亡者が、鳴らす鐘
「これ以上、難しいと思う。」
ネックレスの光が淡くなってきたことをレミエが心配した。
聞いていた期限よりもずっと短い。こんなのおかしい。
友人ということを盾に強制的に領地に来てもらうと、マーカスは雪加の様子を見て早々にこういった。
雪加の前で怒ってはいけない。それでも、爆発しかけた感情だが、マーカスの胸倉をつかんで二、三発、こぶしでレミエが顔を殴ったせいで、しぼんでいく。
やりすぎだと思い、慌てて止めに入るが、レミエの拳は止まらなかった。
マーカスの顔が腫れている。女性がしたこととは思えないが、レミエの拳は重かった。普通女性は平手打ちだと思うのだが。
「自分の能力がないことを、ごまかさないでよ!雪加を目覚めさせられないのは百歩譲るわ!それはそもそもこいつのせいだから。でも、あんたの仕事は延命させることでしょうが!それが、なに?もうできない?舐めたこと言ってんじゃないわよ!」
こいつ、という単語で指をさされたのは自分だ。分かっている。雪加が目覚めないのも、眠ってしまったのも全部、ジョゼのせいだ。
「時間は、もうちょっとあると思ったんだ。でも、予想より、聖女殿の力が強い。この世界を拒否する力が強すぎるんだ。目覚めたがってない。」
「どうすればいい。」
「僕の力が足りないのは分かってる。でも、これ以上、どうしてやることもできない。」
静かな部屋だ。不思議なことに雪加は寝息すら立てない。息をしていることを何度も何度も確認しなければならないほど、静かに眠っている。
「あとは、お前が思い出せ。」
唇を噛みしめていると、マーカスはジョゼを指さした。指でさされることなんてまずないのだが、ジョゼは二人の礼を失した行動を指摘することもできなかった。
「思い出す……。」
「そうだ、聖女殿が封印した記憶は、絶対にお前に関連する。だから、思い出すんだ。お前が思い出して、それを聖女殿に話して思い出させるんだ。」
「でも、それは、」
「今のお前ならできる。お前、封印したんだろ?」
マーカスの指摘に、なぜか、レミエはひどく驚いた顔をした。封印すれば、雪加に近づけると思った。だから、なるべくいろんなものを封印することにした。
話をしなければならないから二人の記憶は封印できない。でも、感情はいくらでも封印できる。雪加の完璧な封印と、自分の封印は違う。だから、質が悪い分、たくさんの感情をその都度、封印した。
何を封印した、そう問われて、思い出せる限りのことを並べていく。
むなしい、苦しい、切ない、悲しい、嬉しい、恨めしい。
いろんなものを沈めたけれど、完璧ではないそれは、その場面の感情しか沈めてくれない。時折、思い出したように戻ってきてしまうそれを、何度も何度も封印した。
「今のお前は、余計なものが何もない。輪郭がすでにぼんやりし始めてる。」
「え。」
「僕はちゃんとやりすぎるなって忠告したはずだ。これ以上したら、戻れなくなるかもしれない。」
戻れない、レミエは蒼い顔でつぶやいた。戻れなくなることがどれほど、恐ろしいことが、どうしてかこの侍女は知っているようだった。
もどれなくなったら、どうなるのだろうか。どうなってもいいではないか。
心の中で浮き上がった疑問がまたすぐに消えてなくなる。
「もし、お前が望むのなら、戻れなくなること覚悟で、封印しろ。そうすれば、思い出せる。」
「なにを、封印すれば。」
「聖女殿とお前の記憶だ。」
「なっ!それだけは、封印できない!そんな大切なもの封印したら!」
「お前の封印は完璧じゃない。たぶん、お前の壊れかけの箱からすぐ飛び出る。でも、一時的に封印するんだ。そうすれば、お前はそれ以外の記憶でいっぱいになれる。」
聖女殿との会話に、誠実でありたいという言葉は使っていない。なら、それ以外の記憶の中で、それを使ったことは確かだ。聖女殿との記憶が大切で強すぎて、お前の中を支配している。それを封印すれば、それ以外の記憶を思い出せる。そうすれば、聖女を目覚めさせることはできる。
「その記憶を永遠に失ったら。」
「それは、そこまでだ。お前の想いはその程度だってことだ。」
「……戻れなくなったら、どうなる。」
「それは、」
「人では無くなりますわ。」
そうか。
雪加を失うこと、雪加との記憶を封印すること、人ではなくなること。それが、頭の中でぐるぐると回ったが、頭が痛くなって、考えるのをやめた。
このところずっと体が重くて、頭がぼんやりしているのは、封印しすぎたせいなのだろうか。雪加は眠りにつく前に、体の不調を訴えていた。きっと、彼女も封印しすぎたのだろう。
「わかった。やろう。」
「それなりの覚悟が必要だよ。生きてこうして普通に話ができる保証なんてどこにもない。僕は、もし、どうにかなっちゃった場合に、お前を助けてやることはできない。」
「もし何かあったとき、雪加を優先してくれ。お前のできる限りすべてのことをして欲しい。もし、私が人では無くなり、雪加を害するような存在になり果てたら、殺してくれ。」
え、それ、僕がするの。無理だよ、英雄殺しなんてなれないよ。弱気な友人に、英雄が聖女殺しになるよりかはましだろうと説得をしたが、頑なに首を縦に振らない。
「私がいたします。」
「え!や、君なんかに無理だよ!相手は英雄だよ!力だって、強いし、殺すなんて容易じゃない。人じゃないものになったりしたら、より一層、大変でしょ!」
「いいえ。亡者を殺すことは、難しくはございません。」
「え、」
「経験がございます。私が、旦那様を始末いたします。この身に変えても雪加様をお守りします。」
頼んだ。そう呟けたか自信がない。
自分の輪郭がまたぼんやりしていくのをジョゼは感じた。
もう、時間がない。自分にも雪加にも。
ジョゼは、自分に残る記憶の限りを雪加に話そうと決めた。自分の期限が来るまで。




