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緑蛇  作者: つっちーfrom千葉
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第一話


 仕事というものは、多ければ多いほど良いというものではない。仕事をこなして、労働の義務を負っている人間たちが、働いて給与を受け取るという単純なやり取りに充実感を感じるのは、ある一定の仕事量までの話で、とある日の労働が、すげなくそのラインを超えてしまうと、どんなに多くの給料をもらったとしても、精神的にも追い詰められてきつくなり、身体の節々も痛くなり、生きていること自体が辛くてしょうがなくなるのだ。つまり、それは幸福でないということで、働くことが幸せにつながらないのであれば、無理してまで、その労働を続けていく意味は何もない。すなわち、辞めたほうがよいという事になろう。


 私は常にそんなことを考えているし、それが正しい考えであると確信している。しかしながら、仕事がまったく来ないということになると、それはそれでまた困った問題になる。少なくとも、先の問題よりも、余計にやっかいな事になる。それは無難な生活を送るための金銭が絡んでいるからである。この社会においては、朝食のパンや、胃痛を起こした際の医療費、あるいは、少しの移動にも電車賃がかかる。つまり、金がなければ、そもそも、働くきっかけを得ることすらできない。常に追い詰められることになる。そういう事態だけは出来れば避けたいものだ。


 私の会社の規模は小さいが、イラストレーターの仕事をしている。雑誌や各種新聞などに掲載される比較的小さめのイラストの依頼を受けて、比較的短時間の作業により描く仕事である。


 大きな産業道路によって、区切られた、この界隈には出版社や印刷会社が数多く立ち並び、それらの下っ端の社員たちが昼夜せわしなく、片手に画像ファイルが詰め込まれた、MOやFD、あるいは、バインダーに挟まれた書類を持って、締切に追われ、走り回っているのだ。新聞や雑誌などに載せるイラストは、色彩とデザインに優れ、その上で、仕事が丁寧で美しければ、それに越したことはないのだろうが、そもそも顧客相手の仕事であるから、読者から期待されている、その作品の質も、常に締め切りまでの時間に左右されることになる。


「責任校了まであと三時間しかないのに、お客さんが新しいイラストを書いて欲しいと言ってきた。何とかして欲しい」などといった、編集者からの悲痛な依頼が毎日のように飛び込んでくる。こういう時に頼りになるのは絵の上手い画家よりも仕事の早い職人である。うちよりも美しい芸術的なイラストを書いてくれる絵描きさんは、この付近に山ほどいるのだろうが、無茶な要望のイラストをうちより早く仕上げられる絵描きは少ないという自負が私にはある。


 今日は昼過ぎになって、道路向かいに建つビルにある、中規模の印刷会社の社員がドアを突き破る勢いで走り込んできた。


「雑誌『青空月報』のお客さんが、こんな時間になって、また無茶を言いだしまして……。責了の紙面に『幸せそうな家族』のイラストを載せたいんですが、これから、作業に入って頂いて……。どうでしょう。五時までに上がるでしょうか?」


 レンズの曇ったメガネをかけて、痩せていて背の高い、まだ、入社して間もないような、きわめて神経質そうな青白い顔の若者は、そのような感じで泣きついてきたのである。大方、めんどくさい仕事だから、お前が行って来いと、先輩か上司に押し付けられてきたのだろう。開業当初から壁に張り付いている、安物の掛け時計を見上げると、針はすでに一時半をまわっていた。


「今からやって、五時までにあげろって? ダメダメ、それは無理だよ。私だって暇じゃない、他にも仕事はあるしね」


 お客さんの要望は、なんでもハイハイと頷いて、丁重に承れば良いというものではない。こういう否定的なセリフを最初に放つことにより、今後の交渉をやりやすくしているわけだ。私のスケジュールが本当に忙しいのかどうかは、また別の問題である。


「そこをなんとかお願いします! 先生ならできると信じて、この仕事を引き受けてしまったんです……」


「いいかい、よく考えてみなさいよ。今からイラストのレイアウト構成を考えるんだよ。考えるだけで一時間はかかる。描きはじめるのはその後だ……。色を付けたり、見直したりする作業も残っている。猶予があと三時間しかないのでは、どうあがいても無理だね」


「では、六時までならどうでしょう? 雑誌の担当者に頼み込んで、そこまでは時間を伸ばしてもらいますから……。なんとか、なんとか、お願いします!」


 この締め切りにルーズな印刷会社との、これまでの軋轢あつれきなど、難しい感情を抜きにして冷静に考えてみれば、たいして手間のかかる仕事でもないし、締め切りまでの時間も十分もらえたので、私としても、これ以上ダダをこねる理由もなく、内心はよしよしとほくそ笑みながら、しぶしぶ顔で承諾してやることにした。


「わかった、そういうことなら……、じゃあ、六時までに……、ことによると少し過ぎるかもしれないがね。さっきも言ったかもしれんが、うちには他にも仕事があるんだから……、でも、まあ、そのぐらいの時間までに、あんたのいつものメールアドレスに送っておけばいいね?」


 長年の経験により得た演技力により、業界人特有の渋い顔面を造り出し、そう言ってやると、その社員はたいそう喜んで、私がどうあれ承諾するということを、すでに見越した上で、書き込んであった発注書を置いて、何度も礼を言い、安心顔で帰って行った。


 しかし、幸せそうな家族と言ったって、私はそのような定義に当てはまる、平和そうな家族の姿を、そもそも見たことがないので、イラストの想像図がなかなか頭に浮かんで来ない。そんな簡単な絵柄すらも想像することが難しい時代になってしまったのかと嘆息するしかなかった。


 現代の一般的な家族像として、すぐに頭に思い描くのは、まず、効率重視の仕事に振り回され、家庭をいっさい顧みることはなく、平日は早朝から深夜までの時間をフルに使って企業に従事する、働き蟻の父親である。彼は貴重なはずの休日も、上司とのゴルフ接待に明け暮れ、育ち盛りの子供の面倒を見ることはなく、帰り路において、女房に気の利いたプレゼントを買ってくることもなく、どうせ自分の生活は何も変わらないからと国政選挙の投票にも行かない。つまり、仕事においては、常に責任感と充実感を持って過ごしていると言い張るが、人間にとって、もっと肝心なはずの家族の幸せへの配慮や休日の有効な時間利用ということには、まるで関心がないのだ。


 その妻はどうかといえば、ご近所の奥様方の眼には、貞節な妻として映るように振る舞うが、その実情はひどいもので、夫に内緒で、その安い給料から、日常的に小銭を抜き取って集めることに腐心し、あらゆるひねた手段を用いて、巧妙にへそくりを作り出し、それを高級ブランド物のバッグやネックレスなどに変えてしまうのである。夫の努力の成果が、子供の遊具や文房具に使われることは決してない。未来の行く末を左右する、一家の貯蓄がなかなか貯まらないことを、すべて旦那の稼ぎの悪さのせいにしてしまい、自分の身の丈に合わない収集癖のせいであるとは露とも思わないのである。夫のいない昼間、家にいるのが退屈になってくると、気晴らしとばかりに子供を連れて外出し、デパートや電車の中などで、まだ話すことがやっとの子供相手にヒステリー満載の怒鳴り声でお説教を連発し、自らのストレスだけを見事に発散し、お土産とばかりに、自分への高級スイーツと、旦那向けの、ささやかな夕食のおかずを購入して帰ってくるのである。


 この両親の生産物であるのが、子供たちであるから、青年までうまく成長したとしても、その乱れきった生活が如何なるものかは、もう想像に難くない。休みの日はおろか、平日まで学校に行かず、早朝から暗くなるまでテレビゲームに時間を浪費し、勉強はすべてが予備校頼みで、自分の得意科目と受験に使用する科目しかやらない。その勉強方法も、きわめて効率的でわかりやすい。受験に最低限必要なことだけを、頭に詰め込んでいくだけ。ダメな両親に本当の人間関係の構築方法すらも、そもそも教わっていないわけだから、学校や職場での人間関係において、精神的にダメージを受けると、すぐに反駁することをあきらめて、家に引きこもってしまうのである。


 友達も仮想空間でしか作らないから、その友人関係も恋愛関係もすべてがゲーム感覚。人を何人殺したとしても、動機が見つからないのは、そもそも彼らの生活の中に現実感が見いだせないからである。未成年犯罪の増加と凶悪化、あるいは子供の非行化を嘆く父兄が多いようだが、なんのことはない。親の生きざまが悪くなったから、子供の質も悪いのである。個人主義を標榜する社会に、頭からどっぷりと漬け込まれているうちに見えてきた、家庭内別居という姿が、現代家庭の模範像になってしまったのだろうか。これではいくら想像力豊かな私でも幸せな家族像を想像することは難しい。今やアニメや映画の世界にしか、そういうものは存在しないのであろうか。


 私は、「絶対こんな家族は存在しないが」というアフォリズムを心中において連呼しながらも、画面上で自然と筆を動かすことができた。四十分後に仕上がったのは、不自然に大口を開けて笑う、三十代前半とおぼしき普段着姿の生活感のある両親と、二人に肩を支えられながら、虫捕り網を構えてはしゃぐ小学生の男の子の絵だった。こんなデマを描いて許されるのかという思いはあった。青空月報の読者は、この単純な絵を見て、社会の理想像と今の自分の姿とのギャップに思い苦しみ、さぞかし悩まされることだろう。私は軽いタッチで、それを上書き保存すると、例の印刷会社のアドレスに送付した。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。よろしくお願いします。

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