そして鬼となる 上
長くなったので上下に分けましたすみません;
あれから数度程、五月は多忙な中で時間を作って涼音とデートを重ね、お互いを理解していく。もう眷属を通さず普通に連絡を取り合う仲となった。
『来週、お姉様の祭礼が五月さんの居らっしゃる神社の近くであるのですけれど私も同道しますのでお時間があるようならそちらまで伺っても宜しいでしょうか?
もし五月さんのお許しが頂けるなら行っても良いとお姉様も仰って下さっているので‥』
「忙しいのは今週末までなので大丈夫だと思います
もし差し支えないなら祭礼をされている場所までお迎えに伺いますけど?」
夕食後、仕事の準備をしていると涼音から電話があり準備を進めながら五月は返す。
『いえ、三上様も同道して下さるので送って下さると仰ってますから大丈夫ですよ』
涼音の返答に思わず五月の手は止まった。何時かの恐怖が蘇る。
「えっと‥三上様に送って貰うのですか?」
『ええ』
「あの‥今まで三上様の車に同乗した事はおありですか?」
『いえ、皆様からとても運転がお上手と伺っているのでとても楽しみにしているのです』
「あの‥やっぱり僕が迎えに参ります」
『お気遣いはいりませんよ
三上様もその日は所用でそちらに用事があると仰っておいでだったので‥』
「分かりました
くれぐれも覚悟‥いえ、気を付けておいでになって下さいね」
五月は一抹の不安を抱きつつそう言って電話を切った。
〈涼音さんにあの運転は耐えられるだろうか‥〉
五月は難しい顔で考え込みながら固まる。
「準備は出来たか?」
整えた荷物を睨みながら考え込んでいると征嗣が部屋に入って来てそう言った。
「あ‥うん、もう行けるよ」
五月はハッとして征嗣を見ると荷物を持って立ち上がる。
「誰かと話しているようだったが電話でもしていたのか?」
「うん、涼音さんから来週、うちの近くの祭礼に同道するついでに此処に来ても良いかって連絡が有ったんだ
忙しいのは今週末までだからOK出したんだけどさ‥」
「何か問題でもあるのか?」
「三上様に送って貰うって言うんだよ
僕、それが一番、心配でさ‥あれはちょっとトラウマになるからね」
二人は部屋を出てそんな話をしながら駐車場へ向かった。
盆が明けて週末になり、仕事が一段落すると五月は涼音が来る日に備えて休みを取れるように用事を片付けて行く。
「えっと‥御供関連も注文したし氏子さんの手配もばっちり‥後は‥」
社務所で台帳を見ながら五月はブツブツと呟いた。
「ご新酒の注文はしたか?」
「あ、まだだ!
早めに注文しとかないとお神酒が出せなくなっちゃう!」
咲衛門が横からそう言うと五月は台帳をほっぽって在庫の確認に行く。
「やれやれ‥まだまだ頼りないの‥」
「そんな事は有りませんよ
あの歳でこれだけ出来るんですから立派な方だと思います」
お守りを作りながら咲衛門が溜息交じりに言うと同じく作業をしている伊佐木はフォローした。
「そう言えば今年のご新酒は出来がイマイチだって言ってました
他の酒蔵も今年は軒並み出来が良くないそうですよ
やっぱり気候のせいですかね?」
「さて‥何やら良からぬ事が起きねば良いがな‥」
二人で話しながら作業に勤しむ。この時、咲衛門は何か言い知れない不安を感じていた。
涼音が来る当日、五月はソワソワしながら社務所と自宅を行き来する。
「まだ約束の時間には早いんだろう?
少し落ち着いたらどうだ?」
社務所で榊の手伝いをしながら征嗣が溜息を吐いた。休みの上に落ち着かない五月は榊と征嗣の仕事を手伝っては自宅に戻るを繰り返しているのである。
「普通に眷属に送って貰うならこんなに心配しないんだけど三上様だよ?
きっと涼音さん、抜け殻状態で到着するって!
どうしよう‥やっぱり今からでも迎えに行った方が良いんじゃないかな?」
五月はそう言いながら青い顔でどんどん落ち着きを失くしていった。
「幾ら三上様でも女性を乗せていれば無茶はせんだろう?
‥多分」
「ほら、多分って言った!
やっぱり迎えに行く!!」
征嗣が自信無さげに視線を泳がせながら言うと五月は居ても経っても居られずに社務所を出て行く。急いで自宅に戻って車のキーを取って来ると駐車場へ向かうが神社の石段の手前で明希と涼音に出くわした。
「五月さん、何処かへ行かれるんですか?」
「やっぱり時間よりだいぶ早く着き過ぎちまったか?」
キョトンとしながら涼音と明希が言うと五月は呆然となる。
「あ‥いや‥その‥やっぱり迎えに行こうかと思ったんですけど‥」
「祭礼が殊の外、順調だったので予定より早く送って頂いたんです
お約束の時間より早く着いてしまってご迷惑でしたか?」
五月がケロッとしてる涼音を困惑気味に見ながら返すと少し不安げに涼音が続ける。
「いえ!すっごく待ってました!」
五月が思わずそう言い放つと涼音は安心したように微笑んだ。
「じゃぁ、夜に迎えに来るからな」
「あ‥はい、送って頂いてありがとうございました」
その様子を見て安心すると明希は去って行き、涼音はその後姿に礼を言う。名残惜しそうに頬を染めながら何時までも明希を見ている涼音に五月は全てを察した。
「涼音さんの想い人は三上様だったんですね」
涼音に歩み寄って小さく言うと涼音は驚いたように五月を見て真っ赤になる。
「あ‥いえ‥そんな事は‥」
涼音は困惑して視線を泳がせながら俯いた。
「別に攻めてる訳じゃ無いんです
二度目のデートの時から何方かお好きな方が居るんだろうなって思ってたんですよ
ずっと離婚された旦那様かと思ってたんですけど‥気持ちを伝えられない相手を好きになってしまうのって切ないですよね‥」
五月がそう言って寂しげに微笑むと涼音はその表情に五月もまた自分のように辛い恋をしているのではないかと察する。
「もしかして五月さんも‥辛い恋をしているのですか?」
「お互い様ですね」
涼音が驚きながら聞くと五月は苦笑しながら返した。
「とりあえず中に入って冷たい飲み物でもどうですか?」
「はい、頂きます」
五月はそう言うと涼音を連れて自宅へ戻って行く。まずは祖父母に涼音を紹介すると四人で冷たい麦茶とスイカを飲み食いしながら談笑した。祖母は元・龍王院家の眷属なせいか涼音の事情をよく含んでいて会話もスムーズに進む。寧ろ五月と咲衛門の方が少し会話に取り残された。それから五月は境内を案内するついでに社務所に寄って征嗣や榊達にも涼音を紹介する。榊や伊佐木には少し冷やかされたが征嗣は挨拶して後は会話に入って来なかった。それから本殿や倉庫を案内してから滝の方へ涼音を案内する。
「あ、こちらは結界領域なんですね」
弥生と同様、その存在にすぐ気付く所は流石に鳳凰院家の姫君と言った感じだ。
「ええ、滝にある社は神域なので悪意を持つ者や悪戯をしようとする輩は入れないようにしてあるんです
でも普通の参拝者や氏子は表向き、ちゃんと入れるようにしてあるんですよ
本域には僕達しか入れないんですけどね」
五月は説明しながら滝の前まで来る。
「凄く清らかで心地の良い空間ですね
流石、きちんと祭礼が行われる場所なだけは有ります」
微笑みながら涼音が言うと五月も少し誇らしげに微笑んだ。暫く二人でその空間に身を置き気持ちを清めるように目を閉じる。
「時間が余り無いので遠出は出来ませんけど何処かへ出かけましょうか?」
「はい」
五月は目を開けて涼音を見ながら優しく微笑むと涼音も微笑み返した。それから五月は涼音を連れて近くをドライブして周りながら自分の住む街を案内していく。時折、顔馴染と顔を合わせると涼音を紹介した。
「五月さんは皆さんから慕われているのですね」
「小さい頃から夏休みは何時も此処で過ごしていたので昔から居る人は皆、自分の子供や孫みたいに思ってくれてるんですよ
小さい街ですからね‥殆ど顔見知りなんです」
「そう言えばご両親は何方にいらっしゃるんですか?」
「今は静岡に居ます
両親はほぼ一般人なので‥特に父には霊感すら無いので普通にサラリーマンをしているんですよ」
「まぁ、そうなんですね」
車を走らせながらそんな話をする。そして高台まで来ると車を停めた。
「此処から見る景色がとても綺麗なんですよ」
そう言うと五月は車を降りて開けた先に目を向ける。
「本当ですね‥麓の街並みも遠くの山もよく見えます」
「今は夏なんで緑しか無いですけど桜の時期や紅葉の時はもっと綺麗ですよ」
「そうなんですね」
涼音が感動しながら微笑んで言うと五月は満足気に微笑んだ。
「僕も涼音さんと同じで成就する事が無い恋をしてます
でも僕は家の存続という使命を果たさなくてはいけない‥子供を残さなくてはいけないんです
もしこんな僕でも良いと仰って下さるなら僕は涼音さんが例え誰に想いを寄せていてもその気持ちごと生涯かけて大切にします
それだけは必ず約束しますから心に留めておいて下さいね」
暫く二人、無言でその景色を眺めていたが五月は躊躇いがちに微笑みながらそう言った。
「私達‥良い戦友になれるかもしれませんね」
涼音も視線を落とし微笑みながら返す。
それから自宅に戻ると祖母が夕飯の支度を始めていて涼音は率先してそれを手伝った。勿論、五月も一緒に手伝う。三人で夕飯を作り終える頃、咲衛門と征嗣が戻って来て皆で夕食を囲んだ。夕食後、咲衛門は買い物に行くと言って席を立つ。
「買い物なら僕が明日行くけど?」
「お前に買いに行かせたら歯抜けが出るんでな‥儂が行って来る」
五月が言うと咲衛門はそう言って征嗣を運転手に出て行ってしまった。
「僕、そんなに頼りなく無いよ」
少し拗ねたように五月が見送りながら膨れると涼音と祖母は笑う。涼音は五月の少し子供っぽい一面が見れて少し嬉しく感じた。三人で食後のデザートを摘まんでいると明希が迎えに来る。五月は急いで飲み込むように食べると玄関へ向かった。
「お疲れ様です‥今、皆で桃を頂いてるんですけど三上様もどうですか?」
「いや、俺は良いよ‥それより駐車場で待ってるから食い終わったら来るように言ってくれ」
「もしかしてお急ぎなんですか?」
「いや、もう用事は済んだ
本体はもう引き上げたらしいからこのまま京都まで帰るだけだ」
玄関でそんな話をしていると涼音も慌てて出てくる。
「すみません、お待たせしました」
「慌てて出て来る必要無ぇぜ
俺は車で待ってるからゆっくりご馳走になって来いよ」
「大丈夫です、もう十分ご馳走になりましたので‥」
少し口の端に果汁を付けたまま涼音が駆け寄って来ると明希は付いてるとゼスチャーをしながら返し、それを受けて涼音は慌てて口元を隠すようにして恥ずかしそうに答えた。やはりその様子に五月は涼音の気持ちを実感する。涼音が急いで靴を履くと明希は先に玄関を出て涼音もそれを追いかけ、五月は駐車場まで二人を見送りに出た。
「あの‥くれぐれもゆっくり運転してあげて下さいね」
「お前まであいつらと同じ事言うなよ
女相手に無茶な運転はしねぇさ」
五月が釘を刺すと明希は煙たそうに返してエンジンをかける。どうやら他の者にも散々言われたのだろう。涼音が乗り込むと明希は軽く手を上げ車を出し、涼音も助手席ではにかむように会釈した。
〈涼音さんにとってはこっちの方がデートだな〉
五月はそう思うと石段を上りながら微笑んだ。
そんな感じで平穏な日々は過ぎて行き、順調に涼音とはデートを重ね、秋の始めには無事に婚約も果たす事が出来た。あれから偶に見るそれらしい夢の事は報告してはいるがやはり肝心な部分が分からず進展しない。それに加えて智裕の産後養生の為に琴吹が多くの祭礼を負担しているので資料に目を通す暇がなく、そちらの情報も停滞していた。
秋も深くなりもうすぐ繁忙期を目の前にした頃に琴吹から呼び出されて五月と征嗣は龍王院家を訪れる。五月が到着した時には明希と東條も既に琴吹の元を訪れていた。
「それで?こうやって皆を呼び出したって事は何か分かったのか?」
「結論から言うと龍王院家の書庫に収蔵されてる柏姫の手記と栢斗鬼媛文書の資料を全部読んだんだけどそれらしい事は何も記述が無かった
それで完全に手詰まりだと思ってたんだけど妙な所から妙な物が見つかってね‥それを読んで大変な事実が分かっちゃったんだよ」
明希が聞くと少し不敵な笑みを浮かべて琴吹が答える。
「勿体ぶらずに早く言えよ」
「まぁ、順番に説明するから焦らないでよ
事の始まりは戸隠に行った時に変な人が居てね‥なんでも民俗学を研究してるっていう大学教授であの辺りで有名な戸隠神社じゃ無くって地場の小さな神社の事をいろいろ調べてたんだよ
偶々、ついでだと思って俺がその神社の下見に行った時に宮司がその人と話しててね
面白そうだから一緒に聞いてたんだけど一般人の癖に妙にいろんな事に詳しくてさ‥其処の宮司も知らなかった事まで突っ込んで聞いて来るもんだから困ってね
それで仕方なく蔵にある古書を見にその教授を連れて行った訳さ
どうせ俺達が使ってる古い文字なんて普通の人には読めないしって俺も宮司も思ってたからね
そしたらなんとその人、一字一句間違えずに古い文字を読んじゃったんだよ
それから自分の知りたい文書の棚を見つけると俺達そっちのけでブツブツ言いながら読み始めちゃってさ
俺達、暫く呆気に取られながらそれを見てたんだけど全部見られるのは流石に不味いと思って途中で止めたんだ
そしたらコピーが欲しいからこれを貸して欲しいって数冊出してきたんだよね
その中にこれが在ったんだよ」
琴吹は説明を終えるとデスクから一冊の年代物というよりゴミにしか見えないような書物を出してきた。
「それは何です?」
東條が聞くと琴吹はそれを皆の前に置いて慎重にページを捲る。其処には微かに「柏記す」と書かれていた。
「これ、柏姫の手記だよ
しかもうちの記録に無い部分の事まで詳しく書いてあった
恐らくだけど柏姫は旅をしながら手記を書いていて紛失しても記録が残るように常に眷属に写しを作らせ、屋敷へ届けていたらしくて屋敷にある物の大半はそういった写しのようなんだ
その教授はある時、地場伝承を調べていて栢姫という謎の人物の手記を見てから全国にその手記が点在している事を発見したんだって話してたよ
殆どがボロボロで読めもしない状態だったけど其処にはかろうじてこうして読める物が有ったって喜んでた‥勿論、綺麗に忘れて貰ったけどね
それから教授の行動範囲を調べて集めた柏姫の手記を全部回収して抜け落ちた部分を全部読んでみたんだ
そしたらその中に征嗣を討伐した時の記述を見つけたんだよ」
琴吹はそう締め括って征嗣を見る。
「え?先生を?」
五月が動揺しながら琴吹と征嗣を交互に見ると皆も征嗣に視線を置いた。
「勿論、屋敷に残されている記述にも君の討伐の記録はあった
でも何だか中途半端な気はしてたんだよね
その全容がようやく分かったって所かな‥」
琴吹が続けて視線を書物に移し、溜息を吐くとそれを閉じる。
「全容が分かったっていう事は刻印の謎も解けたって事か?」
「それに関してはこれから話すけど龍王院家としては機密事項に当たるから今から口外しない為に皆には口留めの術を受けて貰うよ
まぁ、皆がそうしないのは知ってるけど意識を読まれても困るからね
もしもの時の為にモザイクをかける感じだと思ってくれると良い」
明希が聞くと琴吹は印を組んで術を発動し口止めと人払いの結界を張った。その念の入れように一同は少し緊張する。
「これはあくまで過去に起こった事だから二人は落ち着いて聞いてね」
琴吹は五月と征嗣を気遣い微笑むと二人は頷いた。
「初代・殺鬼の死後、鬼と化した征嗣が辺りを荒して回ったのは前にも言ったよね?
それを柏姫が討伐した話も‥其処まではうちの書庫にあった記録で皆にも話したんだけど実際に書物を読んだ俺は何だか中途半端な感じがしてたんだ
まるで御伽噺みたいに「鬼をやっつけました、めでたしめでたし」って締め括りだったからさ‥他の記述は何処にどう封印したとかどうやって抹消したとか鬼の処遇について最初からその後の事まできちんと記録されてるのにだよ?
でもそれが書けない事情が手記の中にはあったんだ‥恐らく意図的に写さなかったんだと思う」
其処まで説明すると琴吹はお茶を飲んで更に続ける。
「それによると征嗣を捕らえた後、封印して強い恨みの思念を姫が癒して浄化したんだ
それは初代・殺鬼の最後の願いであり魂の遺言でもあった
初代・殺鬼は死後、柏姫にずっと付き従いながら魂の状態で征嗣の討伐に加担したんだよ
そして征嗣が捕らえられ柏姫が保護するのを見届けて黄泉へと旅立った
でも二人を憐れに想った柏姫はもう一度、二人が出会えるようにしたんだ
禁忌とされる術を使って‥」
其処まで説明すると琴吹は深く溜息を吐いた。
「まさか‥「一族輪廻の法」ですか?」
東條が厳しい表情で聞くと琴吹は無言で頷く。
「何だその「一族輪廻の法」ってのは?」
明希が空かさず突っ込んだ。
「「一族輪廻の法」というのは文字通り術者や対象者が特定の一族内で輪廻転生する方法です
狙ってそうするのはかなり難しく、どれだけ強大な霊力を持とうとかなりの術式知識と解析能力が無ければ発動する事は出来ません
それにその術を悪用する者が出るかもしれないという事であらゆる術者からその記録や方法は抹消され、今はその存在自体を知る者さえほぼ居ないでしょう」
東條は苦虫を噛み潰したような表情で説明する。
「そう、当時も既にその術は禁じられていて資料なんて無かったんだ
でも天才的な術の使い手だった柏姫はそれを使用する事が出来た‥勿論、一族の者さえその事実は知らなかったんだよ
そして永遠に続く征嗣の命の慰めになるだろうと柏姫は初代・殺鬼の魂ごと肉体そのものを再生させる為に残された初代・殺鬼の娘に誰にも内緒で術を施したんだ
今で言うところのクローンみたいなものだね
でも普通のクローンと違って魂も初代・殺鬼本人だから例え記憶は失ってもいずれ心は引き継がれる
初代・殺鬼が輪廻を繰り返すその内に征嗣の心が癒えて自然消滅の瞬間を迎えた時は初代・殺鬼の魂もまた通常輪廻に戻れるようにしてね
柏姫はその為に初代・殺鬼の魂を黄泉から呼び戻し、身体や体得していた術なんかの情報と共に再び藤森家に生れ落ちるようにして征嗣を藤森家が管理する神社に封印した
きっと生まれ変わった未来で初代・殺鬼が征嗣の存在に気付き、目覚めさせる事を信じてね
しかし柏姫は娘の成長と共にある事に気付いた‥完全な転生を仕組んで術を施した筈なのにその情報の中から魂だけが抜けてしまっていたんだ
簡単に言うと空っぽの肉体だけが転生してしまうような状態とでも言うのかな?
本来ならそんな事は起こる筈が無い
柏姫は寿命の限り初代・殺鬼の魂を探したけど結局は見つける事が出来ないまま亡くなってしまったんだ」
「え?っていう事は僕は初代・殺鬼の生まれ代わりなんですか?
それとも違うんですか?」
琴吹が言い終えると五月は混乱しながら聞いた。
「五月君の身体に刻まれた術式や肉体そのものは初代・殺鬼の生まれ変わりだよ
でも其処に全く赤の他人の魂が定着してるんだ
だから五月君の精神自体は初代・殺鬼の生まれ変わりじゃ無いって事になるね
多分、二代目以降そうやって空っぽの肉体に別の魂が宿って歴代の「さつき」を形成して来たんだと思う
本来、宿るべき魂が行方不明だから人として成る為にはそれしか方法が無かったんだろうね」
「じゃぁ、その初代・殺鬼の魂は今、何処に居るんだ?」
琴吹が説明すると明希が更に聞く。
「正直言って分かんない
柏姫が生涯かけても見つけられなかったんだ‥そんなにすぐに見つけられる筈も無いよ
ただね、初代・殺鬼って記録では柏姫に並ぶくらい術には精通してる鬼狩だったらしい
だからもしかしたら柏姫がかけた術に反発して自分から出て行ったんじゃないかって言うのが俺の見解‥そうなるともう俺達が探すのは困難だと思う
そんな手練れに魂の状態で逃げ回られたんじゃお手上げだよ」
琴吹は途方に暮れながら宙を見上げた。
「じゃぁ、やっぱり僕は27歳で死んでしまうんですか?」
五月は泣きそうな顔で俯きながら呟く。
「それなんだけどね、そもそもその仕組みが謎なんだよ
幾ら初代・殺鬼が呪いの影響でその歳に亡くなっていたとしても転生した肉体に影響を及ぼす筈が無いんだ
だいたい呪いは完璧に柏姫が解除してるしね
後は後発的な要因が無い限りどの「さつき」もピッタリ同じ歳でなくなるなんて有り得ないんだよ
でも新たな縛りや呪いがかかっている気配どころかそう言った術式も痕跡も無い‥そうだよね?」
琴吹は困ったように説明すると東條に確認した。
「はい、五月にも征嗣にもそういったモノは何もありませんでした
在ったのは征嗣の中にある正体不明の刻印だけです」
東條は至って冷静に答える。
「刻印って伝わってるモノじゃないとどういう作用のものかよく分からないんだよね
元から在る刻印をアレンジしてあるだけならすぐに解析出来るんだけど全くのオリジナルならまず用途から調べないといけないから‥其処から星の数ほどもある結び目を解く様に一つ一つ解いていく訳だけどよっぽど単純な刻印じゃないと一代で攻略するのはほぼ不可能に近い
少なくとも俺や姫ちゃんが見間違えたくらい複雑な刻印だから尚更だよ
しかし全く攻略法が無いかって言われるとそうでも無くてね‥でもこの方法は出来れば行使したくないんだ
それに100%その刻印が寿命の原因かって言われるとその自信も無いしさ」
「でもその刻印から五月に何らかの作用がある事は確かなんだろ?」
琴吹が説明して頭を掻くと明希は東條に訊ねた。
「ええ、始めは私も半信半疑でしたが五月が夢を見始めた事でそれは確定しています
ただ、術式を介さずどうやって影響を与えているのか不可解でなりません
大なり小なり作用を及ぼすには何らかの術を介さなければ無理ですから‥それにそんな強力な刻印なら征嗣にも影響が出る筈です
ですが彼は私がその営みを読んだ限り、至って昔のままですからね
全くどういう意図で付けられた刻印かも分かりません
本当に刻印の主に覚えはないのですか?」
今度は東條が征嗣に話を振る。
「ええ、前にも話しましたが栢斗鬼媛が俺を封印した記憶はありますが目覚めた時にはもうこの刻印があり、二代目・殺鬼が傍に居たという事以外は何も‥ですからこの刻印は栢斗鬼媛自身が俺に付けたモノであると信じて疑わなかったくらいです」
征嗣は戸惑いながら答えた。
「今までの話を整理すると柏姫は二人をもう一度、出会うようには仕向けたがそれが上手くいかずに肉体だけが転生するようになり魂は行方不明、当初の予定で征嗣の封印は「さつき」が目覚めさせて初めて覚醒するって仕組みだったんだな?」
「柏姫の手記によればそういう事だね」
「で、実際は「さつき」が産まれて征嗣と接触する事で征嗣は自然に覚醒し、「さつき」が死ぬと元の場所へ自動的に戻るという感じなんだな」
「うん、かなり柏姫の構想と乖離してる
それに手記には何らかの刻印を施したなんて一切書かれていないしさ‥少なくとも柏姫が施した刻印じゃ無い事はこれで明白にはなったよね」
明希が話を纏めると琴吹が合の手を入れる。
「でもそうなると刻印を施したのは誰なのかを探る必要がありますね
貴方に所縁のある方でそういった術に長けた方は?」
「いや、仲間にも弟子にもそういった者は居ない
鬼狩は本来、鬼を狩るのが本業で術に関しては姫か姫の眷属が行っていた
強いて言うなら初代・殺鬼くらいしか思い当たる者はいない
あいつだけが陰陽術式に精通していた‥だからこそ宮司として任命されたんだ
時代が進んでようやく鬼狩もそこそこ術式を行使するようにはなったが当時は鬼を狩るだけで稚拙な術を使うのが精一杯だった」
東條が聞くと征嗣は当時の状況を説明した。
「じゃぁ、お前に執着していた奴は居るか?
もしかするとお前を手に入れる為に施した何らかの刻印って線もあるだろ?」
「確かにそれは多少、考えられるけど‥でもちょっと無理があるよ
それなら五月君に影響を及ぼす意味が分かんない」
明希が言うとすぐに琴吹が否定する。
「今までの話を聞いていると何だか刻印自体が意思を持って動いているような気さえしますね
まるで何かの意図でもあるかのようで‥」
ポツリと東條が呟く。
「そう言えばさっき攻略法があると言っていたがそれは何なんだ?」
「刻印っていうのはそもそも術式と違って有限なんだよ
施した相手が居る間だけしか作用しない
だから施された者が居なくなれば自然と刻印も消えるんだ」
明希が思い出したように聞くと琴吹は答えた。
「それって‥」
「そう、征嗣が居なくなれば刻印から影響を受けないって事だよ
でも俺としてはそれをしたくは無いんだ
さっきも言ったけど100%刻印の影響で寿命が決定しているのかまだ確定はしていないからね‥彼は五月君の盾でもあるし安易に排除してって言うのは乱暴だと思ってるよ」
五月が呆然としながら琴吹を見ると琴吹は躊躇いがちに返す。それを聞いて五月は少しホッとした。
「でもそうなってくると益々、五月の夢の暗示が重要になって来ますね」
東條は少し困ったように五月を見る。
「俺の勘だが以前、お前が見た夢の中で彼を取らないでって誰かが言ってたのは征嗣か「さつき」を取るなっていう意味じゃねぇかと思うんだ
お前か「さつき」に想いを寄せている奴に心当たりは無いか?
それなら二人の邪魔をする為に施した刻印って可能性が出てくるし「さつき」が短命なのも合点がいくだろ?」
明希は考えを修正してもう一度、征嗣に聞いた。
「確かにそれなら筋は通るよね
嫉妬ほど怖いモノは無いから‥」
それに同意するように琴吹も言うと征嗣を見るが征嗣は難しい顔で考え込んだ。
「俺はそういった事に疎いのでよくは分かりません
多少、好意を向けられているような気がした事は有りますが其処まで想われていた感じでも無いので‥ただ、初代・殺鬼はご存じの通り妻子がありましたのでそちらの方はよく分かりません
姫のお引き合わせで婚姻しましたが俺が見る限り夫婦仲は良好のようでした
妾が居たとか他に想い人が居るという話も聞いた事はありません」
恋愛に疎い征嗣は出来るだけ客観的な意見を心掛ける。
「当時を知る貴方がそう言うなら恋愛に関するごたごたは無かったのかもしれませんね
そんな事をするような人物なら生きている内から何かしら行動を起こしている筈です
今も昔もそういう点では余り変わり無いでしょうし‥」
東條は溜息交じりにそう言うと宙を見上げ、皆も途方に暮れながら沈黙した。
「あの‥率直な疑問なんですけど初代・殺鬼が施した刻印という線は無いんでしょうか?
術に精通していたなら刻印くらい施せそうな気がするんですけど‥それに許可された魂なら封印くらい通り抜けられるんじゃないですかね?」
暫くの沈黙の後、五月は戸惑いながら呟く。
「確かに征嗣の話を聞く限り、封印されて以降、目覚めるまでの期間に刻印が施されている事は明らかですが初代・殺鬼本人が刻印を施したとして一体どういう意図が‥」
東條は其処まで言うと言葉を止めて考え込む。
「何か思いついたのか?」
「いえ‥でも少し調べてみたい事が出てきました
私は先に失礼しても構いませんか?」
明希が聞くと東條はそう言って席を立つ。
「何かヒントが思い当たるなら共有して欲しんだけど?」
「まだ可能性という話なので迂闊にはお伝え出来ません
先のお話と同じく禁術に関わる事なので‥確定したらきちんとお話いたしますのでお見逃し頂けませんか?」
琴吹が言うと東條は言い難そうに返した。
「分かった、どの道、もう知恵も出無さそうだし一旦、解散にしよう
俺ももう少しいろいろ調べてみるよ」
琴吹はそう言って人払いの結界を解く。そして東條は頭を下げて早々に出て行った。
「後の事は明希ちゃんにお願いして良いかな?
俺はこれから繁忙期に入って殆ど動けなくなるからさ」
「ああ、分かってる
智裕の分もいろいろ負担してくれてんだろ?
何時も悪ぃな‥」
「僕のせいでいろいろご負担をかけてしまって申し訳ありません」
琴吹が言うと明希と五月は申し訳無さそうに琴吹を見る。
「別に構わないよ
それに今回の件に関してはこちらとしても貴重な記録を回収出来た訳だからね
それよりまだ希望は有るから絶対に諦めないでね」
「はい」
琴吹が微笑んで言うと五月も微笑んで返した。
「じゃぁ、俺は屋敷に戻るがお前等も送って行ってやろうか?」
「あ‥いえ、自分の車で来ているので大丈夫です!」
明希が立ち上がりながら聞くと五月も立ち上がりながら慌てて返す。
「あ、明希ちゃん‥帰りに真十郎の所へ寄って書類持ってってくれる?」
「ああ、分かった」
部屋を出ようとする明希に琴吹はそう言った。
「俺は書類を取りに行ってから帰るからお前らは先帰っててくれ」
「分かりました、ではまた何かありましたらご連絡させて頂きます」
「ああ、じゃぁな‥」
そう言って別々の通路を行くと五月は屋敷を出て車庫ではなく玄関の方へ向かう。
「駅までなら別に送って貰っても良かったんじゃないか?」
「先生は三上様の運転を知らないからそんな事言えるんだよ」
二人で話しながら屋敷を出て駅に向かった。
一方、明希は真十郎の居る琴吹の執務室まで来て少しうんざりしたような顔をする。
「何、先回りしてんだよ」
「だってこうでもしないと二人に悟られちゃうからね」
明希がそう言ってソファに腰を下ろすと琴吹は定位置に座っていてにっこり笑って返した。五月と征嗣には聞かれたくない話をしたかった明希と琴吹はアイコンタクトだけでこの席を設けたのである。
「で、さっきの話、どう思う?」
「無くは無いと思うよ
立場上、二人はお互い己の想いを打ち明けられない関係だった‥特に征嗣にとって初代・殺鬼を含め「さつき」は大切な弟子でもある
現状を見ても征嗣が「さつき」に対して恋心を隠すのは明白だからね‥周りから見ればバレバレなんだけどさ
征嗣は鬼にまでなるくらいだから初代・殺鬼も相当だったんじゃないかな?
それが魂の状態になって爆発したとみるのは自然な流れだと思う‥魂だけになると我儘になるからね
ただ、五月君の気持ちが肉体に引っ張られたモノなのか純粋な恋心なのかは怪しいけどさ
ともかく征嗣を独占したい気持ちの表れがあの刻印なのだとするとかなり厄介かも‥さっき言ったように複雑な刻印は基本的に施した者にしか解除出来ないからね
それに初代・殺鬼を探し出せたとしても大人しく刻印を解除してくれるかも怪しいし‥」
「なら、やっぱり征嗣抹消という方が現実的という事か‥」
「それはそうなんだけどさっきも言ったようにそれが五月君の寿命に直結してる核心はまだ無いんだよね‥限りなく黒に近いグレーでは有るんだけどさ
それにこれも重複になるけど術式を通さずどうやって五月君の肉体に影響を与えているのか謎も多い
下手に刻印を刺激するのは刻印の作用が分かってからにしないと取り返しが付かなくなる可能性があるんだよね」
「こうなって来ると東條が持って来る情報に賭けるしかないか‥」
「そういう事‥何に気付いたのかは分かんないけど俺達より色んな事に精通してるみたいだし何より年の功って言うのも有るからね
俺達が知らない鬼子のネットワークってのもあるだろうしさ‥それだけに余りこっちの事を明かし過ぎるのはちょっと怖いかもしんないな」
「いろいろ謎の多い奴だがそこは信頼出来ると思うぜ
人間に楯突くつもりならとっくに出来そうな奴だからな」
「そう願うよ」
「それにしても最終的に征嗣抹消しか手が無いってなったらどうする?」
「其処は五月君の命を優先するよ
征嗣には申し訳無いけど彼も元・龍王院家の鬼狩だからそれは承知してくれると思う‥特に五月君の命がかかってるなら尚更ね
問題は五月君なんだよね‥多分というか間違いなく彼は自分の命より征嗣を優先すると思うんだ
それくらい今は彼に心を奪われてる
だから彼に失望されないように無理して結婚や家の存続も頑張ってるんだと思う
本当は何も考えず征嗣と添い遂げたいだろうに‥健気だよね」
「まぁ、出来れば二人共、生かせるに越したこたねぇが俺も覚悟はしておくよ
それより初代・殺鬼自体はどうするんだ?
もし征嗣が死ねばまた厄介な事になるんじゃねぇか?」
「そうだね、初代・殺鬼は鬼狩であると共に龍王院家が一目置くほどの術者だったようだから敵に回すと厄介かも‥多分、うちが征嗣に手をかければ簡単に敵意を向けてくるだろうね
何より初代・殺鬼だけじゃ無く五月君からも恨みを買うかもしれないな
そうなってくると征嗣を抹消するにしても慎重にしないといけないね」
「まぁ、そん時は俺が後始末付けてやるから心配すんな」
「何時も憎まれ役を押し付けて悪いね」
「恨まれんのはもう慣れっこだからな‥気にする必要はねぇぜ
それより五月のフォローはお前に任せんぜ
だいぶ懐かれてるみてぇだしな‥」
「うん、何だか五月君を見てると光一を思い出すんだよね」
「そうか‥まぁ、とにかく暫くはこっちで動いてみるからお前は仕事に専念しろよ」
「ありがとう、お言葉に甘えてそうさせて貰うよ」
話が終わると明希はそう締め括って琴吹の元を後にした。
その翌週、五月は珍しく鬼狩の仕事を単独で引き受けて関東方面に来ていた。唯天が少し難しい案件にぶち当たり征嗣の協力が必要だった為である。それに五月自体、黄泉媛の太刀をもう征嗣の補助なく使えるようになっていたので結界を施した鞘に納めて持ち歩けるようになっていたからだ。
「久しぶり、元気してた?」
「はい、長堀さんこそお元気そうですね
ご結婚したとお聞きしました‥おめでとうございます」
「ありがとう‥じゃぁ、行こうか‥」
待ち合わせの駅まで来ると長堀が出迎え、五月を連れて最寄りのホテルへと向かう。今回は呪術師である長堀からの依頼なのである。ホテルに着くと館石と阿良川が待っていて四人でホテルのカフェで話を始めた。
「今回の依頼、申し訳ないんだけどちょっと面倒臭い感じなんだよね
現状、運営中のラブホテルで秘密裏に呪霊を処分してくれって依頼だったんだけど掃除しても掃除しても湧いて来るんだよ
一匹、一匹は大した事も無いんだけど浄化してもすぐに湧いちゃって軽く被害も出ちゃってるから暫くこの二人を置いて監視してたんだよね
そしたらどうも根本的に呪霊を寄せる種って言うか芯みたいなのがあるのにこの二人が気付いたんだ
それで探知型の呪術師に入って見て貰ったら呪霊に交じって鬼が居るって言うんだよ
人が喰われてる訳では無いから大した事は無いと思うんだけど念の為に見て貰おうかと思ってさ」
始めは雑談や近況などを話していたが飲み物が来ると長堀が仕事のあらましを説明する。
「じゃぁ、僕はその鬼を炙り出して始末すれば良いんですね?」
「早い話がそう言う事なんだけど一つ厄介な事があってね‥」
五月が簡潔に聞くと長堀は返して館石達に視線を向けた。
「現場のラブホは営業中で一般人を巻き込んだりバレないようにする事が必須なんで空き部屋しか使えません
従業員にも基本的に内緒なんで支配人だけしか事情を知っている人が居ないんです」
「だから俺達も清掃員として潜り込んでるんで天宮さんもそれで宜しくっす」
館石と阿良川が続けて言うと五月はそういう事かと苦笑する。
「分かりました、じゃぁ、僕も二人と一緒に潜入して片付ければ良いんですね?」
「そういう事‥一応、僕はバックアップとして適当な部屋で待機はするけど基本的にはそっちで頼むよ
こっちはあくまで何かあった時に誤魔化す為に入るだけだからさ」
「了解です」
長堀も苦笑しながら説明すると五月は脱力しながら答えた。それから軽く段取りを話して良い時間になると皆はホテルを出て現場に向かう。
「じゃぁ、僕は適当に客として入るから後は宜しくね」
長堀は近くまで来るとそう言って三人と別れた。五月は二人に連れられて従業員用の出入口からロッカー室へ入る。
「あら、今日は友達も一緒?」
「ええ、休み前に小遣い稼ぎしたいって言うんで‥支配人には話し通してます
中田さんはもう上がりっすか?」
「ええ、今日は娘夫婦が泊まりに来るから早退するのよ」
年配の女性が入って来て三人に声をかけてくると館石が返した。お互い着替えながら世間話をする。
「今日は人が少ないらしいからお友達を連れて来てくれて丁度良かったわ‥頑張ってね」
そう言うと女性は去って行き、五月達もバックヤードに向かった。丁度、皆は出払っているようで誰も居ない。館石は慣れた様子で掃除用具を出して準備を始める。
「この表示がある部屋に掃除に行くんっす
掃除が終わったら入室可のボタンを押してまた別の部屋に行くって感じっすね」
表示ボードを見ながら阿良川は五月にそう言って清掃が必要な部屋を確認する。そして清掃中のプレートを入れて三人は部屋に向かった。
「じゃぁ、俺が掃除しちゃうから二人で仕事してよ」
「おう」
阿良川が言うと館石は返しながら五月と部屋をくまなく探り始める。
「呪霊自体はこういう所に隠れてたりするくらいなんで大した事無いんっすけどこいつらの隠れてる所に変な気配が偶に在るんですよね」
館石はクローゼットの中に小物の呪霊を見つけると祓いながら五月に説明した。
「なるほどね、鬼の残穢が確かに在るよ
さっきも小さな餓鬼みたいなのを見たし‥この感じだと本体はこのフロアでは無さそうかな」
「じゃぁ、次は別のフロアに清掃に入った方が良さそうっすね
上手く他のフロアが空いてくれると良いんっすけど‥」
五月が返すと館石は溜息交じりに答える。その間も阿良川は黙々と清掃をしていて一通り呪霊を祓うと二人も阿良川を手伝った。それから空き部屋を片付けながら気配を辿って行くがなかなか本体に辿り着く気配は無く、最後のフロアも空振りに終わる。
「可笑しいな‥居室内にも各フロアにも本体の気配は全くなかった
従業員スペースや管理室も前の休憩の時にそれと無く見に行ってみたけど本体の気配は無かったよ」
「じゃぁ、もしかして建物じゃ無くって建物の下‥地中に埋まってるって事ですか?」
二度目の休憩に入り、五月が途方に暮れたように言うと館石が難しい顔で聞き返した。
「いや、そうなら建物が営業した時点で怪異が頻発する筈だよ
でも変な事が起こり始めたのは最近なんだよね?」
五月が二人に聞くと二人は顔を見合わせてから頷く。
「丁度、一ヶ月くらい前から変な事が起こり始めたって言ってたっす」
「初めはポルターガイスト的な事から始まって次に従業員が不可解な声を聞いたり客からクレームが出たりしたって言ってましたね
お祓いしても効果が無かったんでこっちに話が回って来たって聞いてます」
阿良川と館石は事の経緯を順に説明する。
「じゃぁ、やっぱり地中に埋まってる訳じゃ無さそうだね
それに恐らくだけどまだ鬼になって間もないんじゃないかな‥人の喰い方を知らないから影響だけ出てると思うんだ」
「それってどういう事っすか?」
五月の答えに阿良川が突っ込むと五月は少し複雑そうな顔になった。
「この建物の中に死体があると思う」
五月が言うと二人は驚いた顔で言葉を失う。
「でも一階から上には無い事は明らかだよ
本体の気配が無いからね」
「じゃぁ、駐車場になってる地下か‥」
「地下って言えば駐車場の他にリネン室やボイラー室とかも地下だよな?
死体が隠せそうな所って結構あるかも‥」
五月が続けると館石と阿良川は少し嫌そうな顔で言った。そして地下へ降りる為に何か良い言い訳を考えていると休憩室に遅番で出勤して来た支配人が顔を出す。
「お世話になってます、その後、どうですか?」
「あ、丁度良かったっす‥お願いがあるんですけど‥」
支配人が背後を気にしながら入って来て三人にこっそり聞いてくると館石はこれ幸いと状況を説明して地下へ行く許可を貰った。支配人は三人が居ない事を他の者が不審に思わぬよう手配してくれたので心置きなく三人は地下へ降りる。
「駐車場は地下一階と二階、両方に在りますけど地下二階は余り台数も停められないんで混んでる時しか車は来ないっすね
多分、地下一階は駐車場とリネン室しか無いんで大丈夫だと思うんすけど‥」
館石は従業員用の階段を下りながら説明して地下一階の扉を開けた。
「俺達は念の為に見回って来るんで天宮さんは鬼の気配を探って貰えますか?」
「分かった」
館石はそう言って阿良川と駐車場を見て周り、五月は適当な場所で鬼の気配を探る。
「どうっすか?」
「此処じゃ無いね‥でもさっきより気配は濃くなってるから確実にこの下にあると思う」
二人が戻って来て館石が聞くと五月は答えた。そして三人は地下二階へ。扉を開けるなり異様な気配が漂う。だが館石と阿良川にはそれが分からない様だ。
「こっちだね‥」
五月はそう言うと気配が濃くなる方へ向かった。
「そう言えば初めに建物全部周った時は地下二階だけ呪霊が全く居なかったんだよな‥」
「それはどんなに弱い鬼の気配でも呪霊は本能的に避ける傾向にあるからだよ
鬼って時には人間だけじゃなくって呪霊も喰うみたいだから‥でも普通の術師には鬼の気配って殆ど分からないらしいからこれだけ弱いと余計に何も感知出来ないと思うよ
現に僕はこのフロアに来た途端、鬼の気配をはっきり感じたんだけど二人は何も感じなかったんでしょ?
逆に僕は呪霊の気配には疎いんだけどね」
阿良川が言うと五月はそう言って苦笑する。そうやって話しながら駐車場の端にあるボイラー室の前までやって来た。
「あ、鍵がかかってんじゃん?」
鍵付きの扉を前に阿良川が困ったような顔をする。館石は無言で扉に歩み寄りノブを回してみたがやはり鍵がかかっていた。
「俺、鍵を借りてきます」
そう言うと館石は小走りにまた階段の方へ向かい、暫くすると鍵を持って戻って来る。
「遅かったな、何か言われた?」
「いや、鍵がケースの中に無くて予備を出して貰ってたんだ」
阿良川が言うと館石はそう返しながら解錠して扉を開けた。漂ってくるのは腐臭だ。想わず二人は顔を手で覆うが五月は構わず照明を点けて中へと入る。そして物陰を覗き込んで顔を顰めた。
「鬼の本体を見つけたよ」
そう言うと五月は刀をケースから出してコンクリートに突き立てる。すると遺体から分離するように鬼が現れて五月に襲い掛かって来た。それを難なく五月は切って捨てると鬼は霧散する。出入口で固まっていた二人はそれを呆然と見ていた。
「これで鬼は抹消完了
後はこの遺体を依頼人に引き渡してくれたら問題は解決すると思うよ」
五月がにっこり微笑んで二人に言う。それから館石は支配人に地下から電話で報告し、依頼人であるオーナーの了承を取って貰った上で阿良川が少しわざとらしく死体を発見したと皆の前で騒ぎ正式に事件として届け出る事になった。それが犯罪者に対して正当な報いを受けさせる手段でもあるのだ。あくまでも術者が関わるのは法の外の案件だけなのである。
警察の調書を軽く受けて三人は解放されるとホテルへ戻った。勿論、三人とも偽名で術により人に与える印象はかなり薄くしてあるので後々、追及される事は無い。
後日、元・従業員が恋人を殺害し、勤務するラブホテルに遺体を隠して退職していたとニュースで報じられていた。
「お疲れ、思いの外、時間がかかったみたいだね」
待っていた長堀が苦笑しながら三人を出迎える。もう時刻は深夜近くなっていた。
「だって一般人に知られないようにすんの大変なんだぜ先生?」
「それより腹が減ったんで飯食わして下さい」
阿良川がブーたれると冷静に館石がそう続けた。
「分かった分かった、好きな物食べに連れてってあげるって‥」
「肉行こう肉!」
「其処は寿司だろ?」
長堀が困ったように言うと二人はそう対立する。五月は困り笑いでそれを眺めた。
「ごめんね、うちの班は何時もこうなんだよね‥五月君は何か食べたい物とかある?
この時間じゃ余り大した店は開いて無いかもだけど‥」
「僕は何でも良いですよ
あんまり好き嫌いは無いので‥」
「じゃぁ、肉!やっぱ仕事の後は焼き肉っすよね!」
「普通、ゲストが居る時は寿司だろ?」
困ったように聞いてくる長堀に五月が戸惑いながら返すと阿良川と館石は尚も対立しながら五月に畳みかけて来る。それに五月は困ったように微笑むしか出来ない。
「こら、二人共、五月君が困ってるだろ?
このままじゃ決まりそうも無いし今日の所は何時もの居酒屋で済ませよう
此処から近いしあそこなら寿司も肉も有るからさ」
溜息交じりに長堀が言うと二人は仕方なく納得する。そして皆で店の方へ向かった。
「ごめんね騒々しくて‥」
「いえ、賑やかで良いですね
呪術師の方って普段はこういう感じで仕事されるんですね」
「うん、通常は上位術師が見習いを連れてこうやって経験を積ませるんだ
二人も初めの頃に比べたらだいぶ逞しくはなったんだけどね
如何せんまだ高校生だからこういう所は子供っぽくて‥僕もまだ戸惑う事が多いよ
それより君みたいな正規の鬼狩に依頼するような仕事じゃ無かったんだけど二人に経験として見せてあげたくて無理言ってゴメンね」
「それは構いませんよ
丁度、先生も別件で出てて余り大きい仕事だとこちらとしても無駄に時間がかかってしまう所でしたからね」
先を行く阿良川と館石を眺めながら二人で話しながら歩く。そして居酒屋に入ると談笑しながら遅い夕食を取った。
「二人は先に帰って‥僕は五月君をホテルまで送ってくからさ」
店を出ると長堀はそう言って二人を帰らせる。
「別に送って頂かなくても一人で帰れますよ?」
「それは建前でもうちょっと呑みに行かないかと思ってさ‥」
「あ、そういう事なら‥」
二人を見送った後、五月が言うと長堀が微笑んでそう返したので五月は苦笑しながら答えた。そして二人揃ってホテル近くにある居酒屋で近況報告をしながら吞む。始めは仕事の話だったが長堀に流され下の話になっていった。
「この後、する?」
「え?」
酔いが回って来ると長堀はダイレクトに聞いてきて五月は戸惑う。
「でも‥ご結婚されたんですよね?」
「家庭にさえ持ち込まないなら仕事絡みのこういうのはOKだって奥さんにはちゃんと了解貰ってるんだよね
だから明希とも普通にするし他の人とも寝てるよ?」
五月が戸惑いながら聞くと長堀は相変わらず水のように酒を呑みながら返した。五月は少し悩むようにグラスを眺める。素面ならすぐに断ってしまう所だが下の話と酒のせいで少し理性が飛んでいた。その上、忙しくて暫く一人ですらしていなかったし何より一度は寝た仲である。
「じゃあ、少しだけなら良いですよ」
疼いてくる身体に負けて視線を合わせず答えた。そうと決まればと長堀は会計を済ませて五月の泊まるホテルへ同行すると部屋に入るなり口付けながら五月をベッドに押し倒す。五月は酔った勢いと久しぶりに与えられる快楽に抗えず夢中で喘ぎながら長堀を受け入れた。
翌日、目を覚ますと長堀の腕の中に居て五月は今更、しまったと青くなる。泥酔していたなら言い訳も付くが居酒屋の流れから最後に達するまでしっかり記憶にあった。五月は長堀を起こさないようにそっと身体を起こそうとしたが腰が抜けてしまっていて上手く起き上がれない。
「もう起きたの?」
一人で藻掻いていると長堀は目を開けないまま眠そうに声をかけて来て五月は固まる。
「あの‥そろそろ僕、帰らないと‥」
「まだ良いじゃん?
あ、朝勃ちしてる‥」
五月がそう言いながら身体を離そうとすると長堀は目を閉じたままその身体を引き寄せ下半身に当たる五月の状態に気付いた。五月は言われて真っ赤になりながらまた身を離そうとしたがそれより先に長堀が覆い被さって来る。
「あの‥僕、腰が抜けてて‥」
五月は慌てて言い訳しようとしたがその唇を長堀は塞いで五月の身体を弄り始めた。
結局、二人は行為に耽ってしまい昼近くにホテルを出る。
「ごめんね、あんまり良過ぎて止まんなくなっちゃったよ」
悪びれる事無く苦笑しながら長堀は言って昼食を口に運ぶ。
「いえ、僕もそれなりに良い思いをさせて頂いたので‥それよりお時間良かったんですか?」
五月は心にもない返事をしながら乾いた笑みで同じく昼食を口に運んだ。始めこそ確かに快楽ではあったが後半はほぼ拷問に近い感覚ですっきりを通り越してげっそりという具合である。
「今日は僕、休みだから大丈夫だよ
五月君こそ大丈夫?」
「帰りは分からないと伝えてあるので一応、大丈夫です‥それに先生が帰って来るのは明日になりますから‥」
長堀も気遣うように言うと五月は営業スマイルで答えるが内心、早く帰りたかった。それくらい消耗させられたのである。しかしそれを聞いて長堀はにこやかに「そう」と微笑んだ。
「あ、でも神社の仕事がいろいろあるんで早く帰るに越した事は無いですけどね」
そんな長堀の反応に五月は先手を打って慌ててそう続ける。それから二人は食事を終えると駅で別れた。
〈またやってしまった‥どうも長堀さんには流されちゃうんだよなぁ‥〉
電車の中で反省しつつ溜息を吐く。五月は長堀に嵌められている事など全く気付いていないのであった。
それから一週間ほど過ぎた冬の始め、陰陽師が繁忙期に入り始めると当然のように神社も慌しくなり五月は殆どの仕事を分家に回す。勿論、五月自身でないと手に負えなさそうなものは自分で処理をした。その辺の見極めも必要に迫られて出来るようになっていたのである。
「また依頼のメールが来ているみたいだぞ‥さっきパソコンで集荷依頼を出したら通知が来ていた」
社務所での用事を終えて五月が少し早めに昼食を取りに自宅へ戻って来ると征嗣が玄関で荷物を纏めていてそう言った。
「ご飯食べたら確認するよ
それより追加が出ちゃったから纏めるのもう少し待って‥今、伊佐木さんが持って来るから‥」
五月は草履を脱ぎながらそう言うと居間の方へ向かう。
「じゃぁ、個口は増やさず行くのか?」
「うん、そんなに無いから多分、大丈夫だと思うよ」
征嗣が聞くと五月は立ち止まらず返した。五月は居間に行くとおにぎりのラップを剥がしつつノートパソコンの電源を入れ、おにぎりを齧りながら祖母が作り置いてくれた味噌汁を温める。
「ちゃんと座って食べたらどうだ?」
「だって早く食べてお爺ちゃん達と交代しないと‥お婆ちゃん、今日は夕方まで戻って来ないからさ
僕が社務所の留守番しないとダメじゃん?」
征嗣も居間にやって来て呆れながらそう言うと五月はおにぎり片手にウロウロ用事をしながら返した。
「多少の事なら俺が代わりにやってやる
だから食事くらい落ち着いてしろ」
「先生にはもう充分、手伝って貰ってるって‥ほら、伊佐木さんが来たみたいだよ」
征嗣がそう言って温まった味噌汁を器に入れると五月はそれを受け取りながら玄関が開く音に反応して言う。征嗣は溜息を吐くとまた玄関に戻って行った。五月はようやく腰を下ろすと今度は味噌汁を食べながらメールを確認していく。そして個々の内容を把握しながら各分家に割り振っていった。
〈これはちょっと他所に回すのは不安だな‥12月に入る前なら僕が行けるか‥〉
一件のメールに目を留め、そう思うとチェックを入れる。そんな感じでメールの処理をざっくり終えると五月は味噌汁を飲み干し、パソコンの電源を切ってまた社務所へと戻って行った。
その日の夜、五月は何時も通り皆で夕食を囲んで談笑していたが昼間のメールの事を思い出す。
「あ、そうだ‥悪いんだけど明後日から一週間ほど神社を空けても良いかな?
僕が処理しなきゃいけない依頼が溜まって来ててさ‥梯子して纏めて片付けて来ようと思うんだ」
五月は〆の雑炊を食べながら溜息を吐いた。
「お前は基本的にそっちを優先すれば良い
元々こっちは儂等だけでやっておったのだから心配はいらん」
「ありがとう‥じゃぁ、明後日の朝に出るからそのつもりでいてね」
咲衛門は雑炊を食べ終えてそう返すと五月は微笑んで残りを流し込んだ。許可を得られた五月は部屋に戻るとざっくり予定を組んで各所に訪問日の連絡を入れ返事を待つ。相手の都合が悪い場合は適度にずらしたり入れ替えながら綿密なスケジュールを立てた。そしてスケジュール表が出来ると征嗣の部屋を訪ねる。
「先生、起きてる?」
ノックの後にそう言いながら五月がドアを開けると征嗣は風呂上がりなのか浴衣一枚で頭を拭いていた。
「ああ、まだ起きていたのか?」
「先生こそ今、お風呂あがったの?」
「下で少しお札の製作を手伝っていたんだ」
「先生って何だかんだお爺ちゃんにコキ使われてるよね」
返事をする征嗣の隣に腰を下ろしながら五月は苦笑する。
「それよりこんな時間にどうしたんだ?」
「あ、うん‥これ、明後日からのスケジュール組んだから先生にも見て貰っておこうかと思って‥一応、余裕は見てるけど立て込んではいるから向こうで慌てないようにさ」
征嗣が聞くと五月はタブレットを渡しながらそう言った。それを受け取ると征嗣はスケジュールを確認しながら仕事の内容も把握していく。五月は横から少し窺うようにそんな征嗣の横顔を眺めた。少し上気した征嗣の横顔にドキッとしつつ視線を落とすと少し開けた袷の間から胸板が覗いていて思わず息を呑みながら見入る。長堀よりも男らしい胸板だった。
「此処の移動時間だが車より電車を使った方が早くないか?」
「え?何?何処の部分?」
不意に征嗣に聞かれて五月は慌てて返しながら征嗣の顔を見てからタブレットの画面に視線を移す。そして征嗣が指差す先を確認した。
「ああ、此処は電車があんまり来なくて待ち時間が長いんだよね
だから車で行く方が効率的なんだよ
電車の本数が多い駅から大塚さんに車を手配して貰ってるからレンタカーの手続きもいらないしね」
五月が誤魔化すように早口で説明していくと征嗣はまたタブレットを眺め、確認作業を続ける。五月は何とか誤魔化せたと少しホッとしながら小さく溜息を吐いた。しかし視線はまた自然と征嗣の身体を見てしまう。どうしてもこの間の長堀との行為を征嗣に置き換え想像してしまうのだ。
「大方把握した、問題が無ければこのスケジュールで十分こなせるだろう」
全て把握すると征嗣はタブレットを五月に返す。五月はハッとしながらそれを受け取ると立ち上がった。
「じゃぁ、明後日は宜しくね」
「ああ、それよりもう遅いから早く風呂に入って休めよ」
「うん、そうするよ」
五月は誤魔化し笑いで返しつつそそくさと征嗣の部屋から出て長い溜息を吐く。
〈つい、半勃ちになってしまった‥〉
五月はそう考えて頬を染めると少し前のめりになりながら風呂へと向かった。
鬼狩出張当日、待たせていたタクシーに五月は大きなキャリーケースを二つ積み込んで征嗣と乗り込む。そして最寄りの空港まで来ると大きな荷物を預けてボディーバッグだけで飛行機に乗り込んだ。やはり征嗣は普通のリュックだけというシンプルな荷物である。刀等は荷物検査に引っ掛からないよう征嗣の中だった。変身もする便利な貴重品入れである。
青森空港に降り立つと大きな荷物は空港に預けて速攻で弘前まで行き、依頼人と合流して現場まで向かう。そして速やかに仕事を終えるとまたとんぼ返りで青森空港に引き返した。五月はまず移動に時間がかかり比較的、楽な案件だったこの仕事を初日に持って来てギリギリのスケジュールで動き、他の仕事に余裕を持たせる算段だったがそれでも予定よりかなり時間は押してしまう。
「晩ご飯食べる時間あるかな?」
「微妙だな‥向こうへ行ってからの方が良いんじゃないか?」
五月が荷物を受け取りながら言うと征嗣は時計を確認しながら返す。五月達はまたすぐに搭乗手続きをして今度は山形空港へ向かった。
「せっかく此処まで来たのに観光したかったなぁ‥」
「まぁ、今度ゆっくり来れる時にすれば良いさ」
飛行機に乗り込むと夜景を見ながら五月が溢し、征嗣は困った顔で微笑みながら慰める。そして山形空港に到着したのは夜の9時を回った頃だった。
「お腹空いたぁ‥」
「とりあえず何処かで食べてホテルへ行こう」
五月が荷物を引き取りながら力無く言うと征嗣も荷物を半分引き受けて微笑みながら返す。二人は人に尋ねて近くの店に入ると遅い夕食を取った。
「何だか久しぶりにまともなご飯食べた気がする‥お昼も菓子パンだけだったし‥」
「そうだな‥しかし一応は予定通りに来れて良かったな」
五月がしみじみ言うと征嗣は苦笑して返す。そして一息吐いてからタクシーに乗ってホテルへ向かった。
「疲れたぁ‥」
ベッドへダイブすると五月はそう言って身体の力を抜く。
「そのまま眠ってしまう前にさっさと風呂へ行くぞ」
「分かってるって‥ダラダラしてると寝る時間無くなっちゃうもんね」
征嗣がそう言いながら荷物を片付け風呂へ行く準備を始めると五月も諦めたように身体を起こした。そして二人で風呂へ向かうと身体を流す。遅い時間のせいか人はまばらで然程、視線を気にする事も無く五月はのんびり湯船に浸かった。時折、傍に居る征嗣の裸体が気になったが疲れが先攻して視線さえ外していれば要らぬ思考に至らずに済んだ。部屋に戻ると二人はすんなり眠りに就く。
翌日、朝食を早めに取って身支度を済ませると早々にチェックアウト手続きを済ませロビーで依頼人を待った。時間丁度に依頼人が到着し次の現場へ。其処での仕事は予定より早く済んだので五月達は予定を繰り上げて電車に乗り込み次の目的地を目指す。
「次は仙台だったか?」
「うん、仙台の駅で朱雀王子家の眷属の人が待ってる筈だからその人に連れてって貰う予定
何でも大事な慰霊塔の近くらしくてさ‥力の弱い鬼が封じられてるみたいで今までは平気だったんだけどちょっと事情があって小さな懸念も排除したいんだってさ」
二人は次の仕事の話をしながら車窓を眺めた。そして予定より早く着くと連絡を入れてあったお陰か既に朱雀王子家の眷属が駅で待機していてスムーズに次の現場へ向かう。
「申し訳ありませんが鬼の抹消が済みましたら即座に塚の在った場所へ工事の業者が入る事になっているので出来るだけ狭い範囲での作業でお願いします」
現場へ到着すると眷属は少し申し訳無さそうな顔でそう言った。問題の鬼塚は50m四方に収まるほどの遊具すら無い狭い公園の隅っこにポツンと在る。
「えっと‥狭い範囲と言いますとどれくらいでしょう?」
「この公園内で完結して頂けると助かります」
五月が聞くと眷属は公園範囲に視線を向けた。公園内はこれから行われる工事の為に侵入出来ないよう囲いがされているが昼間なので公園の周りには結構、人や車が行き交っている。五月は戦闘フィールドの狭さに少し眩暈がしながらも了承した。狭い範囲なので眷属には外から指定領域をかけて貰い、封印を解いて貰う事にして五月達は準備が整うと戦闘に入る。やはりフィールドの狭さに苦戦して一撃で仕留められなかったが何とか予定の範囲内で狩る事が出来た。五月が狩り終えた事を外の眷属に報告し、浄化作業に入ろうとした時にそれを止められる。
「浄化の必要は有りません
こちらには社を勧請しますので後の事は我々が致します
それより昼食をご用意させて頂いてますので車に乗って下さい」
眷属に言われ五月達は乗って来た車に乗り込んだ。連れて来られたのは高級料理屋で五月達は仙台牛のフルコースをご馳走になった。その後、話の流れで次の現場近くまでヘリで送迎までして貰う事になる。五月は遠慮したが是非にと押し切られて申し訳ないとは思いつつもそれに甘えた。やはり鳳凰院家の姫との婚約が効いているのだろうなと内心、五月は感じる。
「少し申し訳無かったけど移動で半日くらい見てたから得しちゃったね」
「そうだな‥それで、次の仕事も繰り上げるのか?」
「とりあえず向こうを出る前に連絡はしたけどどうかな?」
ヘリポートから次の現場までタクシーで移動しながら五月はメールをチェックする。返事には早く来てくれるなら是非にと快く了承してくれる内容が綴られていて五月は少しホッとしながら征嗣に内容を伝えた。次に向かうのは待ち合わせ場所ではなく現場の在る寺院なので時間としては気にする事は無い。車の入れる所までタクシーで行って後は歩きだ。現場近くでタクシーを降り、トランクから荷物を降ろしていると一人の坊主頭の青年が駆け寄ってきた。
「あの、天宮様ですか?」
青年は征嗣に向かってにこやかにそう聞く。
「あの‥天宮は僕です」
「あ‥これは失礼しました!
私は寺の遣いでお迎えに上がりました一式と申します
鵬徳僧正様より天宮様が寺に滞在中の身の回りのお世話を仰せつかっております
まだ新参なのでいろいろ無礼があるかと思いますが宜しくお願いします!」
五月が苦笑しながら名乗ると一式は自分の失態に緊張した面持ちで返す。
「こちらこそ宜しくお願いします
ではお寺の方に案内して頂けますか?」
「はい、あ、お荷物お持ちします!」
「重いので良いです‥自分で運びますから‥」
「いえ、私に運ばせて下さい!」
その緊張を和らげるように五月が微笑んで言うと一式は少し照れながらそう言って五月の荷物を取り上げる様に持って先へ進んだ。森に囲まれた参道を暫く歩いて行くといきなり巨大な寺院が姿を現す。
「うわ‥立派なお寺‥」
「古いですが檀家さんや地域の方に大事にされてきたお寺なのでよく手入れがされているんですよ」
五月が感嘆の声を漏らすと一式は誇らしげにそう言いながら五月達を中へと誘う。そして寺の説明をしながら客室へと案内した。
「すぐに鵬徳僧正様もお見えになると思うので少々お待ち下さい
すぐ、お茶をお持ちします」
そう言って一式は早々に部屋を出て行く。五月がふと気になって部屋を見回すと壁や柱の一つまで趣があり、ちょっとした部分に細やかに施された飾り彫りがある事に気付いた。
「一見、古いだけに見えるけど丁寧に建てられた感じがするね」
「ああ、華美で無く、さり気ない気遣いがされた建物だな」
二人は感心しながらまるで美術品でも見るように部屋を丁寧に眺める。
「お待たせして申し訳ありませんですな
お初にお目にかかります、私が鵬徳でございます」
そう言いながら高齢の僧侶が慌しく入って来て五月達の目の前に腰を下ろした。年老いた見た目の割に足取りは軽く動作も早い。
「いえ、こちらこそ予定よりかなり早く着いてしまってご迷惑をおかけしました
ご依頼を受けた天宮五月です」
五月はそんな鵬徳に少し驚きながらも営業スマイルで予定変更の謝罪と自己紹介する。其処へ一式が温かいお茶を持って入って来るとその後方からもう一人、炭の入った火鉢を持って入って来て傍に置いて行く。一式は鵬徳と五月達にお茶を出した後、火鉢の上にやかんを置いてから下がった。
「日が落ちるとこの辺はだいぶ冷えますでな‥これが一番、温まります」
鵬徳は火鉢を見ながら微笑む。
「僕もこういうのは好きです
今でこそエアコンにはなりましたが僕が幼い時はうちの神社でも冬は火鉢を使ってましたよ」
五月も懐かしく思いながら微笑んで返し、少し世間話をしてから本題に入った。
「この裏手に鬼を封じたとされる石碑があるのですがそれが経年劣化で崩れかけておりましてな‥その石碑に刻まれた封じの文字が消えてしまうと完全に鬼が解き放たれる可能性があるので処分をお願いしたいのです
雪の多い土地なので次の雪解けの弾みで崩れてしまうやもしれません
私がもう少し若ければ対処も出来ましたがもうこのように老いぼれてはそれも叶いませんでな‥お手数ではありますが宜しくお願い申す」
「承知しました、ではこれから案内して頂いてどういう感じか見て参ります
すぐに処分出来そうならそのまま処分して参りますね」
鵬徳が言うとまだ明かるい内に処分しようと五月は返す。鵬徳はその返答を聞き、一式を呼んで五月を石碑まで案内するように申し付けた。別れ際、少し寂しそうな報徳の表情に五月は何か違和感を覚える。具体的には説明し難いが何かを隠しているような感じがした。
「裏手にあると言ってましたけど敷地のすぐ外側なんですか?」
寺を出て小道を行きながら五月は聞く。
「いえ、少し離れてます‥そうは言っても150mほどですけどね」
「じゃぁ、一般の人がうっかり入ると危ないですね
少し広めの結界を張った方が良いかな?」
「それは多分、大丈夫だと思います
冬は今くらいの時間になると木々のせいで辺りは暗くなってしまいますから‥こんな近くでも遭難しちゃう事もあるんで早々、普通の人は入って来ないですよ
我々だって慣れていてもこの時間から行く事は無いくらいですしね」
話ながらどんどん奥深く進んで行くと話通り暗くなってきた。
「先生、灯り点けて」
一式が立ち止まってもたもた灯りを点けようとすると五月は振り向いて征嗣にそう言う。すると鬼火が灯り辺りは明るくなった。それを見て一式は呆然となる。
「驚きました‥正規の鬼狩ってこういう事も出来るんですね‥」
「これは僕の力じゃ無くって先生の術なんですけどね
言って無かったですけど先生は僕の私益鬼なんです」
少し感動したように一式が呟くと五月は苦笑しながら返すがそれを聞いて驚きながら一式は征嗣を振り返った。
「あ、先生はちゃんと人と同じように理性があるんで大丈夫ですよ」
少し恐怖を讃えた顔を一式がしたので五月は慌てて弁明する。
「そうなんですね」
一式はそれを聞くと少しホッとしたような顔をしてまた歩き出す。
「こちらが鬼を封印してると言われてる石碑になります
私はまだこちらに来て間もないのでよくは知らないのですがもう数百年も前に当時の住職だった方が封じたモノだと聞いています
それ以後、鵬徳僧正様を始め、寺を治める歴代の住職が定期的にご供養されて来たそうです」
件の場所まで来ると一式はボロボロの石碑を眺めながらそう説明した。人の高さほどのそこそこ大きな石碑で何か文字が書かれているようだが表面がかなり劣化していてもう殆ど読めないようになっている。五月は石碑に歩み寄り、鬼の気配を探った。
「封印されていた残穢は有るけど中身は空っぽみたい‥先生はどう思う?」
五月は暫く石碑をジッと見てから振り返り征嗣に意見を求める。
「空っぽというより消滅に近い感じがするな‥数百年、供養され続けて浄化したんじゃないか?」
征嗣はそう言うと溜息を吐いた。極稀にこういう事例もある事は確かでこればっかりは鬼狩が確認しないと一般術者には分からないのである。
「だよね‥でも念の為に石碑の記憶を読んでみるね
先生、大丈夫だとは思うけど何かあったら引き上げてくれる?」
「構わんよ」
五月が言うと征嗣は微笑んで返した。
「えっと‥ちょっと良いですか?」
五月が石碑の記憶を読もうとすると一式が口を挟む。五月達が視線を向けると一式はかなり戸惑った様子だった。
「あの‥鬼って自然浄化するんですか?」
困惑の笑みを浮かべながら何とか疑問を口にする。
「はは、やっぱり信じられないですよね
でも何百年単位で供養されてきたり自身で浄化を望むようになった鬼には極稀に有るんですよ
人の真心や想いが届く瞬間って言うのかな?
誰しも好きで鬼になった訳じゃ無くて辛かったり悲しかったり憎かったり‥負の感情が爆発してそうなっただけで憐れに想って供養し続けたり、理解してくれようとする人が居ると時間をかけて鬼も癒されていく事があるんです
僕はまだ二ヶ所ほどしか見た事は有りませんけどね‥でも確実にそういう優しい場所は有るんですよ」
五月が微笑みながら説明すると一式は目から鱗という表情になった。
「感動です!
じゃぁ、此処も歴代住職のお陰で浄化したんですね!?」
感無量という感じで一式がそう言うと五月はその暑苦しさに少し苦笑する。
「それをこれから確認しますから少し静かにしていて下さいね」
五月が苦笑したままそう言うと一式は大きく頷いた。そしてもう一度、五月は石塔に触れると目を閉じて集中する。そうして暫く目を閉じていた五月はゆっくり目を開けると長い溜息を吐いた。
「やはり浄化してますね
ただ、つい最近、浄化したばかりの様なのでまだ辺りにこれほど禍々しい気配が残っているんです」
「浄化すれば気配って消えてしまうんじゃないんですか?」
「いえ、鬼が居たというだけでその気配は封じられていた場所に残るんです
余程の年月を経るかきちんとその場所を浄化しないと簡単に気配は消えません
でも、つい最近と言っても鬼の時間でという事なので此処も浄化してから20年近く経っていると思われますけどね」
一式の質問に答えると五月はもう一度、溜息を吐く。それを聞いて一式は五月に尊敬の眼差しを向けながら感心した。
「とりあえずこの場を浄化しますね」
そう言うと五月はまた目を閉じて術式を展開して浄化を施す。20分ほどかけて場を清浄にするとようやく目を開けて微笑んだ。
「浄化も完了しました
もう心配無いですよ」
「ありがとうございます!」
五月がそう言うと一式も嬉しそうに微笑みながら返す。
「では戻りましょうか」
五月は少し身体を摩り、寒そうにしながら微笑むと一式も頷き三人は寺へと戻って行った。
「本日はこのままお泊り下さい
御夕飯もご用意させて頂きますので‥」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えさせて頂きます」
寺に戻ると客室に通され、一式が温かい葛湯を持って来てくれてそう言ったので五月はそれに甘える事にする。そして小一時間ほどして鍋料理を出して貰い、身も心も温まると満足気に食後のお茶を頂いた。その後、風呂を頂き部屋に戻ると一式が火鉢に炭を足しに来てくれる。
「夜は部屋の外に出ると冷えますからお手洗いなどに行く時はこれをお使い下さい
何分、古い寺なので部屋の外は人が動かないと何処も寒いんです」
「ありがとうございます」
「ではまた明日の朝、朝食の時にお声がけさせて頂きますので‥おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
そう言うと手にした半纏と予備の炭を入れた壺を置いて行った。
「僕、ちょっとトイレ行ってから寝るよ
先生は先に寝てて‥」
少し征嗣と明日の打ち合わせをした後、五月はそう言って半纏を羽織って部屋を出る。一式が言ったように部屋を出ると一気に寒さが足元から上がって来るような気がした。五月は物音を立てないようにしながら少し小走りでトイレに向かう。五月達の居る部屋からは少し離れていて五月はトイレに駆け込むとホッとしながら用を足した。トイレから出てまた少し速足で廊下を戻っていると窓から本堂が見えて少し灯りが漏れている。他は何処も灯りが消えているのに可笑しいなと思い、五月はそちらへ行ってみる事にした。本堂まで来ると五月は中をそっと伺う。其処には仏像に向かい合う寂しげな鵬徳が居た。
「こんな夜遅くにどうかされたんですか?」
五月がそう声をかけながら歩み寄ると鵬徳は少し五月を見てまた仏像へ視線を戻す。
「成仏した鬼を宜しくお願いしますと仏様にお願いしていたのですよ」
鵬徳が呟くように言うと五月はその隣に腰を下ろし同じように仏像を眺めた。
「やはり貴方は既に鬼が浄化した事をご存じだったんですね‥でもどうして今になって僕達に居もしない鬼の抹消を依頼しようと思ったんですか?」
五月は仏像を眺めたまま訪ねる。
「あれは私がこの寺へ入って間もない頃でした‥私の家は貧しくて末っ子だった私はまだ十にもならない内にこの寺へと預けられたのです
此処での生活は子供の私にとっては辛いものでよく抜け出しては兄弟子達に叱られておりました
そんな折に私はあの碑へと通うようになったのです‥あそこなら誰も来ないからというのもありましたが何より何時もその近くに女性が花を愛でに来ておったのです
何処の誰かは教えては貰えませんでしたが私はその女性に母の面影を映しておりました
そして其処へ通う内に女性と仲良くなり女性も私を優しく迎えてくれるようになったのです
その女性が人では無いと気付いたのは成人してからでした
私が歳を重ねても女性は全く容姿が変わらなかったのです‥でも私にとってそんな事は些細な事でした
そして何時しか私はその女性に母への思慕では無く、恋心を抱くようになりました
私が気持ちを押さえきれず想いを打ち明けると女性は石碑に封じられていた鬼だと私に打ち明け、餌を探している時に私に出会ったのだと告白したのです
しかし喰うつもりで私に近付いたが情が移って喰えなくなったと寂しげに笑っておりました
私は女性に喰われても良いと告げましたが女性はもう人は喰わないと答え、それから姿を見る事がなくなってしまったのです
私はそれが辛くて悲しくてそれからも石碑に通いながら僧侶としての修行を続けました
それでももう女性が姿を見せてくれる事は無く、長い年月の中で私は何時しかこの寺の住職になっておりました
私は代々の住職と同じように石碑の供養をする振りをしながら彼女に己の気持ちを訴え続けたのです
そして今から20年ほど前にようやく想いが通じたのか女性は再び私の前に現れました
私が思わず女性を抱き締めた瞬間、彼女はもう満足だと‥私にありがとうと言い残し消えてしまったのです
私には何が起こったのか理解出来ませんでした
そして彼女が消えてしまった事実が受け入れられずその後も石碑に通い続けたのです
ですがようやく全てを受け入れる事が出来、己の命尽きる前にあの石碑の後始末を考えました
でも時既に遅しで私はもう老いぼれ過ぎてあの場を浄化するほどの力は残されてはおらんかったのです
どれほど浄化を試みても無駄でした‥あの場所から瘴気を出さぬよう努めるのが精一杯‥
昔と違い術の修業をしなくなった此処の僧達には私のような力は皆無‥ですから失礼を承知で真実を隠したまま後始末をお願いしました
騙すような真似をして本当に申し訳無い」
鵬徳はそう締め括り五月に向かって深く頭を下げた。
「顔を上げて下さい!
僕は攻めるつもりで言ったんじゃないんです
ただ、あの浄化した鬼の最後の想いがとても満足気だったのと同時に心配も抱えていたようなので気になって聞いてみたかっただけなんです
貴方は場を浄化してしまう事で好きな人の気配が消えてしまうのが辛かったんですよね?
でもちゃんとそれを乗り越えて僕に依頼して下さった‥きっとその女性も今頃は安心している事だと思います
ですからどうかもうご自分を責めたりしないで下さい
貴方が幸せな余生を送る事がきっと彼女の幸せに繋がると思います
それは彼女を知る貴方自身がよくご存じでしょう?」
五月はそう言うと優しく微笑む。それを聞くと鵬徳は皺くちゃの顔をより皺くちゃにして涙を溢した。
翌日、五月達が起床して身支度を整えていると一式が起きている事を確認したようで朝食を持ってやって来る。
「おはようございます、昨夜はよく眠れましたか?」
「おはようございます
ええ、火鉢のお陰で心地良く眠る事が出来ましたよ
初めて火鉢で暖を取って寝たんですけどエアコンより何だか安心する温かさなんですね
朝までぐっすり眠れました」
一式が挨拶しながら入ってきて座卓を出し、朝食の用意を始めると五月はにこやかに返した。
「私もそれは此処へ来て実感しました
でもこういう古い建物だからこそ出来る事なんですけどね
でないと現代の住宅では即一酸化炭素中毒ですよ」
「確かに‥」
一式は用意を整えながら苦笑すると五月も苦笑で返す。そして朝食を頂いて一息吐くと五月達は次の現場へ向かうべく荷物を纏め始めた。
「少し宜しいか?」
荷物を纏め終えた所でそう言って鵬徳がやって来る。
「おはようございます
昨夜はみっともない姿をお見せしてしまい申し訳ありませんでした」
「おはようございます
とんでもありません、こちらこそ要らぬ詮索をしました
でも、とても良い表情になられましたね」
少しはにかむように鵬徳が言うと五月は微笑んで返した。
「それから聞きそびれておったのですが石碑はどう処分すれば宜しいのでしょうか?」
「もうただの石なのでご自由になさって下さい‥思い出として残そうが土に返そうが何の問題もありませんからね」
「分かりました‥ではそのようにさせて頂きます
この度は本当にお世話になりました」
「いえ、また何かありましたら何時でもご用命下さいね」
そう話す鵬徳は少し老け込んで見えたがとても幸せそうな表情をしている。年相応のその穏やかな顔に五月はようやく全ての柵から解放されたのだと実感して微笑んだ。年より若く見えていたのは責任感と緊張感のせいだったのだろう。
「では僕達はこれで失礼します
お元気で‥」
「お二方も‥息災であられるようこの地よりお祈りしております」
五月が荷物を持って立ち上がりそう言うと鵬徳は微笑んで返し二人を見送った。帰りも一式が車の入れる場所まで送ってくれる。
「一応、タクシーを呼んでありますのでもう来ていると思います」
「ありがとうございます」
参道を行きながら一式が言うと五月は返しそれに付いて行った。車道まで来ると一式が言っていたようにタクシーが待っている。
「本当にありがとうございました」
「こちらこそお世話になりました‥では失礼します」
タクシーに荷物を積み込んで一式が言うと五月もタクシーに乗り込んで別れを告げた。タクシーが走り出しても一式は何時までも手を振っていて五月も見えなくなるまでそれに返す。そして駅に到着すると五月達は電車に乗り換えターミナル駅へと移動し、更にそこから新幹線に乗り換え次の目的地を目指した。五月は新幹線に乗り換えると昨日、報徳から聞いた話を征嗣にする。
「まぁ、親のように慕っている相手に歳が追い付いて恋に落ちるというのは鬼と人にとっては有りがちな話ではある
でも大概の鬼はそういう相手を喰らってしまったりするんだ‥相手の血肉さえも取り込んでしまいたいという感情は鬼にとっての愛情表現の一つだったりもするからな‥
基本的に鬼は感情や欲の塊だ‥人の情とは種別が違う
相手の幸せより己の欲という感じだからそうやって相手をひたすら想うというのは人としての心が取り戻せた証なのだろうな」
「きっと長年供養されて来たからこそ鵬徳僧正と恋が出来たのかもしれないね」
「ああ、例え恋が成就する事は無かったなかったとしても通じ合えた事は幸福だったと思うよ」
五月と征嗣はそんな話をしながら二人の想いに心を寄せた。
そして次の目的地で仕事を終えると二人は飛行機に乗り込む。予定としてはまだ若干、先行している感じであった。
「次は一気に長崎まで行ってまた順番に周りながら戻ってくる感じかな‥予定より半日くらい早いペースだからちょっとくらい観光出来るかな?」
「油断しているとまた時間に追われるかもしれんぞ‥所で次の仕事はそれほど難しいようでも無かったが?」
「うん、長崎のは楽勝だと思うよ
僕じゃ無くても大丈夫そうだったんだけど斎藤からの依頼だったから久しぶりに会いたいなって思ってさ
卒業ぶりだからもう4年くらいになるんだよね」
五月はそう話しながら久しぶりに再会する級友に思いを馳せる。空港に着くと斎藤が五月達を出迎えた。
「久しぶり‥ってか何か女らしくなったね」
「そう言う天宮は相変わらずだな」
五月が斎藤を見て驚きつつも笑顔で言うと斎藤は苦笑しながら返す。昔は短髪ですっぴんだった事もあり男に間違われるような感じだったが今は髪を伸ばし綺麗に化粧までしていて仕事の出来るキャリアウーマンと言った様相だ。元々、顔の作りが良かったせいもあるがかなり美人になっている。
「永藤さんもお久しぶりです」
「ああ、元気だったか?」
「はい、お陰様で‥天宮、レストランを予約してるからとりあえず移動しよう」
挨拶もそこそこに斎藤はそう言うと二人を連れてレストランへ向かった。
「何か高そうな所だね‥僕、長崎ちゃんぽんでも良いんだけど?」
「はは、それはまた明日にでも連れてくよ
今日は私の上司が居るから堅苦しいけど勘弁して欲しい」
車を降りると店の外観を眺めながら五月は言ったが店内へ誘いながら斎藤が言訳をする。店内へ入ると斎藤は店の奥にある個室へ二人を案内した。
「ようこそお越し下さいました
私は朱雀王子家眷属である久世様の部下で菱谷楓と申します
この度はご足労頂きありがとうございます」
「鬼狩の天宮五月です、こちらこそ宜しくお願いします」
個室には二十代後半くらいの青年が待っていて五月達に気付いてすぐに立ち上がり挨拶すると五月も微笑んでそれに返す。そして四人が食事をしながら仕事の打ち合わせに入ると斎藤は料理が途切れぬよう細目に注文をしたり飲み物を追加したりと三人の世話を焼いた。そして食事と打ち合わせが終わると菱谷は斎藤に後を任せて去って行く。五月達はそれから店を居酒屋に移動してのんびり話す事にした。
「それにしても斎藤は立派だよね
もうエリア統括まで任されてるんだ」
「だいぶ苦労はしたけどね
でも出来れば管轄長補佐までは行きたいかな‥そうすれば楓様のような立場の方ともっと仕事も出来るし家の格も上がるからね」
「菱谷さんってそんなに凄い人なの?」
「そりゃぁ、四天王直属の部下だから本当ならこんなに間近で話せる機会も無いよ
天宮が私の元・同級生だから今回はこうして私が指名されたけど本来は私なんかが口を聞ける立場の人じゃ無いからね
天宮様様だよ」
「そう言うもんなのか‥僕、そういう感覚は何だか麻痺してて分かんないや」
「それだけ天宮が私よりも遥かに格上って事なんだよ
私もこの仕事してて思い知らされたもん
学校に居た頃はそんな事も分からなかったけど本格的にこの仕事してると改めて階級の違いって言うの思い知らされるからね
戸川なんか出雲でもう祭司長になってるんだよ?」
「え?嘘?
戸川って調子乗りで万年、成績ビリだったじゃん!?」
「だろ?でも仕事で再会した時、凄い立派になっててあの頃の面影ないんだよ?
ちょっと見直して仕事の合間に少し話したんだけど相変わらずアホで安心したけどね」
「はは、やっぱり?
体裁は繕えても本質はそう変わんないよね」
五月と斎藤は昔話に花を咲かせながら気分良く呑み進める。そして適当に切り上げるとホテルまで送って貰った。
「じゃぁ、明日、9時に迎えに来るから‥」
「うん、斎藤も気を付けて帰ってね」
五月と征嗣はタクシーを降りるとそう言って斎藤を見送る。ホテルは既に斎藤が手配していてくれたのでフロントで名前だけ言って鍵を受け取った。
「何か見た目、綺麗になってて始めはちょっと緊張したけど昔のままで安心したよ」
「そうだな、でも向こうもきっとそう思っていると思うぞ」
五月が上機嫌で部屋へ向かうと征嗣もその後方から付いて行きながら返す。
「上の方って事は良い部屋押さえてくれたんだね
ちょっと恐縮しちゃうよ」
五月はそう言いながら部屋の鍵を開けて中へ入ると少し固まった。スイートほどでは無いがそこそこ高そうな部屋でツインベッドの大きさもセミダブルはある。
「わぁ、高そう‥
そんなに気を遣わなくて良いのに‥」
思わず呟くと乾いた笑みで奥へと歩みを進めた。荷物を置くと五月は室内を見て周る。
「此処のお風呂、結構大きいな‥先生、僕、此処でお風呂済ませるけど先生はどうする?」
「俺はせっかくだし大浴場の方へ行くよ
時間のある時にゆっくり入りたいからな‥」
五月が浴室を覗いてから聞くと征嗣は返して風呂支度を始めた。
「風呂上がりにラウンジで一杯やって戻って来るから先に寝ててくれ」
「うん、分かった」
征嗣が言い置いて出て行くと五月はそう返事をして湯船にお湯を溜め始める。
〈僕も風呂上がりに何か飲もうかな‥〉
五月はルームサービスのメニュー表を見ながら思うが余り心惹かれる物が無い。少し悩んで近くにコンビニがあった事を思い出し、買い物に出て酒と摘まみになりそうな物を買い込んできた。そして風呂から上がるとそれらを飲み食いしながら出発してから今までのレポートを纏め始める。最終的には手書きで残してはいるのだが抜けが無いようにこうして出先で纏めているのだ。仕事をしながら飲み食いする内につい呑み過ぎてしまいレポートが完成する頃には完全に出来上がっていた。パソコンを閉じてベッドにダイブすると動くのが億劫になってそのままウトウトし始める。すると其処へ征嗣が戻って来た。
「おい、幾ら暖房が効いているからってそのまま横になるな
布団くらいかけて寝ろ」
征嗣が身体を揺すってそう言うが五月は少し顔を顰めるだけで起きそうに無い。
「全く‥少し持ち上げるぞ?」
そう言うと五月の身体を抱えて下敷きになっている掛布団を退けた。すると寝ぼけた五月は征嗣に抱き付く。
「おい‥起きてるなら‥」
「先生‥好き‥」
征嗣が呆れて溜息交じりに小言を言おうとしたが五月はそれを遮るように耳元で囁いた。一瞬、征嗣は動揺して固まってしまうがすぐに小さく息を吐いて落ち着きを取り戻す。
「呑み過ぎだ‥大人しくさっさと寝ろ」
そう言うと征嗣はまたベッドに五月を降ろして身を離そうとしたが五月は離れない。
「おい‥」
「幻じゃなく僕を見て‥大好き‥」
征嗣が困惑しながら五月の腕を離そうとしたが五月は辛そうにそう言って腕に力を込めた。どうやら泥酔して夢と現実の区別がついていないようで五月はつい秘めていた想いをぶつけてしまう。征嗣はいきなりの告白に困惑すると同時に五月が正気でない事を悟った。
「もうとっくに誰よりもお前の方が大事だよ」
征嗣も五月の耳元で本心を打ち明ける。すると安心したのか五月は腕の力を抜き、そのまま完全に眠りに落ちた。征嗣はようやく解放されると五月に布団を掛けてやり、隣のベッドへ腰を下ろして今更、赤くなって照れ始める。今までどんな相手にもこんな甘い言葉を囁いた事は無い。でもそんな事もどうでも良くなるくらい征嗣の気持ちも五月へ向かっていたのである。
五月が誰かと親しくする度に内心、ずっと嫉妬している自覚はあった。しかし勤めて冷静に振舞っていたのである。裸体を見る度に欲情していたのは五月だけではなく征嗣も同様だったのだ。今も無防備に横たわっている五月を抱いてしまいたい衝動に駆られている。
〈まるで苦行のようだ〉
征嗣はそう思うと長い長い溜息を吐いてからベッドに入って悶々としながら眠りに就いた。
下へ続く




