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Hydrangea  作者: 彩芭つづり
第3章 全部、雨月のため
10/31

第9話 体育教師の話

「あの、勝馬先生」


 休み時間。

 職員室でデスクに座っている担任の勝馬先生に、後ろから声をかけた。

 

 勝馬先生の担当教科は体育。

 見た目もそのイメージどおり、がっしりとした体格の持ち主だ。

 怒ると怖いとか、説教が長いとかで、生徒たちからの評判はあまりよくないらしい。

 ……でも、わたしは彼を素敵な先生だと思っている。


 叱るべきときに、ちゃんと叱れる。

 それが、いい教師の基本。

 なんでも笑ってごまかしてしまう自分こそ、見習わなきゃいけない。


 勝馬先生は勢いよく振り返り、にっと笑った。

 こんがりと日に焼けた肌に、綺麗に並んだ白い歯がまぶしい。


「はいっ、なんでしょう、水嶋先生!」

「お仕事中すみません。……あの、うちのクラスの夏野雨月くんのことなんですけど」


 雨月の名前を出すと、勝馬先生は目をまたたき、困ったように頬をかいた。


「ああ、あいつ……。水嶋先生が相手でもダメですか」

「やっぱり、勝馬先生の前でも……?」

「ええ。夏野は誰に対しても、あんな感じですよ。入学したころから変わってません」


 筋肉隆々のたくましい腕を組み、難しい顔でうなる勝馬先生。


 ……はい、知ってます。

 入学したころどころか、雨月は幼いころから、ちっとも変わってないんです。


 なぜか、わたしが申し訳ない気持ちになってしまう。

 困った弟を持ったみたいで、思わず隣に並んで雨月の頭を下げたくなる。


 ふいに、勝馬先生がううんとうなった。


「私もこのままじゃいけないと思って、何度か二者面談をしてみたんですけどね。かえって自分の殻に閉じこもるばかりで……」


 え、と小さく声が漏れる。

 二者面談までしていたなんて知らなかった。

 雨月はそんなこと、ひとことも言っていなかったのに。


 驚いた。

 でも、少しだけほっとした。

 わたしだけじゃなく、勝馬先生もちゃんと雨月を気にかけてくれていた。

 ……すぐに諦めて放置したわけじゃなかったんだ。


 そっと胸を撫で下ろした、そのとき。


「でもですね!」


 突然、勝馬先生がデスクの天板を勢いよく叩いた。

 バン! という音に思わずびくりと肩が跳ねる。

 まわりの先生たちも、驚いてこちらをちらちらと見ている。


 だけどそんな周囲の視線なんてどこ吹く風――というか、そもそも気づいてすらいない勝馬先生は、身ぶり手ぶりをおおげさに交えながら鼻息荒く語り始めた。


「元気がなかったり返事をしなかったりするくらいなら、まだかわいいもんです! 誰にだって、そういう気分のときもあるでしょう! だけど、夏野のやつは……私が話しかけると、露骨に嫌そうな顔をするんですよ! どう思います、水嶋先生! ひどくないですか!」

「え? ……そう、なんですか」


 興奮する勝馬先生とは対照的に、わたしはぽかんとしたまま固まっていた。


 意外だった。

 学校にいるとき、雨月が感情を表に出すのはとてもめずらしい。

 普段はまるで、死んだ魚みたいな目をしているのに。

 そんな雨月が、表情に出すなんて――。


 でも、考えてみればたしかに。

 勝馬先生みたいな熱血タイプは、雨月がいちばん苦手とする相手かもしれない。

 ……正直、わたしもちょっと苦手だ。

 いい先生だとは思うのだけど。


 わたしの気持ちなんて知るはずもない勝馬先生は、まだ興奮気味に話し続けていた。


「いえね、とくになにをしたってわけじゃあないんですよ。ただ『元気か夏野!』と背中をどんと叩いて、気さくに声をかけただけなんです。それなのに、こう……みるみるうちに眉間にしわを寄せて、しまいには完全にシカトですよ! いやほんと、傷つきますよ……!」


 ああ、やりそう。

 雨月、そういうの本当にダメだから。

 勝馬先生に話しかけられたときの嫌そうな顔が、目に浮かぶようだった。


 苦笑いをこらえながら、わたしは神妙な顔でうなずいた。

 

「こちらが声をかけているのに知らないふりをするというのはよくありませんね」

「そうでしょう、そうでしょう! わかってくれますか、水嶋先生!」


 勝馬先生は感極まったように拳を握りしめて、まるで演説でもするかのようにまくし立てた。

 

「私はそれで何度も傷ついているんですよ。ついさっきも廊下で声をかけたら、むすっと嫌な顔をされましてね。いやまったく、こんなに悲しい気持ちになったのは久しぶりですよ。私の繊細なハートはもうぼろぼろです」


 繊細……?

 どちらかというと、メンタル鉄壁ってイメージなのだけど。

 

「この傷ついた心にはなにかこう、癒しが必要だと思うんです。……あっ、そうだ! いいことを考えましたよ。水嶋先生、今度一緒に夕食なんてどうですか?」

「へ? 夕食、ですか……」

「ええ! 水嶋先生にもそろそろ悩みが出てきたころでしょうし、私がいろいろ相談に乗りますよ。お互いの悩みを打ち明けながら、うまいラーメンでもすすりに行こうじゃありませんか。ね!」

「ら、ラーメン……あ、はい、そうですね……」

 

 あまりの展開についていけず、曖昧に返事をしてしまう。

 勝馬先生は大きな手でぐっとこぶしを握った。

 

「ああよかった! 水嶋先生ならきっとうなずいてくれると思っていましたよ! それじゃあ、どこのラーメン屋にしましょうか! 水嶋先生はしょうゆ、しお、みそ、とんこつ、どれがいちばん好きですか!」

「え、ええと……みそ、ですかね」

「みそ! いいですね! 私もみそがいちばん好きなんですよ! いやあ、奇遇だなあ。これは休日を丸一日使ってうまいラーメン屋めぐりなんてのも……」

「あの、それより」

 

 はい? と勝馬先生が満面の笑みでこちらを見る。

 わたしはもう一度、小さな声で言った。

 

「その、夏野くんのことは、これからどういった対応をしていけば……?」

 

 上機嫌で終始にこやかな勝馬先生は、「ああ」と軽くうなずいて、ひらひらと手を振った。

 

「今はそっとしておくことがいちばんなんじゃないですかね」

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