一話
なんか思いついたので。
「雑魚がっ」
黒のローブですっぽりと全身をおおった痩身の青年は、祝祭の空気に酔いしれ、騒がしくも楽しげに道をゆく人々に紛れながら、侮蔑を隠さない口調でそう呟いた。
「あっ?」
不幸なことに青年の声に反応したのは、彼の前を歩いていた見るからに凶暴そうな男だった。
顔に刻まれた無数の刀傷、なめした皮で作られた鎧からのぞく発達した筋肉、真昼にも関わらずただよってくる酒の匂いが、男が今回の式典での特需に当て込んで首都へと流れてきたごろつきの一人であることを仄めかしていた。
男は周りの迷惑をかんがみずに立ち止まると、後ろを振り返り、その190センチ近くにあろうかという巨体で、彼を侮蔑した青年を見下ろした。
思いがけない展開に青年は吃驚して、しばし言葉を失ってしまった。彼は別段、自分の先を歩いていた男を貶めるつもりはなかったのだ。
「俺が何だって?」
「いや、別にお前に言ったわけじゃないんだ。気にするなよ、ハゲるぞ」
男の短く刈り上げられた髪が、不摂生な生活のために若くして薄くなってきた頭髪を隠すための処置であることは自明だったので、青年は諭すようにそう言ったわけだが、もちろん、結果は逆効果も逆効果だった。
耳まで真っ赤にした男は、青年に無造作に手を伸ばし──まるで彫像のように固まってしまった。
「これで髪の毛の心配することもなくったな」
ツルリと丸坊主になった男を見上げると、青年──シオン・マグダスは伸ばされた男の手の横を通り抜け、何事も無かったかのように歩き出した。シオンが本当に馬鹿にした対象、今回のお祭り騒ぎの原因の方へと向けて。
───
──
─
三十分後、シオンは首都の三の郭に設けられた特設会場で観衆にまみれて、今日のメインイベントが粛々と進行していくのを無感動に眺めていた。
彼の目の前にある舞台には、現在、7人の人間がいた。
その内2人は、この国の王と王妃であり、彼らが見につけている装備の見事さを抜きにすれば、今のシオンには全く興味がわかない存在だった。これは会場にいる他の人々にとっても基本的には同じことだっただろう。
何せ、今回の祭りの主役を張るために必要なのは、溢れんばかりの富の多さではなく、鍛え上げられた武の力なのである。
今日一日、台車の上に乗り王都を廻っていた人族の4人の勇者たちが、魔王討伐の成功を祈って、かの聖女から直々に祝福を与えられる。これが今回の式典のクライマックスであり、その人族の希望を一目見ようと多くの人々が、この日、この場所に集まっていた。
しかし、こんなので魔王を倒せるつもりかね。シオンはローブの中で今回の仕事のために用意された特殊なエンチャントが施されたナイフを玩びながら、人族の行く末に少しばかり思いをめぐらせた。
人族と魔族の争いは、有史以来何度も行われおり、その大半が人族の勝利によって終わったいたが、200年前から始まった今回の大戦は人族の分が悪かった。どれくらい分が悪いかと言えば、人族の王や上位貴族たちは必死にひた隠しにしているが、この200年の間に人族が失った領土は全体の三分の一ほどにも及ぶのである。
シオンが見た限り、これ以上の領土の減少は人族にとって致命的なものだった。その証拠に、既に文化の衰退が始まっているのだ。彼は趣味と実益をかねて刃物の収集を趣味としていたが、正直、ここ三十年間に作られたもので、彼の審美眼にかなう細工が施されたものは王への献上品の中にすら存在していなかった。
俺が死ぬまでもってくれれば、どうでもいい話か。わき道にそれかけた思考を、シオンは強引に打ち切った。彼をして今回の仕事はなかなかの難関なのだ。
本来ほとんど聖域から出てくることのない聖女を暗殺すること。
それが殺人教団の第一位「神殺」の称号を冠するシオンに与えられた命令だった。
標的である聖女には、その伝承に詠われる事柄以外にはほとんど情報がなく、シオンはその顔さえ知らなかった。しかし、彼は一「視」で、壇上に立つ彼女がまがうことなき聖女なのだと確信を得ていた。
何せ、それがこの世界の支える八神の一柱、邪神グゴア・プリシュレヌの最も強き加護を受けた者だけに許されたシオンの持つ特異な力の一つなのだから。
エルナ・カミール
LV.140
職業:聖者
HP 520
SP 2100
STR 15
AGI 172
VIT 48
INT 255
DEX 215
LUK 255
KAR 218,00784
シオンはそこまでで眼から流れ込んで来る情報を遮断した。
彼が視ているのは神それぞれの存在に与えた設計図のようなもので、一人の人間のそれを見尽くそうとすれば一週間は下らないからだ。とはいえ、いつもの彼であれば殺す対象を隅々まで視ないことには、仕事にとりかかったりはしない。だが今回ばかりは、このチャンスを逃せば聖女は難攻不落の聖域へと転移魔法で帰ってしまうため、彼には選択の余地がなかった。
「惜しいなぁ」
ぽろりとシオンの口から本音がもれた。
彼からしても、標的である聖女の神々しさは感銘を覚えるには十分なものがあった。加えて、今回の依頼人がエルナがこれ以上影響力を持つことを恐れた教皇本人であるという事実も、彼の想いに拍車をかけた。ある意味で、それは彼の現状の鏡合わせのようなものであったからだ。
彼は自身の所属している殺人教団に恩義は感じていたし、その教えに一定の共感も覚えていたが、教団の上層部が金さえ積まれれば、日ごろから怨敵と名指しして憚らない教会の最高責任者の依頼を何のためらいもなく受諾する糞溜であることを熟知してもいたのだ。
それでもシオンが教団の下についているのは、彼にとってこの仕事がまさに天職だからであった。
「まっ、人間死ぬときは死ぬものだよな」
暗殺のタイミングは割とあっさりとやってきた。
とはいっても、それはシオンであるから可能というだけで、
首都の構造そのものに組み込まれた聖法陣による加護、
それぞれが一騎当千の実力をもった千人の近衛兵、
周囲を囲む百人を超える魔術師による迎撃。
そして何より人族における至高の称号を与えられた四人の勇者たちに守られたエルナを殺害しようとするのは、普通に考えれば狂気の沙汰であった。
チャンスは一度。
王城の改築によって僅かに歪んだ聖法陣が作り出す、2秒ばかりの空白の時間だ。
その時間に合わせて、シオンはその場で垂直に飛び上がると、周囲にいた観衆たちの頭を彼ら自身に微塵も気取られないほどの軽やかな足取りで、ただひたすらに聖女めがけて直進を開始した。
まず千人の近衛兵は何の問題にもならない。彼らの能力では、シオンの仕事が終わるまで有効な手立てを打つことは出来ないからだ。
次に百人の魔術師たちに向けて「影縛」のスキルが発動された。
シオンをしても、安定しない"足場"の上を走りながらの「影縛」で停止させれる人数は十数人が限度だが、彼の近くにいた魔術師たちさえ止められればそれで十分だった。
事前に「視」た限り、警備に回っていた魔術師たちは、高位の術者しか習得できない「無詠唱」のスキル持ちだったが、全員が箱入りの類らしく、実戦経験のある魔術師ならまず間違いなく所持している「標的補正」のスキルを持っていなかったからだ。
移動する標的を前にして、魔術師たちは狙いを定めきれず、伸ばした手をピクピクと痙攣させるのが精々。それでも勘のいい何人かはシオンの進行速度から予測して先読みで魔術を放ったが、結果的には彼の黒い髪を少しばかり炭化させるという成果しか得られなかった。
三番目に、四人の勇者たちが暴挙を止めようと聖女の前に立ちふさがったが、
「退け」
残念なことに彼らはシオンの所持する即死スキル「一喰」を防げない程度の「雑魚」であった。
そして、最後に呆然とした表情を浮かべているうら若き聖女の胸に、彼女の特殊スキル──八神の一柱、天神ラフィーヌに最も愛された者しか所有できぬ──「聖体」の無効化がエンチャントされたナイフをためらいなく突き刺した。
こうしてシオンの仕事は完膚なきまでに完了した。
<何故ですか?>
口から紅い血をたらした聖女が「念話」を使って、シオンに語りかけてきた。
エルナ・カミール
LV.140
職業:聖者
HP 0
よし、間違いなく死んでるな。シオンは相手の死亡を確認すると、相手の「念話」に答えを返した。あまりにも殺す速度が速すぎて、生前に使用したスキルが死後に発動する。そんな英雄譚の中で謳われるような現象も、彼にとってはさほど珍しいものではなかった。
<悪いね。これが俺の仕事なんだ>
教団では任務中に対象と話すことは禁じられていたが、仕事は既に終っていたし、「念話」での意思疎通は瞬時に行われるため、行動の妨げにならない。それに半年前からこの仕事にかかりきりで、教団関係者以外と任務についての話し合いの他には全く口をきかない生活をしていたため、シオンにも鬱憤が溜まっていたのだ。
<人族が力を合わせねばならない、こんな時に?>
<そんなこと、俺の知ったこっちゃないさ。俺は俺だよ。それで十分だろ>
<哀れな。天神よ、どうかこの惨めな魂に救済を>
俺だって立派に邪神を崇拝してるんだけどなぁ。シオンは暢気にそんなことを思っていたが、次の瞬間、そんな余裕は一気に吹っ飛んでしまっていた。
聖女の身体が光を発し始めたのである。
<嘘だろ。あんた、もう死んでるじゃん。スキル打てるはずないのに>
<スキル?何のことだか分かりませんが、これはわたしの力ではなく、神の御力です>
そっか、条件付きで発動する儀式魔術の親戚だな。こりゃ、詰みだな。シオンは早々に自分の死を受け入れてしまった。
それも無理のない話で、聖女というのはシオンのような存在にとって鬼門も鬼門なのだ。
この世界の神々は、人の行いをカルマという値を用いて善と悪に分けて点数化するという極めて悪趣味な行いにふけっており、その観点からすると、同族殺しを生業とするシオンの成績は最悪も最悪だった。
ぶっちゃけた話、シオンは高位の聖職者に指で押されただけで骨折するのである。ろくな戦闘訓練も受けず教会の中に閉じこもっている聖職者など先に殺す機会が無限にあるので、シオンはそれを害だと認識したこともなかったのだが、今回は機先を制しようにもスキルの使用者が既に死んでいるのだから手の施しようがない。
「まっ、悪くない人生だったか」
光の中に包まれながら、シオンは会心の笑みを浮かべた。それは人族の歴史の中で最も多くの同類をその手で殺害した人間に相応しい表情だったのかもしれなかった。
カラン。光の中で、シオンは金属が地面に落ちるような音を聞いた。
うちの教団の教えじゃ、邪神の領域には屍しかないって話だったけどな。あの糞坊主どもめ。
金のことに目がない上役たちをおちょくる機会ももうないのか。そう思うと寂しい気持ちもなくはなかったが、今のシオンにあったのはそれ以上に期待の感情であった。
「神殺」──彼に与えられた称号が本当に己に相応しいのか。シオンは前々から死んだら、最初にそれを確かめてみたいと思っていたのだ。
だが、彼のそんな期待は脆くも崩れ去った。
白光が消えた先に立っていたのは、慈愛の笑みを浮かべた血に汚れた聖女だったからだ。
なるほどね、蘇生スキルか。やっぱ、事前情報が少な過ぎだったってことだな。すぐさま冷静に状況を分析すると、彼は何故か地面に落ちていた先ほどのナイフを足で蹴り上げ、宙でそれを掴み、聖女に再び突き刺さそうとした。
「へっ?」
シオンの行動の結果は、彼の予測を完全に裏切っていた。先ほどは簡単に突き刺さったナイフが、今度はまるで見えない壁でもあるかのように、聖女の肌の上でピタリと静止したからだ。
何だ?何をされた。駄目だ、これ以上は不確定要素が多すぎる。シオンは己の失敗を潔く認めると、即座に逃げの一手に出た。既に時間は5秒近くが経過しており、突然の勇者たちの死に愕然としていた近衛兵たちも、正気に戻ろうとしているところだった。
彼は幾百と考えていた逃亡ルートの中から、最も確度の高いものを即座に選び出すと、逃亡を開始した。
視線の先には、近衛兵が一人、仁王立ちでシオンを待ち構えていたが、勇者すら野花を摘むような気軽さで殺しうるシオンの相手にもなるはずがない。彼はただ視線で目の前にある障害物の生死を決定すると、その横を通り抜けようとして、
失敗した。
近衛兵が死んでおらず、彼の通路を塞いだからだ。
嘘だろ。驚愕しつつも、「影踏」を発動して障害を無力化すると、シオンは予定を変更して地下水道へと逃げ込むことにした。首都の地下水道から外部へと出れる場所は三箇所しかなく、逃げの策としては下の下だったが、それよりも今は自分の状態を確認することが重要だと考えたのだ。
全身を鎧に包んだ兵士たちが、身軽なシオンに追いつけるはずもなく、地下水道に潜ってすぐに彼の当座の安全は簡単に確保された。
「とりあえず、確認だな」
誰に言うでもなくそう呟くと、シオンは自分の手の中にあるナイフに己の顔を写し込ませ、彼のスキル「人別帖」を発動させた。
シオン・マグダス
LV.135
職業:マンイーター
HP 1240
SP 720
STR 0
AGI 255
VIT 132
INT 120
DEX 255
LUK 40
KAR -255,000000
「STRが0って」
シオンは自分のありえない現状に愕然とした。そこら辺を歩いている村娘だってSTRが2くらいはあるのである。そもそも本来の彼のSTRは155なのだ。これは先ほどの勇者たち四人の中で最大のSTR値が140そこそこであったことを考えれば、文句無しの値だと言えた。
それが今や0。
「とはいえ、俺の落ち度だな」
「人別帖」が人族限定ながら、そのステータス、スキル、装備の全てを見ることが出来るという極めて便利なスキルであることを考慮すれば、シオンの反省も理由がないものではなかった。
ただ「人別帖」にはその強力さ故の欠点もあり、その一つに閲覧の対象になるスキル数の膨大さがあった。
歩くのも、食べるのも、排泄するのも、全てが個別のスキルに数え上げられるため、そこらにいる村人でもスキルの数は1万に迫るのだ。聖女ともなればスキルはその総数が10万を超えており、会場で初めて実物を見てから、暗殺までの間に、彼女の所持スキルを熟知しろというのは無理がある話であった。
まして、全攻撃の無効化という極めて強力なスキルの所持者が、同時に蘇生スキルの持ち主だと想像するのは中々難しいものがある。
「いいさ。今日のところは勘弁してやる。精々、首を洗って待ってることだな」
下水道の天井を見上げて、そう啖呵を切ると、シオンは深い闇の中へと消えていったのだった。
*
三ヶ月後。
首都から遠く離れた王国の辺境域。比較的おとなしい魔族の生息域と隣接するため、冒険者たちからは「はじまりの村」などと呼ばれるその集落の四辻に一人の男が佇んでいた。
「お1つ、ヒールいかがっすかー」
粗末なボロを着込んだ男の足下には、これまた薄汚れた陶製の容器が置かれていた。
四辻の一つに建てられた酒場から何人かの酔漢たちが機嫌良くでてくると、その一人が、容器にポケットに余っていた小銭を恵んでやった。この集落では有名な話だったが、この魔術師のヒールは治りが悪く、冒険者たちのパーティは誰も彼と組みたがらないのである。
「あざーす」
男は一礼すると、小銭を放ってくれた酔漢にヒールをかけた。
やっぱ、利き悪いよな。全身にほのかな温かみを感じながら、酔漢はそんなことを思った。彼は一度だけこの辻立ちのヒーラーとパーティを組んだことがある冒険者だった。他のメンバーはこの魔術師の貧弱な回復魔法のせいで彼らのパーティが壊滅しかけたと今でも折に触れて酒場で触れ回っていたが、彼の意見は少し違っていた。
不意をうたれ、前衛二人が行動不能になった後、この魔術師が信じられないほどの幸運に恵まれて、魔族たちの攻撃を避け続けてくれなければ、今頃彼らは全員死んでしまっていたのではないかと思うのだ。
とはいえ、他のメンバーの反対を押し切ってまで、この辻立ちの魔術師を仲間に加える器量は彼にはなかった。少しばかり後ろ髪を引かれる思いを味わいながら、彼は魔術師に一声かけて先に行く酔漢たちへと合流していった。
「じゃあな、シオン。がんばれよ」
「うーす」
これは人を殺せなくなった人殺しが、救国の英雄になるまでの物語。