近所づき合いの重要性
近所の人たちの畑作業を手伝い、ちょっとした報酬がもらえるようになって、僕の生活は随分と楽になった。それまで月に4万円以上もかかっていた食費は、1万円を切るようになってきた。
パンだとかお肉だとか、どうしてもお店で買わなければならない物だけは、ヒツジマーケットのお世話になる。
「パン1斤が150円以上もするんだな…」
買い物を終えた僕は、そんな風につぶやきながら歩いて帰る。
僕が前に住んでいた地域では、安売りのスーパーでパン1斤が78円とかで売っていた。実に2倍近い価格だ。他の商品も、軒並み高い。
だが、仕方がない。こんな田舎で、食料品が手に入るだけでもありがたいと思わなければ。
お米も近所の農家で栽培しているところがあったので、何かの手伝いの時にもらえることもあったが、野菜に比べればあまり期待ができなかった。手に入らないことも多い。なので、どうしようもない時には、お米もヒツジマーケットで購入することになる。
ほんとは、隣街まで自転車をこいで行って買ってくればいいのだが、これがなかなか大変なのだ。しかも、自転車のカゴに入れられる商品の量も限られている。
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農作業を始めてから、僕の生活は格段に健康的になっていった。
基本的に、毎日、畑へと向う。よほど疲れている日には、家でゴロゴロ寝て過ごす。大体、週の内6日とか、10日の内9日とか、そのくらいは畑仕事に精を出す。
おかげで、体の方もかなり鍛えられた。体全体の筋肉がガッシリとしてきて、腹筋も割れてきた。
食生活も野菜中心なので、実に体にいい。
それに加えて、いくらか料理もするようになってきた。
なにしろ、もらえるのは野菜ばかりなのだ。しかも、自分の畑でも野菜を作っている。放っておくと、食べきれない野菜がどんどん溜まっていってしまう。キュウリやレタスやトマトならば、そのまま食べることもできるが、ナスビやイモや豆やニンジンなどは、どうしても調理しなければならない。
なので、自然と切ったり焼いたり煮たりと、料理の腕が上がっていく。
元々、炒め物やカレーライスくらいは自分で作ることができたが、それだけだと飽きてしまう。とにかく、野菜だけは後から後から入荷してくるのだ。入ってくる端から処理していかないと、追っつかない。何も考えなくても、自然とレパートリーは増えていくのだった。
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近所の人たちからは、畑仕事以外にも、いろいろと細々とした作業をたのまれるようになっていた。
たとえば、蛍光灯のつけ替えだとか、電化製品の接続だとか、衛星放送を見るためのパラボラアンテナの設置などといった作業だ。
まさか、こんなところ例の技術が役に立つとは夢にも思わなかった。完全に、自分でアニメの放送を見るためだけに身につけた能力だったのに。
この街には高齢者が多かったので、こういったコトですら、やってあげると喜んでくれるのだった。
「まあまあ、ごくろうさまです」などといって、作業が終わった後に、お茶やお菓子などを出してくれる。
その上、持ち帰り用のお菓子や、お駄賃を持たせてくれたりもする。
そういえば、おばあちゃんが生きていた頃も、家にはいつも貰い物のお菓子が置いてあったものだ。
「おばあちゃんの家には、いつもお菓子が用意してあるけど、どうなっているんだろう?それも、近所のスーパーで買うようなのではなく、お中元で送られてくるようなお菓子ばかり」などと不思議に思ったものだが、きっと、こういうコトだったのだろう。
コミュニケーション能力の高かったおばあちゃんのことだ。パラボラアンテナの設置ではないにしろ、何かしらの手助けをして、近所の人たちから信頼されていたのだろう。
「人とつき合うっていうのも、案外悪くないものなのかもしれないな…」
それまで、極力、人とのつき合いを避けながら生きてきた僕だったけれども、ここに来てからは、そんな風に考えるようになっていた。
こうして、僕は料理レベルを上げ、コミュニケーション能力も高めていったのだった。




