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Hydrangea  作者: 彩芭つづり
第4章 ひとひらの葉
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第12話 誰なんだ?

「ねえ、夏野くん。教えてよ」


 雨月と屋上で昼休みを過ごすようになって、数日が経ったある日のこと。

 先に行っているはずの雨月を追って階段を駆け上がると、少し開いた鉄製の扉の隙間から、聞き慣れない誰かの声が漏れ聞こえてきた。


 思わず扉にかけた手を止め、息をひそめる。


「なんで黙ってるの? どうして言えないの? 言えないようなことを、二人でしてるってこと?」


 鼻にかかった、どこか幼さを残す女の子の声だった。


 こんなこともあるんだな、と思った。

 昼休みの屋上には、いつも雨月しかいない。

 少なくとも、わたしが足を運ぶようになってからは、誰かと一緒にいるところなんて一度も見たことがなかった。


 だけど今、たしかに女の子の声がしている。

 しかも「夏野くん」と、雨月の名を呼んでいる。

 この学校に“夏野”という姓を持つ生徒は、一人しかいない。


 つまり今――雨月は、女の子と二人きりで、誰もいない屋上で会話しているということだ。

 

 うそみたいな話だと思った。

 でも、今そこで起こっているのは、間違いなく現実。

 ……たぶん。


 でも、本当に現実?

 これ夢じゃない?

 ああ、うん、大丈夫。

 頬をつねったらちゃんと痛い。

 なら、やっぱりこれは現実だ。

 きっと。


 本当に、めずらしいことだ。

 というか……ありえない、と言ったほうが正しいかもしれない。

 雨どころか、雪……いや、矢でも降ってくるんじゃないかな。

 天変地異の前触れって、こういうときのことを言うのかも。


 なんだか……そわそわする。

 気になって仕方がない。

 誰が、どんな理由で、雨月に声をかけているのだろう。


 だって――雨月が学校で誰かと話しているところなんて、一度だって見たことがない。

 点呼の返事すらためらうような子が、異性と二人きりで話すなんて。

 

 信じられない。

 ……ううん、なんだか、信じたくない気がする。

 胸の奥がもやもやして、少しだけ、苦しくなる。

 なんていうか――ちょっとだけ、嫌だなって思う。

 かも、しれない。


 ……はっ、と気づいて、あわてて首を横に振った。


 違う、違う、なにを考えてるの、わたし。

 これは喜ばしいことなの。

 絶対そう。そうに決まってる。

 雨月の高校生活が色づくチャンスなんだから。

 

 これをきっかけに、友だちと呼べる相手ができるかもしれない。

 いや、それ以上の関係になる可能性だってある。

 ……そうなったら、それは、わたしにとっても嬉しいことだ。

 もともと雨月がひとりぼっちなのを心配して、わたしが手を焼いていたんだし。


 もし誰かといい関係になれるなら――わたしだって、もう雨月のことを気にしなくて済むようになる。

 そのはずなんだから。


「…………」


 でも、だけど。


 ああ、だめだ。

 どうしても気になってしまう。

 相手が誰なのか。

 どんな話をしているのか。


 ……少しくらいなら、聞いてもいいよね?


 こくり、と喉が鳴る。


 扉の隙間から、そっと――覗き込む。

 本当はいけないって、わかってる。

 盗み聞きなんて、教師としてどうかと思う。


 それでも、どうしても我慢できなかった。

 

 屋上の中腹あたりに、ふたつの影が見えた。

 雨月と、そしてもう一人――少女らしい細い後ろ姿。

 こちらに背を向けているため、顔はわからない。


 耳をこらして、二人の会話を聞く。

 

「他の生徒の目を盗んで、屋上でこそこそと逢引なんて……夏野くんのえっち」

 

 女子生徒の言葉に、雨月は露骨に不快感を露わにした顔をした。

 それから、ため息をつき自身の首筋に手を当てる。

 

「べつに……言えないわけじゃない。言う必要がないだけだ。あんたには関係ない」

「隠してるつもり? それか、かばってるのかな。そんなことしても、むだだよ。全部知ってるんだから」


 彼女は細く白い指で、隣の校舎を指さした。

 

「ほら、あそこ……向こうの棟にある美術室。見えるでしょ? あたし、いつもそこで一人お昼を食べてるんだ。屋上(ここ)を見ながらね。夏野くんも毎日一人でお昼を食べてるでしょ。あたしと同じ『ひとりぼっち仲間』だから、話したことがなくても勝手に親近感持ってたの。だから、そこから毎日、夏野くんを眺めてた。……一年生のときから、ずっと」


 彼女は手を静かに下ろす。

 そして、再び雨月に視線を向けた。


「……でも最近、夏野くんはひとりぼっちじゃなかった。見てたんだよ。夏野くんが水嶋晴花と昼休みを一緒に過ごしてるところ。ねえ。仲よさそうに二人肩寄せ合って、一体なにをしてたのかな」

 

 わたしの名前が出された瞬間――心臓が、どくりと跳ね上がった。

 

 知らなかった。

 ずっと見られていただなんて。

 いや、見られてまずいものではないのだけれど。

 

 ……それでも、女子生徒のおどして責めるような口調のせいで、胸の奥がひどくざわつく。

 胸が詰まる。

 空気が重苦しい。

 きっと雨月も、同じように感じているはずだ。

 

 視線を移すと、案の定、雨月は眉間にしわを寄せて、むっとした表情を作っていた。

 

「……べつに隠すつもりもないけど。なにを勘違いしてるのか知らないけど、あの人とはただ一緒に昼を食べてるだけ」

「それだけじゃないよね。見てればわかるよ、すごぉく仲よさそうだもん」

「仲よくなんてない。……普通だよ」

「ごまかすところがますます怪しいなぁ」


 くすくすと笑う彼女。

 その声は軽やかだけど、どこか嘲るようで、底が見えなかった。

 完全に雨月をからかっている。

 

「あたしね、夏野くんが笑ってるところ、初めて見たの。いつも無表情で感情のなさそうなあの夏野くんでも、あんなに嬉しそうに笑うんだって知ってびっくりした。深い仲じゃなければ、あんな顔は見せない。……そうでしょ?」

 

 雨月は、今にも舌打ちをしそうな苦々しい顔になる。

 

 ここまで来れば、はっきりとわかる。

 女子生徒はどうやら――わたしと雨月の関係を怪しんでいる。

 

 だけど、怪しまれることなんてなにもない。

 わたしと雨月は、ただの教師と生徒だ。

 毎日屋上でなにをしているのかと聞かれたら、雨月が今答えたように、ただお昼を食べているだけ。

 幼なじみだから……親しく見えてしまうだけ。

 

 それでも雨月は、わたしとの関係を言わない。

 わたしを思って、そうしている。

 幼なじみと伝えれば、きっとわたしに迷惑がかかると思っているのだと思う。

 

 飛び出して行きたかった。

 雨月が言えないのなら、わたしが言わなくてはいけない。

 彼女に「違う」と、「わたしと彼はあなたが思うような関係ではない」と、はっきり伝えたかった。


 ……でも、盗み聞きという立場では、それもできない。

 今このタイミングで出て行けば、かえって疑われてしまいそうだった。


 女子生徒は直立したまま、雨月をじっと注視していた。

 その視線にいらだちを募らせた雨月は、声を低くして吐き捨てるように言った。

 

「なにが言いたいんだよ、さっきから。……ていうか、」

 

 一拍置いて、眉根にぐっとしわを寄せたまま、さらに低い声で続ける。

 

「あんた、一体誰なんだ?」

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