18 :扉の向こうの急変
一九八一年(昭和五十六年)九月十六日(水)夕刻。
会議が再開された直後だった。
「当面は、成田と羽田の検疫を――」
医務局長の声が、途中で止まった。
扉の外。
廊下を走る足音が、はっきりと聞こえた。
規則正しくない。秘書のものでも、通常の職員のものでもない。
扉が、控えめとは言えない強さで叩かれる。
「失礼します」
入ってきたのは、官房秘書課の若い職員だった。
顔色が、異様に白い。
「……先ほど搬送された大臣ですが」
その言い方で、全員が察した。
「容体が変わった」と言う前提でしか、続かない声だった。
「意識レベルが低下しています。
血圧が急に下がり、呼吸も不安定に」
誰かが、椅子をきしませた。
「感染症病棟への移送を検討している、と……」
厚生大臣が、思わず立ち上がった。
「待て。
――感染症、だと?」
言葉の選び方が、遅れた。
もう、取り繕う余裕はなかった。
職員は、唇を一度噛んでから続けた。
「医師が……
“通常の急変ではない”と」
会議室の時計が、やけに大きく鳴った。
石本は、立ち上がらない。
ただ、机に置いた両手の指を、ゆっくりと組み直した。
「同行していた秘書官は」
「軽い発熱があります。
現在、別室で経過観察中です」
その一言で、部屋の温度が下がった。
外遊。
同行者。
発熱。
誰も、口に出さなかったが、
“線”が頭の中で一本に繋がった。
涼子は、無意識に資料を見下ろしていた。
そこにある数値は、まだ「仮」のものだ。
だが、同じ経過を、海外の報告で見ている。
――急変は、予兆のあとに来る。
厚生大臣が、低く言った。
「……助かるのか」
答えられる者はいなかった。
沈黙の中で、医務局長が、ようやく声を出す。
「現時点では……
対症療法しか」
その瞬間、
「対症療法」という言葉が、
あまりにも無力に響いた。
石本が、静かに言った。
「――会議を続けましょう」
全員が、石本を見る。
「今、止めても、何も良くなりません。
むしろ、ここで決めないと、次に倒れる人間が増える」
それは、脅しではなかった。
事実の提示だった。
厚生大臣は、椅子にゆっくりと座り直した。
さっきまでの「想定」が、すべて崩れている。
「……時田君」
涼子が、顔を上げる。
「この病気は……
政治家も、例外じゃないんだな」
「はい」
短く、しかし逃げない声だった。
「年齢、性別、立場。
――関係ありません」
嘘だった。
性別は、関係がある。
だが、それを言うには、まだ早い。
会議室の外では、誰かが電話口で声を潜めていた。
救急病院。官邸。秘書官。
情報は、もう止まらない。
厚生大臣は、深く息を吐いた。
「……これは、“もしも”じゃないな」
誰も否定しなかった。
この瞬間、霞が関は理解した。
病気は、もう廊下まで来ている。




