嘘つきな、林檎
翌日の片付けもなかなか終わらず、レミエを捕まえられたのは夕刻といえる時間だった。
レミエが雪加と席を共にするのは知っていたので、お茶会の様式を取って、レミエに席を薦めた。さして、抵抗なく座るので、一瞬、彼女が侍女であることを忘れそうになる。
「なにか、御用ですか。」
もっと丁寧に話すこともできるのは知っていたが、ぞんざいな言葉でも、雪加のことが知ることができるならと、目をつむる。
「雪加の様子を教えてほしい。」
「あなたの、使用人に尋ねればよろしいのでは?雪加様は前のように、私以外を拒否するようなことはなさってませんけど。」
口ごもると、みな、口をつぐみますか、と尋ねられた。
「何が知りたいんですか。」
「どう過ごしているのか、憂いはないか。それだけでかまわない。」
「本音と建て前、どちらが知りたいですか。」
レミエの言葉で、ジョゼは詰まった。本音も建前もなく、ただ平穏に暮らしていることを確かめたかっただけなのに。雪加に何か憂うことがあるのだろうか。
レミエに試されていると感じながら、ジョゼは考えていた。
もし、建て前を取ればジョゼは雪加との間の信頼を十分に保つことができるだろう。今までとおなじように、これからも穏やかに雪加と暮らせる。もし、本音を取ったら、雪加を知ることができる。その代わりに、もしかしたら信頼を失うかもしれないけれど。
信頼を取るか、愛と名付けるものを取るか。ジョゼは迷っていた。
「建て前を、」
そう言ってから、首を振った。違う。ジョゼがほしいものは、雪加の信頼じゃない。雪加がほしいものが信頼でも、それだけは与えられない。ジョゼがほしいものを求めれば、雪加は苦しむかもしれない。さんざんに苦しめた癖に、それでも自分がほしいものを求めるのは浅はかすぎる。
「そう言えば、雪加の信頼は得られるだろう。だが、私が知りたいのは本音だ。雪加のすべてが知りたい。」
「建て前、って言われたら、このまま帰ろうと思ってました。」
レミエは悠々と紅茶を口にした。本音と口にして、本当によかった。
その点だけは、評価しますとレミエに言われた。だけという言葉が妙に強調されたのは、気のせいではないと思う。
「雪加は毎日、泣いています。」
「っ!雪加の憂うことが何か、あるのか。」
「知って、どうしますか。」
「排除する。雪加が毎日、笑って過ごせるように。」
「それは、無理ですね。排除することはできない。だって、憂いの原因は、簡単になくせるものじゃないもの。」
笑って過ごしているものと思った。好きなことをして、好きなように過ごして、そうしていたら、前のように雪加は笑ってくれていると思っていた。
「気づきませんか?」
前を向くとレミエがいる。レミエの表情は、会えなくなった雪加の鏡のようだ。レミエは雪加の写し鏡だ。とても、よく似ていて、分かり合えるけど、どこかで大きく違う。
「離れを見て、どう思いました?」
「落ち着いた、いい部屋だと。」
「建て前ではなくて。」
「……雪加らしくないと思った。」
雪加らしくない質素で落ち着いた部屋だった。雪加も落ち着いた雰囲気だが、少し無骨すぎる印象だった。まるで、男の部屋のようだ。
「雪加が庭いじりをしているのは知ってますか。」
「ああ。今、熱心にやっていることだと聞いた。」
「何を植えているかは?」
「いや、知らない。」
知らないことばかりだ。雪加のことは何も知らない。憂いなく過ごしているかは知りたいけれど、それ以上を知りたいかといえばそうじゃない。知りすぎれば、雪加をもっと知りたくなる。知りすぎれば、雪加のもとに行きたくなる。だから、知りすぎないようにしていた。
「百合の花ばかり、植えています。あとは、傷や体に良いという薬草ばかり。」
「ゆり、」
「雪加は刺繍も始めました。善き妻のすすめで、刺繍が子女の嗜みと知ったから。本が嫌いなくせに、善き妻のすすめばかり読んでます。」
その必要はないのに。善き妻のすすめなど、雪加には不要だ。そんなもの読んでほしくない。雪加が雪加らしくいられないなら、そんなもの燃やしてしまえばいいのに。
「ここ2月は、舞踏会の準備の仕方ばかり読んでました。あと、ダンスの練習も。靴擦れができて、血豆がつぶれるくらい頑張ってました。」
「ダンスの、練習?」
「雪加は、泣いてばかり。一人の食事は嫌だと泣いて、この離れなんか嫌いだと言って泣いて、ダンスがうまくできないと泣いて、誘いなんか来なかったと言って泣いて。」
「っそ、んな、馬鹿な」
「感情を封印しなくなってよかったと思ったけれど、泣いてばかりいるから困っているんです。私では泣き止ませられない。泣き止ませる方法は知っているけれど、雪加が嫌がるんです。迷惑になるからって。」
雪加が、泣いている。ジョゼのせいで。
だから、使用人は雪加のことを教えてくれなくなった。雪加と距離を置けば、雪加の心は平穏になると思っていたのに。雪加を、泣かせていた。
頭をバットで殴られたような衝撃が、ジョゼを襲った。
「建て前のほうが、よかったですか。」
衝撃から立ち直れずにいると、レミエはつまらなそうに言った。
「いいや。」
「それでは、雪加様がお待ちなので、行きますね。」
ごきげんよう。誰よりも様になる礼を取って、レミエは颯爽と去っていった。
雪加が泣いているのに、自分は何をしていたのだろうか。いや、雪加を泣かせていたなんて思いもしなかった。
離れは嫌いだと泣いていた。雪加らしくない部屋を仕立てて、雪加がしたかったことは何だろうか。自分の執務室によく似た実用的で質素な部屋。女性らしさよりも落ち着きを取った空間が、自分のためだったと思うのは都合がよすぎるだろうか。




