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二話

辻ヒーラーこと、シオン・マグダスの朝は早い。


シオンはほとんどロハで借りている宿屋の厩から鶏が鳴く前に出立すると、村の近くを流れる川で水浴に勤しむことを日課にしていた。これはあまりに馬臭いと、ヒールをかけられる距離まで誰も近寄ってこないため、必須の行事であった。


水浴を終えると、今度は物心ついたときから怠ったことのない鍛錬の時間である。


レベルという概念が存在する世界において、日々の鍛錬に何の意味があろうかと思う人もいるだろうが、レベルによって左右されるのは、あくまで出せる最大値に過ぎない。


この世界において、人が人とは思えない挙動を可能にするのは、大気中にあるマナを取り込めるからだ。そしてレベルによって上がるのは、一秒毎に取り込めるマナの総量でしかない。その取り込んだマナを能力に変える効率をこの世界では才能といい、ある年齢から衰えてゆく変換効率を老化という。


そして、日ごろからマナを循環させていないと、体内で停滞したマナが変換の効率を阻害することを腕がなまるというのであった。


つまり、どれほどの高いレベルを誇ろうと、日々の中でその力を使わなければ能力値は下がる一方なのだ。そのことをシオンは己のスキルによって熟知していた。


「しかし、今日も変わらずか」


二時間ほどの鍛錬を終えると、シオンは今となっては彼の数少ない所有物であるナイフの刃に自分の顔を映していた。


LV.135

職業:マンイーター

HP 400

SP 502

STR 0

AGI 155

VIT 73

INT 120

DEX 255

LUK 40

KAR -255,000000



殺したはずの聖女に返り討ちにあってから数ヶ月。彼のSTRはまだ0のままで、その能力はピーク時よりは格段に劣っていた。


とはいえ現在のシオンの顔に絶望の色はない。いちよう確認こそ毎日しているが、彼は自分の異常が自然消滅する類のものではないと、とっくの昔に了解していたからだ。


しかし、STRが0であるという異常事態は、生半可なものではなかった。


まず、彼は基本的に生き物を食べることが出来なくなっていた。何故なら、全ての人族が生まれながらに持っている「食べる」スキルは、STRの値に依存するものだったからだ。


最初、シオン自身、己の身に何が起こっているのか全く理解できなかった。なまじ「物体移動」のスキルがHP依存であるため問題なく行えたが故に、彼は自分がどれほど異常な状態にあるか理解するのが遅れたのだ。


何事もなく固形食料を口に運んだ後、自分の顎がそれを全く噛み砕けないことに気づいたとき、彼は如何なる強敵を前にしても出した覚えのないか細く情けない悲鳴を上げると、「人別帖」をその場で発動して、自分が使えなくなったスキルを調べ上げ、今度はうめき声を上げた。


全スキルのおよそ五分の一、日常生活に限れば四分の一近くのスキルが使えなくなっていたのだ。


そして今に至るまで、彼の主食は水であった。もちろん、ものを食べなければ人の身体は朽ちる。それを自身の治癒魔術によって何とか保持している半死人、それが現在のシオン・マグダスであった。


それでも「はじまりの町」で最初にパーティを組んだとき、彼には圧倒的な自信があったのだ。何せ、この町で古強者と崇められている男のレベルが32なのだ。彼の「人別帳」では魔族のステータスは分からないものの、そのレベルは推して知るべしというところであった。


実際、魔族そのものは彼にとって何の脅威でもなかった。攻撃は目をつぶっていても避けられる速さだし、仮に当たったところでダメージは1。これで命の危険を感じろという方が無理な話である。


しかし、結果は無残なものであった。理由は簡単で、人族の究極であるシオンとかけだしの冒険者である他のメンバーでは、戦闘そのものへの意識のあり方があまりにも違ったのだ。


このように書くと、他のメンバーの無能が全ての原因のようだが、実際のところほぼ全てのトラブルの原因は、ヒールの使用回数を極力抑えようとするシオンの吝嗇にあったと言っていい。

戦闘にまだ慣れぬこともあって、常に自分達を最善の状態においておきたいと思う前衛役二人と、本当にいざというときのためにSPを温存しておこうとしたシオンの意識の違いがパーティに不和をもたらしたのだ。


結局、どちらにしても前衛ではさばき切れぬ数の魔族に襲われ、シオンが壁となって撤退するはめになったものの、この件ですっかり彼はパーティを組むことに神経質なってしまっていた。


もちろん、シオンとて次にパーティを組めば前よりは上手く立ち回る自信はあったが、彼のような特殊な例と組むことは、かけだしの冒険者たちの可能性を歪めてしまうことに気づいたからだ。


例えば、「人別帳」で他のメンバーのHPを「視」れる彼には完璧なタイミングでヒールを打つことが出来るし、各々が所持しているスキルを鑑みて、微妙に全体の連携を調整することも出来る。これらは些細なことように見えるが、戦闘を幾つも重ねていくと、余力の面でジワジワと効いてくる利点である。


だが、それらは本来であれば一つのパーティが冒険を重ねる中で経験として手に入れなくてはいけないものなのだ。それをシオンが一方的に与えた結果、パーティは調子にのって全滅しかけ、パーティのメンバーだった一人はその次の冒険で敵に深追いし過ぎて死んだと聞く。その全てが己の責任だと思うほど彼は傲慢ではなかったが、全くの無関係だと思うほど謙虚でもなかった。


暗殺者を生業にしているからこそ、彼は人の成長を眺めるのが好きだったし、その成果に最大限の敬意を払ってもいた。もちろん、このような「はじまりの町」から自分を愉しませてくれるような相手が出る確率などほぼ無いことは分かっていた。しかし、自分がそのわずかな可能性を潰したかと思うと、何とも気が滅入るのである。


「まあ、人間死ぬときは死ぬものだよな」


シオンは河に映った自分の顔に言い聞かせるように言葉を吐くと、気分を切り替えていつもの四辻へと歩き出したのだった。


───

──


「辻ヒール、いかがっすかー」


呼び声を叫びながら、シオンは現在の自分の境遇に思いをはせた。


「聖女」の暗殺に失敗した後、シオンは何とか下水道から脱出し、前もって作っておいた隠れ家の一つに身を寄せようとして教団からの刺客に襲われた。今考えれば、仕事に失敗した彼が何らかの傷を追っていることを見越して教団の反シオン派から刺客が送られてくるのは自明だったのだが、当時の彼はATKが0という非常事態に気が動転したため、つい落ち着ける場所を求めてしまったのだ。


刺客そのものは咄嗟の機転で対処できたものの、その無様な行程を確実に存在したであろう監視役に見られた結果、殺人教団はもはや彼の帰るべき場所ではなくなっていた。これは裏切りではなく、上位のものに何らかの支障が生じた場合、下位の者はそれを殺して取って変わらなくてはいけないというのが教団のルールだからだ。


シオンとしても無駄に命を散らすのは本意ではない。だが殺人教団の中で人生の全てを過ごしてきた彼にとって、教団から離れることは財産の全てを失い、無一文に身をやつすことをも意味していた。


そこから彼が「はじまりの村」に行き着くまではほんの一瞬だった。極限まで研ぎ澄ました技のほとんどを失った後で、文無しの彼に残された道はそう多くはなかったからだ。


「しかし、ほんとに案外、稼げるもんだよな」


冒険者というのは刹那的な生き物で、加えて験を担ぐ性質を持っている。要するに下手に出て金をたかるにはうってつけの相手だ。というのは、かつてこの地に潜伏したという彼の師の言葉であったが、シオンはその言葉を現在進行形で実感していた。


特に酒を飲んで気が大きくなった彼らの金離れの良さは異常で、シオンは既に三度もそこそこ中身が残った財布を投げつけられるという事態に遭遇していた。


もちろん、それは財布の持ち主が周りの仲間に自分の度量の大きさを示そうとしたパフォーマンスの面もある。だが究極的には、彼らは恐怖に恐怖しているのだ。と彼は分析していた。


明日、冒険に出た先で到底かなわない魔物に出会うかもしれない恐怖。ちょっとしたミスから連携が崩れ、致命傷を負ってしまうかもしれない恐怖。誰かの裏切りにあって危険地帯に独りで取り残されるかもしれない恐怖。要するに、己が死ぬかもしれないという恐怖。


それを直視することが怖いのだ。だから、余った金を己への投資ではなく、シオンなどに与えてしまう。


次も、その次も、未来永劫、自分には良い運がめぐってくるという自己暗示を強化するために。


それがどんな結果をもたらすかは、彼に財布を投げ与えた三人のうち二人が既に鬼籍に入っているという事実が、端的に示していた。


もう一人も時間の問題だな。シオンは自分の方にやってくる村でも最高齢に属するアイテム屋の老婆を視界の端にとらえながら、そう結論したが、だからといって残りの一人に何かをしてやろうとは微塵も思わなかった。


「よお、婆さん、また腰かい?」


馴染みとも言える老婆にシオンがそう呼びかけると、老婆はかつては男たちを一喜一憂させたのだろう栗色の瞳を細めると、痴呆など寄せ付けない辛烈な言葉を返してみせた。


「分かりきったことを聞くもんじゃないよ、さっさとそのヘボいヒールをかけたらどうだい。まったく数日毎にかからなくちゃいけないなんて、あんた魔術師にむいてないよ、さっさと辞めちまいないな」

「そこまで言うなら、自分のとこの薬草を使えばいいと思うけどね」

「はっ、店の商品に手をつけるほど落ちぶれちゃいないよ」


肩をすくめると、シオンは老婆に手をかざしヒールを発動させた。事実上、この一件で午前中の仕事は終わりだった。彼がこの村で持っているちゃんとした顧客は4人。その全員が身体で悪くない場所を見つける方が難しい老人で、残り三人の男どもは何らかの取決めをしているらしく、決まって老婆とは別の日にやってくるのだった。


「ふん、相変わらず、効いたのか効いてないのかよく分からない魔法だね」


その言葉と共にシオンに与えられたのは銅貨一枚だった。


いくら彼の治癒魔術がお粗末な代物とはいえ、適正な対価とは言えない額だ。昼の辻立ちは夜に向けての布石であって、儲けなど期待してはいないにしても、他の三人の老人たちはこの10倍は払っている。それでも彼は何一つ文句など言わなかった。


「あんたみたいな顔した奴を、50年ぐらい前に見たことがあるよ」

「一つ聞くが、婆さん。俺みたいな顔っていうのはどういう顔なんだい?」

「そうさねぇ、老い先短いあたしには関係の無い話だけど。死神みたいな顔なんじゃないかい」


この村の辻に立って三日目、老婆がシオンにそう告げてから、銅貨の枚数は一度として変わったことがないのだ。


エマ・アンファング


LV.12

職業:商人

HP 9

SP 1

STR 1

AGI 2

VIT 1

INT 20

DEX 1

LUK 27

KAR 2,0000012


「これだから人間っていうのは愉しませてくれるよ」


のろのろと去っていく老婆の曲がった背を眺めながら、シオンはそう呟くのだった。

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