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僕に何が残せるというのか?

 時は3月の終わりとなっていた。

 ほぼ4ヶ月ぶりにクワをにぎり、畑を耕し始める僕。


 秋の終わりの内に適当にクワを入れ荒らしておいた畑を、オッチラエッチラとあらためて耕していく。さらに、去年買っておいた鶏糞けいふんの残りを土にまき、再びクワを振るい、すきこんでいく。

 ひさしぶりの畑作業に、体の方がついていかない。完全に体がなまってしまっており、頭の中でイメージしているほどサクサクとは作業が進まない。それでも、去年の経験があってか、ゆっくりとではあるがどうにかこうにか土に肥料をすきこんでいく。


 そうしながら、僕は頭の中でさっきの疑問を反芻はんすうしていた。

「一体、僕に何が残せるというのだろうか?」


 こんな片田舎かたいなかで、わずかな土地を耕しながら生きている僕。それも、ベーシックインカム大実験により、毎月8万円というお金をもらいながら暮らしているだけ。それがなくなれば、こんなコトを続けていくのは不可能となってしまうだろう。

 もしも、畑を耕したいなら、もっと本格的にやらなければ。どこかの農家に頼み込んで働かせてもらうとか、そういうことをしなければ。


「でも、待てよ?」

 僕は、考え直す。その農家の人たちは、どうやって暮らしているのだろうか?

 そういえば、聞いたことがあるぞ。日本の農家の収入の多くは、国からの補助金や助成金であるという話を。それも、ちょっとおかしくないか?そこまでして農業を守る必要があるのだろうか?

 まあ、いい。今回は、そのコトは置いておこう。本題とは関係がない。とりあえずは、僕の問題だ。


「何かを残すならば、都会に出ていった方がいいのではないだろうか?」

 こんな辺境へんきょうの地でいつまでも暮らし続けていてはいけない。都会に出れば、何かがあるはず。何かを学べるはず。

 いやいや、どうだろうか?それも、安易な考え過ぎないか?

 どうせ、都会になんて出ていったところで、これと変わらない生活があるばかり。きっと、日々の生活に追われるだけに決まっている。家賃や食費をかせぐために汗水たらして働き、何かを生み出す時間も心のゆとりもなくなってしまうだろう。

 それに、今どき、都会に出れば何かが学べるだなんて。20年や30年前の時代ならばいざしらず、こんな時代だもの。インターネットも普及してれば、衛星放送だってある。何かを学ぶのに都会に出る必要などない。場所は関係ない。時間だとかやる気の問題だろう。

 それよりも、問題は“何を残すか?”なのだ。僕は、一体、何になりたいのだろうか?


 何かを残すとすれば、それは“作家”とか“芸術家”ということになるのだろうか?

 いや、そうとばかりはいえない。たとえば、“科学者”や“発明家”といった人々もいる。何かの発見や発明をして、世のため人のためになるようなコトをしている人たちだ。そういうのも悪くはないかもしれないな…

 でも、僕ももう20歳を過ぎてしまっている。今から、そのような勉強を始めたとして、間に合うものなのだろうか?


 いろいろと考えていると、段々と頭がこんがらがってきた。

 世界の広さを考えると、絶望的な気分になってくる。

 結局の所、僕はこの小さな畑でクワを握って、畑を耕すくらいのコトしかできないのだろうか?

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