16 騒々しい朝
明くる日。
「アルティン様、お目覚めですか!」
バカでかいノック音と、無駄に大きく、野太い声によってアルティンは目覚めた。
昨晩は最高に幸せを噛み締めながら眠れたというのに、目覚めは最悪の部類に入る。
彼は何故か、昔「アラーム音は大きくなければ意味がない」と、携帯電話のアラームを重低音の激しいアーティストの一曲に設定し、最悪な目覚めに逆上して携帯電話を壊しかけた事を思い出していた。おかげで、大好きなアーティストのその曲を、しばらく受け付けなくなったほどである。
声の主はアイゼール村の代官、マールの声で間違いない。
扉ごと爆砕してやろうかという仄暗い怒りをどうにか抑えると、彼は陽の高さから自分が寝すぎた事を悟り、慌ててローブを着込んで扉へと向かった。
そして、“ベッドで未だ眠る”イースがマールの視界に入らない様に、少しだけ扉を開く。
「すまん寝すぎた。もう出発かね?」
今日はダナセント領主邸に向かう日である事は事前に聞いていたが、少なくとも帝国では、正確な時間を示す習慣がない様だったので、具体的にいつ頃発つのかという確認を怠っていた。
「おはようございます。アルティン様!出発にはまだ早いのですが、朝食でもいかがかと思いまして!」
もう扉を開けて直接対面しているというのに、マールが声量を下げてくれない。
一体何故にこんなにウザいテンションなのかとアルティンは思うが、昨日彼の傷を癒やしてやった事を思い出した。
「あぁ、いただきに参ろうかな。というか、家族とはどうだったんだ?」
「その御礼も兼ねて、勝手ながら妻と娘も連れて参りました!どうかお会い願いたく!」
やはり、マールの妙なテンションの高さは、アルティンを半ば崇拝する気持ちからきている様だ。
マールはヒポタリクから、アルティンが過度な持ち上げを非常に嫌う人物であるという忠告を受けていた為、実はこれでもかなり抑えている方なのだが。
寝起き以前の問題として、とにかくうるさいマールの声量に若干の頭痛を覚えながら、イースも最悪な目覚めを迎えてしまうかもと、背後をちらりと見やる。
意外にも彼女はぐっすりと寝入っている様だが、仕事は大丈夫なのだろうか。もしかすると姿の見えない彼女を他の者が心配しているかもしれない。
「あぁ、イースの事ですが、既に使用人どもの間で話題になっております。何も問題はございませんので、どうかごゆるりと支度した後、食堂にいらしてください」
「大問題じゃねぇか」
アルティンがそう言っても、デュフフとマールが笑う。この男は古傷が消えようとも、笑みがカタギのそれではないのが残念だ。まぁ、今に関して言えば、下卑た笑みを自覚してはいるだろうが。
昨日のアルティンとイースの様子を見ている者たちからすれば、翌朝彼女の姿が見えなければ“そういう事”だと判断するのは必然ではあるが、職場で事に及ぶモラルや、そもそもイースも行為事態を職場の人間に知られたくはないのではないかという事をアルティンは心配している。
だが、最早どうしようもないのも事実だった。
「分かった。とりあえずイースはこのままにしてすぐ向かう。察しているのなら、ちょっと待っててくれ」
そう言い、アルティンが扉を閉めるが、マールはニヤニヤが止まらない。通りすがりにその顔を見た若い男性使用人が、だいぶ彼から距離を置きながら歩き去っていく。
マールはアルティンがイース“さん”と呼ばなくなっている事に目ざとく気付き、そして彼が彼女を気遣ってくれている様子から、彼等の関係が決して一夜のものでは無い確信を得て、我が子の事の様に喜んでいた。
領民達を家族の様に見る。という考え方が、ダナセント領主、ひいてはヒポタリクから学んだ彼にとっての財産である。
少なくとも彼は、この屋敷に仕える者たち全ての顔と名前を一致させていた。
見目麗しく、礼儀正しく、だが婚姻適齢期になっても一つの浮いた話しすら聞かないイースの事を、心配してもいたのだ。
領民を家族の様に見るとはいっても、綺麗事でそれを挙げている訳ではない。中には良からぬ考えを持つ人間が居るのも事実で、彼の目からはイースにとてもお似合いだと思う様な男のアタックも尽く退ける彼女をみて、ある日そうした悪い虫にコロッと騙されたりしないだろうか、という懸念があった。
だからこそ、アルティンの彼女を連れたって村を見て回りたいという申し出にも、彼女の意思を一番に気にかけたのだ。
自分に奇跡を起こしてくれたという要素を無理矢理抜いてみても、マールからしてアルティンは、彼女を幸せにしてくれる男に違いないと思えた。
村に住まうイースの親への報告がいつになるのか、とそわそわニヤニヤとする後見人たるマール。
だが彼は、ダナセント姉妹までもがアルティンと婚約予定であるという事までは知らない。
一方のアルティンだが、軽く寝癖を整えると、イースの寝顔を優しく見つめていた。
同時に、昨夜は彼女は初めてだったというのに、途中から容赦なくし過ぎてしまったと反省する。
このままでは目覚めてからもまともには歩けないだろうと、ヒールをかけてやるが、果たして“次回も痛むまでに回復してしまうのか”という疑問が湧いてきた。
もしそうだとしたら、こと女性に対しては、変に回復魔法を連発するのが結果的に苦痛を与える事に繋がるので、どうしても気になってしまう。
かといって今から確認するほどの節操なしでもないので、アルティンはイースの唇にそっと口づけした後、マールの案内で食堂に向かった。
この問題については、実はアルティンの心配は杞憂であった。
癒やしの度合いは術者によって割と細部まで調整が可能で、アルティンは無意識に“次は痛まない程度”に設定しているのである。
何とも都合の良いシステムの世界ではあるが、これは純粋に種の繁栄を望む神の愛も絡んでいる。
「この度は、夫に奇跡を施していただき、誠にありがとうございました」
「ありがとうござい、あした」
綺麗な仕草で頭を下げるマールの妻と、言葉も仕草もぎこちない、その娘。名はそれぞれカテナとミテオンというそうだ。
マールの顔は悪人のそれだが、村の代官ともなればそれなりに綺麗な女性であろうとは予想していたアルティン。
その予想通りどころか、想像以上に綺麗なカテナ夫人に、アルティンはマールがどうやってこの女性をモノにしたのか、興味が尽きない。
夫人が美人でも、昇り龍が背中に似合いそうなきつい印象を放つ女性であればまだ納得がいったのだが、カテナ夫人からはとても穏やかな印象を受ける。
ミテオンも、マールの要素が何一つ見受けられないほど、可愛らしい顔立ちの少女だった。なるほどやんちゃざかりの、4、5歳といったところだろうか。
アルティンは自らの横に立つマールに、小声で話しかける。
「どんな脅し方でモノにしたんだ」
「よく言われますが、兵役中の元同僚ですよ。それに、彼女はああ見えて家では絶対君主です」
「よく言われるのか」
短いやり取りではあるものの、マールの家庭事情が見て取れる様だ。
アルティンは色々とマールに同情しつつも、手短に挨拶を返すと、マールに勧められた席に着く。
昨晩とは違う食堂へと通されたものの、部屋が多少広くなった程度で、目に映る調度品等のグレードが上がった印象は受けない。そもそも、普段は食堂として扱われていない部屋の様に見受けられた。
それはラッセント一家の対面に座ったアルティンの、すぐ横を陣取ったファセットの助言による気遣いだろう。
そのファセットの顔が若干不機嫌そうなのは、昨夜のアルティンとイースの動向を誰かから聞いたのに違いはないだろうが、アルティンは努めてそれに気付かない振りをしている。彼女の隣に座るフーカは普段とまるで変わりがない。
それから暫く当たり障りのない談笑をしているが、実はカテナはかなり真剣にアルティンを観察していた。
当のアルティンは素で気付いていないが、彼女は久し振りに会った使用人達へと挨拶をしている中で、イースとアルティンの関係を聞いてしまったのだ。
やはり彼女も代官の妻として、イースを我が子の様に見ているところがある。
夫に奇跡を施したとは聞いても、だから善人である。等という事には繋げないのが、まさしく親として当然の警戒心ともいえた。
とはいえ、少々アルティンと話してみて、彼の常識の知らなさは若干不安にはなるものの、イースを娶るに相応しい良識と、底知れぬ力を持っている事が覗え、後は各々の判断に任せて問題なさそうだと感じるようになる。
その後、例え領主を目前にしてもそうはならないであろう程に緊張した面持ちの使用人たちがおずおずと料理を運び込んでくる事に皆が疑問を感じ、とうとうマト料理長自らが姿を現した事に黙っていられなくなったマールが事を問いただすと、アルティンからドラゴンの肉を提供された事が発覚し、代官夫妻が揃って過呼吸を引き起こす等の騒動はあったが、その他は滞りなく会食もどきを終える。
アルティンは昨晩、ダナセント姉妹と少々の会話を交わした後、寝室で待つであろうイースの元へ急ぐ気持ちを落ち着かせる為に邸内を散歩していたのだが、その際に明かりが灯る一室を見かけ、それが料理人達が仕込みに励む厨房である事を知る。
これ幸いにとアルティンが姉妹との約束を果たすべく、ドラゴンの肉をどっさりと提供したのだが、相手は代官、ひいては領主等にも食事を提供するのが職務である料理人達である。その職務に就くには鑑定スキルを持つ事が最低条件であり、何の肉かを明かさなかったアルティンの目論見は瞬時に崩れ去った。
大森林で提供したドラゴンよりもそうとう下位に当たるドラゴン肉を選んではいたが、そんな物を調理できる機会など自分にはあるはずが無いと思い込んでいた料理人達は、皆一様に呼吸困難に陥ったのである。
早々に逃げたアルティンが知るところではないが、その後彼等はドラゴン肉を暫くの間崇め奉り、身を清めてから徹夜で作業に取り掛かっていた。
アルティン達が騒々しい朝食を終えてしばらく、皆で再度の談笑をしていると、ガデュ―ら5名の登庁の報せが入る。
大森林を抜けたメンバーが揃ったので、そろそろ出発の準備をしましょうかと、ファセットはフーカを連れて退室していった。話している内、ファセットの機嫌も完全ではないとはいえ平常に近づいた様子に、アルティンは内心ほっとしていた。
食後の茶は緑茶の様な緑色をしているが、人によっては匂いのきつい、と表現しそうな程に香りの高いハーブティーといった感じの物だったが、アルティンはその味を大層気に入り、もう少し味わっていたいという欲に駆られるが、自分に支度の必要はないとはいえ、まさかイースへの挨拶を省く訳にも行かず、少しだけ名残惜しげに彼も退室していった。
「・・・ファセット様やヒポタリク様は、一体どうやってあんな凄い方を見つけて来たんだ?とても現実世界の者とは思えない」
アルティンの背を丁寧に見送った後に、ぽつりと、マールが呟いた。
勿論、ヒポタリクは事の顛末をできる限り詳細にマールに伝えてはいたのだが、神の意思でも作用していなければそんな事が起こり得るものかと疑問を抱く。
それは未だにドラゴンの肉の味を反芻するかの如く顔を溶かしていたカテナも同じ考えだった様で、夫婦は暫く黙考を始めた。
普段と変わらないのは、きゃっきゃとはしゃぐミテオンのみであるが、彼女は今、アルティンから貰った大きなぬいぐるみに抱きついて大騒ぎだ。
マールら両親は、アルティンが懐から娘よりも大きなそのぬいぐるみを出した時も目を剥いたが、そのぬいぐるみの材質が信じられない程上質で、もふもふした感触に危うく彼等まで夢中になりそうになった。
何のことはない、地球で一般的に見かけられるクマのぬいぐるみだが、この世界には例の甲殻熊ぐらいしか近しいといえる生物はおらず、ましてデフォルメという概念自体が決して一般的ではない世界なので、夫妻にとってアルティンの謎は深まるばかりだった。
ちなみにこのぬいぐるみ。ゲーム内では家具兼、よくあるネタ装備の一つであり、外見が変わる以外に効果はないのだが、自己キャラの好きな所に貼り付けられる。
アルティンもゲーム中ではよく両腕や背中、果ては顔面等に貼り付けていたのだが、流石にこの世界でそれを実行するようなつもりは無いようだ。
そしてラッセント夫婦の、神の意思云々というのは、的外れという他ない。
ルシティーアにはそんな意図は欠片もなく、アルティンとファセットらが出会ったのは、神にすら操作できない、正真正銘の偶然だったのである。
ここまで話数を重ねてきたにも関わらず、主人公がきちんと魔法を使ったシーンがヒールしかない事に気付きました。
これは僕に表現力が足りてないのも要因の一つではありますが、あえて言い訳すると・・・裏話でも何でも無く、後々も説明する予定の事でもあるんですが、アルティンは拳での戦闘大好きマンなので、遠距離攻撃たる魔法をヒールや肉体強化等のサポート関連以外は滅多に使わないのです。
背負ってた大剣は、装備するだけでSTRとDEXがアップする効果があるので装備しているだけ。その大剣らしくない装備効果に惚れてるのです。