二幕 3
(あー……簡単に調べるなんて言うもんじゃなかったなぁ………)
回想を終えて図書館に意識が戻ってきたリスティが後悔の溜め息をつく。
「?」
突然溜め息をついた姉を見て、ルンが小首を傾げている。
「あ、何でもな――」
「おっ!やっと見つけたぜぇ」
リスティのセリフに被せるように、何処からか兄の声が聞こえてきた。
「あ、ドラゴ兄ちゃん!」
クリスが元気に手を振る。その先にはいかにも海賊風ルックに身を包んだ兄ドラゴが、厳粛な図書館の中をにこやかに手を振り替えながら近づいてきていた。
(もぉ……やめてよ……)
リスティが頭を抱える。
陸に上がるためだろう。ドラゴのカッコはいつもよりかは幾分小綺麗な服装だった。それでも学生のほとんどが制服を着ている図書館内では明らかに浮いてる姿だった。
しかもいかにも海賊キャプテンが被ってそうな広いツバが反り返った帽子に、鮮やかな青の刺繍が施された厚手のコート、片眼にはいつもの眼帯。これで目立たないはずがない。
すでに周りの生徒たちからはヒソヒソ声が漏れ聞こえてきていた。この手の話に詳しい者はこの男が竜王ドラゴだとわかった者もいるかも知れない。
「まさか学院ってのがこんなべらぼうに広いとは思わなかったぜ。しかもこの学院の中だけでも図書館が幾つもあるんだな。さすがは天下のビツレス魔法学院。恐れ入ったぜ」
そう言って薦めてもないのに空いてるリスティの隣の席に座る。
(あぁ……もうごまかすのも無理ぃ……)
リスティの気も知らずに、ドラゴは机に持っていた買い物袋をドスンと置いた。食料の買い出しの帰りのようだ。
(よくこんなカッコで校内に入れてくれたわね………あ、この学院だから入れるのか………『来る者は拒まず』が学是とはいえ、多少は拒んだ方が良いと思うけど……)
リスティのジトォ~とした視線にドラゴがやっと気がつく。
「どうした?」
「べつにぃ………それにしても、たくさん図書館あるのに、ここだってよくわかったね」
「それなんだけどな。歩いてる生徒に始めは『図書館はどこ?』って聞いたら別の図書館に連れて行かれたからさ、今度は『リスティ探してる』って言ったらすぐにここに案内してくれたぜ。この広い学院内で名前言えば伝わるだなんて有名人だな。お前」
「おかげさまで………」
「それにしてもここって意外と可愛い娘多いなぁ。オレのイメージだと勉強ばっかりしているような暗い雰囲気の文学少女しかいないのかと思ってたけど。実際は全然違うのな。さっき道聞いた娘もかなり可愛かったなぁ………ま、リスティ程じゃないけどな」
「うんうん、リスティ姉様はすごく美人だもんね」
「クリス。いちいち兄さんの会話に相づちうたなくてもいいわよ。それに兄弟から美人って言われてもしょうがないわよ」
この後もリスティは兄から飛んでくる学園に対する感想を適当に聞き流した。内容は―――9割方は学院の女の子の話だった。もちろんこの学院は女学校ではなく男女共学である。
他にも色々あるだろうに、よくそれだけ女の子に関する事だけで会話が続けられる。と、リスティは変に感心する。
そして喋ること30分強。ようやく本題に入る。
「それで何かわかったのか?」
「あんまり……でもルンが関係ありそうな文献を見つけたわ」
「お、ルンでかしたぜ」
ドラゴがテーブル越しに無表情のルンの頭をガシガシと撫でてやる。
そんな兄の横でリスティは先ほどの旧世界の新聞を広げてみせる。
頭を撫でる手を止めて、リスティから説明を受けながら新聞に目を落としていたドラゴがおもむろに顔を上げた。
「新大陸かぁ……結構遠いな」
「遠いどころじゃないわよ………大海の西向こうじゃない」
「ヒルダが全力でとばせば2週間かからないぜ」
「まあヒルダは別格で速いけど……」
リスティはそこまで言って、それ以上言うのをやめた。
隣の兄の表情が『新大陸に行こうかどうか』ではなく『どのルートで行こうか』と考えていることがリスティには見て取れたからだ。いまさら『遠い』『遠くない』の話などは意味が無い。
(ま、別に私は行かないからいいのだけど――)
それからドラゴも加わえて、その記事の前後を中心に旧世界の新聞をしばらく調べてみたが、これ以上の情報は得られなかった。
2,3時間は過ぎただろうか――
日がだいぶ傾いてきていた。1フロアが広く奥行きのある図書館にいるとハッキリとわかる。窓から指す光も少し横から入ってくるようになっていた。
いつの間にかかなりの時間が経っているのに気がついたドラゴが腰を上げる。
「ふぅ、調べ物も楽じゃねぇなぁ………」
「兄さんはこういうの得意じゃないものね」
「ああ、得意じゃないというか面白くないな。ま、とりあえず今日はここまでにして、そろそろ引き上げようぞ」
「うん。今夜は泊まるところあるの?」
「ヒルダに戻る予定だ」
「ふ~ん。でも目立つとマズイからって港から遠く離れた海岸に停泊したじゃない。今から帰ると大変でしょ?今夜は私の家に泊まってもいいよ?みんなが寝るぐらいのスペースは準備できると思うし」
「ん?うーん……じゃあ2人はそれで頼む」
「兄さんは?」
「オレはやっぱ戻ることにする。戻らないとアイリーンとか心配するだろうからさ」
「あ、そっか。連絡無しに戻らなかったら心配するもんね」
「そういうことだ。それに食料の買い出しがまだ少し残ってるからな」
「………」
リスティがとても不思議なモノを見るような眼でドラゴを見る。
「……なんだよ?」
「兄さんがそんな買い出しとか地味な作業するなんて想像できなかったから驚いてるの」
「しょ、しょうがないだろ!他に人がいないんだから」
「確かにそうよね。アイリーンに買い出しは無理っぽいもんねぇ」
ハーピィである次女アイリーンの事を思い出しながらリスティがしみじみと言う。
でも、バードマンのミムヨさんなら買い物できそうな気もすると一瞬考えたが、やっぱり無理だと思った。
(ミムヨさんがいない間に、アイリーンが何をしでかすか心配で、買い物どころじゃないよね。ミムヨさんが………)
「まっ、そう言うわけだから今夜は2人を頼むぜ。いいな2人とも、姉ちゃんの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「うん!」
クリスが満面の笑みでリスティに飛びつく。その隣でルンも小さく頷く。
そして明日また来ることを告げると、ドラゴは図書館をさっさと出て行ってしまった。
新聞や書籍を元の場所に片付けたリスティが2人に手をさしのべる。
「さてと、それじゃあ2人ともお姉ちゃんの家に案内するね」
「は~い!」
姉の手をクリスが満面の笑みで握り返す。
「………」
「ん?」
対して手を握るのを躊躇する仕草を見せるルン。そんな彼女にリスティが『どうしたの?』といった表情を向ける。
「………」
少し顔を背けて手を握るルン。そんなルンの顔が少し赤いのは部屋に差し込む夕日のせいだけではなかった。
弟、妹2人の手を引き、図書館内を歩きながらリスティはふとさっきの自分を思い出す。
(あんなに気取らずに会話したのは久しぶりだったなぁ……)
学院での彼女は、普段の自分を隠して猫の皮をかぶっている。別に普段の自分が特別粗野な振る舞いをしているわけではないのだが、海賊とは正反対なイメージをあえて自分にかぶせて、海賊王の娘だと思われないようにしている節があった。
もちろん自分で意識的にそう振る舞っていた。
それが兄の前ではどうしても素の自分に戻ってしまうようだった。
(うーん……やっぱりこんな私を同期の子たちには見せれないわね)
そんな事を考えながら顔に苦笑を浮かべる姉を、妹弟は不思議そうに見上げていた。