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Return -帰国ー

 ザックが帰国する日の朝、洋子は玄関でグズグズとしていた。

「向こうの家の住所と電話番号は忘れずに置いていってね……あと、ここの鍵は……」

「何回目だよ? 分かってる。早く行かないと遅刻するぞ」

「……うん」

泣きそうな顔で頷いた洋子にザックは困った顔で溜息をついた。

「お前がアメリカに来れば、それからは嫌でも毎日一緒なんだぞ?」

「分かってるけど……」

ザックは洋子の頬を両手で包むと上を向かせた。

「大丈夫だ。次に会う時はもう二度と離れないから」

 きつく目をつぶり涙を押し留めた洋子はザックの身体に腕を回すと力一杯抱き締めた。体温と一緒にザックの鼓動が伝わってくると、洋子は安心感に目を閉じた。しかし、いつまでもこうしている事は出来ない。

 ザックも自分にしがみ付いている洋子の背中に腕を回しかけた。抱き締めようとした途端に洋子が離れ、ぎこちない笑顔を作った。

「じゃあねザック。気を付けて。またね」

ザックは回しかけた手をそのままヒラヒラと振った。靴を履き手を振り返した洋子は意を決した様子で玄関を飛び出して行った。これ以上ここにいたら、仕事に行けなくなりそうだと判断したようだ。

 洋子が行ってしまうと、ザックは部屋に戻って荷造りを始めた。


 荷物を鞄に詰め終ると、ザックはふと思った。

「さすがに何もないっていうのはマズイだろうな……」

ザックは腕を組み、下を向いて考えた。自分が着ている白いプルオーバーのシャツの襟元についている黒いビーズが付いた革紐が目に入る。ザックははさみを探し出すと、革紐を適当な長さで切った。

 ザックがベランダでタバコを吸っていると電話が鳴った。取ろうかどうしようか迷ったが、洋子からかも知れないし、関係のない電話なら日本語が通じないと分かれば切るだろうと思い電話に出た。

「ハロー?」

相手は流暢な英語でザックに応えた。ザックは訝しげに訊き返した。

「ホリイ?」


 午後になりザックが洋子のマンションから出てくると、エントランス前に停められた車の中で堀井が待っていた。

「悪いな」

乗り込んだザックが言うと堀井はにっこりと笑った。

「いえいえ。どうせ非番で暇ですから」

車が走り出し、大通りへ出たところでザックが言った。

「停めてくれ。ちょっとタバコ買ってくる」

 ザックがコンビニへ入ると、いつものやる気のない店員がやる気の無い声で「いらっしゃませ」を言う。ザックは真っ直ぐカウンターへ向かうと、タバコを指差した。店員はもうザックのタバコの銘柄を覚えており、何も言わずに一箱取った。ザックは何の躊躇も無くコートのポケットに手を入れ、小銭を一摑み出す。店員はザックの手からタバコの代金を取った。

 いつの間にか出来上がっていた無言のコンビネーション。言葉は通じなくても相手をよく観察し記憶に留めておく事でそれが可能になる。やる気が無さそうに見えても、この店員はしっかりとそれをやってのけている。ザックは笑いながら頷くと、店員に手を差し出した。

「アリガトウ」

知っていた日本語だったが、口に出して言うのは初めてだ。店員は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにはにかむように笑いザックの手を握った。

「BYE」

ザックの言葉でこれが最後だというのが分かったらしく、店員はしっかりとザックの手を握り返して小さな声で言った。

「ありがとうございました」

そしてペコッと頭を下げた。

 店員が頭を上げると、その視線は隣のレジの横に立っている堀井に注がれた。ゆっくりとザックの手を離し、堀井に向かって小さく会釈をする。

「頑張ってるようだな」

堀井に声を掛けられた店員は、小さく頷きながら口元を綻ばせた。

「はい……」


 走り出した車の中で堀井が口を開いた。

「私が少年課にいた時です。彼は薬物を服用して傷害事件を起こしてましてね。少年院を出て、今は保護観察中なんです」

「ふ~ん……」

「何とか断ち切ってくれたらと願ってますが、それが難しいことはあなたもよく知ってるでしょう?」

「そうだな……」

おそらくもう二度と会うことはないだろうあの店員が働いているコンビニエンス・ストアの看板が、遠ざかり小さくなっていくのをミラーで眺めながら相槌を打った。ハンドルを握っている堀井は軽く息をついた。

「どうなんでしょう……彼の中では、今はやめているだけと思っているのかも知れない。あなたみたいな人が近くで見守っていてくれたら、心強いんですけどね」

ザックが肩をすくめると堀井は話を変えた。

「山崎が使っていた凶器ですが、刃の根元に彫ってあったのは職人の名前です。有名な鍛冶職人が作った柳刃包丁です。奴の実家は地方で料亭をやってましてね。ま、格式の高い日本料理のレストランですね。地元の政治家や財界人なんかが利用するんです。奴はそこの次男で、家業は長男が継いだようなんですが。名門と言われる大学を出て、一流といわれている商社に勤めて、奴は板前ではありませんが道具にはこだわるのか、上京する時に親に持たされたのか。とにかく、すごい包丁であることは間違いありません」

「あれ、高いのか?」

ザックが顔を向けると堀井は前方を見たまま小さく頷いた。

「相当するでしょうね。あれ程じゃなくても、ちゃんと使える物はたくさんあります。日本の刃物は世界一ですから」

堀井の妙な自慢は無視し、あの夜包丁を手にした山崎の姿を思い浮べた。エレベーターで会った礼儀正しく温和な印象とはまるで違う、剝き出しの憤怒と狂気で歪に引きつったあの顔を。

「あいつ……前にエレベーターで一緒になった時、ロープとビニールシートを持ってるのが見えたんだ」

「それで、おかしいと思ったんですか? 奴はまだ黙秘を続けてますが、おそらく……手に負えなくなったら殺すつもりだったんでしょう」

 自分の犯した罪が破綻しそうになった時、さらに罪を犯してそれを隠そうとする。破滅的な自己防衛本能。朗も結局はその犠牲になったのだ。


 堀井はザックを合羽橋に連れて行った。珍しい調理道具がたくさんあり興味をそそられたが、ゆっくり見て回るほど時間は無い。ザックは店主に薦められた包丁を買った。再び車に乗り込むと、堀井がポケットから封筒を出した。

「あなたの怪我の治療費だそうです。あの女の子の両親からです」

「いらない」

ザックは不機嫌そうな顔で間髪入れずに断った。

「いいんですか?」

「俺に出す金があるなら、娘のために使ってやれって言っといてくれ」

「……分かりました」

堀井は困ったように頷きながら渋々封筒をしまった。

 高速に乗ると堀井はザックが包丁を買った訳を尋ねた。

「ヤマザキが持ってたやつ、切れ味がすごくてさ。欲しくなったんだ」

「あんな怪我をしておいて……転んでもただでは起きない人なんですね。あなた料理なんてするんですか?」

「ああ、今は親父と二人だから大体俺が作ってる。あと、シルバーレイクにいた時もほとんど飯は俺が作ってたんだ。一応、ホテルの管理人てことになってたから。客はあいつ一人だけだったけど」

ザックが笑うと堀井も微笑を浮べた。

「ほとんどって言うのは、彼女も作ったって事ですか?」

「ああ、二回かな。作らせたんじゃない。あいつが自分から作ったんだ」

「何か楽しそうですね。彼女は、それで後藤朗を忘れることが出来たんですかね。あなたと出会って」

それまで楽しそうに話していたザックだったがしばらく黙った後、思案気に口を開いた。

「あいつが忘れるって事はないだろうな……別に、忘れる必要もないんじゃないのか?」

「そうですか。あなたはずい分寛大ですね」

ザックは肩をすくめた。そんな事は言われた事が無いし、自分で思ったことも無い。それに洋子が聞いたら笑い飛ばすだろう。

「別に。あいつと初めて会った時、既にアキラはいたんだ。俺はアキラの事そんなに嫌いじゃないし……会ったことは無いけど。それに、心の中にアキラのいないあいつを愛せたかどうかも分からない」

「複雑ですね……」

堀井は首を傾げながら、この男は器が大きいのか小さいのか、どちらなのだろうと考えていた。

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