第10話: 教育委員会・学務課 田所信夫(若手)視点
田所信夫は、腕まくりをしてファイルを開いた。
市内の小中学校、高校――全校分。教職員の欠勤、生徒の欠席、学級閉鎖の有無。
それを「教育委員会として把握しろ」という指示が、上から落ちてきたのは今朝だ。
誰も言葉にしない。だが全員、薄く察している。
――これは、風邪じゃない。
「田所くん、電話の内容、記録しておいて。学校名、欠席者の内訳も」
「はい」
課長の声も、どこか硬い。
田所は受話器を肩に挟み、用紙にペンを走らせた。
「二中、教員欠勤……男性が四名、女性は……ゼロ。生徒欠席、男子が十二、女子は二。学年は……二年に集中」
ゼロ、という言葉が妙に喉に引っかかる。
たまたま。偶然。偏り。そういうものだと、自分に言い聞かせたい。
だが、次の電話も。
「三小です。担任が二名休みで……どちらも男性です。女性教員は、全員出ています」
「生徒は?」
「男子が多いです。女子は……ほとんど」
四小も。五中も。
どこも、同じように「男が倒れている」。
田所はペン先を止めて、紙の端に小さく書いた。
男/女
そして、数を足していった。
――見え始めた線が、怖かった。
昼前。
市内の学校をひと通り集計した時点で、田所の指は冷たくなっていた。
教職員の欠勤者。
その八割以上が男性。
生徒の欠席も、男子が目立って多い。
そして――
「……女性、ほぼ出てる……?」
口から漏れた声が、自分の耳に刺さった。
机の前の同僚が怪訝な顔をするが、田所は笑えない。
田所は「普通の職場」を思い浮かべた。
市役所。工場。商店街。
欠勤の偏りは多少あっても、ここまで極端にはならない。
普通の職場では、男女の発症頻度は目立たない。
むしろ、体力的に無理をする人が倒れる、程度の差だ。
だが学校は違った。
学校は、女性が多い。
その分――「男だけが欠ける」異常が、露骨に見える。
つまり。
見えていなかっただけで、社会のどこかでも同じことが起きている可能性がある。
ただ、職場の男女比が均等なら、“偏り”が統計に埋もれてしまう。
田所の背中を、冷たい汗が伝った。
「……これ、教育の問題じゃないだろ」
教育委員会で扱う案件ではない。
不登校でも、学級崩壊でも、インフルエンザでもない。
もっと――厄介なものだ。
「田所くん、どうした?」
課長がファイルを覗き込む。
田所は、躊躇した。
言っていいのか。
言えば、庁内がざわつく。
しかし、黙っていれば、学校は崩れる。
田所は喉を鳴らし、言葉を選びながら報告した。
「……市内の欠勤・欠席、男性に偏っています。教員も生徒もです」
「……偏り?」
「はい。女性は、ほとんど出ています。学校は女性比率が高いから、余計に目立ちます」
課長の顔が、わずかに白くなる。
その表情が、田所に「正しい恐怖」を教えた。
これは偶然じゃない。
「……保健所に、連絡しろ」
課長は低い声で言った。
「ただし、“風邪の流行”という言い方でな。余計な騒ぎを起こすな」
――騒ぎを起こすな。
つまり、騒ぎになる種類の話だと、課長も理解している。
田所は頷いたが、手は震えていた。
受話器を取る。番号を押す。
その指の感覚が、どこか現実離れしていた。
電話がつながるまでの数秒が、やけに長い。
田所の視界の端で、「欠席者一覧」の紙が、風もないのに少しめくれた。
まるで――誰かが、そこにいるみたいに。




