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忘れた記憶、忘れられない感情

「旦那様、陛下がお呼びでございます。今すぐ、出仕なさるようにとのことでした。」

「雪加のもとを離れるわけにはいかない。お断りして来い。」


自分の首が物理的に飛んだって良い。辞職願はちゃんと書いて届けた。


「いえ、奥方様のことでお呼び出しでございます。」


家令の言葉に靄がかかったような頭は、少しだけ動いた。身なりを整えられて、半強制的に馬車に乗せられる。


「何か、御用でしょうか。」

「お前、聖女が倒れたこと、どうして俺に報告しなかった。それどころか、こんな辞職願を書くなんて、何がしたいんだ。」


雪加の前で髭をそる時間まで惜しんで傍に居たのに、髭をそられてこんなことに時間を取られているなんて。聖女のこととなると、王太子は異常ともいえるほど干渉する。

もしかしたら、この人は、雪加と自分の結婚が白い結婚であることも知っているかもしれない。


「このままでは神殿に嗅ぎ付けられてしまう。」


神殿、という言葉を雪加からも聞いたなと思い出した。神殿と王宮の確執を雪加の耳に入れなかったのは、それが、雪加を悩ます種になるのが嫌だったからだ。

雪加が耳にすれば、どちらを選ぶことも躊躇するのは目に見えていた。

でも、雪加は神殿という言葉を口にした。知っていたのだ。神殿が雪加にとって盾になりうることを。

どうして、誰にも雪加の耳には入れないようにさせていた。神殿側の人間だって、徹底的に近づけなかった。雪加が知りえるはずがないのに。


「聞いているのか!雪加を囲い込むのを了承したのは、お前がうまく立ち回ると思ったからだ。それを、このような問題を起こしておいて、ただで済むとは思うな。神殿に気づかれる前に何とか手を打て。無理なら、はやり病にでも罹ったことにしてしまえばいい。」

「殿下、」

「始末ならどうとでもつけられる。それが、いやなら手を打て。いいな。」


殿下、あなたは残酷だ。施政者として正しいのかもしれない。でも、あまりにあなたは残酷だ。あなたは、どうして雪加を、雪加としてみようとしない。

あの子がどれほど苦しんで戦場にいたのか、どうして理解してくれない。戦争のない国から、無理矢理に召喚されて、あの子がどれほど苦しんだか。

戦場に出ず、中央でふんぞり返っていたあなたの代わりに、どれほど兵士を奮い立たせて歩いたか。震える自分の足を、震える手をごまかして、兵士の傷の手当てをしていたのか。


「殿下、領地に下がらせていただけませんか。」

「お前には役職を与えている。この辞職願は無効だ。」

「雪加のために。神殿に気づかれたくないのは、殿下だけではありません。領地に下がり、時間をいただきたい。」


少し考えるように間をおいて、王太子は唇を震わせた。否とは答えない。殿下が欲しいのは英雄と聖女とのつながりなのは知っていた。そして、殿下自身も聖女を殺したいわけではない。

だが、施政者として、処分することを躊躇できないだけ。ならば、その傲慢な施政者から雪加を守るのもジョゼの役目だ。

ジョゼは硬く握ったその拳の中で爪が肉を裂く音を聞いた。




ジョゼが雪加を伴って、領地に戻ったのは、3日後だった。雪加の体を慮り、少しばかりゆっくりとした旅路だった。体を横たえて移動できるようにいつもよりも大きめの馬車で移動した。目立つが仕方あるまい。

領地は父が管理している。職は辞することはできなかったが、辞職願は破棄ではなく保留にしてもらえた。もう、このまま中央に戻る気はなかった。

広い領地の中で、本邸とほぼ真反対にある別荘に留まることにした。


「雪加、この別荘を気に入ってくださいますか。明るくて、たくさん花が咲いている庭もある。絵画や美術品も多くて、美しい画廊があるんです。あなたもきっと、好きになると思います。」


雪加の首元に光るネックレスは、マーカスの魔力が込められている。純度の高い魔石は、マーカスが生成してくれた。この光が消えてしまう日まで、それが、マーカスの言うところの延命ができる期限だ。


「ねえ雪加、あなたは神殿の話をどこで聞いたのでしょうか。口さがのない城の侍女たちから、それともあなたに挨拶に行ったという女性たちからでしょうか。あなたは怒っていますか。私があなたに神殿の話をしなかったのは、私との道を閉ざしてほしくなかったからです。でも、それは裏切りだったかもしれません。あなたを神殿にやりたくなかった。そんな自分のわがままで、雪加の耳に入れなかった。今考えれば、それは、あなたを公爵家に閉じ込めることと同じだったかもしれない。だから、心を閉ざしてしまわれたのですか。お願いです。教えてください。起きて私を叱り飛ばしてください。」


何度も何度も手を撫でた。それでも雪加は目覚めなかった。

延命できる期間が決められて、ジョゼは終わる準備を始めた。あきらめたわけじゃない。でも、雪加の命が終わるときが、自分の命が終わるときであることを決めたからだ。


「今日、正式に公爵位を弟に譲る準備を始めました。雪加が目覚めたとき、もうこれで、雪加を縛り付けるものは何もありません。雪加は公爵夫人じゃなくなります。嫌なことは何もしなくていい。弟を説得するのに少し時間は必要ですが、あの子は頭もいいし、きっといい領主になります。雪加、これで私の後継者などいらなくなる。あなたを煩わせるものが減りました。我が公爵家の領地は広い。いろいろな場所に別荘があるんです。あなたの気に入ったところで過ごしませんか。海の見えるシシーラの別荘は私も気に入っていて。あなたにも一度見せたい。この世界の海を。」


コンコンとノックの音がした。レミエが、髭をそり、身なりを整えるように強制してきたから、今はちゃんとした格好をしている。目覚めて早々、身なりの汚い人間が傍に居たら幻滅すると言われればやらずにいられなかった。それ以外の時間は、こうして、話しかけることに使ったり、公爵位を譲るために使ったりしていた。


「旦那様、」

「なんだ。」


赤い髪、理知的な緑の瞳がカリーナの王宮への出仕の道を閉ざしたことを知っている。赤毛は娼婦の色だと馬鹿にされ、あまりに美しい容姿が敬遠された。

この者を拾ったのは、それを上回る利口さがあったからだ。女の性を利用しない、頭の良さがあったからだ。でも、雪加には妾になることを薦められていた。

それを聞いて、ジョゼはカリーナに猛烈な嫉妬心を抱いた。雪加の目に留まったこの娘が、憎くてたまらなくて、それを聞いてから、カリーナを雪加から遠ざけた。

たとえ眠っていても、雪加にこの娘を近づけたくない。


「お休みになられたほうがよろしいかと思います。これ以上、ご無理をされては、体を壊してしまいます。」

「出ていけ。」

「しかし、このままでは、本当に、」

「出ていけ!雪加に近づくな。」


大きな声を出してから、雪加の前であったことを思い出した。こんな声を聞いたら、戻ってこれない。安心できる場所だと認識してもらえない。

小さな声で、雪加に何度も謝って、すぐに話を再開した。扉が静かに閉じる音がしたことに気をはらうこともできなかった。雪加が遠のいてしまうのが、怖くて、話し続けることしかできなかった。




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