おばあちゃんの家
おばあちゃんが死んだ。僕のおばあちゃんだ。
全ての始まりは、そこだった。
しばらくの間、お葬式だとかなんだとかで親戚が集まってきてバタバタしていたけれども、それらも落ち着いて、1つの問題が残された。
「おばあちゃんが住んでいた家を、誰が管理するのか?」という問題が。
おじいちゃんの方は、もうだいぶ前に亡くなってしまっていて、おばあちゃんは1人暮らしだった。最後の方は頭の方もボケてしまって、フラフラと家の外を徘徊するようになってしまったので、僕の家にやって来て、母親が介護していた。
おばあちゃんの子供たち…つまり、僕の母親やおじさんやおばさんたちは、遠くに住んでいたり、仕事を持っていたりして、常に家の管理を続けるなんてことはできやしない。
おばあちゃんの家は結構な田舎にあって、周りには何もない。ただ小さな田んぼや畑が点在していて、森やら川やらの自然が広がっているばかり。他には小さな個人商店が何軒か建っているだけ。
そんな土地に誰が好き好んで住みたいなどと思うだろうか?
ちょっと車を走らせれば、もっとにぎやかな地域にも出るのだけど、それにしたって田舎であることには違いがない。
僕の家からでも、自動車で1時間近くはかかる。かなりのスピードを出して45分くらいだ。他の親戚たちは、もっと遠くに住んでいた。5時間も10時間もかかる場所だ。
そこで、僕の出番となったわけだ。
僕は、20歳を過ぎたばかりで、まともに仕事もせずブラブラとしながら暮らしていた。家で本を読んだり、衛星放送の番組を見たり、インターネットを徘徊したり、くだらないゲームをして時間をつぶしたり、そんな生活だ。
おせじにも「立派な人生だ!」とは、とてもいえない。むしろ、それとは全く反対の生き方をしている。少なくとも、世間の人たちはそう思っているだろう。
僕は僕なりに考えがあって、このような生き方を選んでいるのだけど、他の人たちには到底理解はされないだろう。それは、僕自身もよく理解していた。
「あんた!そんなフラフラしてるんだったら!あの家で生活して、朽ちていかないように守りなさい!」
母親に、そんな風に文句をいわれたりもした。
その時は、僕も乗り気ではなかった。でも、ちょっと事情が変わったのだ。
ちょうどそんな時だった。この国の政府が“ベーシックインカム大実験”を行うと宣言したのは。
そうして、その実験地として選ばれたのが、おばあちゃんの住んでいた街だった。いや、街といえば聞こえはいいが、アレは完全に村だ。そう表現した方がシックリくる。
ま、なんでもいい。とにかく、僕はあの土地に住んで、おばあちゃんの残した家を守ることになった。
*
ある年の3月、僕は引っ越しをすませた。
引っ越しなんていっても、なんてことはない。服や下着といった身の回りの品の他には、パソコン1台とゲーム機を持ち込んだだけ。
母親の運転する軽自動車に乗って、たった1回で全ての品を運べた。もちろん、僕自身も含めて。
他の物は、おばあちゃんの家に一通りそろっていた。お皿やコップだとか、料理道具だとか、テレビや洗濯機、乾燥機まで設置してある。
普通の人よりも贅沢な暮らしができそうなくらいだ。その上、4月からは毎月政府から8万円ずつが振り込まれることになっていた。
この辺りには大きなスーパーもなく、物価もちょっとばかし高かったけれども、まあ、どうにかやっていけるだろう。いざとなれば、手などいくらでもある。僕もまだ若い。仮にうまくいかなかったとしても、やり直しはいくらでもきく。
きっと、これまでと変わらぬ生活が待っているだけだ。
その時の僕は、そう思っていた。