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恋をした、傷ついた

雪加の名前の由来は、若くして死んだ鳥類学者の父が、愛した鳥の名前だ。スズメよりも小さな、褐色に黄褐色と黒褐色の縦斑。尾羽が黒褐色で先端は白い。父がどうして、その鳥を愛していたのか、雪加はよく知らない。

低い場所を飛ぶセッカを見ているのが、好きだと、父が言っていたことを入院中の母は教えてくれた。

昔は、飛んでいくものの名前を子どもにはつけなかった。羽や、飛ぶ、鳥、蝶、それはどれも子どもが手元から飛んで行ってしまう象徴になるから。でも、子どもの死亡率が最も低い日本では、その文化も消えてしまって、雪加は鳥の名前を付けられた。

居なくなってしまったのは、雪加ではなく、雪加の両親だったけど、この名前じゃなかったらと何度か考えたことはあった。

父は死ななかったかも、母は病気にならなかったかも。

でも、雪加の不幸はそれでは終わらなかった。

19歳で天涯孤独になって、奨学金で大学に通い続けたけど、お金が続かなくて休学届を出して、バイトを掛け持ちして、栄養失調になって救急車を呼ばれて、お金がないから入院できないと拒んで、帰るために電車に乗ろうとして線路に落ちた。

確実に死んだと思ったのに、目が覚めたら、とんでもなく豪華なベッドで、どんな金持ち好色男が拾ってくれたのかと思ったら、召喚されたと言われ、意味の分からない聖女という役割を押し付けられて、侵略国と戦い、やっと戻ってこれたと思ったら、元の世界には戻れないと言われた。

鳥の名前を付けられたから、こんなところに飛んじゃったんだろうか。

雪加は、自分の名前が嫌になりそうだった。でも、そうじゃない。

嫌じゃない。そうもう一度、口に出して言ってみる。


「父君がくれた、素敵な名前だ。」


そう言ってくれた人のことを思い出して、雪加は、違う、そうじゃないともう一度思った。

一緒に戦いに赴いた人たちは、雪加を大切に扱ってくれた。でも、その中でも、ジョゼは一際、構ってくれた。

人を殺すことが恐ろしくてたまらない雪加のために、雪加を治療のためだけの役割につけた。雪加を守るために、人を殺した。雪加を守るために、血に汚れた手を必死に隠した。雪加のために、いつもいつでも盾になった。

雪加が弱音を吐けば、優しい言葉をくれた。

いつしか、雪加が弱いところを見せられるのも、弱音を吐けるのもジョゼだけになった。いつも傍に居たレベッカにも、マーカスにも、ブライアンにも言えなかったことを、ジョゼにだけは言えた。


だから、いけなかったのかな。

だから、こんなに傷ついたのかな。


雪加は、戻れないと言われてから、諦めるまでにそれほどの時間を必要としなかった。それは、ジョゼが傍に居てくれると思ったから。

ジョゼが、すぐに雪加にプロポーズしてくれたから。

それが、嬉しかったから。

この国で雪加は聖女と呼ばれたけれど、特別な力を持っているわけじゃない。戦を勝利に導くと言われたけれど、特別な力は何もなかった。持っていたのは幾何の衛生と治療の知識だけで、それで防げたのは戦場での疫病ぐらいなものだった。

今だって、聖女という幻影だけが雪加を守るもので、そして雪加がジョゼに渡せるものだった。後ろ盾もなく、特別な力はない、見た目も平平凡凡なただの小娘。

ジョゼが、プロポーズしてくれたとき、とても嬉しかった。

雪加は、元の世界でも、とても特殊な立ち位置に居たから、誰も雪加を対象としてみなかった。親なし、金なし、学歴なし、仕事に追われて、国からの借金で困窮している女子に世間は思ったよりも厳しかった。

だから、雪加はそういう対象に見てくれたジョゼのことを、特別だと認識してしまった。

雪加を好きになってくれる、すてきな男性。

こんな混乱した時じゃなかったら、こんな有事の時じゃなかったら、雪加はジョゼのプロポーズをもしかしたら信じなかったかもしれない。

だって、ジョゼは公爵で、王太子殿下のいとこで、忠臣で、体型に恵まれて、顔はとても優し気で綺麗で、どこまでも紳士で。栗色の髪と青い瞳、まるで王子様みたい。


「だから、だめだったのかな。」


雪加は、婚約期間を城で過ごしていた。王太子には困ったことがあったら、いつでも尋ねるようにと言われていて、雪加は困っていた。

公爵夫人になるのに、マナーも何もわからなくて困っていた。ジョゼに言ったけど、必要ないと言われてしまって。でも、そんなはずがないから、王太子殿下に頼んで家庭教師をつけてもらおうと思った。

この国に来て3年がたったけど、わがままはほとんど言ったことがないから、叶えてもらえる。そう思ったのが失敗だった。

王太子殿下に伝えると言われたのを、自分の口でお願いしたいからと通してもらったのも、失敗だった。

夫になる人と、王太子殿下との会話を聞いてしまった。

立ち聞きなんてよくないことをしてしまった。

聞きたくなかった。耳にふたをしたかった。失敗だった。


「これで、丸く収まったな。」

「ええ、神殿にでも取り込まれては、均衡が崩れて困りますから。」

「お前が、すぐにプロポーズしてくれて、助かった。あれだけ優しくすれば、そりゃ、懐きもするだろう。それにしても、あれだけ浮名を流したお前もとうとう、年貢を納める訳だ。」

「おやめください、殿下。浮名を流してなどおりませんよ。」

「よく言う。まあ、結婚後もお前なら、うまくやりそうだけどな。」

「そのようなこと。誠実でありたいと思いますよ。あの方の、ご機嫌を損ねるのは面倒ですから。」


ノックのためにあげた手はすぐに下した。息を殺して、気配を消すけど、うまくできているんだろうか。


「神殿に逃げ込まれたら、困るだろう。まあ、あと一月もせずに、結婚して屋敷にでも閉じ込めておけ。」

「純粋な方でよかったです。与えられるものに、満足してくれますから。」

「むしろ、何も与えなくても気づかないか。聖女が扱いやすくて、良かったな。」


聖女、その単語が出るまではまだ、一縷の望みにすがっていられた。でも、それを聞いてしまえば、雪加は現実が途方もなく悲しいものなのだと気づいた。

馬鹿な雪加。こんなすべてを持っている人が、なにも持ってない雪加に、下心なくプロポーズするわけないじゃない。

馬鹿な雪加。散々、元の世界で人間の汚さは見てきたくせに、だまされて。

雪加は逃げるように、部屋に戻った。びっくりしすぎて、涙が出なかったことは幸いだった。いぶかしむ侍女には適当に言い訳して、笑って見せた。逃げ出そうか、神殿に行ってしまおうか。

そう考えてから、雪加は止めた。それでは、今度は神殿にいいように使われるだけだ。

一月もせずに結婚だ。たくさんのお金を使って、雪加の結婚式は執り行われる。今更、キャンセルなんて言えない。

そうだ。好きに生きればいいじゃないか。

彼のプロポーズは、夫婦になろうという解釈じゃなく、好きなように生きていいよ、という同居のすすめだと考えればいい。

夫じゃなく、彼は保護者だ。金を無尽蔵に生み出してくれるが、何も言ってはこない保護者。

傷つくなんて馬鹿なことは止めよう。

誠実であろうと思う彼に、お願い事をすればいい。

雪加は思いついたことが素晴らしいことのように思えた。

雪加の『好き』を封印すれば、とても素晴らしい人生を歩める気がする。少なくとも、雪加は屋根があって、暖かな場所で、明日の暮らしに困ることのない裕福な生活を送れる。

最高だ。そう考えてから、最高ってなんだろうと、むなしくなる。

雪加はすぐに、『好き』も『むなしい』も封印した。




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