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Peace -平穏ー

 夕方前に雨が止むと、二人で駅前のスーパーへ買い物に行った。時間的なものと雨が上がったばかりというのが重なり、売り場は混雑していた。しかし長身のザックはかなり目立つ。買い物客の大半を占める主婦達より頭ひとつ出ているのだから。はぐれても容易に見つけることができるのだ。ザックは日本の食材を物珍しそうに眺めている。しかし金属のバットに並べられた本日の特売品である魚の粕漬けを見ている洋子の隣に来た途端、短く呻き声を上げ鼻を覆って顔をしかめた。洋子は魚はやめて肉を買うことにした。

 長い買い物を終え、部屋に戻った頃にはすっかり暗くなっていた。買った食材を冷蔵庫に詰めていると、ビニール袋の中を覗きこみながらザックが口を開く。

「アイスクリーム買ったか?」

「買ってないわよ」

「フリーザーには?」

「入ってないわよ」

真剣な顔のザックを洋子は冷ややかな目で見返した。「何か欲しい物はあるか」と、スーパーにいた時に確かに訊いたのだ。その時ザックは練り物コーナーでなるとを食い入るように見ており、全く上の空だったくせに。ザックは脱いだばかりのコートにもう一度袖を通した。

「ダメだ! 買いに行くぞ!」

 暫く言い争いをした後、結局折れたのは洋子の方だった。

「まったく……アイスクリーム、アイスクリームって、女子高生か!」

日本語で吐いた捨て台詞は、もちろんザックには通じていない。

「大体、何で店にいる時に言わないのよ?」

スニーカーを履いた洋子は、座ってブーツを履いているザックに文句を言いながら勢いよくドアを開けた。と、そこに隣の部屋に住んでいる男がいて洋子は驚いた。男の隣にいる髪を金色に染めたギャル風の彼女も目を丸くしている。危うくドアをぶつけてしまうところだったのだ。

「ごめんなさい!」

慌てて謝ると、ブーツを履いたザックが立ち上がりながら洋子を咎めた。

「まったく、ドア開ける時は気を付けろよ! 外開きなんだから」

「本当にごめんなさい……」

洋子がシュンとしてもう一度謝ると、隣人の男は笑って首を振った。

「いえ、大丈夫ですよ」

そう言うと、連れの彼女と顔を見合わせ、クスクス笑いながら通り過ぎた。


 二人は駅前のスーパーには戻らず、反対側の大通りへ向かうとコンビニエンス・ストアに入った。そちらの方が断然に近いのだ。「見てみろ、こんなに小さいぞ」と文句を言いながらも、ザックは楽しそうにアイスクリームを物色する。結局、自分が見慣れたメーカーのカップ入りバニラアイスクリームを二つ持ってレジへ向かった。その間にも陳列棚に並んだ弁当や、レジ横のおでんの鍋を興味津津で眺めている。もはやすっかり観光客だ。

「四百九十六円で~す」

明らかにやる気の無い二十歳前後の店員が、ザックの顔も見ずに言った。ザックはレジに表示されている金額を確かめると、コートのポケットに手を突っ込み、一掴み分の小銭を出して眺めた。暫く考え、小銭をコートのポケットに戻すと今度はジーンズから束ねた札を出し、一番上にあった一万円札をレジカウンターに置いた。隣で見ていた洋子が、その一万円札を取ってザックに返した。

 二人のやり取りをレジの店員が不思議そうに見ている。洋子はザックのコートのポケットを手の甲で上から叩いた。ジャラッとたくさんの金属が触れ合う音がする。大量の小銭が入っているザックのポケットに手を突っ込み、一掴み分取り出した。おそらく何でも札で払って、釣りはそのままポケットに突っ込んでいるのだろう。しかも、アメリカと日本の小銭がごちゃまぜだ。そのいい加減さに呆れてチラッとザックを見ると、腕を組んでそっぽを向き知らん顔をしている。洋子はそこから支払い金額ぴったりの小銭を選んでレジカウンターに置いた。

「ちょうどで~す」

レジの店員は相変わらずやる気の無い声で言うと、既にこの二人には興味を失くしたように、気だるそうな動作でレジの中へ小銭をしまった。

「しょうがないだろ、種類がよく分からないんだよ……」

ザックは洋子に弁解しながら、アイスクリームの入った袋を提げて出口へ向かう。


 天気予報では明日の日曜日は晴れて暖かく、レジャーにも最適だと言っている。どこかに出掛けようという洋子の提案に、ザックは手にした雑誌をパラパラとめくりながら生返事で頷いた。ザックが楽しめるような場所はどこだろうと洋子は頭を捻る。

「ねぇ。パンダって見たことある?」

嬉しそうに訊いてくる洋子にザックが顔を上げ素っ気無く答えた。

「ある。子供の頃、サンディエゴで……」

「子供の頃以来か……あれ? 今上野にパンダっていたかな?」

悩んでいる洋子を横目で見ながらザックは肩をすくめた。

「パンダはいいよ。珍しい生き物なら目の前にもいるし……」

「どういう意味? ねぇ、それどういう意味?」

洋子は食って掛かかるがザックはまるで気にせず、再び雑誌に目を落とす。それは洋子が先月買った女性ファッション誌だ。電車のダイヤが乱れ長く待たされた時、手持ち無沙汰だったので駅の売店で買ったものだった。ザックは面白くもなさそうに、写真だけをただ眺めている。今開かれているのは、ハワイのショッピングスポットを紹介したページだ。もし「ここに連れて行け」と言われたら、蹴っ飛ばしてやろうと洋子は思った。

 この男は何かを楽しむという事があるのだろうか。馬に乗る以外に。洋子は腕を組み大きく息をついた。

「せっかく日本に来て、行ってみたい所は無いの?」

ザックはベッドに寝転がると、天井を眺めた。一応どこへ行こうか考えているらしく、しばらくすると口を開いた。

「そうだな、じゃあ……ヨコハマ……」

「横浜? 横浜に行きたいの?」

 別にどうしてもそこに行きたい訳ではなかった。ただザックの頭に浮かんだ地名がそこだけだったのだ。きょとんとした顔の洋子にザックは頷いて見せた。


 次の日、朝早く家を出ると電車を乗り継ぎ横浜へ行った。賑わう街を見て回り、山下公園に着くと暖かく明るい日差しに輝く海に目を細める。陽射しは強いが、時折晩秋を思い出させる涼しい風が吹く。公園内にはカップルや家族連れなど、たくさんの人が行き交っている。もちろん初めて来る場所だが、ザックの見覚えのある景色が目に飛び込んできた。

 洋子を初めて見たのはここだった。朗の遺品の中にあった黒い船をバックに笑っている洋子の写真だ。後からそこが横浜だと知った。

「ヨーコ……」

ザックは前を歩く洋子を呼び止めた。洋子は笑顔で振り向いた。同じ場所、船を背にした同じアングル。でもその笑顔は同じではなかった。今の洋子はあの写真のようには笑わない。写真の中にいるのは自分が知らない洋子だ。でも、別にそれでも構わない。そう思った。

「どうしたの? ザック」

洋子の問いにふと我に返ったザックは公園の出口を親指で示した。

「……腹減ってきた。飯食いに行こう」

駆け寄ってきた洋子は嬉しそうにザックの腕を取った。そのまま二人は公園の出口へ向かう。

「初めてのデートね」

ザックの肩に頬を寄せながら洋子が呟く。しかしザックは眉をひそめて首を振った。

「違うよ。シルバーレイクにいた時、一緒に買い物に行っただろ。あれが初めてじゃないのか?」

「あれは買い物に付き合ってくれただけじゃないの?」

「買い物して食事してドライブしたんだ。どう考えたってデートだろ?」

子供のようにムキになって言い張るザックに洋子はクスッと笑った。

「そう……じゃあ、あれはデートでいいわ」

 しばらく歩いた後、思い出したように突然ザックが笑い出した。

「そういえば気付いてたか? 食事した時、後ろの席にビルがいたんだ」

「そうなの? 全然知らなかった……それは偶然会ったの?」

ザックが笑いながら首を振る。

「そんな訳無いだろ。証拠品とか、渡す物があって……」

「信じられない……デートの最中に上司と落ち合うなんて、そんなの聞いた事ないわ!」

睨みつける洋子にザックが言い返す。

「何だよ! さっきまであれはデートじゃないなんて言ってたくせに!」

「あなたがデートだって言ったんでしょ!」

「ああ、分かった分かった! あれはデートじゃなかった! それでいいんだろ?」 

 休日の横浜はたくさんの人でごった返していた。中華街へ続く道を二人で腕を組んだまま歩き、相変わらずの喧嘩をしていた。


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