二幕 2
エーゲの海からビツレスまでは1日半ほどの航海だ。
リスティは助け出された日の夜に、ドラゴから話があると言われて船長室へと来ていた。
兄は船長イスに座って待っていた。
父ボンが座っていた頃の光景を思い出しつつ、近くのイスを引いてきて座る。
「リスティ。とりあえずおかえり」
「う、うん。どうしたの改まって………兄さんらしくもない」
顔は笑っているリスティだが、心の中では首をかしげた。
傍目からは普通に挨拶している兄に見えるが、彼を生まれたときから知っているリスティにとってはその普通に違和感を感じた。
(いつもだったならこっちがイライラするほどテンションが高いくせに………)
リスティはとりあえずそれは触れないでおいた。何か真面目な話があるのだろう。茶化すのはさすがに可哀想だ。
「それで話って何?」
「あー……えっと……それなんだけどな……」
「………」
「………」
「何よ?用事があって呼んだんでしょ」
「ああ……その……お前に手伝ってほしいことがあるんだ………親父の仇討ちを」
ドラゴの視線が微妙に泳ぐ。
リスティには兄のその言葉をある程度予想できていた。
「知ってると思うけど、親父の葬式の後から、オレらはヒルダに乗って奴を探しているんだけどな………なんて言うか……」
「情報収集がうまくいかなくて目的の相手が見つけられずに困っている。でも何処から手をつけて良いのかもわからない。今のままじゃあらちがあかないから手伝ってほしい。そういうこと?」
「そ、そうそう!それ!それだよ!リスティってオレら兄弟の中でも一番頭良いじゃんか!しかも魔法も得意だしさ。パパッと手伝ってほしいんだよ!パパッと」
核心に迫ったせいか、少しテンションの高くなった兄を見て、リスティはため息を吐く。
「あのねぇ……いつも言ってるでしょ。魔法は便利だけど、万能ではないのよ。人や物を探し出す魔法にも有効範囲があるの。それにお葬式の後に誘われた時にも言ったはずよ。私は仇討ちなんてしないって」
「何でだよ?」
「何でもよ」
そっぽを向くリスティの耳に兄のつぶやきが聞こえた。
「(ボソ……)そりゃお前と親父が………アレだったけど……」
「(ピクッ)アレって何よ?」
「あ、いや……」
リスティの怒気の篭った声に、ちょっと引き気味のドラゴ。
いつもなら打てば響くように言い合いになるドラゴとリスティだが、何処かドラゴの勢いが無かった。そんないつもと違う雰囲気に、逆にリスティの方がイライラしてしまう。
「……何よ?」
「あー……その……」
(イライラ……)
「別に何も……」
「(……カチン)あぁぁ!!!もうっ!!ウジウジしないで、いつもみたいにハッキリしなさいよ!!」
「ウ、ウジウジなんてしてネェよ!ただ……ただな……リスティってさ……親父のことすげぇ嫌ってたじゃないか。だから仇討ちするのが嫌なのかなと思って………それだったら断る気持ちもわかるかなって……」
「あのねぇ……別に憎んでたわけじゃないんだから……」
聞いてみれば案の定しょうもない理由に、リスティがあきれ顔になる。
「そりゃね、海賊なんて人からモノを強奪する最低の仕事よ。いえ、仕事と呼ぶのも憚られるわ。それに義賊とか言って襲う相手を選んだとしてもやってる本質は同じ最低な事よ。加えてあの人はいろんな女の人を泣かせてきて人としても最低だと思うし、何より私たち実の子にも海賊家業を手伝わそうとする親としても最低の人だと思っていたわよ」
『最低』が口から何回出ただろうか。ひどい言われようである。
「………でもね。でも、ビツレスの魔法学院に入れたのは確かにあの人のおかげだったし、ここまで育ててくれた事には感謝していたわ」
「そりゃあ……入学金は親父が出したからな」
「ええ。その点はホントに感謝してるわ。信頼できる下宿先を紹介してくれたし、定期的に仕送りもしてくれたおかげで学業に専念もできたしね。でも、だからって大好きだったというわけでもないけど」
思いを全部吐き出してリスティは少し落ち着いた。
父親を嫌っているのは公然と皆が知っていたが、実際は父親の事をどう思っていたかを口に出して言ったのは初めてだったかもしれない。
「兄さん、わかった?」
「あぁ………ルンの言うとおりだったな」
そんなリスティを見て、柄にもなく恐縮しっぱなしのドラゴがつぶやく。
「ルンが?」
「ああ『リスティは父様が嫌いだから仇討ちしないわけじゃない』ってはっきり言ってたからさ。ルンの言うとおりだったんだなってね」
「さすがルンはよくわかってくれてる」
仇討ちからルンへと話題が少し逸れたことで、リスティも頭に昇った血が大分降りた。軽く呼吸を整えてから言葉を続ける。
「いい?私が仇討ちを協力しないのは、別に相手があの人だからって訳じゃないの。仇討ちなんてこと自体やめなさいって言ってるの」
「なんでだよ。親父が殺されて黙ってろって言うのかっ!?」
「百歩譲って、兄さんが1人でやるっていうなら止めないわよ。兄さんもいい大人だから『怪我とか気をつけてね』ぐらいは言って送り出してあげるよ。でもルンやクリスを仇討ちなんかに巻き込まないで」
「別に巻き込んでネェよ!2人が手伝いたいって言ったんだよ」
「普通はそれでも仇討ちなんて手伝わす?ルンは13歳、クリスに至ってはまだ10歳になったばかりなのよ………」
リスティの表情が曇り、顔を俯いた。
「やっぱりあの時………無理してでも私が2人をビツレスに連れてくるべきだったわ」
「何をいまさら言ってるんだよ。2人とも船の上で生活したいからって言って、陸の学院で生活するお前について行かなかったんじゃないか」
「そ、そんな事はわかってるわよ」
兄の言葉にリスティの端正な顔が歪む。
(そうじゃない。本当に悪いのは私なんだ。2人と一緒に海で生活する選択肢もあったのに、魔法学院に通い続けることを選んだんだから………)
半年前、父ボンの盛大な葬式の後―――ボンジャノ一家の兄弟姉妹たちはそれぞれ独自に生活する道を歩むこととなった。
しかしルンとクリスの2人は兄弟の中でも特に年若かったためもう少し大きくなるまで誰かが養う必要があった。候補に挙がったのがここにいる2人。長男のドラゴ=ボンジャノと長女のリスティ=ボンジャノである。
高齢を理由にすでに父ボンに死ぬ以前から船団を半ば任されていたドラゴは、海賊業を続けるかどうかは別にして海の上での生活を続けることを決めていた。
それに対してリスティは元々海賊業を嫌っており、すでに陸の魔法学院での生活が長かった。そのため陸の上での生活を選択した。
生まれたときから船上で生活していたルンとクリスがどちらの環境を選ぶかなど、誰にでもわかることだった。
兄が父の仇討ちをしようとしていると知っていてもである。
「………ま、とりあえず。手伝いの話の返事はまた今度でいい」
埒があかないと思ったのか、ドラゴが手で話を制した。
「いいけど………返事は変わらないわよ」
「いやいや、良い返事を期待してるぜ。リスティちゃん」
「『ちゃん』なんてつけないでよ………もう話がないなら戻るね。アイリーンの毛繕いする約束と、クリスとルンに学園の話をしてあげる約束があるから」
そそくさと船長室を出て行こうとするリスティをドラゴが呼び止める。
「あ、リスティちょっと待て」
「ん?」
「話っていうのはもう1つあってな」
リスティは手をかけたドアノブを離して向き直る。
「……ちょっと学院で調べて欲しい事があるんだ」
「調べて欲しい事?何、仇討ちに関係する事とかじゃないでしょうね?」
「そんな突っかかるなって。まだ仇討ちと関係するかどうかはわからないんだけどな………『世界を制する剣』という旧世界の遺産について調べて欲しいんだ」
「世界を制する剣?」
博識なリスティでも聞いたことのない名だった。
「そうだ。この『世界を制する剣』はどうやら親父のコレクションに含まれていたらしいんだ。ただし親父が殺されるまでだけどな」
ドラゴは父ボンの死後、その膨大なコレクションをみんなに分配するために、父の残した記録をもとに1ヶ月ほどかけて整理を行っていた。
普段のおおざっぱな性格からは想像できなかったが、意外にもボンは詳細な宝の記録を取っていた。そのおかげで遺産の整理は比較的スムーズに進んだ。
1つの問題を除いては―――
それは遺産の中にいくつか見当たらないコレクションが見つかったのだ。
その1つが『世界を制する剣』だった。
「その……世界を制する剣だっけ?調べるのは構わないけど、別にコレクションの中で行方のわからないのは他にもいくつかあったでしょ?なんでそれを気にするの?」
「ユービの要求してきたのがその『世界を制する剣』だ」
「……へぇ~」
「何処から聞きつけたか知らないが、『世界を制する剣』が他の兄弟姉妹に分配されてないことを知った。分配されていないと言うことは、このヒルダに保管されたままになっている。そしてこのヒルダを現在所有しているのはオレ。そんな結論に達したんだろうなぁ」
ドラゴは人ごとのように言う。
「『だろうなぁ』……じゃないわよ。その剣が手元に無いのがわかってるならユービに教えてあげれば良かったのに。じゃないといつまでもこっちに襲いかかってくるよ?」
「それならそれで好都合だぜ」
「………何でよ?今回の私みたいにルンとかクリスが誘拐されたらどうするつもり?」
「ヒルダにいる限りそんな事はさせない。それにルンに至ってはユービごときに誘拐できるとは思えないぜ」
「それはそうだろうけど……」
リスティはルンの生い立ちを思い出して納得する。
「………ん?でも私がヒルダ降りて学院に戻ったら、また誘拐しに来るんじゃないの!?」
「あ………ああ、ヒルダ降りなければいい」
「『あ……』じゃないよ!もう………やっぱりヒルダにはもう載ってないこと教えた方が良かったんじゃない?」
「まあ待て待て。どうせ教えてやってもユービは信じないだろうさ。仮に信じたとして、その別の何処かにある剣を探され始めたら厄介じゃないかよ」
「厄介って………どんな剣なのかもわからないのに厄介も何もないじゃない」
「だからだ。そこまでして欲しい剣がどんなものか知りたいんだよ」
「…………」
リスティには兄の言い分もわからなくはなかった。
あの海賊王ボンに絶対服従だったユービが、その娘であるリスティを誘拐し、ドラゴと敵対してまで手に入れようとした剣である。
ただの高価な剣―――と言うわけではないだろう。
「……親父が部屋に飾りもせず、人知れず保管し続けた剣だ。何かあるに違いない。そう思わないか?」
「まあ、兄さんの言うとおりでしょうね。まず剣の名前からして物騒だものね」
リスティがやれやれと肩をすくめる。
「わかったわ。その剣について調べればいいのね?」
「ああ。わりぃな………それと……」
「ん?」
「……リスティの安全は考えとくよ」
「え……あ……うん」
ちょっと予想外の発言にリスティは呆けてしまう。
「ホントはなぁ~リスティがヒルダに乗るようになってくれるといいんだけど」
「それこそ本末転倒よ」
「ほんまつ……なに?」
「本末転倒。旧世界の言葉よ。わかったわ。とりあえず剣のことは学院に戻ったら調べてあげる」
「ああ、よろしくな!」
妹が部屋に入ってきた時とは対照的に、ご機嫌に親指を立ててみせるドラゴだった。