二幕 5
「あれ?」
部屋に戻ったリスティはルンがいないことに気がつく。
ベッドにはクリスが可愛い寝息を立てて横になっている。しかし同じベッドにルンの姿はなかった。
(もしかして……)
リスティが部屋の窓を調べてみる。案の定、窓は鍵が開けられた状態だった。
少し考えてからリスティは窓枠に足をかけて上ると、小声で呪文を詠唱する。
「【我が名はリスティ。我は地の理に干渉する者なり。我は空の理を書き換える者なり。身は空を浮遊する】」
するとリスティの身体は重力に逆らって宙に浮かび上がった。その状態で窓の外に身を乗り出す。彼女の身体は屋根の上へと向かってゆっくりと浮かび上がっていった。
(ほら。やっぱり)
屋根の上まで出ると、そこには白いネグリジェ姿のルンが座っていた。
今夜は満月。
満月の光を浴びてルンの銀髪銀眼は鈍い煌めきを発し、リスティが準備した白のネグリジェと相まって幻想的な雰囲気を醸し出していた。その姿には同性であるリスティもドキッとするものがあった。
(相変わらずすごく可愛いというか、神秘的に綺麗な子ね………あの人のお気に入りだっただけあるわ)
リスティも過去、この魔法学院の文化祭でミスユニバースに選ばれたことがあるぐらい容姿にはそれなりの自信があった。それでも目の前のルンを見ているとそんな自信も何処かに吹き飛んでいってしまいそうだ。
ルンは下から浮いてきた来訪者に気がつくと、その銀眼を来訪者である姉の方に向ける。その表情からはリスティが屋根の上に来たからといって特段驚いた様子は窺えない。
「やっぱりここにいたんだ。昔からお月さまを見るの好きだったもんね」
「……うん」
リスティもルンの隣に座って一緒に満月を見上げた。
ルンは本名ではなく愛称である。正確な本名はルーン=ボンジャノ。
『ルーンとは旧世界の言葉で”月”を表す言葉だ』と名付け親であるボンは言っていた。後日リスティが学院で調べてみると本当は”言葉”そのものを表す単語だった。
それでも親が思っていた意味の通りに月のように美しく静かで落ち着きがある娘に育ち、そして物心ついた後もどういうわけだか月を見るのが好きな子に育った。昔から夜中に暇を見つけては夜空をよく見上げていた。
「寝なくてもいいの?慣れない陸上で疲れてるんじゃない?クリスなんかぐっすり眠っていたわよ」
「私、夜はあまり眠くならないから」
「あ………そっか。そうだったわね……」
余計なことを言ったとリスティは後悔する。
ボン=ボンジャノは海賊王として名を馳せたが、彼に関してはもう一つ有名な事柄があった。
リスティがボンを嫌う理由の1つでもある―――それは彼が無類の女好き。好色家だったということだ。
たくさんの女性と(たぶん……)愛し合い、そしてたくさんの子供を残した。しかし同族の女性にはあまり興味が無かったのか兄弟たちの母親のほとんどが人間族とは異なる種族の者だった。リスティら兄弟は、みんな人間族である父と異種族の母との間に生まれた。皆、異母兄弟の関係なのだ。
そしてルンはそんな兄弟姉妹たちの中でもとりわけ特殊な種族とのハーフだった。
彼女の母親は『リッチ』と呼ばれるアンデットに属するモンスターの一種族だ。地方によっては『不死王』などとも呼ばれているアンデットの王様だ。アンデットとして巷で有名なヴァンパイアとは違い、日の光や十字架のような弱点は全くないと言われている。ハーフである彼女自身も普通に日中でも行動することが可能である。それでもやはりアンデットの特性が多少残っているらしく、彼女が言うには夜の方が眼や頭が冴えるし活動しやすいそうだ。
ちなみに下で寝ている末弟のクリスだけはどういう訳なのか母親も人間族だと言われている。ただしリスティはクリスの母親にあったことはない。
「……ごめん」
「?」
触れてはいけない話題だったと思ったリスティが謝罪する。
しかしルンは何故姉が謝るのかわからないといった表情で首をかしげる。
「あはは……私、何言ってるんだろうね……」
「……リスティ」
1人照れ笑いをしだす姉に、ルンは神妙な声で呼びかける。
「な、なに?」
「ドラゴの手伝いをしてくれませんか」
「え?………まったくもう……ルンまでそんな事言うようになったの?仇討ちなんて……」
今日一日、ずっと悩んでいる事柄を指摘されて、語気が少し荒くなりそうになる。しかしそれを遮るようにルンが話を続ける。
「ドラゴは変わりました」
「……そう?」
リスティの頭の中では、相変わらずハイテンションで傍若無人な兄の姿が思い浮かんだ。
「父様が生きていた頃のドラゴは、細かい事は他の人に任せて自分の好きなことをして自由に生きていました」
「あはは……確かにそうかもね(自由というか……好き勝手ってと言うか……)」
「でも最近は私やクリスの為に色々我慢して毎日を過ごしてる。私たちに危険が及ばないよう慎重に行動するようになり、昔みたいに好き勝手に行動することが無くなりました」
「それって良いことなんじゃないの?」
今日、兄が買い出しをしていた事を思い返す。
「私は今の色々な事に気がついてくれるドラゴも好きだけど、昔の自由奔放に生きていたドラゴがもっと好き」
「ルン……」
今日は驚くことばかりだとリスティは内心思った。
あの兄が食料品の買い出しをするということも驚きだった。先生が昔は結構ヤンチャしていたということにも驚いた。そして目の前でわずかだが感情を露わにしているルンには更に驚いた。
何せあのルンの口から『好き』なんて単語が飛び出すこと自体、自分の耳を疑ってしまう。
「えっと……でも、それと私が手伝うのはどう関係しているの?」
「ドラゴが昔のように自由に行動できるように、リスティに手伝ってほしい」
「それって私が代わりに雑用とかするってことよね?」
「雑用じゃない。ドラゴが不得手な事を代わりにやってほしい。ドラゴも自分でわかっている。一生懸命やってはいるけど、自分が細かい仕事とかに向かないことが。そして誰が一番自分の不得手な部分をカバーしてくれるかも……」
ルンが空の月からリスティに目を移す。その眼は空の月の光で淡く輝いていた。その幻想的な光景にリスティは目を離すことができなかった。
「私じゃダメ。ミルドやラウラでもダメ」
ルンがここにはいない他の兄と姉の名前を挙げる。
「あのねルン……それでも……」
「一番始めにリスティを仲間にすると言ったのはドラゴだから。ドラゴは自分に足りないものを一番補ってくれるのはリスティだとわかっている。リスティをとても頼りにしているの」
一気に喋りきったルンが一呼吸おく。
(ルンがこんなに饒舌に会話するなんて………記憶に無いなぁ)
「リスティ。お願い。ドラゴを助けてあげてください」
ルンが再びリスティの方を向く。
その目は一転の曇りもなく、今の彼女の言葉が真意だということは疑いようがなかった。もちろんルンがリスティを騙したりするはずがない。
しばらく静寂が2人を包む。
何か答えないといけないと思いつつも、リスティは良い回答が思いつかず口を閉じたままだった。
そんな静寂を先に破ったのはルンだった。
「リスティ。お願い。考えておいて」
「………」
そう言うとルンは立ち上がりそのまま屋根の縁まで歩いていく。そして止まることなく宙に足を踏み出した。
(あっ!?)
一瞬、ルンが落ちると思って声を上げそうになるリスティだが、彼女の予想とは異なりルンは浮遊魔法がかかったかのようにゆっくりと屋根の下へと沈んでいた。
(ぅ……詠唱も無しに浮遊魔法を………私くじけそう)
小さく溜め息を吐くと、今度はルンに変わってリスティが夜空を見上げる。
(あの兄さんがそこまで困ってるなんてねぇ………なによりルンがあそこまで気持ちを表に出すなんて今まであったかなぁ?)
リスティはしばらく月を眺めていた。
「………」
今夜の満月はルンでなくても見とれてしまうほどに綺麗な姿を見せていた。
「………(ふ~ん……やっぱり、私が必要なのかなぁ………頼られるのは悪い気はしないけどっ)」
リスティがバッと身体を起こす。
その顔には何かを決心した表情になっていた。
リスティは大きく背伸びをすると登ってくる時と同じように短い詠唱をしたのち、屋根の下へゆっくりと降りていった。
部屋へ戻ってみると、クリスの隣で丸くなって横になっているルンがいた。
寝息は聞こえないので眠ってしまったのかどうかはわからない。とりあえず今夜の話はここまでのようだ。
リスティも自分のベッドに入る。実は自分でも気がつかないうちに相当疲労が溜まっていたのだろう。何か考える暇も無く、あっという間に眠りに落ちた。