ベーシックインカム待望論
さっきは、“国の借金を全部消してしまった”と書いたけれども、実際にはそうではない。あくまで、これは“マジック”なのだ。トリックにすぎない。ほんとに泡のように消えてしまったわけではない。現実には、借金は残っており、いずれはその借金も返さなければならない。
ただ、その対象が変更されただけ。日本政府は、日本銀行に対して借金を負っている。
それでも、随分と楽になったことに違いはない。その借金は、いつ返してもいい。お金にゆとりができた時に、ゆっくりと返していけばいい。返済期限などない。
さて、名目上、日本国から借金が消滅したことで、世間の人々は安心した。
一方で、困ったコトになった人たちもいた。これまで国債を買って、その利子で暮らしていた人々だ。多くの銀行も、わずかな利率とはいえ、それにより安定した収入を得ていた。これまで国債に投じていた資金が戻ってきて、新しい投資先を探さなければならなくなってしまったのだ。
でも、それはまた別のお話。ここでは語らないでおこう。それよりも、もっと大事なコトがある。そっちの話を先に進めていかなければ。
*
1200兆円という莫大なお金を刷っても、世間で心配されていたようなハイパーインフレなど起こりはしなかった。それどころか、物価はほとんど上昇しなかった。わずかに変化しただけ。そんなものは誤差の範囲内だ。
また、「短期間にお金を大量に刷ってしまったら、超円安になるのでは?」と心配した人々もいたが、そうもならなかった。むしろ、国の財政状態が健全化して、逆に円高になったくらいだった。
これによって、輸入品の価格が下がり、一般庶民は喜んだ。スーパーに買い物に行っても、以前よりも安く食べ物が買えるようになり、牛丼屋はこぞって値下げ競争をし、ガソリンや灯油も安く手に入るようになった。それで、家計は助かった。
その代わりに、輸出業者は大ダメージを食らった。せっかく国内に生産工場を建設したのに、また海外へ労働力を求めて四苦八苦しなければならなくなった企業もたくさん現われた。
何かがよくなれば、他の何かが悪くなってしまう。世の中、そんなものなのだ。
それに、いつまでも変化しない世界などありはしない。一時期、円高になったかと思えば、また円安になってしまう。社会というのは、その繰り返しなのだから。
だが、このお話も本編とは関係ない。僕らに関係あるのは、もっと別の話題なのだ。特に“僕”にとって関係があるのは…
*
政府の懐事情にゆとりができ、人々の心にもゆとりが生まれた。
そうして、いろいろと新しい政策が検討され始めた。その内の1つが“ベーシックインカム”だった。
ベーシックインカムとは…
国民全員に一定の金額の現金を渡し、必要最低限の生活を保障する制度。それ以上の収入が得たい人は、マジメに働いてお金をかせげばいい。
これ、一見すると、社会主義とか共産主義と同じように思われるかもしれないが、それとはちょっと違う。あくまで、基本的な社会の作りは資本主義なのだ。
むしろ、ある意味では、現代の社会よりもよっぽど厳しい社会システムだともいえる。ただ、この頃は多くの人々が、そのコトをよく理解していなかった。
「働かなくても生きていけるだなんて、最高じゃないか!!」
人々は単純にそう考えた。
けれども、そんな理想郷みたいなモノが本当に実現するのだろうか?
答は誰にもわからなかった。たくさん勉強をした偉い経済学者が何人も集まって討論をしたけれども、人によって意見が違うので、いつも最後は堂々巡りになって結論が出ないまま終わるのだ。
そこで、誰かがこんな風に言い出した。
「わからないんだったら、実際に試してみればいいじゃないか!こんな風に頭の中でいくら考えたって、無駄なものは無駄だよ!それよりも、一発勝負!やってみた方が早い!!」
もちろん、それには即座にこんな反論が飛んでくる。
「でも、それで失敗したらどうする?実際に試してみて、うまくいけば、そりゃいいさ。それで万々歳!だけど、失敗したら目も当てられない。せっかく財政状態が回復したこの国も、途端に崩壊だよ!」
「だったら、最初は小規模で始めてみればいい。それで、うまくいったら、次!それも、うまくいったら、その次!と、どんどん拡大していけばいいじゃないか」
「そうだな。それだったら、失敗したとしても被害も少なくて済むか…」
このような話し合いが行われた。
こうして、お金にゆとりのできた政府は、試験的に小規模なベーシックインカムを導入してみることにした。