第10話 屋上でのひととき
休み時間が終わり、授業をして、鐘の音が響いた。
昼休みだ。
いつもなら職員室で母の手作りのお弁当を食べるのだけど、今日はうっかり家に忘れてきてしまった。
この年でまだ母親に弁当を作ってもらってるなんて、雨月にはよく笑われるけど……だって、お母さんの料理っておいしいんだもん。
しょうがない。
せっかくだから、今日は普段あまり行かない購買へ行ってみることにした。
人ごみに埋もれながら、必死にメロンパンとイチゴ牛乳をゲットする。
デザートのアップルパイも……と手を伸ばしかけたけど、最近ちょっとだけ体重が気になっているので、ここはぐっと我慢。
昼食を腕に抱えて歩いていると、ふたりの生徒がぱたぱたとわたしの横を駆け抜けていった。
振り返りざま、「こら、廊下は走っちゃだめでしょ」と注意すると、彼らはニコニコしながら「ごめんなさーい」と大きく手を振って廊下の角へ消えていく。
そのあとに残ったのは、遠くから聞こえる楽しそうな笑い声。
やれやれ、とひとつ息を吐く。
……でも不思議。
生徒たちの笑い声を聞いていると、こっちまでつられて笑顔になってしまう。
けれど、そんな笑みも、すぐに深いため息とともに消えてしまう。
休み時間に聞いた勝馬先生の言葉――「そっとしておくのがいちばん」というあの一言が、ずっと耳の奥にこびりついて離れない。
「そんなこと……ないと思うんだけどな……」
ぼそりと、ひとりごとをつぶやく。
そっとしておいたところで、今の状況がよくなるとはまったく思えない。
それなのに、どうしてみんな、そろって同じことを言うんだろう。
放っておいたら、雨月はこのままずっと――クラスに馴染めないまま、ひとりぼっちでい続けることになるのに。
……というか、そもそも、どうしてわたしはこんなに気が滅入っているんだろう。
自分でもよくわからない。
孤立している生徒が雨月だからだろうか。
わたしの大切な幼なじみが、今もひとりぼっちでいるから。
だから、こんなにも胸がざわついて、目をそらせなくなってしまうのかもしれない。
もしこれが他の生徒だったら……あるいは、勝馬先生のように、ここまで悩まずに済んでいたのかな。
「……ああ、だめだ。ちょっと休憩しよう……」
考えすぎて、頭がじんわり痛む。
このまま悩み続けていたら、本当に頭が石にでもなってしまいそうだ。
気分転換に、外の空気でも吸いに行こう。
きっと少しは気が晴れる……はず。
ふと、屋上へ行ってみようと思い立つ。
この学校の屋上には園芸部のコーナーがあって、一般の生徒も自由に出入りしていいらしい。
最上階を目指して階段を上っていくと、やがて、大きな鉄製の扉の前にたどり着いた。
扉は少し開いていて、そこから白い陽の光が、すっと漏れ出している。
丸いドアノブに手をかけ、そっと押し開ける。
きい、と高い声を立てて、扉が鳴いた。
首だけをひょこっと出して、あたりを見回す。
誰かいるかと思ったけれど、人の姿は見えない。
屋上へと出ると、さわやかな風が頬を撫でた。
外の空気は、やっぱり気持ちがいい。
今日は空もよく晴れている。
わたしはメロンパンとイチゴ牛乳を両手に持ったまま、ぐっと背伸びをした。
「来てよかったぁ」
と、ひとりごちたその瞬間。
びゅう、と、うなるような突風が吹きつけた。
プリーツスカートのすそがふわりと持ち上がり、下着が見えそうになる。
情けない声をあげながら、めくれたスカートを慌てて押さえた。
……焦った。
屋上の風って、どうしてこんなに強いんだろう。
まわりに誰もいなくて、本当によかった……。
「なにやってんの、晴花」
わたしの名前を呼ぶ声。
びくりと肩が揺れた。
はっとして顔を上げる。
扉からは死角になっている、屋上の隅のほう。
……そこには、呆れたような顔つきでこちらをじっとりと見据える雨月の姿があった。
「う、わわわっ、う、うづ、うづきっ……!」
え、なに、もしかしてずっとここにいたの?
一部始終見られてた?
いるなら声をかけてくれてもよかったのに……。
恥ずかしさで、顔が一気に熱くなる。
「顔、真っ赤だよ、晴花」
「う、うるさいな……」
「あと、スカートめくれてたよ、晴花」
「……やっぱり見てたの?」
ていうか、こういうときって普通は見なかったふりをするものじゃないの?
なんでこの子は、そんなことまで堂々と報告してくるの?
鬼なの? 悪魔なの? 泣かす気なの?
涙目でふるふると震えていると、雨月はなに食わぬ顔で落下防止用の鉄柵に寄りかかりながら、惣菜パンをかじる。
あいかわらずのポーカーフェイス。
大人のわたしばかりがあたふたして……なんだかすごく格好悪い。
「晴花の下着なんてどうでもいいけど」
「ちょっと待って、どうでもいいってなに……?」
「ここにいたのがおれでよかったね」
ひたすら表情を無のまま変えない雨月。
どうでもいいって言葉は引っかかるし、認めるのはなんだか悔しいけれど、でも、まあ。
「……うん」
小さくあごを引いてうなずいた。
たしかに相手が雨月でよかったと思う。
他の生徒にこんな姿を見られていたら、穴を掘って入ってもおさまらないくらいに、きっともっと恥ずかしい思いをしていた。
それに比べれば、遠いむかしに一緒にお風呂に入ったことのある幼なじみの雨月にだったら、まだ格好悪い部分も見せられる……気がする。
あくまで、気がするだけ。
見せてもいいわけじゃない。
今だってじゅうぶん死にそうなくらい恥ずかしいし。
ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
気を取り直して雨月の隣にそっと並んだ。
わたしが横に立っても、雨月は――嫌な顔をしない。
今は、大丈夫。
学校にいるときの雨月は尖っているから、少しだけ……気を遣う。
ちら、と横目で見る。
どうやら雨月はここでお昼を食べていたらしかった。
最後のひとかけらのパンを口に入れると、もぐもぐとハムスターのように咀嚼する。
そんな雨月の姿を見ながら、わたしも購買で買ってきたメロンパンを一口大にちぎり、ぱくりとほおばった。
ん、おいしい。
「うわ、晴花、また甘いもの食べてる」
「いいじゃない、べつに。おいしいよ、メロンパン」
「おいしいのは知ってるけど……メロンパンってカロリー高いよ」
「知ってますぅ。でもいいの、甘いのが食べたかったんだから」
「甘いのが食べたいのは、いつものことだろ。しかも飲みものはイチゴ牛乳って……やっぱり子ども?」
「子どもで結構ですよーだ」
ふん、と鼻を鳴らす。
雨月が呆れた様子で目を細めた。
「今日はおばさんの手作り弁当じゃないんだね」
「うん、忘れちゃったんだ」
「いい加減作ってもらうのやめなよ。あといつまで実家に居座るつもり? いい年なんだから、もう一人暮らししたらいいのに」
隣でちくちくと文句を垂れる雨月を知らんぷりする。
わたしはメロンパンとイチゴ牛乳をそれぞれ手に持ったまま、思いきり息を吸った。
新鮮な空気が肺に満ちて、さっきまで曇っていた頭が、少しだけ晴れたような気がした。




