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この町の駅前にある「眠兎」という喫茶店は、コーヒーよりも“事件”の香りがする場所だ。
といっても、血なまぐさい意味ではない。ここで起こる事件は、大抵が砂糖ひとさじ分の軽犯罪である。
常連客の夢野まどろは、その代表的な被害者でもあり、加害者でもあり、そしてなぜか探偵でもあった。
彼の異名は“居眠り探偵”。名探偵コ〇ンの逆をいく存在である。
「今日も寝てるわね、夢野さん」
カウンターの向こうでマスターの志村が苦笑する。
カップの中では、カフェラテの泡が静かに揺れ、
その前でまどろは腕を組んだまま、テーブルに突っ伏していた。
「寝ながら推理するって、どういう原理なんでしょうねぇ」
助手兼、記録係の目白いずみが小声で言う。
彼女はこの喫茶店の常連仲間で、いつもノートを片手にまどろの寝言をメモしている。
「夢野さんは、寝てるときだけ頭が冴えるんですよ。起きてるときは、脳が昼寝してるんです」
「それ、褒めてる?」
マスターがコーヒーを磨きながら呟いたその瞬間、
まどろがむくりと顔を上げた。
「……チーズケーキは、右手で切れ」
「え?」
「また寝言始まった!」
いずみがメモ帳を取り出す。
きっかけは実にくだらなかった。
「うちのチーズケーキが、一晩でまるまる消えたんです!」
悲鳴混じりに喫茶店へ駆け込んできたのは、隣の花屋の店主・花井ふみ。
「冷蔵庫に入れておいたのに、朝見たら空っぽ! なのに誰も鍵を開けた形跡がないんです!」
「鍵のない冷蔵庫ってことは?」
「……普通に開けられます」
「なら事件性ゼロですね」
マスターの冷静なツッコミに、花井はめげず続けた。
「でもおかしいんですよ! 私、一人暮らしなんです!」
「……泥棒が、チーズケーキだけを?」
いずみが首を傾げる。
そのとき、まどろが再び眠りの世界から帰還した。
「……冷たいものは、温かい手で触れるな……」
「また寝言です!」
いずみはすかさず書き取る。
「冷たいものを温かい手で触れるな、ですって。何か意味あるんでしょうか」
「意味深ではありますな」マスターが顎を撫でる。
花井は涙目だ。
「チーズケーキが……あれ、一晩寝かせたらもっとおいしくなるやつだったのに……!」
まどろは、またゆっくりと顔を上げた。
「……犯人は、花井さん……あなたです」
全員「は?」
「私です!?」
花井が目を剥いた。
まどろはテーブルの上のナプキンを指さした。
「あなたの指、黄色い。卵黄がついてますね」
「え、あ、これ? 昨日、夜にちょっと……」
「寝ぼけてチーズケーキをつまみ食いしたんですよ」
花井は顔を真っ赤にした。
「そ、そんな……覚えてないのに……!」
「寝ながら食べる人は、意外と多いんです」いずみがフォローする。
「夢野さんも、以前ホットケーキ三枚を無意識で完食してたし」
「おい、それは忘れろ」
結局、チーズケーキは“深夜の花井さん”が食べてしまっていたことが判明し、
事件は(胃袋の中で)無事解決した。
花井は頭を下げ、代わりにお礼として花束を贈っていった。
「これ、ラベンダーです。眠りに効くんですよ」
「つまり、もっと寝ろってことね」いずみが笑う。
「そのうち、永眠探偵になりそうですね」




