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Perjury -偽証ー

 病室から出てきた洋子は話し込んでいる二人に近づくと、ザックが持っている紙を手に取った。見ると、あの悪夢の夜の写真があったことに洋子の心臓が一瞬大きな音を立てた。何故こんなものをザックと堀井が見ているのか理解に苦しんだ。深く息をつき冷静になろうと試みるが、動かないザックを置いて店を出されたあの時の悪夢が甦ってくる。

 隣に立つザックは口を一文字に結び、気遣うような目で自分を見ている。洋子は再び新聞の記事に目を落とした。

「一年前の人身売買取引の現場です。憶えてるでしょう?」

堀井が日本語で洋子に訊いた。

「これ、ザックが撃たれた時の……」

洋子が呟くと堀井が頷いた。

「そうです。ここにあなたもいたんですよね?」

洋子は顔を上げると首を振り、英語で答えた。

「いえ。私はこの時、ザックの実家にいたんです。彼のお父さんと一緒に、彼の帰りを待ってました。そういう約束でしたから……ザックは帰ってこなかったけど……」

洋子は寂しそうに俯いた。嘘をついているつもりはなかった。この一年間、ずっとザックを待っていたのは事実だからだ。

 洋子が堀井に説明するのを聞きながらザックは腕を組んで壁にもたれた。堀井は眉をひそめて洋子を見ている。その時、病院の受付からザックの名前が呼ばれた。ザックは無視しようと思ったが、二回目に呼ばれると仕方なくその場を離れ、受付に向かった。

 ザックがいなくなると堀井が洋子に向き直った。

「恋人が瀕死の状態でよく帰れましたね? 何か不自然じゃないですか?」

洋子はためらいがちに首を傾げて苦笑いをした。

「あのー……ザックは私の事恋人だって言ったのかも知れませんけど……私はあの時は別に、彼のこと恋人だとは……」

「はっ?」

堀井が驚いた顔で洋子を見た。洋子は悪戯っぽく笑い出した。

「だって、旅行中のことだし私も色々寂しかったし……彼、ちょっとカッコいいじゃないですか。それで……」

「あ、遊びのつもりだったんですか? そ、そんな相手と結婚して外国で暮らすつもりですか?」

「彼がここまで追いかけてきたのはびっくりですけど、そこまで思われてたら悪い気はしないし、私も恋人がいる訳じゃないし……」

ザックが受付から戻ってきたが洋子は笑ったまま喋り続ける。

「私には結婚を反対するような親もいないし、そういう人生もありかな~って……」

「あ、ありかな~って?」

堀井は洋子の隣にいるザックをチラチラと見遣る。洋子がにっこりと笑った。

「大丈夫ですよ。彼、日本語分かりませんから」

そのザックが不満げに口を開いた。

「金持ってくるの忘れてさ、今度、抜糸の時に払うんだけど相当取られるだろうな……ヨーコ、言っておくけど、俺と結婚したって金なんか無いからな」

「何よ、今さら……」

「ただでさえシルバーレイクでヨーコと遊んで使った金が、退職金から引かれてるっていうのに……」

「遊んでた?」

堀井が眉をひそめた。洋子が呆れて腕を組んだ。

「あんなに豪華な食事したり、高いワイン買うからよ」

「豪華な食事に高いワイン?」

この二人は殺人があった町で何をしていたのかと、堀井は口をポカンと開けている。そんな様子にも構わず、洋子はザックに笑顔を向けた。

「でも大丈夫よ。私好き嫌い無いから。お腹空いたら蛇でもトカゲでも、何でも食べられるわよ」

「バカにすんなよ、そこまでじゃねえよ……」

ザックは不機嫌に口を尖らせたが、その子供っぽい仕草に洋子はクスクスと笑い続ける。

 その時ロビー中に大きな泣き声が響いた。声のした方に目を向けると、先ほど運ばれてきた男の子の父親が、泣いている赤ん坊をあやしながら姿を現した。赤ん坊は顔を真っ赤にして泣いているが、父親の表情は明るい。腕の中の我が子を揺らしながら話し掛けている。

「よしよし、お兄ちゃん、良かったなぁ……」

それを聞いて洋子が微笑んだ。ザックも父親の表情で理解したらしく、元気に大きな声で泣いている赤ん坊を見ると口元を少し綻ばせた。

「ヨーコ、帰るぞ」

「あ、よろしければ車で送っていきますよ」

堀井が申し出るとザックは素っ気無く答えた。

「結構だ」

「そう言うと思ってました。お大事に」

 洋子と一緒に歩き出したザックが突然足を止めて振り向いた。

「ホリイ、頼みがあるんだけど。ヤマザキが持ってたナイフのこと調べてくれないか? 刃の根元に、何かの漢字が彫ってあったんだ」

「ええ。お安い御用ですよ」

踵を返して去っていく二人の後姿を眺めながら、堀井は息をつくと肩をすくめた。

 ザックと洋子が救急搬入口の手前まで来た時、外に停まったタクシーから中年の男女が降りてきた。あの女の子の両親だと二人にはすぐ分かった。警察が言っていた住所の割に随分時間が掛かっていたが、その理由もすぐに分かった。夜中に呼び出されたにしては、二人ともきちんとした身なりをしている。母親にいたっては化粧までしていた。すれ違った時、財布をバッグにしまいながら母親の呟く声が聞こえてきた。

「……まったく、どこまで迷惑掛けるの……」

 無言のままザックと並んで歩きながら、洋子は首を巡らせてその二人を目で追った。真っ直ぐに少女の病室へ入るかと思ったが二人はその手前で立ち止まり、前からやって来た医師に深々と頭を下げている。洋子は二人から目をそむけると前を向いた。

 外に出るとまだ暗かったが、東の空にうっすらと光が見える。停まっているタクシーを見てザックが洋子に訊いた。

「金持って来たか?」

「あ! 持ってきてない。どうする? 堀井さんに送ってってもらう?」

ザックは難しい顔でしばらく考えてから、意を決したように洋子の手を引いた。

「歩くぞ」

「三、四キロあるけど……ま、いっか。どうせ休みだし……」

二人は薄闇の中を歩き出した。吐き出す息が白い。明け方の空気は澄み渡り、そして刺すように冷たかった。病院の敷地を出てすぐの交差点。信号を待ちながら震えていると、ザックが洋子を抱き締めた。驚いた洋子は出来る限り頭を巡らせて周りを見渡す。歩道に人影は無く、車道にもまばらにしか車は走っていない。それでもここは外なのだ、洋子は恥ずかしくなり身体をよじらせた。

「ちょ、ちょっと! こんな所で……」

「仕方ないだろ! 寒いんだよ!」

ザックはフード付きのトレーナー一枚に、膝下丈のジャージを穿いている。洋子はタンクトップの上にジップアップのパーカーを羽織り、スェットパンツと素足にサンダルだ。ザックの足元を見るとやはり素足で、洋子の突っ掛けを履いていた。踵がほとんど出ている。

「ねぇ! 私のサンダル! 広がっちゃうじゃない、そんなでかい足で履いて!」

「残念だな、もう広がってるよ。俺、ブーツしか持って来てないんだよ」

信号が青に変わると、二人は互いに身体をぶつけ合いながら跳ねるように歩き出した。


 洋子の部屋に着いた頃にはすっかり明るくなっていた。隣の山崎の部屋には数人の警察が出入りしている。

 風呂につかったザックは浴槽の縁から頭を出し、洋子に髪を洗ってもらっていた。パーカーの袖を肘まで、スェットパンツを膝までまくった洋子は溜息混じりに尋ねた。

「毎日私に洗わせるつもり?」

ビニール袋で覆った右手を浴槽の縁から離し、洋子の目の前で振りながらザックが答える。

「抜糸が済むまでな」

「流すわよ」

洋子はシャワーの湯でザックの頭の泡を流した。ザックの濡れた髪をバスタオルで拭いながら、先程の看護師の事を思い出した。こうして患者の身の回りの世話をする。きっとこういうわがままな患者も多いのだろう。その苦労が少し分かるような気がした。

「ナースって大変な仕事よね」

「ナースか……」

頭を上げたザックは浴槽に寄り掛かり、バラの香りの湯に身体を沈めて呟いた。

「あなたも入院中は、若くて可愛いナースのお世話になったんじゃないの?」

洋子のからかうような口調にザックは唇の端を歪めて短く笑った。

「俺の担当のナースは怖かったぞ。身体の大きなおばちゃんでさ、一度大喧嘩したんだよな……」

「ナースと喧嘩? 何で?」

「病室でタバコ吸ったのが見つかって、すげえ怒られてさ。こっちも言い返したら、挙句の果てには怪我してる肩叩きやがって……また気絶したんだ」

洋子が呆れた。

「そんなの自分が悪いんじゃない」

「身体が起こせるようになるまで我慢してたんだよ。そういえば……ヨーコ、お前病院に来たのか?」

「そんな訳ないじゃない。あなたがどうなったのかも知らされなかったのよ」

ザックが不思議そうな顔をした。

「そうだよな……喧嘩した時にナースが言ったんだ。『そんなだからヨーコに捨てられるんだ』って。何でお前の事知ってたんだろうな? あのナース……」

洋子も不思議に思い腕を組んで考えた。

「きっとうわ言で私の名前を呼んでたのよ」

洋子にそう言われてザックは思い出した。混濁する意識の中で見ていた夢を。


 ザックはシルバーレイク・タウンを駆け回っていた。いなくなった洋子を捜しているのだ。いつもより鬱蒼とした木立を抜け、湖畔に出てみるとそこに洋子がいた。湖の方を向いて立っている。

「ヨーコ!」

ザックが呼びかけると洋子が振り向いた。その顔は涙で濡れている。ザックと目が合うと、涙が流れたまま微笑んだ。

「サンキュー、ルーク」

それだけ言うと洋子は再び湖の方を向き歩き出した。

「ヨーコ! ダメだ!」

慌ててザックは叫んだ。

「その湖は危ないから、入っちゃダメだ! 俺は感謝されるような事はしてない! 戻れ!」

ザックの声が聞こえないのか、洋子は振り向きもせずに湖の中へ入っていく。連れ戻したいのに身体が動かない。ザックは何度も何度も名前を呼んだ。

 目が覚めて病室の白い蛍光灯の明かりが見えると、自分が生きているのか死んでいるのか、洋子は生きているのか死んでしまったのか分からなくなって混乱することがあった。怪我から回復した後も日本に来ることを迷っていたのは、もしかしたら洋子はもうどこにもいないかも知れないという思いに囚われていたからだ。


 ザックは濡れた髪をかき上げて首を振った。

「それはないな……」

「そうかしら?」

洋子は腕を組んで立ち、ニヤニヤと笑いながら自分を見下ろしている。その姿が癪に障った。

「ないって言ってるだろ」

ザックはすぐ横にあるシャワーの栓を捻った。勢い良く湯が噴出し、その下に立っている洋子にまともに掛かった。洋子が悲鳴を上げるとザックは大笑いした。

「何するのよ! 風邪引くじゃない!」

洋子が慌ててシャワーの栓を止めると、ザックに手首を摑まれ浴槽の中へ引きずり込まれた。大きな水しぶきを上げて、服を着たまま浴槽に落ちた洋子はザックを睨みつける。

「本当にひどいわね!」

「風邪引かないようにしてやったんだよ」

ザックが笑いながら言った。

「信じられないわよ! あなたって……」

猛然と怒り出した洋子の顔の前にザックが指を立てた。

「静かにしろよ。隣の部屋じゃ警察が仕事してるんだぞ。不謹慎だろ」

「何よそれ!」

不満そうな洋子にザックが声をひそめた。

「そういえば、昨夜隣の部屋に入った時、女物の変なコスチュームみたいなのがたくさんあったぞ」

「やだ……」

洋子が眉をひそめた。

「一つお前に似合いそうなのがあったな……」

「えっ?」

「スカートの丈がこんなに短くて。で、胸の辺りがこうガバッと……」

ザックは手振りを交え、洋子の耳元でヒソヒソと説明する。途端に洋子は嫌な顔をして大きな声を上げた。

「不謹慎はどっちよ!」



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