一幕 3
「リスティ姉ぇ~」
海面を駆けるドラゴたちに呼びかけてくる者がいた。
兄の腕の中で小さくなっていたリスティは自分を呼ぶ声に顔をあげる。南ユーロ地方特有の強い日差しのまぶしさに細めた目から、その日の光を遮って空から舞い降りてくる者が見えた。
「おひさぁ~♪」
「アイリーン!」
舞い降りたのは頭と身体は若い人間の女性、両腕は肩から先が鳥の翼になっており、両足のそれも鳥のような足をしていた。
アイリーンと呼ばれたその女性は空飛ぶ亜人ハーピィだった。
アイリーンは濃淡のある水色をした長い髪を靡かせ、南洋の海を思い起こさせるような混ざりけの無い真っ青な両翼を大きく広げて、海上を駆けるドラゴに平行するように海面スレスレを滑空する。
「リスティ姉、無事でよかったよぉ」
「ごめん、心配かけたね」
アイリーンがリスティに器用に擦り寄ってきた。そんな彼女の頭を撫でながら、久しぶりに会った妹にリスティの顔にも笑みが戻る。
アイリーンはハーピィと人間のハーフで、ボンジャノ一家の次女である。人間と違って年齢がわかりづらいが今年で18歳になった。
『ハーピィと人間のハーフ』と表現したが、厳密にはこれは正しくない。ハーピィは大きなくくりでは翼人族という種族に分類されている。この翼人族の中でも男性をバードマン。女性をハーピィ。と呼称している。要するにハーピィには女性しかいないので、種族を残すには、おのずと他種族の男性と交わるしかなく、言うなれば世界中にいるハーピィは全てが父親が他種族のハーフなのだ。
ちなみにエルフ族の血を引くリスティとは異母姉妹の関係になる。
「あのなアイリーン。近くで飛ばれると走りづらいんだが……」
「ホント、心配したよぉ~リスティ姉が危なくなったら急滑空で突撃ぃぃ~!!……するつもりで空の上でずっと見張ってたんだけどね。重そうなイスに縛られてたから、持ち上げるのに手間取りそうでどうしようかと思って困ってたの」
「……オレは無視かよ」
アイリーンは幼少の頃からその機動性を買われて、一家の船の周辺を空から監視するのが役目だった。ユービが言っていた『ボンジャノの目』とは彼女たちの事を指していた。
「ううん。何処からか見守ってくれてるって思っていたから心細くならずにすんだよ。ありがと」
「えへへへ………あ、そうそう。ヒルダまで連れてってあげようか?」
アイリーンが自分の鳥足をニギニギしてみせる。
それを見たリスティの顔が軽く引きつる。
あれは父ボンがまだ生きていた頃。
1年間の大半を船の上ですごしていたボンジャノ一家だが、一応陸上にも屋敷を持っていた。
その家は大海の孤島にあり、島の中央にそびえる切り立った山の頂上に建っていた。監視や防御には最適な立地だが、日常生活には不便この上なかった。そのため幼い頃はアイリーンにしょっちゅう肩を掴んでもらい、宙ぶらりんのまま『屋敷』と麓の港を行き来した。楽なうえに自分も鳥になったような気分になれて興奮したものだった。
しかしリスティが16歳になった年。ふとしたことで飛行中に地上に落下してしまい、1週間ほど意識不明になる事故があった。それからは一度も運んでもらったことはない。
リスティは不安げに兄をチラ見する。
ドラゴもそんな妹の気持ちを察したようだ。
「すぐにヒルダに着くからオレがこのまま運んでいくさ。っていうか、ちょっと離れてくれよ。走りづらいっての」
「えぇ~天気もよくて気持ちいいよぉ?」
心底残念そうな表情のアイリーンだが、さすがにリスティたちからは離れた。そんなアイリーンを見ながらリスティは内心ホッとする。
ハーピィの特性なのか、鳥頭とはよく言ったもので彼女は物事をすぐに忘れる。特に悲しい出来事ほどすぐに忘れる。
リスティが1週間意識を失った時も、最愛の姉が目を覚ましたのちも、アイリーンは毎日のように泣きながら姉に謝っていた。
最初の3日間だけ――
3日経った頃にはリスティを落としたことなど嘘のようにすっかり忘れていた。
そんな事になれば、普通なら落とされた方は『反省が見られない』と憤りと怒りを感じるかも知れない。しかしリスティはアイリーンにそういったものをまったく抱いていない。
生まれのせいであって、彼女のせいではないのだから。
そして何より彼女は生まれて初めてできた、一番付き合いの長い同性の親友なのだ。そして自分も調子に乗っていた落ち度のある事故で親友を失うような対応はしたくなかった。
「ははは……また今度お願いするわ」
「えぇ~残念だなぁ~」
「アイリーン様!ここにいましたか」
さらに上空から声をかけられる。
見上げると細身の剣に皮鎧と軽武装した翼人バードマンが降りてきた。
翼人族でも女性ばかりのハーピィに対して、バードマンは男性ばかりである。しかも種族の風習で入れている右の目元の入れ墨と背中から黒い翼が生えている以外は人間の成人男性とまったく見た目は変わらない。ハーピィよりも見た目が人間族にずっと近いと言える。
「ミムヨ~どうしたの?」
「『どうしたの?』ではありません。まだ偵察中ですよ」
リスティが『やっぱり』という表情をする。
「えぇ~リスティ姉に久しぶりに会ったのにぃ~」
「ダメです。今日はいつも以上に警戒するようにドラゴ様から言われていたではないですか。リスティ様、久しぶりの再会申し訳ないですが……」
「構わないよ。それにしてもミムヨさん相変わらず大変ね」
「え、えぇ……」
いろんな意味のこもった苦笑いを浮かべるミムヨ。
「ん?ん?何がおもしろいの?」
「何でもありません。さぁ偵察に戻りますよ」
「えぇ~しょうがないなぁ………じゃあまた後でねリスティ姉ぇ~」
「えぇ、またね。あ、ミムヨさん」
「はっ」
「妹をよろしくね」
「は、はい!」
「?」
軽い動揺を見せつつも何とかアイリーンを引っ張って任務に戻っていくミムヨ。
彼がアイリーンの部下になったのは海賊王ボンがまだ存命だった4年前の事だ。それからずっとアイリーンの事を密かに想っている。この事はほぼ周知の事実なのだが、肝心のアイリーン本人がまったくミムヨの気持ちに気づいていなかったりする。
昔から一家の中では『いつアイリーンがミムヨの想いに気がつくか』というトトカルチョをやっていた。今の様子を見るとトトカルチョはまだまだ継続中のようだ。ただし、ミムヨ自身は、四六時中アイリーンのそばに居られる今の状況に満足していたりするわけで、そんな気持ちだからいつまで経っても進展しないのだろう。
そうこうしてるうちにあっという間に2人とも高度を上げ、雲間に消えていった。
「飛び移るぞ」
「え?……わぁっ」
突然身体がフワッと浮き上がり声をあげてしまう。
アイリーンと話している間に目的の海賊船ヒルダが迫っていたようだ。ドラゴはリスティを抱えたまま海面に波紋を残しつつ一足飛びでヒルダの甲板へと飛び乗った。
10メートル近い高さの跳躍をして見せたドラゴ。この驚異的身体能力も竜人族の血がなせる技だった。
そしてヒルダの甲板に降り立ったリスティを数名の男女が出迎える。
これが彼女に取っては半年ぶりの故郷への帰還となる。
そして彼女の非日常的な冒険の始まりだった。