一幕 2
かの海賊王ボン=ボンジャノは多くの息子や娘を残している。
その中でも長兄にしてボンの後継者として最有力視されていた息子は名をドラゴ=ボンジャノという。
父ボンからの信頼も厚く、晩年は海賊団のほぼ全権をドラゴに譲っていたという話もある。
そんな彼の二つ名は『竜王』。
名の由来はその生い立ちにある。
まだボンジャノ海賊団の規模がとても小さかった頃、若き日のボンの心を虜にした1人の女性がいた。ボンとその女性は数年間海賊団で一緒にいたが、その時に生まれたのがドラゴだった。
これだけ聞けば普通のラブロマンスのように聞こえる。
ただ1つだけ普通と違う事があった。
その女性は―――人間の娘ではなかった。最強生物種の1柱『ドラゴン』だったのだ。しかも人間の姿にも化けることのできる『竜人』と呼ばれるドラゴの中でも高等な種族の娘だった。
その竜人の血を引くドラゴには竜人族特有の力をたくさん引き継いでいる。その1つが『鋼のような強靱な肉体』である。
船体に落下しても傷一つ負っていないその自慢の肉体から埃を払っていたドラゴが、イスに縛られた状態の妹を見つける。
「おっ、リスティ!」
「兄さん!」
「安心しなリスティ、助けに来たぜ!」
「それは……その……嬉しいけど、あのねぇ……もうちょっと静かに侵入してこれないの?」
憎まれ口のリスティだが、やはり助けに来てくれたのは嬉しいのだろう。はにかんだ表情が見え隠れしている。
「しょうがねぇだろ。リスティみたいに魔法が使えるわけでもないし、ミケみたいに身軽にコッソリと潜入ってわけにもいかないんだからよ」
「それでも大砲から撃ち出して乗り移ってくるなんて非常識よ」
「非常識結構!いいじゃねぇかよ。成功したんだからさっ」
「私に当たったらどうするつもりだったのよ」
「それは大丈夫だぜ。ルンがそんなミスするわけないだろ」
「もう……妹を信頼するのは良いことだけど………万が一とかあるじゃない」
「まあまあそう言うなって、結果的にこれだけ離れた船に乗り込めたんだから、これは意外と新しい戦術として広まりそうじゃないか?」
「こんな事できるのは兄さんだけよ………」
周りの人たちを無視して何やら口喧嘩を始めた2人。
そんな状況に流されかけていたユービだが、ふと我に戻り周囲の船員たちを叱咤する。
「な、何をぼっとしているお前たち!!敵が乗り込んできたんだぞ。討ち取れ!」
ユービが怒鳴るが、船員たちはジリジリ動くだけで誰1人斬りかかる者はいない。
会うのは初めてでも『竜王』の名ぐらいは皆が知っている。何よりこれだけの敵に囲まれて妹と口論を始める度胸と言うか、自信に満ちたこの若者が只者でないのは誰の目から見てもわかった。
「そうそうお前たち………」
ドラゴが周囲の船員たちを見回す。
「オレは妹を助けに来ただけだからな。幸い、アイツに怪我もないみたいだし、おかしな事もされてないようだからな。邪魔さえしなければ見逃してやるよ………ただしお前には聞くことがあるけどな」
そう言ってユービを見たドラゴの顔は、それまでニヤニヤしながら妹と話してた表情ではない。『竜王』の名に恥じない、心を砕くようなとても鋭い視線をユービに向けた。
ただそれも一瞬の事で、次には笑顔に戻ってリスティの方へと歩み寄っていく。
こうなってはユービにできることはただ一つ―――人質を抑える事だけだった。
ドラゴよりも先にリスティに走り寄ろうとするユービだが、その彼の足下に長大なロングソードが深々と突き刺さった。ドラゴが背中に背負っていた愛剣を投げつけたのだ。
「おい、ユービ、大人しくしてろ。お前からは話を聞くだけだ。殺しはしない」
(くっ……)
ユービの足が止まる。
しかし周りの船員たちに対してはそれは逆効果だったようだ。パッと見たところ唯一の武器を投げつけてしまったドラゴは丸腰に見えた。
さらにユービの言葉が後押しした。
「お、お前たち!その丸腰の男を討ち取った者には3倍の報酬を払うぞ!」
「さ、さんばい!?」
船員たちが色めきたった。
そして先ほどまでとは打って変わって、ドラゴを取り巻く囲いが狭くなってきた。船員たちは手に手に武器を構え直している。
「おいおい、金の為ぐらいで命を無駄に――」
『うおぉぉぉぉ!!』
ドラゴがセリフを言い終わる前に、10人ほどの船員が我先にと斬りかかってくる。
それを素手で迎え撃つドラゴ。
「チッ!邪魔するなって――」
ドラゴは振り下ろされる真剣を―――なんと生身の手や腕で受け止めた。その腕は斬れるどころか血が滲んですらいない。
「――言っただろうがぁぁぁ!!!」
非常識な防御方法に驚愕して動きの止まる船員たち。ドラゴはその船員たちを目にも止まらぬ身のこなしで、拳と蹴りを繰り出して全員を船外へと吹き飛ばしてしまった。
放物線を描いて宙に舞う船員たち。
そして少し遅れて聞こえる海面に落ちる音が複数。
その豪快な光景を見せられて、残る50人以上の船員たちはみんな再び後ずさりし始める。
そんな周囲の状況にはお構いなくドラゴはリスティに近寄ると、その戒めを解いてやり、手を引いて立たせてあげる。
「もう……兄さんムチャしすぎだよ。だいた――んっ」
また文句が出てきそうな妹の口をドラゴが人差し指で封じる。
「その前に何か言うことがあるんじゃね?」
「………」
「こっちはわざわざメディチ海を西から東へ横断してきたんだからさ。いや、ホント、遠かったぜぇ~」
「う………あ、ありがとう」
「ん?何がありがとう?」
「くっ………た、助けに来てくれて……ありがと……う」
悔しい所為か恥ずかしい所為かわからないが、リスティは顔を赤くして絞り出すように言う。
「じゃあお礼に感謝のキッスでも――ぐほっ」
リスティ怒りの鉄拳がドラゴの顔面に正面からヒットした。
「調子に乗るなっ!」
「いちち……へいへい」
鼻をさすりながら肩をすくめるドラゴ。
美的、知的には優れていても、身体的にはひ弱なエルフの血を引く妹のパンチなど、剣を素手で受けられるドラゴには蚊が刺したほどにも感じないだろう。それでも痛いフリをして戯けてみせる。
彼らはいつもこんな感じなのだ。
「さぁ~ってと。ユービ、こいつには聞きたいことがあるって言ったよな」
「くっ……」
妹を取り戻して安心したのか、ユービを見る目は先ほどよりは鋭くない。もちろん笑っているわけでもない。
「時間が勿体無いからシャキシャキ答えろよぉ。お前に聞きたいのは2点だ。1つ目、何故今更親父のアレを欲しがったりするのか?そして2つ目、お前の黒幕は誰だ」
黒幕という単語にユービの顔がひくつく。ドラゴはそれを見逃さなかった。
「やっぱ。ビンゴか」
「え、兄さん、黒幕って?」
「ん?オレの予想だけど。お前は自分からこんな大胆な事するようなヤツじゃないからな。ユービは周りをグイグイ引っ張っていくタイプじゃないし、割の悪い仕事はしない聡さを持っている。当然後ろに誰かいて、十分な見返りを約束されている。そう考えるのが自然だろ?」
「へぇ~……」
兄を少し感嘆のまなざしで見るリスティ。
ユービは一瞬驚きの表情を見せてから何やら笑いをかみ殺す。
「くっくっく……その才能、戦闘に特化していると思われがちですが………実はなかなかの思慮深さ。いや、野性的なカンの良さと言った方が正しいでしょうか。ボンジャノ一家の中にはミルド=ボンジャノやラウラ=ボンジャノの名を挙げる者もいましたが………やはり海賊王ボン=ボンジャノに一番近いのはあなただと私は思っていましたよ」
「ふん。褒めても何も出ないぞ。喋らないのなら無理矢理聞き出すまでだ」
指をポキポキ鳴らしながらドラゴが近づく。
「しかしお察しの通り、私にも色々と事情があります。残念ながら今の2点ともお話しするわけにはいきませんので、ここは引かせてもらいますよっ!」
ユービはさっと背中を向けて走り出す。
ドボォォ~~ン。
そして躊躇無く船縁を乗り越えると、船外へと消えていってしまった。
「なにっ!?」
予想外の行動に、さすがのドラゴも一瞬呆気にとられて反応が遅れてしまった。
慌てて船縁まで駆け寄り、海面を見下ろすが、白い泡がたっているだけでユービの姿は何処にも見えなかった。
「くそっ!ユービの奴にこんな度胸あったかよ!?」
「あぁ~あ、逃がしちゃったね」
リスティが歩いて兄の隣に立つ。
「リスティ~。何で魔法を使わなかったんだよ」
「だ・か・ら。前から言ってるけど魔法はそこまで便利じゃないの!長い瞑想とか詠唱をこなして初めて効果が現れるんだから。そうそう咄嗟に使えるモノじゃないの」
「くぅー………しょうがねぇか………おい、お前ら!」
ドラゴは気を取り直して、それまで遠巻きに様子をうかがっていた船員たちを呼ぶ。
「ここに残っている中で一番エライ奴は誰だ?副官とかいるんだろ?」
船員たちが互いに目くばせをしあう。そしてしばらくして40歳前後の男性が『自分が副官だ』と恐る恐る名乗り出る。
「そうかい。じゃあこの船はあんたにまかせるよ。好きにすればいいから」
そう言ってドラゴは甲板に刺さった長剣を回収する。さらに『手間賃にこれは貰う』と言って、ユービが放りだしていった金装飾の豪奢な望遠鏡も一緒に拾った。
好きにしろと言われた副官の男は信じられないという表情を浮かべている。
「あ……えっと……船を沈めたりはしないんで?」
「あぁ?さっきも言っただろ。オレは妹さえ無事ならこんな船どうでもいいんだよ。それに壊す弾代ももったいない。ただしもうオレたちの邪魔だけはするなよ」
船員たちは信じられなかった。普通海賊に捕まった船は奪えるモノは全て奪い尽くされて、最悪は沈められるのが普通だったからだ。
呆気に取られてる船員たちを尻目に、ドラゴはリスティを連れて船縁に立つ。
「リスティ、確か水上を歩けるようになる魔法があったよな?オレにかけてくれよ」
「はぁ……ヒルダに帰るのは歩きなのね」
遙か先に浮かぶヒルダを見てから小さく溜め息をつく。それでも他に方法は思いつかない。『大砲で打ち返す』とか言われないだけマシだと思った。兄に言われたとおり、魔法詠唱をして魔法を発動させる。
「【我が名はリスティ。我は水の理に干渉する者なり。我は水の理を書き換える者なり。足は水を弾く】………はい、かかったよ。10分ぐらいだけど十分でしょ?」
「十分だ。よしヒルダに帰るぜ」
「あ、ちょっと待って。自分にもかけるから」
「そんな必要ないっての……よいしょっと」
「え……きゃっ」
背中に長剣を背負ったドラゴはリスティを軽々とお姫様抱っこした。そして甲板に2人を呆然と見送る船員たちを残してスッと海上へと飛び降りた。
魔法の効果で、ドラゴの足は僅かな波紋をおこしながら海面に降り立った。
「ちょっ!に、兄さんいきなり何!?」
「あんまり暴れるなって。海に落ちるぞ。そうしたらお前、困るだろ?」
「あ……う……」
自分に魔法がかかっていないので、ドラゴから離れれば当然海に沈む。リスティは海賊王の娘だが―――実はカナヅチなのだ。
兄さんに抱かれているのと、海に落ちるの。どちらがマシか。
(……ヒルダに着くまでのガマン……ガマン……)
天秤は『抱かれるのを我慢』に傾いたようだ。自分の腕の中でシュンと大人しくなった妹に苦笑しながらドラゴはヒルダに向かって海面をもの凄い速さで疾走していくのだった。