問1 君と出会えた1/66の奇跡
砂埃の舞う空き地。
そこに佇むのは、様々な色の服を纏った7人の容姿端麗な青年たち。
「さっさと終わらせようぜ。こんなところに長居したら、服の装飾に塵が入ってクリーニングに出す手間が増える。洗濯は基本的に自宅洗いで済ませたいんだ。」
集団の先頭に立ち、胸ポケットに赤いスカーフを入れた男ー怠惰レッドが気だるそうに吐きすてる。
「貴様らそれでも正義の味方か!もっと覇気を持って挑んでこい!あと、所帯染みたこと言うんじゃない。」
集団に対峙する、いかにも悪役ですという出で立ちの男が威勢良く叫んだ。
「おっさん、毎回そんな熱量で疲れない?俺は無理だわ。」
手元の電子端末を弄りながら、一度も顔を上げることなくボソボソつぶやくのは惰眠ホワイト。
「なぜだ、何故悪の帝王であるこのブラックパッション様がお前らに正義のなんたるかを説教したくなるんだ…まあいい!この辺でおしまいにしてやる!覚悟しろ!」
「あのさぁ、この価値観が多様化した現代で、正義の味方はこうであれ!みたいな固定観念てどうなのかな?別にヒーローの全員が全員常にテンションマックスとは限らないでしょ?」
大きくあくびをしながら他力本願パープルが淡々と持論を展開する。
「ええいうるさい!ここが貴様らの墓場となるのだ覚悟しろ!」
ブラックパッションが叫んだ途端、あたりが暗くなり、あまりにも安直なデザインの黒い渦雲が出てきた。
「はいはいわかった。じゃ、さっさと済ませてよチートレインボー」青い帽子の常時ブルーが後ろを振り向きながら仲間の一人に話しかけた。
「えー、また俺?最近俺ばっかりだべ?」
不満しかなさそうな声の持ち主は、指示をされたチートレインボーである。
「あとで唐揚げスティック奢ってやるから。」
「ふざけるな、頑張る。」
唐揚げスティックと言われた途端に少し声色が明るくなるあたり、単純な奴である。
「調子が狂うな!えぇい貴様ら全員おしまいだぁあ!」
呑気なやり取りが続いているが、悪役の男は一人ヒートアップしている。まあ、いつものことである。
「はいはい、ごめんお待たせ。」
チートレインボーが足取り軽く集団の先頭に出てきた。さながら、デートの待ち合わせ場所に現れた彼氏のようで、まるで緊張感などない。
「じゃあ失礼します、”疾風レインボー”」
絶妙な‘間’も無く、決めポーズをするでもなく、腹から声を出すでもなく、やや面倒くさそうに、惰性でやっていますという本音を全面に出しながら、虹色の戦士は右手を一回振り上げた。
その途端、先ほどからあたりを覆っていた渦雲が、悪役もろとも吹き飛んだ。
「覚えていろーー」
敗者の遠吠えがドップラー効果で低く小さくなっていく。あまりにもあっけない幕引きだが、彼らにとってはお決まりの展開なのである。
そして、悪役を退治したというのに、レンジャーたちはテンションも立ち位置も一切変える気配がない。
「はい仕事終了。俺たち3割レンジャー。4割以上の力は出さねえ。」
この決め台詞は本当にどうかと思うが、怠惰レッドが頭を掻きながらボソボソ言うと、画面が引いていき、右下に「続」の文字が浮かんだー
「いやー今週の話も面白かったなぁ。コスチュームは自宅洗いなのか!」
テレビのスイッチを消すと、黒い画面に口元をほころばせた怪しい女子大生の顔が浮かび上がった。彼女がこの物語の主人公、サキである。
サキは、テレビを見ている間ずっと抱えていたクッションを置いて、スマートフォンを手に取った。
「明日は、3割レンジャーの新商品が出るはず…4限の授業が終わったら買いに行こうかな。」
先ほどの何とも気の抜けた一連のやり取りは、最近始まったテレビアニメーション『脱力戦隊☆3割レンジャー』の一幕であり、サキは最近このアニメに夢中なのである。彼女はしばらく何かを調べると、スマートフォンを机に置いて、ベッドに入った。
「明日楽しみだな。売り切れないと良いなあ。」
横になったというのに相変わらずサキの口元はほころんだままである。
「うーーーーん…」
翌日の夕方、綺麗に陳列された複数の小箱を目の前に、サキは頭を抱え唸っていた。
ここは秋葉原のとあるアニメ雑貨店。大学でドイツ文学を専攻するサキの趣味は、冒頭の様子でもわかる通りアニメ鑑賞であり、彼女は俗に言う「オタク」であった。そんな華の(?)女子大生が熱い視線を注いでるのは、大好きな「脱力戦隊☆3割レンジャー」のラバーストラップである。これは、昨晩スマートフォンで調べてニヤついていた商品であり、欲しいのであれば、迷わず購入すればいい…と言いたいところであるが、そうもいかないのは、視線の先にあるものが所謂【ブラインド商品】だからである。サキが欲していたものは、大好きな「怠慢レッド」のストラップ(なお、筆者はチートレインボーが欲しい)だが、並ぶのは中身の分からない大量の小箱だ。
「全部で12種類でしょ?1/12か、そこそこ運が必要だよ…そもそも、3割レンジャーは7人なのに、なんで悪役5人まで種類に加わってるのさ…」
しかし、こうしていくら独りごちても、箱の中身が透けて見えることはない。かれこれ15分は悩んだだろうか、彼女はやっと2つの箱を手に取った。
「ありがとうございました!またお越しくださいませ!」
店員の底抜けに明るい声を背に、サキはそそくさと店を出た。
「怠慢レッド来い怠慢レッド来い!!」
大袈裟に祈るようなポーズをしながら、店の前でサキは勢い任せに箱を開けた…
が、すぐに肩を落とした。
「惰眠ホワイトと他力本願パープルかっ!や、いいんだけどね!」
よくも一人でこれだけ騒げるものだと思うが、サキにとっては一大事なのである。
「どうしよう…今月のバイト代あまり残ってないしな…でも…追加して買おうかな…」
財布の中身をチラチラ見ながら、またも15分程度の葛藤を経て、サキは別の店に移動した。
店内の陳列棚を見て回ると、さすが新商品なだけあり、分かりやすく平積みされている。
「今度は、一番手前を取ろう…よし、2個!」
サキはまたも陳列された12個の箱から2つを手にしてレジへ向かった。
「今度こそは!」
果たして結果は…?
「ただいまぁ。」
気の抜けた声とともに力なく自宅の玄関を開けると、
「おかえりなさい!ご飯出来てるわよ!なんか元気無いわねどうしたの?」
と畳み掛けてくるのはサキの母である。
「いや、たいしたことないよ。」
「何よ!気になるじゃない!」
「大丈夫大丈夫!今日のご飯は?お腹空いた!」
流石に、自分が欲しかったアニメのキャラクターグッズが手に入らず落ち込んだ、とは言えなかった。そう、二軒目の店で買い足しても「怠惰レッド」が出ることは無かったのである。
廊下を抜けリビングに入ると、タブレット端末の画面を前に目を閉じてブツブツ呟く怪しげな男-サキの兄春斗がいた。
「おお、サキおかえり。遅かったな。」
「ちょっと寄り道しててね。春にい何ブツブツ言ってんの?」
「いや、次回の講義のレジュメを準備していたんだけど、イマイチ分かりやすい例が浮かばなくてな。」
「へえ、授業やってるの?凄いね春にい!」
「まあ、一部を任せてもらってるだけだけどな。」
春斗は大学院で統計学の研究をしており、時々学部で講義の手伝いをしている。自他共に認める「超文系」のサキからすれば、理系の兄は未知の領域を司る存在であった。
「今はどんなことやっているの?聞いても多分わからないけど。」
ペットボトルに入ったお茶を飲み干しながらサキは尋ねた。
「うむ。確率論の授業で、ランダム抽出というのを教えていてな…」
「ごめん、もう分からない。」
「待て、まだ何も言っていないだろ。」
「いやぁ、そのランダム何某って言葉だけで蕁麻疹が…」
サキが腕をさするポーズをする。
「我が妹ながら情けない…」
「なんだろうねこの数学アレルギーは。自分でも不思議だよ。それで、そのランダムがどうしたって?」
「残念ながら、サキの反応は御多分に洩れずといったところでな。俺が講義をさせてもらうのも文系学部のクラスだから、数学アレルギーの子が多いんだよ。」
「そりゃそうだ。私みたいに、数学から逃げるために文系に走った子もいるだろうし。」
「『数学やるためにこの学部来たんじゃないです!』なんて学生アンケートに書かれた時は枕を濡らした。」
「ドンマイ春にい!でもそれは私も賛成!」
「なぜ妹にトドメを刺されなければならないんだ…ところで、なんだその袋は?大福でも買ってきたのか?」
サキの持っているビニール袋を顎で指しながら、春斗は羨望の眼差しを向けた。
「そんな期待の眼で見られてもおやつじゃないから。」
「そうか、残念だ…」
春斗はいかにも残念と眉を垂らす。
そんな兄をよそ目に、袋の中を探りながらサキはハッと思いついた。
「そういえば春にい、こういう場合の確率てどうなのよ?」
そう言いながら、サキは先ほど買ったラバーストラップを4つをテーブルに置いた。そこには、惰眠ホワイトのストラップが2点、他力本願パープルのストラップが2点置かれていた。
「なんだなんだ?お前同じもの2つも買うなら大福を…」
「大福は無いから。これはね、ランダムで何が入ってるか分からないの!春にいも小さい頃オマケ付きお菓子一緒に買ったでしょ?」
「あぁ、なるほどそういうことか。」
「問題はね、全部で12種類も柄があるのに、同じキャラクターを2種類2個ずつ出したことなの!凄くない?」
「ほほう!それは凄いな!なかなか面白いぞ!」
春斗が爛々と目を輝かせながらストラップを凝視した。
「やっぱり凄いよね?よりによって二つとも被ったんだよ?!」
サキは興奮気味に続ける。
「なかなかレアなことだぞ!1/66の確率だ!」
「…え?」
「つまりは、こういうことだ」
春斗はスーパーの広告をめくってサラサラと計算式を書き出した。
「…春にい、小学生に説明すると思いながらの解説をどうぞ。」
顔を手で覆いながら、妹が力なく言う。
「それは難しいオーダーだな…えっとつまりだな、まず、この白イケメンと紫キレイ系の…」
「惰眠ホワイトと他力本願パープルね」
「はいはい…それじゃあ、12個の箱から2個の箱を選んだとき、惰眠ホワイト?と他力本願パープル?が出てくる確率は1/12×1/11になるってのはわかるな?」
「うん、それくらいは。でもさ、そうしたら1/132になるよね?でも春にいはさっき1/66て言った」
「そうだな。これは、サキが箱を選ぶ順番は、今回起きた事象には変わりがないってことなんだよ…って、わかるか?」
「う、うーん」
「すまん、つまり、今回考える確率ってのはな、箱を開封した時に出てきたキャラの順番までは考えないってことだ。」
「あ、なるほど。そうならそうって言ってよ!小学生に説明するようにって言ったじゃない!」
「なぜ教えているのに怒られなければいけないんだ…」
「まあいいや!つまり、私が惰眠ホワイト→他力本願パープルの順番で引いた時と、その逆の時を考える2つの場合があるってことね!」
「そういうことだ。」
「あ、でもさ春にい!」
パッと顔を上げてサキが続ける。
「私は、それぞれ2つずつ引いたんだよ?そうしたら、1/66×1/66てことにならない?」
「サキ鋭いな。確かにそう考えたくなるんだよな。しかし、今考えているのは、1店目でサキが出したキャラクターを2店目でも出す確率、だから、1店目で出る確率は関係ないんだよ。」
「そっか。」
「もし…」
春斗が続ける。
「もし、買って出たストラップが、当初から狙って引き当てた柄なのであれば、それは1/66×1/66=1/4356ってことになるな。」
「なるほどね!やっぱり!」
春斗の言葉に被せてサキが大きな声を出した。
「何がやっぱりなんだ?」
「だってさ、推しって自分じゃ出ないんだもん!」
「オシ?ってなんだ?」
「自分が好きなキャラクターってこと!こういうランダム封入のグッズを買って、欲しいキャラクターを自分で引き当てるのって至難の技なんだよね。だから、春にいの話聞いてたら、なんか納得した!」
「まあな、その事実を確率論で示すとこうなるわけだ。」
「残酷な現実を突きつけられた。でも、だからこそ燃える。」
サキがテーブルのストラップを見つめながら呟く。
「兄はなんだか心配だ…」
すると、キッチンから母の声がする。
「ちょっと!二人ともさっさと手洗ってきて!ごはん冷めるわよ!」
「はーい」
「今行く!」
春斗とサキは応答しながら食卓へ向かうのであった。
つづく