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Hydrangea  作者: 彩芭つづり
第2章 雨の月
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第5話 ちゃんと先生らしかった

 ソファを半分空けてくれた雨月にお礼を言い、その隣へ腰を下ろす。

 彼はしおりを挟んだ本をテーブルに置き、氷が溶けて薄くなったカフェオレをくいと飲んだ。


「晴花、本当に先生になったんだ」

「そうだよ。そのためにずっとがんばってきたんだもん。雨月だって知ってるでしょ? わたしが一生懸命勉強してきたこと」

「まあ、知ってるけど」


 じろじろと、こちらを見つめてくる雨月。

 ……なによ、その目。


「……なにか言いたいことでもある?」

「いや、べつに」

「べつにって顔じゃないでしょ」


 なにもないなら、そんなに見ないし。

 そう思った瞬間、雨月はまっすぐわたしを見てから……ふいと顔をそらした。


「なんか、もう、本当にスーツが似合わないね。晴花は背が小さいから、子どもが着てるみたい。変だよ、それ」

「はあ? う、うるさいな! 言いたいことってそれ? ホント腹立つ……」


 どうせおこちゃま体型ですよ。

 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 ……なによ。

 学校にいるときは、あんなに素っ気ない態度ばかりで、ちっとも話してくれなかったくせに。


 それが今は、まるで人が変わったみたいに――憎まれ口ばかりとはいえ、こうしてちゃんと会話をしてくれる。

 目もちゃんと合わせてくれる。

 学校にいるときも、こんなふうに話してくれたらよかったのに。

 ……そりゃあ、他の生徒の前で悪態をつかれるのは困るけど。

 一応、幼なじみってことは隠してるわけだし。


 でも――わたしは、雨月と、こういう他愛ない話を、学校でもしたかった。

 みんながわたしに気さくに声をかけてくれるように、雨月にも、そんなふうに話しかけてほしかった。


 どうして学校ではあんな態度だったんだろう。

 ……本当は、ちょっとだけ、寂しかった。

 

「ハルちゃん」


 名前を呼ばれて、はっとする。

 キッチンからおばさんの声が聞こえてきた。


「飲みもの、ハルちゃんもカフェオレでいい?」

「あ、うん。ありがとう。お砂糖たっぷりで、あまーくしてほしいな」

「ふふ、わかった。とびきり甘くしておくわね」


 この年になっても、苦いものはどうしても苦手だ。

 コーヒーもビールも、まだ一度もおいしいと思えたことがない。


 わたしは、自他共に認める、かなりの甘党。

 カフェオレにはお砂糖をたっぷり。

 パンケーキにはシロップをこれでもかってくらいかける。


 食べものも、飲みものも、言葉も、態度も――なんでも甘いほうが、絶対いいに決まってる。

 甘いは正義だ。

 異論は認めない。


 ……なのに、そんなわたしを、雨月は目を細めてじっと見てくる。

 この目は、たぶん、あれだ。

 呆れてるときの目だ。

 

「……なによ、そんなじっと見ちゃって」

「おれ、カフェオレは無糖派」

「ふうん、そう。わたしは甘いほうが断然好きだけど」

「大人なのに」

「大人でも甘いのが好きな人はいっぱいいるもん」

「晴花はいつまでたっても子どもだな。これが先生だなんて信じられない」


 ……その言い方、ちょっとひどくない?


 そう思ったけど、言い返したってどうせまた言い返されるだけだ。

 だから、む、とくちびるをとがらせるだけにしておく。

 言い返せなくて、すねるしかできない。

 そんなところも子どもなのだと、きっとまた雨月に笑われるのだと思う。


 べつにいいもん、とつぶやいて、頬を膨らませながら顔をそらした。

 

「その頬を膨らますのも子どもっぽい」

「あー、もう知らない」

「そうやってすぐ怒るところも子どもっぽい」

「どうせ子どもですよーだ」

 

 大人になりきれていないことなんて、自分でもとっくにわかっている。

 だからこそ、こんなふうにしか反応できない。

 うまい言い訳なんて、わたしにはできないから。

 

「晴花は、本当になにからなにまで全部子どもみたい」


 雨月は、カフェラテを一口飲む。


「でも、さ」

 

 水滴のついたカフェオレのグラスを、細い指先でひと撫でして――雨月が、ぽつりと言った。

 

「教壇に立ってるときは、ちゃんと先生らしかった。かっこよかったよ、晴花」


 ……一瞬、呼吸が止まった気がした。

 

 薄い笑みをくちびるに浮かべ、わたしを見つめる瞳に鼓動が速くなる。

 その視線が、さっきの彼とはまるで違って見えた。

 

 今までずっと意地悪なことばかり言ってきたくせに。

 こんなふうに、急にまっすぐな言葉を言われたら。

 

 ……ああ、もう。

 そういうところ、本当にずるいよ。

 

「……ありがと」


 素直に喜ぶことができなくて、ちょっとだけすねたみたいにお礼を言った。

 ちょうどそのとき、おばさんがカフェオレを運んできてくれたから、わたしはそのタイミングに乗じて、ぐいと一口。

 舌の上に、やわらかな甘みが広がっていく。


 それからは、二人でたくさんくだらない話をした。

 先生と生徒としてじゃなくて――気を使うこともなく、肩の力も抜ける、昔からの友だちとしての会話。


 好きな歌手のこと。

 はまっている漫画の話。

 ふいに思い出した小さなころのエピソード。

 たわいもないやりとりが続く中で、ふと隣に目をやると、雨月は楽しそうに笑っていた。


 学校では絶対に見せない、その笑顔を見て……きっと、雨月もわたしと同じく、この時間を楽しいと思ってくれているんだろうなと思った。

 

 時計に目をやると、長い針は軽く一周していた。

 気づけば、一時間以上がたっていたらしい。


「もうこんな時間なんだ」

 

 そうつぶやいた。

 帰ってきたときはあんなにお腹がすいていたのに、今はそれほどでもない。

 きっと、雨月と話しているうちに、時間の感覚がどこかへいってしまっていたのだ。


「もう帰るの?」


 時計に視線を向けたままのわたしに、雨月がぽつりと声をかける。


 たったひとこと。

 それでも、なんだか少し嬉しかった。


 表情の読みにくい彼だから、気持ちを汲み取るのは難しいけれど――それでもこの言葉には、ほんの少しだけ名残惜しさがにじんでいた気がしたから。

 

「そうだなあ、もうそろそろ帰ろうかな。まだ夕飯も食べてないし」

「うちで食べていけば?」

「悪いし、いいよ。それに、うち今夜はクリームシチューなの。デザートにはおばさんもらったケーキもあるし、家で食べなきゃ」

「シチューで喜ぶなんて小学生かよ。食べものの好みまで子どもだな」

 

 む。まだ言うか。

 

「ふうん? じゃあ聞くけど、そういう大人な雨月の好きな食べものはなんなのよ。それだけ言うんだから、さぞ大人っぽいものなんでしょうね」

「馬刺しと塩辛。あと、もつ煮」

 

 即答だった。

 ……なんていうか、まあ、うん。

 

「大人っぽいっていうか……おじさんくさいね」

 

 勝てるわけないや。

 わたしは、くすりと笑った。

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