第三話 機動部隊の恐怖
8月9日 13時28分
「輸送船2隻、駆逐艦1隻沈没、輸送船3隻大破とのこと」
「攻撃には複数の単発機が参加していたそうです!」
「日本の空母だ! また日本の空母だ!」
アメリカ海軍第61任務部隊司令部は半ば恐慌状態となっていた。ガ島沖の輸送船団からの被害報告が入る度、彼らは作戦が失敗に終わるのではないかという疑念を強めていった。
任務部隊指揮官フランク・フレッチャー少将は終始顔を青くしていた。彼からすれば最悪の予想が的中してしまったからだ。
(やはり作戦実行は時期尚早だった……日本海軍機動部隊を壊滅させずしての攻勢は無理だったのだ……)
TF61は空母「サラトガ」「ワスプ」を有する有力な空母機動部隊である。まともに戦えば第四航空戦隊を圧倒できるはずの部隊だ。しかし、戦場における誤認と恐怖がTF61の退避という結果を招いてしまった。
反攻作戦「ウォッチタワー作戦」——海兵師団によるガ島への上陸が開始された時点で、日本海軍空母機動部隊がやってくるという懸念はあった。特に珊瑚海、ミッドウェーで敗北したフレッチャーは日本空母の脅威を——やや過剰なまでに——意識していた。
8月7日、ラバウルの第二十五航空戦隊によるガ島沖輸送船団への攻撃が実施されるとその疑念は強まった。攻撃に零戦や九九艦爆が参加していることから、TF61司令部は付近に空母がいると確信した。ラバウル方面に空母1隻がいるとの情報もこの判断を後押しした。
そして8月8日、空母2隻がラバウルに向かっている、との情報がもたらされた。これをTF61司令部は「付近に遊弋する空母機動部隊への増援である」と判断、フレッチャーは空母群の退避を主張した。
しかしながら、この判断は全くの誤りであった。7日の空襲に参加した零戦と九九艦爆ははるばるラバウルから飛来したものであり、ラバウル方面にいた空母は航空機輸送を行っていた特設空母「八幡丸」であった。そして、8日に発見された空母は四航戦の「龍驤」「隼鷹」であった。「有力な空母機動部隊」など存在しなかった。
結果としてTF61は存在しない空母機動部隊に怯え、血眼となって捜索していたのである。
8日のフレッチャーの退避は水陸両用艦隊(第62任務部隊)を率いるリッチモンド・ターナー少将の強い説得によって撤回された。ターナーは、TF61は上陸部隊と輸送船団の上空直掩に徹するだけで良く、無理に敵空母を攻撃する必要はないこと、9日夜までには物資の揚陸が完了することを伝え、最低でも9日までは制空権を確保する必要があると伝えた。フレッチャーもさすがに思いとどまったが、9日正午の空襲の結果、ついに独断で空母群の退避に踏み切ってしまった。
この空襲には零戦や九九艦爆のみならず九七艦攻が参加しており、空母機動部隊がいるという懸念が高まった。さらに、空襲が始まったほぼ同時に「空母2隻がソロモン海域を南下している」との情報がもたらされた。この結果、ついにTF61は「有力な空母機動部隊」が先の空襲に参加したと判断、フレッチャーはもはや一刻の猶予もないとしてTF61はもとよりTF62にも南方への退避を主張した。かの「テリブル・ターナー」もこの事態に狼狽し、輸送船団の退避を命じた。見捨てられる恰好となったガ島の海兵隊は持てるだけの物資を持ち、密林へと退避した。
しかし9日夜、第八艦隊がガ島沖に突入、米水上部隊(TF62)と交戦した。TF62は度重なる空襲による疲弊と情報共有ミスによって完敗、重巡洋艦4隻を失い輸送船団も半分が沈められてしまった。
TF61、62ともに撤退し海兵隊は孤立した。海兵隊の士気は大いに下がり、当面の間何とか運んだ物資で食いつなぎつつ、ジャングルの中で待機する羽目になる。
一方、第八艦隊は途中潜水艦の襲撃を受けるも四航戦の援護によってこれを切り抜けた。そして8月10日、悠々とラバウルへ凱旋した。
アメリカの反攻作戦は初っ端からつまずいてしまった。そこには一人の猛将の行動があったのだ……
この「第一次ソロモン海戦」は日本海軍巡洋艦隊の輝かしい勝利として歴史に刻まれることとなった。さらに、今次大戦においても大規模な水上戦が行われる、という(砲術屋や水雷屋にとっての)ある種の希望にもなった。
しかし、作戦に参加したにも関わらず、「阿賀野」は何もできなかった。最新鋭軽巡としてその将来を渇望された彼女が活躍するのはまだ先の話である……
一方、孤立した海兵隊だが彼らは全滅したわけではなかった。彼らは辛抱強く救援を待ち、その後も日本軍を苦しめることになる……




