表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

もう一人の僕

 背中が、痛い。

 ゴツゴツと固い感触に顔をしかめつつ目をさますと、そこは森だった。生い茂る数々の葉の隙間からは、真っ青な空がのぞいている。空気はひんやりと湿っており、風はない。穏やかな日和だった。

 ゆっくり身体を起こすと、辺りを見渡す。あれは、湖だ。その瞬間、自分の身に起こったことを理解した。そして呆然とした。

 なにが最高傑作だ、勝手に動くなんて聞いていないぞ。

 しかし、動かないとも言ってはいなかった。これは思わぬ事故だ。誰にも非はない。とりあえず立ち上がって、白い点を探してみる。首をあちこちに向けても、手を振り回して感触でもって探してみても、ない。どこにもない。

 これでは、諦めるのが早いだろう。

 ひとまず湖を眺め、人がいる方角を考えた。獣道のようなうねうねと曲がりくねった細道を、歩き始める。身体にまとわりつくようなしっとりとした空気が、僕の好みだった。

 しばらく歩いていると、ガサガサッと近くの森が揺れた。次いで、声が聞こえた。

「あっ……やっぱり、人だよ」

 そうして、茂みの中からぴょんと跳んで現れたのは……僕だった。

「困ったな。いったい、なぜこの森に迷い込んだかな、君は?」

 目の前に突如姿を現した僕にそっくりの人は、少しばかり高い声で言った。腰に手を当て、怒っている様子を表している。

「なぜと言われたって、説明したら少し長いのさ。それより、君はまるで、僕とおんなじ出で立ちじゃ

ないか、名前を聞いても、いいかい?」

「僕か? 僕はリュオさ。名前なんてどうだっていい、君のことだよ。出会ったことのない人だ。どこから来たんだ?」

「どうだってよくはない、顔がまるで同じなんだから。リュオだね。僕はリュウ。名前も似ているなんて、なんて紛らわしいことだろうか」

「君と話してちゃ、埒があかない。来たまえ、服が汚れている、お茶くらい出すよ」

 そう言うが早いか、リュオは僕の手を引いて駆けだした! それはもう、速くって、引きずられるようにしてただついて行くだけだった。

 やがて、こげ茶の木でできた小屋が現れた。ぽっかりと木の生えていない広場のような場所の真ん中。普通の家の半分くらいの大きさだ。

「さあ遠慮はいらない、上がってくれたまえ。いま、お茶をいれよう。座って、座って」

 リュオはそうやって僕を急かした。こっちの世界の僕は、随分なせっかちだった。

 小屋の中は、やわらかな光にあふれ、とてもあたたかかった。なんだか落ち着く木の匂いに、初めて来た世界だということも忘れて、すっかりくつろいでしまった。

 やがて、コトリとテーブルの上に置かれたカップには、黄金色が輝いていた。一見紅茶に見えるが、香りはもっとフルーティだ。

「簡単なハーブティーだけれどね、口に合うといいな。おばあが作ったクッキーもあるからね」

 小屋の中いっぱいに、ふんわりと甘い香りが漂う。思いがけず空腹を自覚してしまう匂いだ。リュオはこの中でいつもを暮らしているのだろうか。

「それで、君は僕にそっくりだが、いったいどこから来たんだろう。分かるかい、君を初めて見たときの僕の驚きようったら」

 おしゃべり好きらしいリュオに話を何転もされながら、ようやく事の経緯を説明すると、目を大きく丸くして、うむうむと頷いた。僕はこんなことをしない。きっと、世界が違えば人は、どんな風にでもなれるのかもしれない。

「それじゃ、戻れなくなったのかな、困ったね」

「いいや、まだ分からないのさ、それが。博士は、同じ原理を用いれば、と言っていたが、原理のことを説明しないうちにいなくなってしまったからね。機械からのお呼び出しさ」

「君は、どこから来たと言ったかな。同じ通り道というのが、近道じゃあないか?」

「そう、僕も思ったのだがね、見つからないのだ。白い、こんな小さなボールみたいなんだけれど。ないのだよ、ここいら辺には」

「しかし、世界中を探すわけにはいかないだろう。どうするんだい、戻るためには」

「それを考えているんだよ」

 それから日が暮れるまで、森を簡単に案内してもらいながら、リュオと議論したが、どうしたら戻れるものかと、答えは見つからなかった。一向に、分からないままだった。

 小屋の屋根にのぼって、夕焼けを眺めた。こちらでは、真っ赤な太陽が見えている方角が東の空にあたるらしい。美しい自然の為す芸術を見つめながら、僕は家族を思った。

 リュオと彼のおばあさまと、夕食を食べた。美味しいシチューは、寂しさと不安に冷え切った身体を、優しく包み込んであたためてくれた。根拠もなく、大丈夫と思った。

 星がよく見えるベッドを貸してくれて、滑らかな手触りの絹のシーツに包まれながら、僕はいろいろのことを考えた。星はちろちろと光を放つだけ。見守ってなんかいないのだ。僕は一人。きっと、二度と家族には会えない人生だ。

 僕は泣かなかった。悲しくはなかった。まだ、希望がゼロと決まったわけではない。リュオと一緒に暮らすのだって、楽しそうじゃないか。家族や博士は恋しい。とてもとても、会いたい。しかし、新たな人生をここから始めるのも、悪くはない。そういった道も、ある意味では面白そうだ。

 やがて眠りについた僕は、夢をみた。博士が何かを叫んでいる。どんなに耳をすませても、必死の博士の声が、うまく聞き取れなくて、もどかしくて、たまらない夢……目がさめると、びっしょりと汗をかいていた。

 窓には、コバルト色の空があった。隅のほうが白んできている。もうすぐ朝だ。

 ゆっくり身体を起こすと、リュオとおばあさまが身を寄せ合って眠っていた。幸せそうな二人の寝顔に、つい見とれる。時間は穏やかに流れる。

 そのとき、窓から光が差して、二人に顔を照らし出した。

 天然のスポットライトの中に浮かび上がる、幸せの二人。どこか懐かしさをおぼえた。僕はこの光を、きっと知っている。

 光――。

 博士の声が聞こえた。夢の中で叫んでいた、博士と重なる。博士は僕に、伝えようとしている。きっと、意味がある。

 リュオが目をさますまで、僕は一人で悩んだ。いかにして帰れようか。光、光、光……


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ