誓約のキス、おやすみのキス
初夜というのは、夫婦になることを指す。だから、雪加は笑顔で侍女たちに普通の服を着せるように言った。
だって、雪加は夫婦になるのではない。保護者と被保護者になるために、夫婦という言葉を利用しただけだ。
婚約期間は礼節を守り、優しく扱ってくれたジョゼを、どこか雪加は遠い気持ちで眺めていた。『好き』も『むなしい』も封印したから、笑顔は自然に見せられたけど、『友情』、『親愛の情』というものがこれにふさわしいかわからない。だから、『信頼』だけを二人の間にあるものと、取りあえず定めることにした。
だって、雪加は守ってくれる人としてジョゼを信頼していた。最初は純粋に。だから、その気持ちを思い出して、今の気持ちに上書きすればいいだけだ。
ジョゼだって、雪加を信頼している。おバカで、扱いやすい子だと、思って、信頼してお飾りの妻にすることにした。
だから、二人の間にあるものは『信頼』で間違いない。
ノックの音と共に、夫、ジョゼが入ってきた。自然と雪加は微笑んだ。信頼しているから、この人の近くは安心できる。
「雪加?服を着替えなかったのですか?」
結婚式の服から着替えたのに、変な質問。雪加は笑った。
「着替えました。きれいだったけど汚しちゃうのが嫌だから、すぐ脱いじゃいました。」
「や、でも。」
夫はゆったりとした、寝間着と思われる服を着ている。夫婦の寝室だって連れてこられたけど、ここで寝るのは雪加は嫌だ。パパと寝るのは、子どもだけ。
保護者と眠れるのは12歳までだ。
「すぐに、着替えを。侍女を呼びます。」
「え?いいえ!自分のお部屋で着替えます。一応、最初だから、おやすみなさいの挨拶がいるかとおもって、来ただけですから。」
「え?」
「え?」
雪加はとぼけたように答えてから、意外とこの人は、雪加と夫婦になろうとしてたのかな、と想像してから止めた。噂に聞いていた女性たちと雪加は顔も、体もかけ離れている。好みから外れる女をわざわざこの人が抱くように思えない。
ああ、それとも籠の中で囲うのに、肉欲という道具を使う気だったのかな。残念ながら、雪加は処女なので、そういう方法は意外と使えるかもしれない。こんなことなら、元の世界で、お金に困ったときに売ってしまえばよかった。
「私たちは夫婦です。どこまで、ご存知か分からないのですが、夫婦としてこれから生きていくにあたって、夜の生活も共にしたいと思うのですが、愛し合う者同士ですし。」
私にもそれなりの欲があります。
その言葉に、今度こそ雪加はえ?と大きな声で答えた。
欲はあるだろうなとは思ったけれど、愛し合う者同士という意味不明な単語を使われたことに戸惑ったのだ。
愛し合う、愛し合う?
雪加に『愛する』という感情はない。『好き』という感情もない。
この人は、こんなこと言わない。雪加を困らせたりしないという『信頼』があったのに、今はそれがぐらぐら揺らいでいた。
雪加は今、『信頼』という言葉を失うわけにはいかなかった。だから、違う、とすぐに否定した。この人は誠実だ。そうあろうと思うと、殿下にも言った。だから、雪加がお願いすれば聞いてくれる。雪加の話を聞けば分かってくれる。だから、この人への『信頼』は揺らがない。
「えっと、私は、そういうことジョゼ様とするつもりはないです。」
「っえ?」
「だって、ジョゼ様と私は、保護者と被保護者でしょ?私は、お父さんとそういうことできないです。」
「いえ、私たちは夫婦です。」
「またまた。」
「は?」
「あ!そうですよね、殿方はそういうことを定期的しないとたまって大変なんですよね!」
合点が言ったように大きめの声で言うと、ジョゼは、いったい誰に聞いたのだと怒りだした。お城の侍女さんたちが話してたんですけど、そうですね、はしたないですね。とすぐ反省して見せた。
「あの、愛人さんを囲ってみてはいかがでしょう?性格の良い人なら、私、歓迎です!お友達になれたら素敵だし。」
「だから、私とあなたは夫婦で。結婚したんです。私はあなたを抱いて、子どもを作って。そうなりたいと思ったから、あなたを迎えたんです。」
「それも、条件なんですか?」
子どもを聖女に産ませることは条件なんだろうか。
すとんと感情が落っこちる音が聞こえた。『信頼』している。それを落としてはダメ。
「っ雪加?」
名前を呼ばれて、落ちそうになった『信頼』がふわりと浮き上がった。この人は、雪加の名前を大切と言ってくれた。あの日から、聖女殿ではなく、雪加殿と呼んでくれるようになった。雪加が、名前を好きでいられるようにつなぎとめてくれた。
この人に抱いている『信頼』は揺らいでいない。雪加は急に嬉しくなって笑った。
「わかりました!可愛い方を、お妾さんにして産んでいただきましょう。私の子どもとして、育てて発表すれば、聖女の子ということで丸く収まります!」
「だから!」
「可愛くて、性格もよくて、っていうとちょっと条件厳しいですか?仲良く出来たら素敵だなと思うんですよね。」
「雪加、」
「あ、もう夜も遅いし、続きは明日でもいいですか?」
答えを待たずに、おやすみなさいと雪加は満面の笑みで告げた。ちょいちょいと引っ張って、額に口づけを落とした。娘から父にささげる、お休みのキスだ。
「良い夢を。」
とても和やかな気分になった。よかった、やっぱり、話せば分かってくれる人だった。
雪加はとても満足して、良い夢が見れるなと、思った。父親役から額のキスはもらえなかったことが、唯一残念だと思ったことだった。