二幕 4
リスティたちは図書館をあとにした。
外はもう夕暮れ景色になっていた。どうやら半日近くも図書館に籠もっていたようだ。
リスティはルンとクリスの手を取ってゆっくり歩く。
広大な敷地を持つ学院内を10分ほど歩き、学院の正門に到着する。正門には守衛が2人立っているが、とくに入ってくる者や出ていく者を呼び止めたりすることは無い。あのドラゴが入ってこれるのだ。よく言えば開放的である。
正門から校外に出て5分ほど歩いたところにある2階建ての大きな屋敷の前で立ち止まった。その屋敷は今風の造りではなく、建築後それなりの年月を刻んでいる趣のある佇まいをしていた。ただし外壁や周囲の庭はよく手入れされており、築年数ほどの古さを感じさせない。
「はい、ここが私がお世話になっている先生のお家。お姉ちゃんはここの2階を借りてるの」
「わぁぁ~」
クリスが広い庭と大きな屋敷を見て声をあげる。
それはしかたのない事だ。生まれてこの方多くの時間を海の上で生活していたクリスにとって、綺麗に手入れされた広い庭や大きな屋敷は珍しいモノとして映るだろう。
ルンも同じはずだが、こちらは相変わらずのポーカーフェイスである。
リスティは2人を連れて屋敷に入る。
内装は外ほど豪華な印象は受けないが、それなりのモノを使っている。ただ全体的に物が少なめである。
リスティはまずは自分の部屋があるという2階には上がらず、そのまま1階の奥へと進み、1つの扉の前で立ち止まった。
「(コンコン……)リスティです。ただいま戻りました」
「どうぞ入りなさい」
中から男性の声がした。
「失礼します」
リスティに続いてルンとクリスも部屋に入る。
部屋の中は少し薄暗かった。しかしそれは灯りが乏しいというよりかは、灯りを遮るモノが部屋中に積み上がっている所為だった。天井までそそり立つ本棚が建ち並び、それぞれいっぱいに本が詰め込まれていた。さらに本棚に入りきらない本が所狭しと平積みされていた。
そんな本の山の向こうに机があり、1人の初老の男性が座っていた。
「おかえりなさいリスティ君」
「ただいま戻りました。あのぉ先生、今夜部屋に泊めたい子がいるんですが、五月蠅くしないように気をつけますのでよろしいですか?」
「ほうほう。それは構いませんよ。後ろのお嬢ちゃんと坊やの事かな?」
「はい。紹介します。私の妹のルーンと弟のクリスです」
ルンとクリスはペコリとお辞儀をする。そんな2人に優しい笑みを返す老人だった。
「これはこれはとても可愛いらしい妹さんと弟さんだ。私の名はサンジュ=ザクジシャン。君たちのお姉ちゃんであるリスティ君の先生をしている者です。よろしく」
サンジュと名乗る男は50代半ばで、ブロンドの髪を綺麗にそろえてキッチリとした風貌をしている。鼻にのせた小さな丸眼鏡がより知的に見せている初老の老人だった。またその穏やかな笑顔は人を安心させる効果があるようだ。あまり他人と接する機会の少ないクリスやルンも特に物怖じせず返事を返した。
「ふむ………そう言えばリスティ君。兄弟は3人来ていたんじゃなかったのかい?」
「え、その……兄は船に戻りました。あ、ここには船で来たのですけど、誰かは戻らないと船に残ってる人が心配するので」
「なるほど………少し会ってみたかったが、それでは仕方ないか……」
(あれ?兄弟が3人来てることを何で知ってるの?まさか、噂がもう先生の耳まで届いてるの!?)
ザクジシャン教授は目の前の愛弟子が不思議そうな表情を浮かべているのに気づいて慌てて繕うように付け加える。
「あ、いや。学院内で噂を聞いてね。それよりクリス君にルーンちゃんだったかな、2人とも自分の家だと思ってゆっくりしていきなさい」
「うん!」
「……はい」
リスティは先生に会釈を返すと弟妹を自分の部屋へと案内していった。
その後4人で夕食を取り、リスティたちが入浴を済ませた頃には夜もだいぶ更けていた。
読書するザクジシャン教授のいるリビングに2階からリスティが降りてきた。彼女はお風呂上がりらしくほてった顔をしていた。少し湿っぽい髪も後ろで緩く結っている。
そんな彼女に教授は優しく微笑みながら声をかける。
「2人とももう寝たのかい?」
「はい。弟の方はあっという間に寝ました。たぶん見知らぬ土地に来て疲れたんだと思います。それよりもすみません、長い間お風呂を占領しちゃって……」
「ふふふ、それは構わないよ」
リスティは「お茶を入れる」と言って、ティーセットを準備する。
「ん、ありがとう。それにしてもリスティ君、ご兄弟はどんな用事でビツレスに?」
「………」
お茶を作るリスティの手が止まる。
「兄弟が多いのは知っていたので、今まで訪ねてきたことがなかった事を不思議に思っていたのだが………ああ、申し訳ない。マズイことを聞いてしまったかね?」
「あ、いえ、そういう訳じゃなくて………あまり人に言えるような事じゃないんですけど……」
リスティは苦笑いを浮かべる。
一瞬話をするのに躊躇したが、しかしこのザクジシャン教授もまったくの赤の他人というわけではない。
リスティは以前にチラリと聞いた事があった。父ボンとザクジシャン教授は古い知人らしい。
海賊王と魔法学院の教授。いまいち繋がりがわからないけど、リスティはもしかしたら幼なじみだったりしたのかもと考えてる。2人は歳もかなり近いはずだった。
ちなみに父が娘のために、学院での生活場所として紹介してくれたのがこのザクジシャン教授の屋敷だった。その事から考えても父ボンとは結構親しい知人だというのが伺える。
(お世話になってるし、あの人の知り合いだし……ちょっとなら話しても良いよね……)
「その……親の仇討ちを手伝ってほしいと頼まれたんです」
リスティは自分で言っておきながら、突拍子もないことを言っていると思わずにはいられなかった。
「仇討ち………ですか?」
ザクジシャン教授は少し驚いた表情をして、白い顎髭を触っている。
父が殺されて兄がその相手を追い続けている事を簡単に説明する。教授はリスティたちの父の死についてはもちろん知っていたが、死因までは知らなかった。
「………それは穏やかじゃないですね」
「ええ、兄は父の事をとても尊敬していたので犯人を絶対許せないらしいんですけど……」
そう言って教授にお茶を差し出し、自分の分も入れるとイスに腰掛けた。
「ふむ………彼の死にはそういう訳があったのですね。でもその割にはリスティ君はあまり気乗りがしてないようだね」
「それは、その………はい。実はさっき学院内で兄から仇討ちを手伝ってほしいと言われたのを、断ったところなんです」
数時間前に物別れに終わった兄との話を思い出す。
明日もまた来ると言っていたが、今のところリスティに心変わりするつもりは全くなかった。もちろんそんなリスティの気持ちはドラゴもよくわかっている。わかっている上で頼んできているのだ。
「リスティ君、何故手伝ってあげないのです?」
「せ、先生………私は仇討ちなんて言葉を変えただけで、所詮は人殺しと一緒だと思うんです。そんな事を手伝うために学院で得た知識や魔術を使いたくありません」
「ふむ。そういう信念があって断ったならばそれでよろしいんじゃないですか?何故悩んでいるのです?」
「………私も兄が1人で勝手にやる分には止めるつもりはありません。でも妹や弟は巻き込ませたくないんです。あの子たちにはそんな事させたくないんです。もし私がこのまま無下に断ったら―――」
「断ったら?」
「――今、兄の周りにいる兄弟たちはみんな情報収集とかに不得手な子ばかりなんです。あれじゃあこの広い世界で人を1人捜すなんて事いつまで経ってもできないです」
「ん?1人というのは、犯人が既にわかっているのですか?」
「え……ええ。実は犯人と思われる者を目撃した子がいるんです。なので犯人と疑っている人物はいるのですが………その……犯人と思われているその子は私たちに近しい人間なので……」
「なるほど。それは優しいあなたに取っては色々と悩ましい事ですね」
「………」
リスティは俯き加減で肩を落とす。
大分悩んでいるようだと教授は思った。入れてくれた紅茶を少し口に含んで湿らせてから、話を続けた。
「話は大体わかりました。リスティ君がしっかりとした意思の持ち主なのは、よくよく知っているつもりです。ただ……本当にそれでいいのでしょうか?」
「先生?」
「弟妹を心配するのならば、尚の事2人のそばについてあげるべきじゃないでしょうか?」
「せ、先生!それは私に海賊になれって言うんですか!?」
「いえいえ、そうではなくてですね、ちょっと狡賢いことをしてもいいんじゃないかと言いたいんです」
「狡賢い……ですか?」
教授に似合わない言葉が出てきて、リスティはちょっと驚いた。
「ええ。仇討ちがダラダラと続きそうならば、リスティさんが手伝って早く終わらせてしまうのです。そうするとお兄さんは海賊家業を再開しようとするでしょう?」
「そうだと思います」
「そのタイミングこそ、ルーンちゃんとクリス君を海賊から辞めさせるチャンスではありませんか?」
「………」
「その時、その場にリスティ君がいないことにはチャンスも何もあったものではありませんからね。それにお兄さんに『仇討ちの手伝い』と交換条件で『ルーンちゃんとクリス君を海賊家業から辞めさせる』という約束を取り付けることもできるかもしれませんね」
「そ……それは……確かにそうですけど……」
言っている内容は理解できるのだが、リスティにはどうも違和感を感じてしまう。
「ダメでしょうか?」
「いえ、とても現実的な案だとは思うのですが………なんだか先生らしくない提案だなと思って………。あ 悪い話ではないと思うんですよ。ただ……先生ってそういう裏工作っぽい事がお嫌いかなと思ってたので……」
「ふふふ。こう見えても昔は悪友仲間の間ではこういった作戦を立てる役だったんです。なので、狡賢い事を考えさせたらちょっとしたものですよ」
「悪友ですか?」
またまた先生らしからぬ単語が出てきたと、リスティは思った。
「ええ、悪友です。若い頃は私も多少はやんちゃなこともしましたからね。今では良い想い出ですが。悪さをされた方はたまらないでしょうけど」
苦笑するザクジシャン教授。
「少し意外でびっくりしました………」
「ふふふ」
少し身を乗り出していたことに気がついた教授が椅子に深く腰掛け直す。
「まあ、誰でも多かれ少なかれ秘密の過去というモノを持っているものです。あまり私のイメージには合わないかもしれませんけどね。ところで決心はつきましたか?」
「え?……ああ、手伝う件ですか………」
リスティは少し考える仕草をみせる。
教授の言い分はよく理解しているが、やはり海賊を嫌っていた手前、もう一歩決心がつかなかった。
「……先生の話は理解できるんですけど……やっぱり仇討ちには抵抗があって………でも妹や弟を止めさせるチャンスなのは確かですし……」
「迷っているのですね。大切なことです。結論を出すのはもう少し待ってみて今夜もう一度じっくり考えてみたらいいでしょう」
教授はにっこり微笑むと紅茶を口に付けた。リスティも自分のを飲む。熱めに入れた紅茶はちょっと温くなっていた。
「それで話は変わりますが、そのお兄さんたちは次はどこに行くつもりなんですか?」
「えっと、スキュレイスに行くと思います。そこに探しているモノが昔はあったという記録を見つけたので。今もあるかどうかはわかりませんけど、何か手がかりがつかめるかも知れません」
リスティが辺境の国『スキュレイス』の名をあげた。
このビツレスの街があるユーロ大陸の遙か西にある大陸が『新大陸』と呼ばれている。その新大陸でも最大級の規模誇る国がスキュレイス王国である。
通常の帆船ではビツレスから1ヶ(か)月以上かかる遠方にその国はあった。
「スキュレイスですか、それはちょっと遠いですね」
「はい。ただスキュレイスには妹がいるので、現地まで行ければ調べ物とかはスムーズに進むと思います」
「ふむ……」
ザクジシャン教授が顎髭に手をやり思案顔になる
「先生?」
「ん……あ、いえ、何でもありません」
「?」
ザクジシャン教授の表情が少し心に引っかかったリスティだったが、教授は今度はたくさんいる兄弟姉妹たちに興味を持ったようで、話題がそちらへと移っていった。
リスティは当たり障りのない程度に他の兄弟姉妹の話をした後、おやすみの挨拶をして2階の自室へと戻った。