第11話: 教育委員会・学務課 田所信夫(若手)視点 2
受話器の向こうで、呼び出し音が二度鳴り、乾いた事務的な声が出た。
「はい、市保健所、総務です」
田所信夫は、背筋を伸ばしたまま名乗った。
「教育委員会、学務課の田所です。市内の学校の欠席状況について、ご相談がありまして」
一瞬の間。
相手が“相談”という言葉を咀嚼しているのが分かる。
「欠席、ですか。風邪の流行でしょうか」
その口調は穏やかで、どこか距離がある。
田所は、胸の奥が冷えるのを感じた。
「それが……少し偏りがありまして。教員、生徒ともに、男性に集中しています」
「偏り、というのは?」
保健所職員の声は、まだ日常の範囲にある。
「女性は、ほぼ全員出ています。学校によっては、男性教員が複数名欠けて、授業が回っていません」
受話器の向こうで、紙をめくる音がした。
メモを取っているのか、それとも形式的に聞き流しているのか、分からない。
「医療機関からは、特に変わった報告は上がっていませんね。
高熱や集団感染が確認されていなければ、通常の欠勤として――」
そこまで聞いて、田所は思わず口を挟んだ。
「“通常”では、ありません」
自分の声が、少し強くなったのが分かる。
「すでに、市内で複数の学校が、自習で回っています。
担任が不在、代替も足りない。
このまま増えれば、学級閉鎖では済まなくなる」
沈黙。
ほんの数秒。
だが田所には、それが妙に長く感じられた。
「……授業が、回らない?」
保健所職員の声が、わずかに低くなった。
「はい。
病名は分かりません。でも、“学校が崩れ始めている”のは事実です」
言い切った瞬間、田所は自分でも驚いた。
これは説明じゃない。
訴えだ。
再び、紙の音。今度は速い。
「具体的には、どの程度ですか」
「教員欠勤、男性が八割以上。生徒欠席も男子に集中しています」
「……女子は?」
「ほとんど出ています」
その一言で、空気が変わった。
電話の向こうで、椅子が軋む音がした。
誰かが立ち上がったのかもしれない。
「少し、お待ちください」
保留音。
無機質な電子音が、田所の耳に流れ込む。
田所は、受話器を握る手の汗に気づいた。
机の上には、欠席者一覧。
男の名前が、ずらりと並んでいる。
――これを、ただの風邪で済ませるつもりか。
保留音が切れた。
「お待たせしました。
こちらでも、学校関係の欠勤について、確認を始めます」
先ほどより、はっきりした声だった。
「医療機関への聞き取りと並行して、状況を共有してください。
特に、“授業が回らない学校”が出た場合は、すぐ連絡を」
田所は、息を吐いた。
「分かりました」
受話器を置いたあと、しばらく立ち上がれなかった。
病名は、まだない。
原因も、分からない。
それでも。
学校が崩れる。
その現実だけが、人を動かした。
田所は、ふと考えた。
医療は、病気を診る。
だが社会は――崩れ始めた場所から、異常を知るのだと。
そして今回は、それが「教育」だった。
静かな庁舎の中で、田所は初めて確信した。
これはもう、学校だけの問題ではない。




