17 自覚
アルティンは寝室にイースの姿がない事を確認すると、彼女を捜しに邸内をうろつく。
マールから出発前に怪我人に対する回復魔法を施す様頼まれているので、荷造り等の準備が必要ない身であってもあまり時間が無い。
イースは業務に戻ってるだろうに、またしてもアルティンに時間を取られるのは対外的に見て如何なものか、と少し悩みはしたものの、だからといってする事だけして挨拶もなしに出発する方がマズいだろうという結論になり、丁度その時に目に入った侍女に声を掛ける。
丸っこい体型のその年配の侍女は、「あらあらうふふ」と、まさしく“オバちゃん”といった反応を示しながらも、快く応じ、アルティンを使用人質が主に使う大食堂へと案内してくれる。
オバちゃん曰く、イースはまだ食事中なのではないかとの事だ。
どうやら、寝坊に気付き慌てて皆に謝り回ったイースは、怒られるどころか侍女達の興味の格好の的としてターゲッティングされ、暫く姦しい渦中から逃れられずに居たらしい。
アルティンが大食堂へと着くと、イースは丁度食事を終え、食器を片付けている最中であった。
普段は使用人達だけでなく、私兵隊の者たちも利用するらしい大食堂は、今は朝食時を過ぎているのでガランとしたものだ。
奥に見える厨房は昨夜アルティンがドラゴン肉騒ぎを起こした場所に間違いはなく、皿洗いや仕込み作業をしている者たちの出す音ばかりが響いている。
背を向けているイースはアルティンに気付かないが、アルティンは声を掛けるでもなく、その後ろ姿を見入っていた。
彼は優しげな眼差しで眺めているが、その実、昨夜の事を回想しながらイースを舐め回す様に見ているのだ。
アルティンの見た目とは裏腹な不純さに気付かないオバちゃん侍女は、「では後はごゆっくりーオホホホ」と、若人の恋路を面白がるオバちゃんらしい声と仕草をしながら去っていった。
ふと、イースが振り返ると、無言で佇むアルティンに気付き、そして彼女もまた昨夜の事を思い出してしまったらしく、赤面しながら挨拶をする。
「・・・おはようございます。アルティン様」
「あぁ、“おそよう”。イース」
アルティンが彼女の寝坊をからかいながら返すと、イースは照れを増しながらにはにかむ。
その後彼らは暫く二人で語らうと、近く再会する事を誓いながらそれぞれの行くべき場へと向かう。
次回はイースの家へと挨拶に伺う約束もしたアルティンは、土産の品として適した物を考えながら、マールと待ち合わせている訓練場へと向かった。
「・・・どうしたもんかねコレ」
領主別邸の裏に位置する、学校の校庭程度の広さの訓練場にて、アルティンは呆れていた。
どうして訓練場で待ち合わせだったのか、この場に来てみれば一目瞭然、単に思った以上にマールが回復魔法の施しの希望者を集っていたというだけの事だ。
少なく見積もっても100人は下らないだろう。
魔力量がゲージで視認できなくなってしまったとはいえ、大森林での経験上、この程度の人数では物の数ではない事が分かっていたアルティンは、実際難なく全員を癒やして回った。
では何に呆れているかというと、マールの暴走である。
そもそも「出発時間に影響の出ない範囲で」と伝えてあったにも関わらず、100人規模の怪我人を集める事自体が常識的とはいえないが、マールはあろうことかアルティンに礼を言いたがる者たちに列を作らせ、元負傷者やその家族達が直接アルティンと一言二言の言葉を交わす機会を設け始めたのだ。
アルティンとしては参拝される仏像にでもなった気分である。
決して悪い気はしないのだが、マールが今最も優先すべきは、ファセットをいち早く領主邸へと送り出す事だろうと思っている。
当のファセットもマールの暴走を止める事は出来ず、あわあわとしているだけである。
本来彼女がこの場において一番先を急がねばならぬ身分であるにも関わらず、だ。
アルティンはマールにしろファセットにしろ、ウォスケント討伐の報告の重要性を欠き過ぎなのではないかと思う。
特にマールは代官としてかなり問題行動に出ているだろう。
アルティンが、過去の討伐で腕を失った若者の腕を再生させた際にマールの心に火が着いた様だが、いくら民衆の意を汲んでやりたいにしても、優先事項を見失い過ぎである。
アルティンはマールの様な直情的な男は嫌いではないが、自分が代官を決める立場だったとしたら、まず彼を候補には入れないだろうと感じた。
ファセットもマールを叱り、民衆を放置してでも先を急がねばならない身分なので、いくら年若く、経験が浅いとはいえ、この光景を彼女の親が知れば大層お怒りになるであろう。
「半日の距離ったら、もう今出ても遅いくらいだろうに・・・」
これまでの雑談の中で、領主本邸までは人間の足で半日の距離にある事が分かっているアルティンは、深々と嘆息する。
アルティンは時間的な遅れについては取戻すつもりでいるし、慌てふためくファセットの様子が非常に可愛らしいので、しばらく傍観する事にした。
結果、人波が捌けたのはアルティンの体感で2時間。日の傾きは正午を少し回った所といった時間帯である。
「・・・マール。年下に物言われるのは腹が立つかもしれないが、言わせてくれ。あんた、いくらなんでも直情的過ぎなんじゃないか?」
「はい・・・ディーゼント様やヒポタリク様からもよく注意されていたのですが・・・申し訳ありません」
アルティンが苦言を呈すると、マールは気を悪くするどころか、自身がやらかした事を大いに実感しながら、アルティンとファセットに対して謝罪を口にした。
既に訓練場には大森林抜け組も皆揃っており、マールを白い目で見るのを隠そうともしていない。
彼らとしては、いくら時間的猶予がなかろうとも、代官やファセットに意見する事はできずにいたのだろう。
マールは確かに反省しているが、アルティンは過去の人付き合いでの経験上、こういったタイプの人間は死に目にでも遭わない限り治らないと思っている。
マールが代官という立場までのし上がれたのは、そのひたむきさと家名持ちであるという事くらいしか思い浮かばないアルティンであった。
「ファセットさんも、よく反省すると良い。代官と領家娘の正確な上下関係など俺には分からないが、少なくとも君はマールの暴走を止めるべき立場にあるはずだ・・・それとも、ウォスケント討伐に関する報告は、然程重要じゃないのかな?」
「いえ、アルティン様の仰る通りです・・・今は何よりも、ヒポタリクに続き帰還するのが最優先でした・・・」
ファセットも重々と理解はできている様で、アルティンの言葉に落ち込んだ様子で返事をした。
アルティンがあえてファセットに忠告をしなかったのには理由がある。なにも彼女の挙動不審振りを愛でる目的ばかりではない。
イースから聞いた事ではあるが、ファセットとフーカとの婚姻が晴れて結ばれる事になったとしても、アルティンが家名持ちでない以上、暫くは姉妹共々ダナセント領の娘としての積を負う可能性が非常に高いらしい。
これは複数名との婚姻の意思表明をしておきながら、未だこの世界での食い扶持の当たりすら付けていないアルティンにとっても朗報と言える。
ゲームで対峙してきたそれよりも、格段に劣る様なドラゴン種族の肉ですら騒ぎになる世界なのだから、少なくともイースくらいならば生活に困らせる事はないとは考えてはいるが、上流家庭育ちの娘二人も、となると何故か隙間風吹き荒ぶ小屋に四人で暮らしているビジョンしか湧かないのだ。
いきなりアルティンの保護下に入り、「こんなはずでは」等と思われない為にも、姉妹には暫く、いわゆる国家公務員としての立場を維持してもらう事は必要になるかもしれない。
その為にも、ファセットには自らの立場というものを自覚してもらう必要があるとアルティンは考えていた。
ウォスケント討伐についても、どうにもヒポタリクが先導している様な印象しか受けなかったのだ。というか、明確に周囲が彼女らを甘やかしているのは見て取れる。
なんでもウォスケントの討伐の件でも、ダナセント姉妹が大森林入りするしかなくなった事を知ったマールが、自ら出陣しようとしていたらしい。
アイゼール村からもドラゴン対策に多数の出兵がされている以上、「お前の部隊に何かあったら即落城じゃねぇか」という事くらいはアルティンにも理解できるほど単純明快な事なので、流石に周囲が必死になって止めたらしいが。
ともかく、それほどに彼女らは愛されているのだが、そのせいで若干自覚が足りてないのではないかとアルティンは見る様になった。
勿論、彼としても昨日までであれば何の疑問も持たずにいただろうが、この世界の基準ではフーカですら大人に片足を突っ込んでいる年齢である事を知った以上、この世界での常識に沿った、しっかりとした見識を持って貰いたいと願っている。
子供感覚で社会に出てしまった人間の苦労。それをアルティンは自らがそうだった故にとてもよく知っていた。
こういう場合、あえて「やらかした」と実感させなければ意識改革は成されないというのが、彼の考えだ。
アルティンは落ち込むファセットの横で、自らもシュンとして反省しているフーカを見て、取り越し苦労だったかもしれないと思う。
彼女達は、少なくともアルティンよりはまともな情操教育を受けて育っているのは間違いない。しっかりと自分の立場を理解する下地は育まれていたらしい。
「まぁ、マールに関しては何故か嫌がらせをしてやりたくなる俺が居るが、ファセットさんとフーカにはそんなつもりはない。なんとかしてみせよう」
アルティンはそれだけ口にすると、スタスタと皆から離れ、訓練場の丁度中央辺りに陣取り、少しだけ声を大にして皆に言う。
「但し、失敗しても文句は言わないでくれ!」
途端、アルティンから極大の魔力が放たれた。
魔力感知に長けているらしいイルモが咄嗟に身構える程に濃厚なその魔力は、瞬時に訓練場の全域を包み込む。
アルティン自身がすっかり忘れていた、召喚魔法が成されようとしていた。