13 プチ修羅場、現実逃避
アルティンとイースがダナセント邸へと戻ったのは、日が沈みきった直後の事であった。
幾人もの使用人が彼等を門前で迎えるが、既にそこにはマールの姿は見当たらなかった。
侍女長が教えてくれたが、何でも彼は自らの傷跡が癒えた事を邸内の部下達に誇示して周り、そして狂喜乱舞しながら自宅へと去ったのだと言う。ダナセント姉妹への挨拶すら忘れて。
傷跡が癒えたところで筋者まがいの顔面の迫力は健在であり、それが破顔し、涙を湛えて迫ってくる様子は恐怖以外の何物でもなかったとは、年若い別の侍女の言である。
彼女は即座に侍女長に頭を叩かれていたが、アルティンとしては想像するだけでもその言に全力で同意するしかなかった。
また、出掛けと変わらずイースの腰を抱いて戻ってきたアルティンだが、明らかに2人の距離が縮まっている気配を感じ取った皆は、侍女衆は勿論、侍女長ですら興味の色を隠せておらず、そしてイースに想いを寄せていた男性陣は静かに嫉妬の炎を立ち上がらせていた。
そして――
「お帰りなさいませ。アルティン様」
玄関にてアルティンらを迎えたファセットもまた、静かに嫉妬の炎を携えていた。
表情の抜け落ちたその顔は、それでも不思議なほどに可愛らしいが、例えるならば秋葉原でよく見かけるドールの様に生気を感じさせない、愛らしさと恐ろしさを兼ね備えていた。
「イース。ご苦労さまでした。――後の事は任せて、貴女は本来の持ち場に戻ってください」
「は、はい・・・」
決して冷たい物言いではないのだが、何故だか有無を言わさぬ迫力を持つファセットの声色にたじろぎつつ、イースはアルティンの元から離れて行く。
本来ファセットは全くと言っていいほど上下関係にこだわらず、むしろイースとは同い年として友人の様な関係を構築していたのだが、この時ばかりは身分の差を全力で武器として用いた。
ファセットはイースの姿が別室へと消えたのを確認すると、にこりと微笑みながらアルティンに話しかける。微笑んではいるのだが、感情の読み取れない不思議な表情だ。
「さて、アルティン様、本日はお疲れのところ申し訳ないのですが、もう少し“私に”お付き合いいただけますか?」
「――ハイッ!喜んで!!」
ファセットが分かりやすく、自らを強調して訴える願いに、自然と軍隊調で返事をしてしまうアルティン。浮気がバレた気分である。
いや、これまでのファセットとのやり取りを考慮すると、事実浮気であるとも言える状況に、アルティンは背中に嫌な汗が伝うのを感じる。
「ありがとうございます。では、早速ですが食堂へご案内致しますので、付いてきてください」
ファセットは微笑みを絶やさぬままアルティンに背を向けると、ゆっくりと歩き出した。
こわかわいい。というのが、アルティンの現在の心境である。
やはりファセットは可愛さの頂点に君臨する。がしかし、イースとどちらの方が可愛いかと自問しても答えなど出ない。
もし自分が可愛さ学の学者だったとしたら、あえてファセットとイースの可愛さの優劣を研究せねばならない場面があるかもしれないが、自分には彼女らの可愛さを区別することなどできず、可愛さ学会での発表を目前に控えても論文はまとまらず、毛根と腑を痛め、極度の不眠や拒食を抱え、答を出せぬままに謎の死を遂げるであろう。
例えばイース。彼女は獣人であるからして、獣耳と尻尾という、日本人的には非常に分かりやすいオプション、そしてファセットを圧倒する女性特有の谷間を持つ訳だが、それらは最早、自分にとってプラスにもマイナスにもならないのだ。可愛さに深みを与えるべく存在するかの様なそれらは、引いたところで全くマイナスにならない。
ではそれらを全てファセットに与えたらどうなるのか。――結果はそれ以前のファセットに対する心境と変わらず、「愛でたい」の一言で片付き、やはりプラスにもマイナスにもならない事は明白だ。
難解を極める学問は得てして哲学的になるが、自分も名だたる学者にありがちなポエミーな一文を遺し、この世を去ることになるのだ。
――可愛さの頂点とは、円周率と同じである――
これは要するに、円に大小は有っても円周率は同じ。それが数学的に正しく円なのであれば、円周率に違いなど出ないのである。という、最早自分でも何を言っているのか分からない、翌日には自分の脳に疑問を呈するべき時が迫っている事を自覚しつつも、遺さずにはいられないポエム。
後の学者は、この一文を目撃し、何を思うのだろう。
可愛さ学の発展に一石を投じる事ができれば良いのだが――
――と、アルティンがファセットとイースの可愛さ論から転じて自らの生の最後を妄想し終える頃、どうやら食堂に着いた様である。
「こちらが“我が家の”食堂で御座います。さぁアルティン様、こちらにお座りください」
まるで雑なコラージュ画像の如く、アルティンに背を向ける直前の微笑みと寸分の変わりも見せないファセットの表情が、彼にはとても恐ろしく感じられた。
もしかすると、ファセットはこの表情のまま自分を先導していたのではないだろうか。そういえば、時折すれ違う使用人達に妙な緊張感が漂っていた気がする。
それがその通りである事を示唆するかの如く、ファセットが“我が家の”と強調した食堂は、一般家庭としては広く、豪華な雰囲気ではあるものの、上流家庭が客人を招くには、少々手狭な印象を受ける部屋であった。
いくら異文化の中に居ようと、流石のアルティンも、城とも砦とも言える規模の屋敷の中でこの一室に招かれる意味は分かる。間違いなく会食の場ではない。
ファセットにとって、アルティンは既に“我が家の”一員であるという、明白な告白とも言えた。
イースも愛情表現に関しては驚くほど積極的であったが、ファセットのそれはイースを凌ぐ勢いであるのかもしれない。
アルティンがファセットに勧められた席に着席してしばらく、向かいに座ったファセットとの間に気まずい沈黙が流れたのだが、彼がどうその沈黙を破るべきか試行錯誤している折に、フーカがやってきた。
「アルティンさま、イースとデートに行ってきたんだってね」
ピシリ。と、空間が割れる音が聞こえた気がした。
出会い頭に爆弾を投下する様な行為は、無知たる子供がやりがちな業であるが、この子は本当に煽る気一切なしに今の発言を選んだのだろうか。と、アルティンは疑問を持つ。
彼はおそるおそるとファセットに目をやるが、彼女は相変わらず貼って付けた様な笑みを携えてこちらを見ていた。心なしか眉と唇が震えている様子だが。
フーカはそんな彼等を見て、少し首を傾げるが、姉さまのあの表情は結構お怒りになっている時の顔だ。と気付いたらしく、それ以上は余計な事を口にすること無く、ファセットの隣に着席した。
アルティンはそこでようやく、ファセットは自分があげたローブのままなのに、フーカだけ部屋着というには少しお洒落な、要するに上流家庭が客を食卓に招くには丁度良さそうなドレス姿になっている事に気付いた。いや自宅で鎧姿で食事をする方が異常なのではあるが。
「ファセットさん、そのローブを気に入ってくれたのかな?」
「ええ。アルティン様が“私に”お与えくださった物ですから」
何の気なしに振った話題であるが、ファセットは彼の問いに再度不自然な強調を込めて答える。
その彼女の視線が、若干自分から逸れている事に気付いたアルティンが、それを追って自分の背後を振り向くと、そこには丁度食事を運んできたらしい侍女たちが居た。
その中には、イースの姿も。
アルティンは、イースの表情を認識する前に、テーブルへと視線を戻した。
「・・・」
再び訪れた沈黙の中、かちゃりかちゃりと、侍女たちが食事を並べる音だけが響く。
アルティンは気不味さから沈黙しているのかと思いきや、実は既に異世界の料理に夢中になっている。
村を見て回った時にも何度か食事シーンは目端に捉えていたが、流石にまじまじと見られるのは誰でも嫌がるだろうとあえて目を逸らしていたのだ。
まずナイフと、フォークに似た形状の食器が並べられた時には、彼は違和感の無さに驚いた。
いきなり使い方の全く不明な物を出されたらどうしようかという懸念があったのだが、考えてみればファセットらに食事を振る舞った際も、皆何の疑問も持たずフォークやスプーンを使っていた事を思い出す。
箸の存在は偉大だとは思うが、初見で使い方が分かり辛く、そして正しく、最も効率的な使い方を覚えるには、それなりのトレーニングが必要になるアレは異文化の民に対するトラップだと、彼は常々感じていた。
地球では今でこそ中華料理や和食が世界中に進出し、少なくとも洋画を見る限りは頻繁に異文化圏の人々が箸を用いるシーンを見られるが、彼の幼少期の頃は、逆に箸の使い方が分からないというネタが、洋画のワンシーンに使われていた記憶がある。
そして出てきた料理が、ごく一般的なステーキらしき物だった事に、彼は若干興を削がれた。
ステーキが料理の内に入らないという考えは毛頭ないが、あまりにもシンプル過ぎたし、異世界人が狂喜したドラゴン肉等のステーキを、彼はサバイバル生活の中でいくらでも食してきたのだ。
まして、これがどれほど美味しくとも、鑑定しようが直に誰かに問おうが、生前の肉の主の姿がアルティンには分からない可能性が高い。
ならばもっと複雑で、視覚でも楽しめる様な料理に出会いたかったと、彼は思う。
だが、素性も分からず、常識も知らない様な客人に出す料理として、無難な料理を選ぶのは当然で、むしろこれはファセットらの気遣いなのかもしれないと思うと、それはそれでありがたいものである。
「アルティン様は、お酒をお飲みになりますか?」
アルティンがこの場においての主宰に当たるファセットの動向を待っていると、彼の耳元でイースが囁いてきた。
何とも耳が幸せだが、彼は努めて真顔を維持しながら応じる。
「あぁ、頼もうかな。種類があるなら俺にはよく分からないから、キツいやつをお願いしたい」
「では私も、同じものをお願いします」
「んー。わたしはお水でいい」
間髪入れずにファセットがアルティンに続き、フーカが若干悩んだ後に答えると、イースは「かしこまりました」とだけ言い、食堂を去っていく。
アルティンとしては、フーカは当然として、ファセットの飲酒はありなのか?と疑問を抱くが、この国の法律など知るはずもないし、そもそもレディの歳など聞いてもいない。
それはデリカシー的な理由もあるが、少女とも見えるファセットやイースを性の対象として見ている自分をこれ以上追い詰めたくないという、彼なりの切実な思いもあった。
元々ロリコン気味である事はある程度受け入れている彼ではあるが、例え異国の地であってそれがセーフでも、「日本社会的にヤバイ」事には極力手を出したくないという、妙な所で真面目な面を持つ男であった。
「わたしにはまだお酒の美味しさが分からないんだよね」
フーカが見た目とは年齢が大きく異なるという、ファンタジックな生き物でもない限り、どうやらこの世界の規制は色々と緩いのかもしれない。
これまでの書き方と明らかに変わり、暴走しているような箇所が出てますが、これは何かしらの薬物等をキメながら書いたとかではなく、僕の素が出ただけです。
こういうテンションの文章が書いている時は一番楽しいのですが、難点というか、致命傷なのが、書いた本人にも内容が欠片も理解できない事ですね。