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20:夜九時、帰国した大蔵大臣は理由を語らない

一九八一年(昭和五十六年)九月十六日(水)午後九時。


ニュース番組は、予定を一つ飛ばして始まった。


「続いて、臨時ニュースです」


アナウンサーの声が、わずかに硬い。

画面に切り替わったのは、成田空港の到着ロビーだった。

人影の少ない通路。遠巻きのカメラ。赤色灯の反射。


「フランスから帰国した**渡辺美智雄**大蔵大臣が、

 本日夕方、成田空港で体調不良を訴え、病院に搬送されました」


“帰国した”。

その言い切りが、重い。


「関係者によりますと、

 到着後まもなく意識がもうろうとし、

 その場で救急対応が行われたということです」


映像は切り替わる。

ストレッチャーの影。

周囲を囲むスーツの背中。顔は映らない。


「政府関係者は、

 過密な外遊日程による疲労の可能性が高い、

 と説明しています」


疲労。

便利で、何も説明しない言葉。


アナウンサーは、原稿を一行飛ばした。

書かれていないから、読めない。


「なお、詳しい容体については公表されていません」


一拍。


「感染症などの情報は入っていない、とのことです」


その一文だけが、

なぜか丁寧に置かれた。


スタジオは深追いしない。

専門家も、解説も出てこない。

掘らせない編集だった。


だが、違和感を拾う人間はいる。


編集室。

社会部の若い記者が、モニターを見たまま言った。


「……帰国直後、空港で倒れる“疲労”って、あります?」


デスクは答えない。

答えない、という判断をした。


「それに――」


記者は声を落とす。


「今日は、厚生省のコメントが

 やけに揃ってません?」


デスクは灰皿にタバコを押し付けた。


「嗅ぐな。

 今は、な」


だが、嗅いだあとの沈黙は止められない。


同じ時間。

厚生省の一室。


テレビの音は消され、

画面の光だけが壁を照らしている。


涼子は、立ったまま見ていた。


帰国。

男性。

年齢。

そして――空港。


海外報告で見た経過が、

日本の現実に重なっていく。


石本は、腕を組んだまま言った。


「これで、

 “海外の話”ではなくなりました」


「はい」


「しかも、成田です。

 水際で倒れた」


石本は、ゆっくりと息を吐いた。


「官邸は、

 “過労”で押し切ろうとするでしょう」


涼子は、画面から目を離さなかった。


「……でも」


「ええ」


石本は、短く頷く。


「マスコミは、

 “理由のない倒れ方”を覚えました」


ニュースは、次の話題へ移る。

スポーツ、天気、何事もなかったように。


だがこの夜、

多くの人が胸のどこかに残した。


帰ってきて、倒れたという事実を。


それは、

続報を呼ぶ沈黙だった。

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