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眠探偵  作者: ゆう
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喫茶「眠兎ねむと」の午後は、まるで時が止まったかのように静かだ。この店で動いているものといえば、壁に掛かった鳩時計の振り子、マスターがグラスを磨く手、そして夢野まどろの鼻提灯くらいのものである。


「……あの、マスター。これ、そろそろインテリアとして登録したほうがよくないですか?」


カウンター席でアイスティーをすすっていた目白いずみは、隣で突っ伏している男を指さして言った。夢野まどろ。自称・名探偵。他称・居眠り地蔵。彼は今日も今日とて、客席の一等地を占拠し、惰眠を貪っている。


「いやあ、動かない客というのは店側としてはありがたいものですよ。水も減らないし、文句も言わない」


マスターの志村は、磨き上げたグラスを照明にかざしながら涼しい顔で答えた。


「でも、商売上がったりでしょう?コーヒー一杯で四時間も粘られて」

「その代わり、彼が起きるたびに追加注文されるスイーツの売上が馬鹿になりませんから」

「燃費の悪い車みたい……」


いずみが溜息をついたその時、カランコロンとドアベルが鳴った。入ってきたのは、初夏の陽気には似つかわしくない、分厚い作業着とねじり鉢巻き姿の男だった。筋骨隆々、顔には無精髭。その眼光は鋭く、手にはなぜか巨大な「千枚通し」のようなものが握られている。


「……夢野はいるか!」


ドスの利いた声に、いずみは反射的に身構えた。(殺し屋!?いや、千枚通しを持った殺し屋なんて聞いたことがないわ)


「いらっしゃいませ。強盗ならレジはあちら、探偵ならこちらで寝ております」


マスターの危機感ゼロの対応に、男はズカズカとまどろの席へ歩み寄ると、バン!とテーブルを叩いた。


「おい!起きろ夢野!事件だ!」


その衝撃で、まどろの鼻提灯がパチンと弾ける。彼はけだるげに片目を開け、男の顔を見上げると、ふあぁとあくびをした。


「……なんだ、剛田ごうださんか。たこ焼きなら、ソースマヨでお願いします」

「注文とってる場合じゃねえ!俺の『タコ姫』がいなくなっちまったんだよ!」


「タコ姫?」


いずみが聞き返すと、男――駅前でたこ焼き屋台「大ダコ剛田」を営む剛田は、泣きそうな顔で訴えた。


「俺の店の守り神だよ!純金メッキのタコの置物だ!」



事件の概要はこうだ。剛田の屋台には、開店当初から飾っている「タコ姫」と呼ばれる高さ数センチほどの置物がある。それは屋台の鉄板の横、特等席に鎮座しており、剛田は毎日それを拝んでから焼き始めるのがルーティンだった。


「昨日の夜、店を閉めるときまでは確かにあったんだ。で、今日の昼前、仕込みに行ったら消えてたんだよ!」


剛田は鼻息荒く説明する。


「屋台には鍵をかけた。シャッターも下ろした。こじ開けられた形跡はねえ。まさに密室殺人ならぬ、密室消失だ!」


「なるほど、密室……」まどろは頬杖をつき、眠そうな目で剛田を見た。


「それで、警察には?」

「行ってねえ!あんなもん、警察に言ったら『ただの置物でしょう』で片づけられちまう。だが俺にとっちゃ命の次に大事なんだ!」


いずみはメモを取りながら尋ねた。


「そのタコ姫、換金できるようなものなんですか?」

「いや、中身は真鍮だ。金メッキも剥げかけてる。骨董価値なんてねえよ」

「じゃあ、泥棒の線は薄いですね……。イタズラでしょうか」


剛田は腕組みをして唸る。


「俺に恨みを持つ奴なんざ、五万といるからな……。隣のクレープ屋の親父か、あるいは先週『タコが入ってない』と因縁をつけてきた酔っ払いか……」

「剛田さん、たこ焼きにタコを入れ忘れることがあるんですか?」


マスターが鋭いツッコミを入れる。


「ち、ちげえよ!俺の技術が高すぎて、生地と一体化しちまっただけだ!」


話が脱線しかけたところで、まどろがカクンと船を漕ぎ始めた。いずみが慌てて揺さぶる。


「ちょっと!依頼人の前で寝ないでください!」

「……ふむ。思考の海へ、ダイブする……」

「ただの睡眠導入でしょうが!」


まどろはそのままテーブルに突っ伏した。剛田が額に青筋を浮かべる。


「おい、こいつ本当に大丈夫なのか?俺のタコ姫を見つける気があるのか!」

「あ、大丈夫です!彼は今、脳内で現場検証を行っているんです!」


いずみは必死に取り繕う。これは毎度のパターンだ。


「……暗い……」


まどろが寝言を呟いた。いずみはすかさずペンを走らせる。


「……暗い、そして熱い……」


「熱い?」剛田が首を傾げる。

「屋台の中の話か?」


まどろの寝言は続く。


「……回る……目が回る……」


「目が回るほど忙しい犯行だった、ということでしょうか?」


いずみが推理するが、マスターは首を横に振った。


「いや、単に夢野さんが空腹で目を回しているだけかもしれませんよ」


その時、まどろが再び顔を上げた。焦点の合わない目で、虚空を見つめながら一言。


「……犯人は、剛田さん。あなたの中にいます」


店内が静まり返った。剛田が真っ赤になって怒鳴る。


「俺が犯人だと!?ふざけるな!俺が自分の守り神を盗んでどうする!」


まどろはあくびを噛み殺しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「盗んだとは言っていません。……剛田さん、昨日はずいぶん忙しかったんじゃありませんか?」


「ああ、そうだよ!近くで祭りがあったからな、目が回るほど焼いたさ!」

「そして、最後に焼いたのは?」

「最後に焼いたのは……特大の『ジャンボたこ焼き』だ。常連への裏メニューだがな」


まどろはニヤリと笑った(ように見えたが、単に寝ぼけて口元が緩んだだけかもしれない)。


「タコ姫は、そこにいます」


「はあ?」全員の声がハモった。



10分後。一同は駅前の「大ダコ剛田」の前にいた。剛田は半信半疑のまま、保温ケースに残っていた、ソフトボール大の巨大なたこ焼きを取り出した。昨夜、あまりの忙しさに売り忘れて残ってしまった、最後の一つだ。


「まさかな……こんな馬鹿なことが……」


剛田は千枚通しを構え、その巨大な球体に突き刺した。そして、パカッと二つに割る。


ゴロン。


湯気の中から転がり出てきたのは、タコではない。ソース色に染まり、熱さで少し塗装が剥げた、金色のタコの置物だった。


「タコ姫ーーーーッ!!!」


剛田の絶叫が駅前に響き渡った。


「ど、どういうことだ!?なんで俺のタコ姫が具になってるんだ!?」


剛田が腰を抜かす横で、いずみは呆れたように言った。


「夢野さんの推理通りですね……。剛田さん、昨日は忙しすぎて、タコとタコ姫を見間違えたんじゃありませんか?」


「そ、そんな馬鹿な……いや、待てよ」


剛田は脂汗を流しながら記憶をたぐる。


「昨夜、最後の最後……タコの在庫が切れて……手元にあった金色のやつを……『おっ、こんなところに活きのいいタコが』と思って……」


「どんだけ疲れてるんですか!」いずみのツッコミが炸裂する。


「『暗い』というのは生地の中。『熱い』というのは鉄板の上。『回る』というのは、たこ焼きがクルクル回されることだったんですね」


マスターが感心したように頷いた。


「まさに、灯台下暗しならぬ、鉄板上暗し」

「うまいこと言わなくていいです」


タコ姫は無事救出されたが、ソースとカツオ節まみれになっていた。剛田はそれを愛おしそうにハンカチで拭いながら、まどろに向き直った。


「すまねえ、夢野!疑って悪かった!さすが名探偵だ!」


まどろは、屋台の柱にもたれかかりながら、すでに半分眠っていた。


「……報酬は、たこ焼き一年分で……」

「おう!好きなだけ食ってくれ!ただし、具はちゃんとタコにするからな!」


剛田の豪快な笑い声と共に、事件は解決した。帰り道、いずみは呆れ顔でまどろに言った。


「それにしても、よく分かりましたね。タコ姫がたこ焼きの中に入ってるなんて」まどろは眠そうな目をこすりながら答えた。


「ん?ああ……剛田さんのエプロンのポケットから、タコ姫の『台座』だけがはみ出していたからね」


「えっ」いずみは立ち止まる。


「それって、寝言とか推理とか関係なく、最初から見えてたってことですか?」


「……さあね。それよりいずみちゃん、早く帰って寝よう。今日は頭を使いすぎた」


「寝てただけでしょうが!」


駅前の夕暮れに、いずみのツッコミが虚しく響く。居眠り探偵・夢野まどろ。彼の目が覚めているのか、それともまだ夢の中なのか。それは神様と、タコ姫だけが知っていることかもしれない。

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