第11話 先生としての提案
「やっぱり外の空気っておいしいね」
空を見上げながら雨月に言う。
「そうだね」
「空青いねぇ」
「そうだね」
「雲白いねぇ」
「そうだね」
と、てきとうにうなずいてから、雨月がひとこと。
「晴花のパンツみたいに白いね」
「言わないで!」
気にしてたのに。
ていうか、しっかり色まで見てるし。
そんながっつり見えてたの……?
再び顔を真っ赤に染めると、雨月がぷっと吹き出す。
それから、ころころと楽しそうに笑った。
……なんだ、学校でもちゃんと笑えるんじゃない。
そりゃ、笑ったネタがわたしの下着だっていうのは少し癪だけど。
それでも、雨月も学校で笑えることを知ることができて……わたしは心底ほっとした。
学校での雨月の笑顔は、本当に貴重だ。
二ヶ月間ずっと近くで見てきたけれど、雨月が教室で笑ったところは、まだ一度も見たことがない。
それどころか、友だちと話している姿さえも……一瞬だって見たことがなかった。
「自分は空気だ」と言っていたあの言葉も、最初は、ちょっと大袈裟なのではと思っていた。
でも、実際にクラスの雰囲気を見ているかぎり、雨月が空気として扱われているというのは――たぶん、本当なのだろう。
当の本人は気にしていないと言っているけれど……わたしのほうがつらくなると言ったら、雨月はどんな反応をするだろう。
正直、学校での雨月の様子を見ていると、わたしは胸が張り裂けそうになる。
まわりの子たちは、みんな毎日楽しそうに過ごしているのに。
どうして、雨月だけ……あんなふうに、自分の殻に閉じこもっているのだろう。
わたしは、できれば雨月にも、楽しい高校生活を送ってほしい。
学生時代に過ごした日々は、一生の宝になるから。
どうにかしてあげたい。
けれど……きっと、雨月にとっては、ありがた迷惑なんだろうな。
ちらりと隣に目をやる。
広がる街の風景の――もっとずっと先を見ているような、雨月の瞳。
わたしは、その横顔にそっと話しかけた。
「……雨月は、いつもここでお昼を食べてるの?」
返事をせずに、ただこくりとうなずく彼。
「そう。……じゃあ雨の日は?」
「空き教室を探す」
「毎日一人でお昼の時間を過ごしてるの……?」
静かに尋ねると、雨月は目を細めてわたしを見やった。
「他に誰かいると思う?」
それは……。
うん、そうだよね。
わかっていたことだ。
それなのに聞いてしまった。
想像をまったく裏切らない答えに、どうでもいいと思えない心は、やっぱりまた苦しくなる。
雨月はあいかわらずだ。
ちっとも変わっていない。
今日も、一人殻の中。
わたしはなにも言えなくなって、代わりに今開けたイチゴ牛乳を、ちゅうと吸った。
どうにかして雨月を楽しませたい。
卒業するとき、高校生活をここで送れてよかったって心から思ってもらいたい。
……どうしたらいいだろう。
二人のあいだに、じわりと重い沈黙が落ちる。
それから数十秒後、わたしははっとして、
「そうだっ!」
と声をあげた。
「ねえ、いいこと考えた。明日からわたしもここで一緒にお昼を食べていい? どうかなっ」
名案だとばかりに目をきらきらと輝かせて、隣の雨月に視線を向ける。
するとそこには、わたしとは対照的に、あからさまに気乗りしない表情でわたしを見返す雨月がいた。
口に出さなくても、瞳が完全に「それっていいこと?」と語っている。
ああ、まったく。
雨月はてんでなんにもわかっていないんだから。
二人でお昼を食べるのは絶対いいことに決まっている。
そうすれば高校生活のいい思い出にもなるし、おいしいごはんを分け合えるし、そしてなにより楽しい!
そんな簡単なこともわからないなんて。
雨月は、まだまだおこちゃまだ。
「どうかなって言われても……なんていうか、あんまり」
雨月は首をかたむける。
全然乗り気ではない彼の態度にむっとして、わたしは頬を膨らませた。
「なによ、嫌なの?」
「べつに嫌っていうんじゃないけど……」
煮えきらない言葉のあと、雨月は無言でブラックの缶コーヒーを取り上げる。
タブをぱきりと開けて、静かに口をつけた。
「おれはいいけど、晴花がまずいと思う」
「わたし? なんで?」
「当然だろ。こんな場所に二人で一緒にいると、変な目で見られるよ。どこで誰が見てるかわかんないし。よくない噂されたら困るだろ」
「よくない噂ってなに?」
問い返すと、雨月はふいに視線をそらした。
そして、もごもごと口の中で濁す。
「それは……いろいろあるから、そんなの」
急に目を合わせなくなった。
わたしはそんな彼の顔を覗き込む。
……なんかちょっと顔赤くない? なんで?
「……と、とにかく。変なこと言われても嫌だし、やめといたほうがいいと思う。おれみたいなのと一緒にいるところを見られたら、なに言われるかわかんないよ。……おれと違って晴花は人気者だから」
苦い顔をしていたから、単に雨月が嫌なだけかと思っていたけど……もしかして、わたしの心配をしてくれているのだろうか。
なんだ、そんなこと。
わたしはにっこりと笑う。
「大丈夫、わたしのことなら心配しないで」
「いや、でも……」
「気にしない、気にしない! 噂されても堂々としてればいいじゃない。一緒にお昼を食べるだけだもん、なにも悪いことしてるわけじゃないんだからさっ」
ね、と意見を押し通す。
雨月は終始乗り気ではなかったけれど、それ以上拒否したりはしなかった。
そうだ。
なにも気にすることはない。
だってこれも、全部雨月のため。
雨月に、幸せになってもらうため。
これは、先生としての正しい判断だ。
心配性の雨月は、まわりの目を気にしてああやって言うけれど……わたしはきっと、なにも間違ってはいないから。




