第8話 扱いにくい生徒
名前を呼んで、返事をもらって。
また名前を呼んで、また返事をもらって。
音楽のように心地よいリズムを刻みながら、出席をとっていく。
だけど、それを何度も繰り返していると、必ず途中でそのリズムは狂わされる。
もちろん原因は――この男子生徒。
「夏野くーん、夏野雨月くーん」
「…………」
「……夏野くん、呼ばれたらちゃんと返事しようね……」
まるで小さな子どもに言い聞かせるような注意に、教室中からくすくすと笑い声が漏れる。
雨月はふいと顔をそらし、わたしの声を無視した。
このクラスを副担任として受け持って、早くも二ヶ月。
あいかわらず雨月はクラスの中で孤立したままで、一匹狼のスタイルを貫いている。
点呼では返事もしてくれず、話しかけても素っ気ない態度ばかり。
そのたびに、わたしはため息をつくしかなかった。
どうしてこんなに頑固なんだろう。
昔からこんなに意地っ張りだったっけ?
小さいころは、もう少しかわいげがあったと思うのだけど。
ああ、まったく。
一人で悩んでばかりで、頭が痛い。
「晴花ちゃん、もうあいつにかまうなって」
額を押さえていると、見かねたように生徒の一人が声をかけてきた。
それを聞いていた別の生徒も、「そうそう」と大きくうなずく。
「名前を呼ぶだけムダだって。あいつ、いつもあんな感じだから、他の先生にはもう相手にされてないんだよ」
「え……そうなの?」
思わず目を丸くすると、生徒たちは呆れたような口調で続けた。
「先生たちも困ってるけど、どうしようもないから、夏野はそういうやつだって諦めてるんだって」
「何回注意しても全然言うこと聞かないんだよ。どの先生も『扱いにくい生徒ナンバーワン』って言ってる」
扱いにくい――それは、たしかにそう。
幼いころから知っている幼なじみのわたしですら、どう接すればいいのか悩むくらいだ。
他の先生たちにとっても、雨月はきっとやっかいな存在なんだろう。
「でもさ、点呼を無視するのって、他の先生にはやらないよね?」
「そりゃあ、やっぱ晴花ちゃんが若くてかわいいから、さすがの夏野も意識してるんじゃない?」
「それだったらウケるー!」
あはは……。
意識……はさすがにない、かな。
幼いころからずっとそばにいたんだから、今さら緊張なんてするわけないし。
どちらかと言えば、保護者に対する反抗みたいな感じだと思う。
……でも、点呼無視はさすがに困る。
はっきりした理由はわからないけれど、雨月にはいいかげんに折れてほしい。
「なににしても、あいつのことは気にしないでいいよ」
「そうそう、あんなやつのために悩むだけ損だから」
「他の先生だって手を焼いてるんだよ。夏野は相当クセ強いって有名」
……そう、だったんだ。
わたしが新任でまだ慣れていないから、うまく対応できていないだけだと思っていた。
でも違った。
他の先生――それもベテランの先生たちでさえ、雨月には手を焼いているらしい。
それを知って、少しだけ安心した。
……だからって、それで許されるとは思っていないけれど。
「じゃあ改めて、夏野のことは無視して点呼いってみよー」
「……さすがに、そういうわけにはいかないかな。あと、わたしのことは『水嶋先生』って呼んでね」
困ったように言っても、生徒たちは「あーはいはい」と軽くあしらってくる。
……正直、他の子たちも、別の意味で問題かもしれない。
扱いにくい生徒なんて他にもたくさんいる。
けれど、よりによって雨月がいちばんの問題児だなんて。
先が思いやられて、気が重くなる。
気持ちを吐き出すように、深くひとつ、ため息をついた。