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Crossing -交差ー

 突然泣き声とも叫び声ともつかない大きな声が響いた。少女が目を覚ましたのだ。ザックと洋子が病室へ目を向けた。少女はベッドから起き上がり、取り乱して泣き叫んでいる。看護師が数人ベッドへ駆け寄った。

「どうして? どうして?」

少女は誰かを責めるような声を上げた。

「死にたかったのに! 死なせて! 死なせて!」

 心配そうに見つめていた洋子は、その言葉を聞いて打ちひしがれる思いになった。虚しさが胸に込み上げてくる。

「彼女は何て言ってる?」

尋ねてきたザックに目を向けたがすぐに逸らした。言えるわけがない。あの少女が死にたがっているなどと。ザックのした事が何の意味も持たなかったなどと。

「どこか痛いんじゃないかしら……苦しがってる……」

震える声を必死に絞り出し洋子はごまかした。するとザックは射抜くような目を向けた。

「ヨーコ、嘘をつくな。『I WANNA DIE』彼女はそう言ってるんじゃないのか?」

洋子は俯いた。言葉は分からなくても、彼女の様子や声の調子で分かるのだろう。この男にごまかしなど利かない事は分かっていたはずなのに。洋子は自分の迂闊さに後悔し、俯いたまま頷いた。「ふざけな……」

ザックは奥歯を軋らせながら呟くと立ち上がり、泣き叫ぶ少女がいる病室へ向かって足を踏み出した。洋子は慌てて立ち上がり、ザックの前に立ちはだかる。

「や、やめて。ザック!」

「何が死にたいだ! ふざけやがって……どけ、ヨーコ!」

洋子はザックの胸に手を当て必死で押しとどめようとした。ザックは洋子の肩を摑み、少女がいる病室を睨みつけている。洋子が声を抑えて叫ぶように言った。

「あの子は、あの男にレイプされてるのよ! 多分、何度も。男のあなたが行ったって怖がるだけだわ!」

そんな事などザックにも分かっているはずだと気付き、それ以上言葉を繋げられずに激しく鼓動を打っている広い胸に額をあてた。ザックは足を止めたが、まだ視線は泣き叫び看護師になだめられている少女へと注がれている。洋子が着ているパーカーの肩の生地を握り締めると、ザックは強い口調で呟いた。

「死にたいなんて、二度と思うな!」

その言葉が洋子の胸に重くのしかかってくる。

 搬入口がにわかに騒がしくなった。救急車が停まり、病棟から看護師が駆けていく。すると三歳か四歳ぐらいの小さな男の子を抱いた救急隊員が小走りで入ってきた。看護師が隣を併走し、指を差して処置室へ促す。ザックと洋子は壁際へ退いた。男の子は喘息の発作を起こしたらしく、苦しそうに息を喘がせ意識も虚ろのようだった。

 その後ろから目に涙を溜めた男の子の母親らしき若い女性が走ってくる。スウェットの上下にダウンコートを羽織り、取り乱しそうになるのを必死で抑えているようだった。そしてタオルケットにくるまれ、すやすやと眠る小さな赤ん坊を抱いた父親らしき男性が、やはりパジャマの上にジャンパーを羽織った姿で追いかけていく。少女をなだめていた看護士達も、一人を残して医師と一緒に男の子が運ばれていった処置室へ向かった。

 そこは命の交差点だった。危険に晒された幼い命。助けて欲しいとすがる家族。命を助けようと駆け回る救急隊員や、医師や看護師達。その傍らでは、助かった命を放棄したいと泣き叫ぶ少女がいる。

 放棄された命を助けてしまったザックは長椅子に座り、男の子が運ばれ看護師達が次々に消えていく廊下の角を見つめる。洋子もザックの隣に浅く腰掛けた。

「ザック……あなたがした事は、間違ってないわ」

慰めるような洋子の言葉にザックは顔をそむけた。この男がそんなものを求めていないのを知っている洋子は続ける。

「でもね、あなたがそんな怖い顔して、しかも英語で説教したところであの子に伝わると思う?」

「だろうな……」

ザックは顔をそむけたまま自嘲気味に短く笑った。

 搬入口の方に目を向けていたザックが突然溜息をついた。堀井が入ってきたのだ。受付の警備員に手帳を見せ、ザックの姿を認めると笑顔で手を上げ近付いてきた。

「どうも、フェアストーンさん。また、あなただと聞いて寄ってみました」

「容疑者のところに行かなくていいのか?」

「あいにく私の管轄じゃないんで。というか、あなたに確認したい事があったものですから」

ザックは面倒くさそうに立ち上がると、洋子が座っている長椅子から離れた。

 洋子は自分から離れていくザックと堀井を見送ると少女の方に目を移した。少しは落ち着いたのか、今では顔を両手で覆いしゃくり上げている。洋子は立ち上がり、少女がいる病室へ歩み寄った。

 病室へ入って行く洋子の姿を見ていた堀井は、壁に寄り掛かっているザックに顔を向けた。

「あなたの周りはトラブルが絶えないですね」

「何言ってんだ。俺が何かしてる訳じゃない。トラブルが向こうからやって来るんだよ」

さも迷惑そうに言い放ったザックに堀井は静かに頷いた。

「そうですか。日本はもっと治安が良いと思ってたでしょう? でも実際はこんなものですよ。人がひしめき合うように暮らしているのに、薄い壁一枚隔てた向こうで何が起きているか分かったものじゃない。あ、でもニューヨークに比べたら大した事無いですか?」

反応を探るような堀井にザックはうんざりした目を向けた。

「そんな事まで調べたのか……いったいあんたに何の得がある?」

「すみません。気になった事は調べてみないと気が済まないんです。趣味なんですよ。でも、ちゃんと勤務時間外でやってることですから。それにしても、よく気が付きましたね」

堀井はベッドの上で俯いて泣いている少女に目を向けた。ベッドの傍らには看護師が立っており、その反対側では洋子が椅子に座っている。ザックもそちらへ目を向けた。

「誰だって気付くさ。注意深くしてれば……」

「なぜそんなに注意深いんですか? あなたは一年振りに恋人と再会して、結婚が決まったばかりでしょ? もっと浮かれててもいいんじゃないですか?」

ザックは肩をすくめて素っ気無く答えた。

「浮かれてるよ。充分……」

「彼女のせいですか? さっきあなたの周りはトラブルが絶えないと言いましたが、本当は違うんじゃないですか? トラブルを呼び込んでいるのは、彼女の方なんじゃないですか?」

質問の意図が分からずザックが怪訝そうな顔をした。

「ヨーコが? あいつは何も……」

「ええ、そうです。フェアストーンさん、あなたと私では国も違うし扱っている事件も違う。でも同じ法の番人としては、私の方がずっとキャリアが長い。そのことは自負させて下さい。長くこの仕事をしているとね、段々分かってくるんです。そういう人間がいることに。もちろんその人が悪い訳じゃない。だけど、その人の周りにはトラブルが付きまとう。星回りって言うんですかね……」

ザックは黙ったまま無表情で堀井を見ていた。堀井は続ける。

「本当はあなたも気付いてるんじゃないですか? 彼女の星回りが変わったのは、二十歳の時ですかね?」

ザックの目が険しくなったが、堀井は相変わらず穏やかな笑みを崩さない。

「この前、彼女と後藤朗が同級生だと言いましたよね。でも、ただの同級生じゃない。……今はあなたの婚約者ですから、気分の良くない話だと思いますが我慢して下さい。二人は結婚間近だった。あなたはもちろんご存知のはずです」

「いったい何が知りたいんだ?」

ザックが痺れを切らして声を上げた。ようやく堀井は笑みを消し、鋭い眼差しをザックに向けた。

「私が知りたいのは、一年前彼女の身に起こったことです」


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