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平日の昼時にオフィス街を出歩いている人は然程多くは無いだろうと思っていたのだが、どうやら検討違いのようだ。相変わらず都会の街中は行き交う人々で溢れ返っている。様々な業種の人間いるのだから、当然と言えば当然だ。アポの時間が13時であったならば、必然的に移動時間は正午となる。言われなくともわかっている事だが、改めて指摘されるとハッとさせられる事実だ。しかし、梅雨前だというのに真夏のような日差しの中、背広姿で歩き回る男性社員は、さながら働き蟻とでも言ったところだろうか。中には空調のしっかりと管理された社内で、女性社員とゆったり寛いでいる人もいるというのに…
ふと、出てきたばかりの自社ビルを見上げる琉音。眩いビルの照り返しに少々後悔を覚える。
一応王手と名の知れた会社に勤務出来ている自分は、同世代の中では勝ち組扱いになるのだろうか…。異性の話などに全く疎い自分。単に興味の湧くものが極端に少ないだけなのだが、なかなか周りには変人扱いされる始末。興味の無いものには無関心なのは自分の悪いところであるのは分かっているが、どうにも関心の幅を広げるという行為は苦手でしょうがない。
さて…どこに向かおうか。
ほぼ毎朝母に起こされている自分が、自立やらなにやらと無縁の生活を送っている自覚はあった。ましてや頼んでもいないのに弁当まで用意してくれる…有り難い事ではあるのだが、やはりそれを断るのはどうにも母が不憫に思えてならない。体よく母を言い訳にして、自立から逃げているだけなのかもしれないが…。作ってもらった物を残して帰る訳にもいかず、きちんと完食して帰宅する自分を母は毎日嬉しそうに出迎えてくれる。それは父にも同様だ。当たり前に見てきた光景に今まで何の疑問も持ってはいなかったのだが、学生でも弁当の習慣が無い家庭やオフィス勤めになって大半が外食してるのを目の当たりにしてしまうと、やはり自分は少数派なのだと気づかされる。少数派が肩身の狭い思いをするのは世の常。たかが弁当、されど弁当とでも言ったところか。悲観しているわけでも母の弁当を恥じているわけでも無いが、人付き合いとはなんと難しい事か…。
そんなくだらない事に思考を巡らせている内、琉音は見た事も無い場所に辿り着いていた。都会の喧騒がどこか遠くに聞こえているこの場所は、とても独特で、すぐ近くにコンクリートジャングルが広がっているとは思えないほど異質な空気に包まれていた。人工的に植えられた木々は青々と茂り、日の光を一身に集めている。その姿は、歩道に植えられている細々としたそれらとはまるで違う。手入れが行き届いている。このご時世きちんと植林にまで手を回す業者や管理者がいるのかと、感服するほどだ。
どこだ…ここ。公園か…?
都立なんちゃら公園とか少しは名の知れた公園か、大富豪の敷地内に知らぬ間に入ってしまったか、はたまた皇居の中にでも入り込んでしまったか…いや、思考がふっとんだな。有り得ない…と正常な思考状態に無理やり引き戻す。なんにせよ都会のど真ん中であることには違いない。GPS機能でもなんでも使えば会社に戻る事は困難ではないし、この場所の特定も簡単だ。兎にも角にも、今は昼休憩真っ只中だ。先ずは木陰に面した日差しを凌げそうなベンチに腰を下ろす。バッグに忍ばせた母お手製弁当を広げる。毎日かわらないような弁当だが、外で食す弁当はなんだかいつもと違った味がするようで不思議な感覚であった。
「飛鳥さん。今日はもう上がり?」
今朝同様、期待の新人飯島に話しかけられた。時刻は19時を回ったところ。少しずつ社内の人が減り始める時間だ。
「ええ。特段任された仕事も無いので…このデータ編集が終わればもう。」
動揺は上手く隠せただろうか…少し声が震えた気がする。
「私も今日はもう帰るから、一緒しない?」
「はい…?」
思わぬ言葉に声が上ずる。
「ご飯か、お茶でもどうかなと思って…それとも何か予定あったかな?」
こんな社内でもそこそこ噂されるマドンナと底辺中の底辺まっしぐらな自分が、しかも2人…
「よ、予定は無いですが…なんで」
最後まで言葉にならない。
「それなら決まり。ね?いいでしょう?」
美女の満面の笑みを前に、断れる奴がいたらお目にかかりたい。そんな奴はよっぽどの自信家か、よっぽどのブスかのどちらかだろう。…いや、ブスは言い過ぎか。それにしても、一体彼女は何を考えているのだろう。
彼女の不適な笑みに気圧されつつも、適当に相槌を打ちながら並んで歩く。一体どんな話をするのかと身構えていたものの、びっくりするような話は出てきていない…ここに未だという言葉がつくかどうかは到底自分にはわかりそうもない。
「ねえ?飛鳥さん?聞いてる?」
「え?…あ。すみません。」
「…私の話つまらなかったかしら?」
複雑そうなその表情を見れば男性誰もがいちころというものだろう。どうして本当に…こんな人が。
「いえいえ。会社帰りに寄り道なんて初めてだから、少しぼーっとしてしまっただけですよ。」
一生懸命取り繕ったつもりだったが、うまくいっただろうか…と不安になる。話がつまらなかった訳ではなかったが、なんだか自分の周りには到底無縁と思われるような内容だった為に身が入らなかったのは事実だ。
「ごめんなさい。私もしかして無理させちゃったかしら…」
「え…?」
「ほら、飛鳥さんいつも早く帰ってるからきっと何か用事があるんだろうと思って話しかけ辛かったのよ。今朝少しお話出来たからって私少し調子に乗っちゃったかなって…」
「…ああ。そんなことないですよ。沢山話題振れる方って素晴らしいと思います。」
自分なりに彼女に気を遣った結果、言葉遣いが妙になってしまった。変に思われなかっただろうか。
「よかったあ。とても嬉しい。じゃあ、ディナーでも一緒にどうかしら」
手を合わせて喜ぶ彼女の姿はとても愛らしい。しかし、せめて語尾に疑問符位はつけて頂きたい。断られるとは夢にも思っていない話し方だろう。
「ええ。いいですよ。どこかいい場所知ってますか?」
「ええ、もちろん!実は飛鳥さんと行こうと思って、調べたところがあるの。」
待ってましたと言わんばかりの彼女。…今日は断れないと、覚悟はしていた。それでも出来れば逃げられないかと、近場のカフェに誘ってみたのだが無残な結果となった。