大声で答えた。このオッサンの声はデカい。だからこそ、戦場に向いているとも言えるが。
「そうか。戦は近い。兵の鍛錬、任せたぞ」
「御意。すべて怠りなく」
五郎兵衛が頷く。まあ今年中は大丈夫だろう。動くとしたら来年だ。それまで待とう。
永禄四年(1561年) 一月 伊勢貞孝の屋敷 北条瑞穂
「新年明けましておめでとうございます」
「うむ。丹波より大儀であったな」
私は顔を上げます。虎福丸様がニコニコされています。三歳におなりで可愛らしい。思わず抱きしめてあげたくなります。だって、可愛いんですもの。
「きな臭い話ですが、赤井悪右衛門直正の正室が死にました。病死とのことですが、我らの手の者の侍女によりますれば突然血を吐いて倒れたと」
虎福丸様が真顔になった。そして、私をじっくりと見る。
「赤井悪右衛門直正の娘は波多野孫四郎元秀の正室であったな。まだ若かったはずだ」
「はい。まだ二十六歳です」
場が沈黙を支配した。
「赤井悪右衛門は波多野の支配を脱したかったと見えるな」
虎福丸様がぽつりと言った。赤井が波多野に反抗している。
「また悪右衛門が正室を殺したと噂を流しますか」
私は虎福丸様にお伺いを立てる。虎福丸様の口角が上がった。
「そなたも悪い女だな。そうだな。赤井と波多野の仲をもっとこじれさせるのだ」
「はっ」
丹波には私の配下を散りばめてある。赤井の悪評をばらまいている。波多野の家臣は怒っている者が多い。波多野は若狭武田、川勝、宇津といった諸侯と同盟を結んで、赤井を叩き潰そうという動きを見せている。
「それと和泉なのだが」
「十河讃岐守様でございますね」
「そうだ。讃岐守の動向を探って欲しい」
「はい。叔父に探らせまする」
虎福丸様が頷いた。
「三好が揺らぐ。十河讃岐守が死ねば、三好も弱体は避けられまい」
「はい」
「伊勢もいつまでも三好に頼っているわけにはゆかぬ。尾張、越後、甲斐、越前、若狭、近江、他国に忍びを忍び込ませ、諸大名の隙を衝いて、領土を広げる。頼むぞ、瑞穂。そなたたちを頼りとしておる」
「勿体なきお言葉。痛み入りまする」
私は頭を下げる。虎福丸様はまたニコニコされている。十河讃岐守の容態は思わしくない。三好の家に亀裂が入るのは避けようがないと思えた。




