18 召喚
<召喚。アルドー>
アルティンが詠唱を終えると、訓練場全体を支配していた強大な魔力が轟音と共に一点に集束する。
そして、その魔力の集約点を中心に、空間がひび割れたかの様に亀裂が走ると、途端にそれをぶち破り、何かが現れた。
恐ろしい遠吠えと共に――
『あるじーーー!』
「・・・え?」
全く恐ろしくない、むしろ可愛い声に、アルティンが思わず疑問符を浮かばせると、“それ”はアルティンに跳びつき、じゃれてくる。
『あるじ!あるじあるじ!おひさしぶり!おひさしぶりだね!』
“それ”とは、体長20メートルほどにも達し、優しげな大きい瞳に、白く長い毛並みを誇る・・・バカでかいイングリッシュ・ゴールデン・レトリバーである。
そこはゲーム中の見た目と全く一緒ではあるのだが、一部の召喚獣以外は言葉を発する事など無く、アルドーも可愛い外見とは裏腹に、かなり迫力のある鳴き声をしていたはずだ。
その迫力で皆をチビらせてから、「実は可愛い奴なんだ」と明かし、恐る恐るからメロメロに変わるダナセント姉妹を筆頭とした女性陣の姿を堪能する予定だったアルティンは棒立ちのまま、彼の顔を舐めるつもりなのだろうが顔面がデカすぎるせいで全身くまなくベロンベロンと舐め回してくるアルドーにかなり困惑していた。そして臭い。
ちなみにアルドーのその身体は見た目ほど重くなく、そしてアルティンが強すぎるおかげでアルティンは直立不動でいられた。
もしアルドーが見た目通りの体重であったのなら、流石のアルティンも出会い頭にまんまと押し倒され、他の皆の目には捕食されるシーンに映り慌てさせただろう。
「どうしたというんだお前。喋れるだなんて・・・」
何故か召喚自体を忘れていたアルティンが言えた事ではないが、それを知っていれば大森林生活にも寂しさにやられることが無かったかもしれない事を思うと複雑で、お門違いと分かっていてもついついアルドーに対して半眼になってしまう。
まぁ、そうなればファセット達は確実に死に、出会うことなどなかっただろうから、もしもルシティーアによる記憶操作などが絡んでいたとしても、感謝すべきだろうとは思った。
ちなみにルシティーアにとってもそれは濡れ衣で、ただただアルティンの頭が残念だっただけである。
『ボクにもベロンベロン・・・ぜんぜんベロンベロンわかんないベロン!“るすちあ”ってひとに会ってからこうなった!ベロベロベロベロ』
主人を舐め回しながら喋るという高等技術を駆使し、解説してくれるアルドー。“るすちあ”とは、どう考えてもルシティーアの事であるからして、アルティンは益々ルシティーアによる記憶操作の疑いを強める。
彼にとってあの妙なテンションのルシティーアが神であるとはどうしても確信を持てず、割と遠慮が無い。自分にアルティンとして歩む道を授けてくれたのには間違いないので、流石に歯向かう様な度胸は無いが。
ふと、アルティンがファセットらの方を見やると、やはり皆一様に興味津々の様子だ。特に獣人のイルモとしては通ずる所があるのだろうか、その瞳は「アルドーちゃんに抱きつきたい」と語っていた。
皆はただ単純に、アルティンの許可なしに近づいて良いものなのか判断しかねている状態らしい。
当初の目論見が崩れたアルティンは声を出す気にもなれず、そわそわする皆に仕草だけで「おいで」と伝える
「きゃーアルドーちゃん!アルドーちゃーーーん!」
待ってましたとばかりに、誰よりも速く駆けつけたのは、やはりイルモである。
彼女はそのままの勢いでアルドーの首当たりに跳びつくと、全身でその毛並みを堪能する。彼女が少し小柄なのと、アルドーがデカすぎるせいで、他の者の目にはまるで彼女がアルドーに吸収されたかの如く姿が消えている。
アルドーは言葉こそ拙いが、実際にもの凄くおバカという訳ではない。敵か味方かの判断程度なら容易らしく、その場に居る皆を“おともだち”と判断した様で、されるがままだ。
「アルティン様は御自身もそうですが、変わった召喚獣をお持ちなのですね!可愛らしいばかりでなく、凄まじい力を感じますよ!」
意外にも、二番手はマールだった。彼は夢中になって伏せの姿勢でいるアルドーの脇腹を撫で回しつつ、アルティンを変人認定した。
外見に似合わなさすぎて気味が悪い。
ちなみに、アルティンは昨夜、ほんの僅かではあるがイースからこの世界の常識を習っており、召喚魔法自体は割と一般的なものと聞いていた。
彼は自らの能力を隠すつもりは特段無いが、思い上がるつもりも無いので、敵を作りすぎる行為を極力避ける為に、魔法などに関して特に重点的に習っていくつもりでいる。
マールはアルドーの力を高く評価したが、実はアルドーはアルティンの持つ召喚獣の中で、単純な戦闘力は下の下である。
今回アルドーを選んだのはその外見的に敵を作りやすくはないだろうという判断と、移動能力の高さ故に召喚した。
その移動能力も戦闘力もアルドーよりよほど優れている者たちは多数居るが、ぱっと見るだけでは凶悪なモンスターにしか見えない連中が大半だったり、中にはこの世界での最大の脅威とされるドラゴン種族も居るのも理由の一つである。
気付けば皆が皆アルドーのそこかしこをもふもふと堪能し始め、口々に自分を褒めてくれるのがアルドーにはたまらないらしく、恍惚とした表情でその尻尾を白い竜巻の如く振り回している。アルティンを舐め回すのは辞めないが。
アルティンも暫くは好きにさせてやりたいが、今は一応急ぐ用事があるのだ。
アルドーの能力がゲーム中と変わりなければ人の足で半日の距離など問題ではないが、アルドーが突然喋ったりする様に、ゲーム中とは違う点が多々有って、そのほとんどが手探り状態なのだ。アルティンは念の為アルドーに問いかける。
「アルドー。お前の腹の脇腹に夢中になってるイカつキモいおっさん以外を、ここから人間の足で半日の距離に連れてってもらいたいんだが、日が落ちきる前には着きたい。できそうか?」
というか言ってることが分かるか?という言葉は飲み込んだ。
だが、アルドーはアルティンが伝えたい事をしっかりと読み取り、アルティンを舐め回すのを中断し、陽の高さや周囲の匂い等からおおよその時間を計ると、答えた。
『んー。そのみちに、あるじくらいつ“つおい”の、でたりする?』
アルティンが丁度目が合ったブロムに目で問うと、彼は物凄い勢いで首を振った。
「まず出ないと思うぞ」
『じゃ!できる!できます!いたします!』
言うが早いか、アルドーはマール以外の全ての者を個別に、半透明の薄緑の球体で包み込むと、そのままその球体ごと皆を浮かす。
皆突然の出来事に大わらわだが、少なくとも危険なものではないことは解っているようだ。
この球体は魔法なのかスキル扱いなのかアルティンは知らないが、輸送能力を持つ全ての召喚獣が持つ能力であった。ちなみにプレイヤーにはこの能力は無い。
それは、少なくともゲーム中では慣性の法則などの一切を無視した上で召喚獣のレベルに応じた防御力まで備わっている、包み込んだものを召喚獣の周囲に浮かべて安全に輸送する不思議能力である。
一応オンラインゲームであったのに、フレンド登録は割としていてもパーティプレイを数えるほどしか経験していないアルティンは、インベントリには入らない特殊アイテムを指定地まで輸送する様なクエストにばかり使っていたが。
『あ、“によい”のいっしょのひとたちは、いっしょがいいよね!』
アルドーがそう言うと、なんと個々の球体が合体し、アルティンとダナセント姉妹、ガデュ―カップル、ブロムカップルの球体が出来上がる。
言うまでもなく、イルモは単体のままだ。彼女はその光景に静かに涙した。まさかアルティンがファセットはおろかフーカとも婚約予定だとは思っていもいないだろうが。
ゲーム中でパーティを組んだにしても、テキストチャットなりボイスチャットなりの意思疎通手段がある為、特段そばに居る事が重要でもないのでそんな能力は無かったはずなのだが、さも当然といった様子で球体を扱ったアルドーにアルティンは心底驚く。
やはり動物は、アルティンは勿論、一般的な人間よりよほど自分ができることを把握する能力に長けているようだ。
『ふふふ。あるじもとうとうつがいをみつけたんだね!ボクもうれしい!』
アルドーはそれだけ言うと、アルティンが事情を知らない者たちの手前、どう反応すべきか考え込む前に、まさしく風の如き疾さで駆け出す。
「ちょっと待てアルドー!お前場所分かってんのか?」
『たぶん!こっちからいっぱいひとの“によい”がするから!』
アルティンがすかさずツッコミを入れるが、アルドーは速度を緩めもせず言葉を返す。
「この方角で合ってます!多分!」
アルティンに確認される前に答えるファセットだが、最後に「多分」と付け加えたのは、景色の流れが早すぎるのと、アルドーが外壁も何もかもを軽々と跳び越していくせいだろう。
アルティンに諭された後、どこか口数の少なかった彼女だが、アルドーをもふっている内にだいぶ調子が戻ってきた様だ。フーカと一緒になってわーきゃーと騒ぐ様子を眺めてアルティンは鼻の下が伸びる。
姉妹に反して他の者たちは皆が皆、はしゃぐどころか声も出せない程に怯えきっている様子が伝わってくるが、自分では一切の制御が許されない高速での移動というのは、普通は恐怖して当然といえよう。
ファセットやフーカは、最早アルティンに全力の信頼を寄せているので楽しむ余裕を持てているが、これでアルティンがアルドーに不安な反応を示していたりすれば泣き叫んでいたことだろう。
一人だけ訓練場に残されたマールは、主にアルドーを名残惜しげに見送り、村を囲う最後の城壁を飛び越えたその白い影を確認した後、とぼとぼと領主邸へと戻る。
そして彼は、使用人たちとのやり取りで昨夜アルティンが起こした騒動を知り、苦笑いする他無かった。
「アルティン様。イースどころか、領家の姉妹とも婚姻となれば、領都の騒ぎは苛烈になりますぞ・・・」
噂通り、ダナセントの長男次男双方がイースにプロポーズして玉砕したのは事実である。彼等は執着するような性格ではないと思われるが、それでも突然男ができたとなれば複雑な心境を抱くだろう。
そして彼等も、ディーゼントも、その他多くの者達も、ダナセント姉妹を溺愛する傾向にある。
それなりに厳しく育ててはいるが、外部からの茶々を酷く嫌い、ファセットに対する名家からの見合いの話しなど彼女に確認するまでもなく退けているというのは有名な話しである。
それこそ、皇帝が「姉妹を我が嫁に」等と言ったらダナセント家に連なる全ての者達が一丸となり、即座に反乱を起こすのではないか。と、軽口を囁かれる程度にはその溺愛振りが度々話題に上っていた。
当のマールも、アルティンの人の域を超えた力を見ていなければ、姉妹の婚約の話題を知った瞬間に彼を追いかけ、“話しをつけに”行っただろう。
「ディーゼント様、絶対に彼を敵に回してはなりませんぞ!」
マールは心底祈るように、執務室の天井を仰ぎ見る。