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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

傾いた世界で今日もしがみつく話。

も字を書くと言うこと

作者: 斜見 太郎

十分程度しか画面が見えない自分のリハビリ。脳梗塞になって世界が傾いた男の悪あがきの記録のようなもの。駄文垂れ流しの

文字を書こうとするとまずは、恨み言が押し寄せてくる。何故自分が。というおもいがあ止まらない吐き気の中で失うであろう仕事、年老いた親の事が浮かんでは、生命保険の額が頭をよぎる。そしてまた戻ってくるのだ。何故自分が❗様子を見に来ない脳外科の先生は院長だから来ないのか‥薬を出した後のアフターケアがないのもそのせいなのか‥不満と恨み言だけは沸いて出てくる。恨み言の時間が終われば不安がやってくる。仕事に戻れるだろうか?また椅子に座って仕事できるだろうか?吐き気は無くなるだろうが。年老いた母の迷惑になら無いだろうか?自分の預貯金と生命保険で親は生活できるだろうか?だとしたら己の始末はどうつければよいだろうかと正直限界なのだ。起き上がれず満足に食事も出来ずトイレは吐き気と戦いながら尿瓶にする生活。死がとても甘美なものに感じる。時おり沸いてくる不満ごと恨み言がそれに負けたくないという思いだけで私を生かしているように感じる。


院長先生が回診に来た。やはり中核病院の院長にもなると患者と向き合っても収益に繋がらぬのだろう。この先生だけが「聞きたいことやしんどいことを行ってくださいね。」とは言わぬ。これこれこうであるとしか言わぬのだ。治療方針での勘違いを回りに他の可能性を示唆されても訂正せぬあたりなんの信念なのだろうか。何を気を付ければよいか聞いた。脂気をなるべく取らす、高目の血糖値に気を付ければよいと言われる。春の健康診断以来。先生に出されたサラサラになる薬を飲みながら、好きな麺類を一食も取らず一膳の雑穀米だけにし、揚げ物類も一切口にせず肉の脂肪は取り除いて魚中心にして来た私はこれから何を食べれば脳梗塞に成らぬというのだろう。


座れると言うことはなんと素晴らしいことだったのだろうか。以前の自分は疲れたと言ってだらっと腰かけていた。なんと勿体ない。あの頃はこのような眩暈なぞ無かったというのに。横になるのではなく座れるとワンアクションで多くの事が出来るのだ。まず飯が食えるではないか。素晴らしい。ゼリーと点滴の生活からの脱出は私の望みの最たるものの一つである。人と向き合って話すことも出来る。何よりワンアクションで何かができるということは、同じようにしないことも出来ると言うことだ。今の私には自由が一番無い。座れないから横になっているしかないのだ。横になりたくて横になるのではないのである。座って本が読みたい。自分で好きなタイミングでトイレに行きたい。そんなに贅沢な望みだろうか。一つ気前までは当たり前であったのは間違いないのである。

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