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坂道進さん

 僕は、近所の河原に毎日やって来てはボ~ッと川を眺めている男の人が、気になって気になって仕方がなかった。

 そうして何日目か。ついに意を決して、その人に会いに行くことに決めた。


 男の人が座っている河原は、僕の家から見て川の反対側にある。

 直線距離にして5分かそこらで行けそうに見えるのだが、あくまでそれは真っ直ぐに進んだ場合だ。子供の頃のように海水パンツに着替えて川を泳いで渡れば、すぐに到着するだろうが、そういうわけにもいかない。それに、季節は4月。水に入るには、まだ冷たすぎる。


 仕方がないので、橋を渡っていくことにした。

 なにしろ、田舎いなかのことだ。そんなに多くの橋がかかっているわけでもない。随分と遠くまで歩いていき、一番近くの橋まで向かう。そこから橋を渡ると、グルリと引き返す形になって、どうにか目的の河原までたどり着いた。

 結局、家を出てから20分以上かかってしまった。


 さも、「偶然通りかかりましたよ」という風によそおいながら、僕は河原に座っている人に話しかけてみた。

「こんにちは」

「やあ、こんにちは」と男の人は目線を合わせずに遠くを眺め続けたまま、静かな口調で返してくる。

「いい天気ですね」

「そうだね」

 そこで、僕は思いきって本題を切り出してみた。

「こんな所で何をしているんですか?」

「ああ…川をね。眺めていたんだ」

「川を?」

「そうさ。いけないかね?」

「いえ、いけなくはないですけど…おもしろいのかな?と思って。そんなコトが」

「おもしろいさ。とってもね」

 そういうと、男の人は再び黙った。川の表面に視線を向けたまま、ジッと動かない。

 見たところ、その男の人は30代後半か40代といったくらいに見えた。髪の毛はボサボサで、無精ぶしょうヒゲも生えている。お世辞せじにも“清潔感がある”とはいえない風貌ふうぼうだ。


 しばらくそのままの状態で立っていると、再び男の人の方から話しかけてきた。相変わらず遠くを眺めたまま、視線を合わせない話し方だ。

「オレはね、都会で働いていたんだ。それはもう一生懸命に」

 まるで自分で自分に語りかけるような話し方だった。もしかしたら、本当にひとりごとだったのかもしれない。

 それでも、僕はその言葉に「フム」と、あいづちを打つ。

「でも、ダメだったよ…」と、彼はつぶやいた。

「ダメだった?何がですか?」と、僕は問い返す。

「気力が切れてしまったんだね。ピ~ンと張った糸がね、突然プツリと切れてしまうように。それまで、よほど無理をしていたんだろうね。自分ではそんな気はなかったんだけどね。無意識の内に無理をしていた。限界を越えていたんだ」

「それで?」

「それで、ここにやって来たんだ。ちょうど“ベーシックインカム大実験”というのをやると聞いてね。それで、ダメもとで応募してみたわけさ。仕事をやめてからは、家でボ~ッとして過ごす毎日だったからね。どうせボ~ッとするなら、田舎の方がいいと思って」

「なるほど」


 それから、僕らはお互いに自己紹介をした。

 男の人は“坂道進さかみちすすむ”と名乗った。

 坂道さんは、都会の工場で働いていて、精神をやられてしまったのだった。自分でも気づかないくらいボロボロになるまで働いて、それでも働き続け、そして限界が来たのだった。

 僕も働くのは嫌いだった。特に、何の意味も何の目的もなくただ黙々と続ける単純作業が苦手だった。大嫌いだった。だから、僕らは話が合った。

「やっぱり、仕事なんてつまんないですよね。退屈な単純作業なんて、クソ食らえだ!」と、僕は意気揚々(いきようよう)と語る。

「そうだね。でも、全ての労働がいけないというわけではないと思うんだ。中には、有意義なものもあるはず。それに、人には向き不向きというものがある。あの仕事は、オレには合っていなかった。ただ、それだけのコトなんだ。他の人にとっては、そうでないのかもしれない」

「フム」

 さすがに、坂道さんは大人だ。ムダに年を取ってはいない。僕なんかよりも、ずっとずっと大人の考え方をしている。

「川はいい。川の流れは、心をいやしてくれる。こうして、川の流れを眺めているだけで、いくらでも時間が過ぎていく。それが楽しくて楽しくてたまらない。いずれ、心が回復したら、もう1度働こうと思っているんだ」

 坂道さんはそういうと、再び黙り込んで川を眺め始めた。


 こうして、僕はこの街で初めての友達ができたのだった。

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