二十四代目・さつき
あれから三ヶ月ほど経ち、口伝の伝授もほぼ終わり一人での仕事にも慣れてきた五月は少しずつ大きな仕事も任されるようになって他の術者とも仕事をするようになる。毎日、目まぐるしい忙しさで幸か不幸か五月は色事を考える余裕も無かった。仕事と口伝の伝授に加えて空いている時間は専用刀に慣れる為、征嗣との鍛錬もしていたからである。
「バックアップをありがとうございました」
「こちらこそ殆ど処理して頂いたので助かりましたよ」
老僧が丁寧にお辞儀をすると五月は照れ笑いで返した。
「それよりも今から山を降りるのも大変でしょうから今日はこちらにお泊り下さい
こんな山寺でたいした持成しも出来ませんが‥」
「ありがとうございます
でも、明日の朝には発たなければならないので失礼します」
「相変わらず鬼狩の方はお忙しいのですね」
「ええ‥じゃぁ、また何かあったらご連絡下さい」
老僧は泊まるよう勧めたが五月は丁寧に断って日の傾きかけた空を見ながら山寺を後にする。
「先生、行くよ!」
寺の山門脇でぼんやり空を眺めている征嗣に五月は声をかけた。
「もう話は済んだのか?」
「うん、それより早く山を下りないと日が暮れちゃうよ」
征嗣が歩み寄って来て応えると五月は返しながら山道を行く。二人で山道を歩いているとあっと言う間に辺りは暗くなってきた。
「ただでさえ谷間なのに日が落ちると何も見えなくなってきたね
先生、灯り点けて貰っても良い?」
立ち止まって五月は溜息交じりに辺りを見ながら征嗣を振り返る。
「丁度、山の影だから仕方ないな‥それにこの辺りは高い木も多くて日が入り難いようだ」
征嗣が返しながら鬼火を灯すと背景がうっすらと浮かび上がってくる。
「まだ1時間ちょっと歩かないと車道に出られない上に車道に出ても近くの駅まで二時間歩くとか‥こうなって来ると本当に修業だよね
バスも終わってるしこんな田舎じゃタクシーも呼べ無いしさ‥」
辺りがうっすらと明るくなると五月はまたぶつくさと文句を言いながら速足で歩き始めた。征嗣は困ったような笑みでそれを聞きながら後ろから歩きつつ時折それに相槌を打つ。少し息が切れ、道も舗装路になって来た頃、ようやく車道に出る事が出来た。
「やっと此処まで来たぁ‥もう歩けないよ」
五月はそう言うと長い溜息と共にその場に座り込む。
「少し休んだら早く行かないと今度は電車が無くなるぞ?」
「分かってるよ‥流石に野宿はヤだもん
せめて街までは行かないと宿も無いしね
それにしてもこの間の廃村の仕事と言い不便な所、多過ぎない?
誰も居ないのに祓う必要無いじゃん‥」
征嗣がそう言うと五月は少し膨れながら返した。
「例え普段は人が居なくても立ち入る可能性が有るという事なら其処は処置しとかないといけないもんなんだよ
それにそういった場所の方が強い鬼も多いからな‥」
征嗣はそう言って何かに気付いたように辺りを見回す。すると遠くからエンジン音が近付いてきた。五月もそれに気付くと慌てて立ち上がる。
「もしいけそうなら乗っけてって貰おう!」
五月はそう言うとその音が近づいて来る方向に目をやった。チラチラ光が見え始めると征嗣は鬼火を消し、五月は片手で親指を立てもう一方で手を振る。すると車は五月達を通り過ぎてかなり離れた所で停まった。五月達が車の方まで駆けて行くと運転席の窓が開く。
「すみません‥もし良かったら途中まで乗せて貰えませんか?」
五月は運転手の顔が見える前に大きめの声でそう話しかけながら運転席を覗いた。
「ほら、やっぱり生きてる人間じゃん!」
運転席の青年が同乗している仲間にそう言って安心したように笑う。それを聞いて五月はやっぱり幽霊に間違われたのかと苦笑した。
「どうしてこんな所、歩いてたんっすか?」
「この奥にある山寺に用事で来てたんですけど日が落ちてしまって‥」
「ああ、此処らのバス停、夕方には終わっちゃいますもんね‥狭いっすけど良かったら乗って下さい」
そんな感じで運転手も同乗している仲間も快く五月達を乗せてくれる。6人乗りの車に三人だけだったのでまだ余裕があるくらいだ。
「何処まで行くつもりだったんです?」
「とりあえず駅まで行って其処から電車で街に出ようかと‥」
「駅までって‥この辺りからなら歩いて最低でも二時間はかかるっすよ?」
「そうなんですけど他に交通手段が無かったんで‥乗せて頂けて助かりました」
そんな話をしながら車は山道を進んで行く。
「もし良かったら俺等、市街地まで戻るんでこのまま其処まで乗って行きません?
別に良いよな?」
助手席の青年が五月達に言ってから運転手に確認した。
「もしそれで良いならこっちはその方が助かります‥駅に寄ってたら遠回りになるんで‥」
「こちらこそ、そうして頂けるんならめっちゃ助かります!」
運転手もそれに同意して言うと五月は思い切りそれに乗っかる事にする。それから皆でいろいろ話しながら市街地へ向かった。乗せてくれた3人組は釣り仲間で渓流釣りにもう一つ奥の山まで来ていたそうだ。普段は日の在る内に帰るのだが今回は暑さも和らいできたので日帰りキャンプも兼ねて釣った魚をその場で料理し、食べてから帰路に着いたのでこの時間なのだと話してくれた。
「じゃぁ、僕達凄くラッキーだったんだね」
「そうだな」
五月は安心したような笑顔で征嗣に言うと征嗣も少し微笑んで返す。
「お二人はどうして山寺に?
まだ紅葉までは早いでしょ?」
「ええ、まぁ‥ちょっと‥」
「知人の病気平癒のお参りですよ
とても御利益があると噂だったんで‥」
後部座席の青年が聞くと五月は返答に困ったが空かさず征嗣がフォローする。
「へぇ、あのお寺ってそういうご利益あるんすね‥遠目では見てたけど行った事が無くってどういうお寺なのか知らなかったなぁ」
助手席の青年が感心しながらそう言った。それから五月は出来るだけ自分達の話に触れないよう三人に話を振って何とか市街地まで辿り着く。
「何処で降ろせば良いですかね?」
「あ、適当に何処かの駅前に降ろして貰えれば良いです
今日はこの街に泊まって明日、帰るんで‥」
「それならホテルのある駅が良いっすよね‥こっちの方は駅前でも寂れてるから碌な宿も無いし大きな方の駅に行きますね」
そう言うと気を利かせて運転手の青年はわざわざ遠回りをして繁華街のある駅前で降ろしてくれた。
「本当にありがとうございました
めちゃくちゃ助かりました」
「いえいえ、困った時はお互い様っす‥じゃぁ‥」
五月は丁寧に礼を言いながら車を降りると三人も気前よくそう言って二人を見送る。その清々しさが余りにも嬉しくて五月は車が見えなくなるまで手を振った。そしてほっこりした気持ちにニコニコしながら近場のホテルを訪ねて周る。しかし流石に週末だけあって駅前に在るようなホテルは何処もいっぱいだった。
「逆に寂れた駅前の方が泊まり易かったかも‥」
五月は途方に暮れながら疲れた足を引きずる。
「とりあえず食事をしながら考えよう」
「そうだね‥お腹減っちゃったよ」
そう話すと手近な居酒屋に入り食事を取った。五月はその間もスマホで近くのホテルに空きが無いか探してみる。しかし全滅だった。
「もう時間も遅いし余計に無いよね‥」
諦めたように言いながら酎ハイを呑むと当てを摘まむ。そしてほろ酔いになると諦めて店を出ようと会計に立った。
「この辺で泊れる所って無いですかね?」
「ああ、それならこの道をまっすぐ行って二つ目の信号を右に行ったらありますよ
週末でもだいたい何処か空いてるんじゃないかな?
はい、二百三十円のおつりね!」
ダメ元で聞いてみると以外にも店員はそう返しながら微笑んだ。五月は何だかホッとしたようにありがとうと微笑みながら店を出る。
「やっぱりこういう時は地元の人に聞くのが一番だね!」
「そうだな」
五月は足取り軽く教えられた道を行くと征嗣もホッとしたように微笑み返した。そして教えられた二つ目の信号を右に曲がり五月は呆然となる。めちゃくちゃラブホテルだった。
「やっぱりそういうオチか‥」
五月はトホホ笑いを浮かべて肩を落とす。
「この際、背に腹は代えられんだろう?」
征嗣はもう諦めたかのようにそう言った。仕方なく二人は空いているラブホテルに入る。話には聞いていたが初めてこういうホテルに入るのでドキドキしたがやはり見た目は女子なので止められる事も無くスムーズに入る事が出来た。
「とりあえず汗だくで気持ち悪いから先にお風呂入って来るね」
部屋に入るなり五月はカバンを置いて浴室へ向かう。当然だが余りにもそう言う雰囲気の部屋なので居た堪れなかったのだ。湯船にお湯を溜めながらこれからどうしようか考える。
〈お風呂溜まるまで出て無いと不自然かな?
でもあんな所で一緒に居るの居た堪れないし‥って言うか着替えカバンの中に入れっぱなしだった!
今から取りに戻る?
いや、でも部屋着が在るのに風呂上がりに服で居るのも不自然だよね?
とりあえずお風呂出たら先生が入ってる間に寝ちゃおう!〉
そんな事を浴槽の淵に座ってグルグルと考え込んでいた。
「五月、悪いがちょっと良いか?」
浴室の外からそう声をかけられ五月はドキッとして扉の方を見る。
「な‥何?」
「飲み物を頼むついでに適当に何か注文しようと思うんだが何かいるか?」
五月がドキドキしながら聞くとすぐに征嗣から返事が返って来た。それを聞くと五月は少しホッとして浴室の扉を開ける。
「何だ‥まだ入ってなかったのか?」
「うん‥今、お湯溜めてるんだよ
浴槽が大きいからなかなか溜まらなくてさ」
征嗣が聞くと五月は誤魔化し笑いを浮かべて答えた。
「結構、広い風呂だな‥これなら俺も一緒に入れそうだ」
「え?でも何か注文するなら入ってると不味いんじゃない?
それに僕、一人でゆっくり入りたいんだけどな‥」
征嗣は風呂を覗き込んでそう言うと五月は慌てて回避するよう理由を並べる。少しグレードの高い部屋のせいか風呂もかなり広く湯船もジャグジー付きで二人でも充分、快適に入れる広さだった。
「注文は出てからでも構わんしゆっくり入りたいなら入れば良いだろう?
別に俺に合わせて出る必要は無い
湯船も4、5人は入れそうだから邪魔にもならんだろう?」
そう言うと構わず服を脱ぎ始めた。五月はそれを見ると戸惑ったまま固まる。
「もうだいぶ湯も溜まっているようだから入れるだろう?
お前も早く入ってこいよ」
征嗣は先に裸になるとそう言って浴室へ入った。五月は此処で入らないと逆に不自然になると思い諦めて服を脱いだ。そして洗い場に二人並んで身体を洗う。五月は出来るだけ征嗣の方を見ないように身体を流した。必然的に五月の方が髪の長い分、時間がかかるので先に征嗣が湯船に浸かる。今更ながら五月は身体を見られるのが恥ずかしくてコソコソ後から湯船に入って行った。前までは余りそういう事を意識した事も無いのだが初体験を経てからはどうも征嗣に肌を見せる事に戸惑いが出て来てしまったのである。
「別にそんなに縮こまって入らなくても余裕があるだろうが‥」
征嗣は隅っこで小さく浸かる五月にそう言って溜息を吐いた。
「ああ‥うん‥まぁ、そうなんだけどさ‥」
五月はしどろもどろで宙を見上げながら返した。そして躊躇いながら出来るだけ不自然にならぬよう征嗣と向かい合うように足を延ばす。
「あ‥これ、ジャグジーのボタンかな?」
五月は視界に入る征嗣の裸体にドキドキしてしまいそれを誤魔化す為にそう言いながら脇にあったボタンを押してみる。するとゴボゴボと水泡があちこちから出てきて征嗣の裸体や自分の身体を隠した。五月は思わぬ効果に少しホッとすると同時にその心地良さにようやくリラックスする。
「ジャグジー、気持ち良いね」
「そうだな」
ようやく笑みを浮かべてそう言った五月に征嗣も微笑んで返した。その心地良さにぼんやり浸かりながら疲れを癒し二人は少し長湯をしてしまう。
「流石に逆上せて来たな‥上がるか‥」
「そうだね」
そう言うとぼうっとしたように征嗣に続いて五月も立ち上がろうとした。ホテルに入って緊張続きだったせいか一気に気が抜けてしまっていた五月は思わずバランスを崩す。
「っと、気を付けろよ」
征嗣がそう言って五月の身体を抱き締めると五月は一気に覚醒して真っ赤になった。今までに無いくらい征嗣の体温を感じると同時に自分のそれと征嗣のそれが互いの身体に触れているのが分かったからだ。
「大丈夫か?」
「え?あ‥うん、ごめん‥大丈夫だよ」
征嗣が声をかけると五月は慌てて返して身体を離すがまともに征嗣の顔が見れずに視線を落とす。しかしその先に見えたのは征嗣のそれで五月は思わず後ずさってまた足を取られ、こけそうになった。
「ほら、言わんこっちゃない」
征嗣はまた五月を抱き締めながら溜息を吐くが五月は混乱してしまって動けなくなる。早鐘を打つ鼓動。脳裏に去来する長堀が与えてくれた快楽と夢で征嗣と睦言を交わした映像が交錯した。
「ちょっと長湯し過ぎてのぼせたんだな‥上がったら何か冷たい物でも‥」
征嗣はそれに気付かずゆっくり身体を離し、五月を見ながら言いかけて言葉を失う。五月のそれが少し力を持って征嗣の腿に触れていた。五月もハッとしてそれに気付くと慌てて屈み、もう一度、湯船に浸かりながらそれを押さる。長堀との行為の後、忙しくて一人でする気力も無かったせいかこんな些細な事でも反応してしまったようだ。
「これ以上浸かってたら逆上せて倒れてしまうだろう?
とりあえず上がって処理すれば良いから‥」
征嗣は溜息交じりにそう言いながら五月に手を差し出す。顔も上げられず五月は正直、このまま溶けて無くなりたい気分だった。
「うん‥」
征嗣の言う通り逆上せて迷惑を駆けてはいけないと困り果てた結果、片手でそれを抑えたままでその手を取って立ち上がる。征嗣も五月に配慮して視線を合わせないように湯船から出て五月の身体を支えた。浴室を出るとお互い背を向けて身体を拭くが五月のそれは征嗣の手の感触を思い出しどんどん収まらなくなっていく。酒のせいもあってか下腹部が熱くなり、長堀に齎されたあの日の快楽を欲しているのが分かった。
「やっぱりお風呂で処理して来る」
五月は堪らずそう言ってもう一度、浴室へ入る。五月は征嗣が脱衣所から出た気配を確認してからそれに手をかけて刺激してみたがやはり満足出来ずに長堀を受け入れたその部分に自分で指を入れてみようとした。が、当然そのままでは痛くて上手く入らない。何か無いかと見るも浴室に在るのはシャンプーやボディーソープのみ。
〈こういう所ならローションとか有るよね?〉
しかしアメニティを確認しに行こうにも表には征嗣が居る。五月は悶々としたままどうにか出来ないかまたそれを刺激し始めるが以前のように上手く絶頂を迎えられない。イきそうでイけないもどかしさが余計にその部分を貪欲にさせていった。五月はあふれ出た密でぬめってきた指を堪らずその部分に捻じ込む。
「ん‥ふっ‥は‥」
充分に湿った指は先程と違ってすんなり入り、その気持ち良さに思わず喘いだ。
その頃、なかなか風呂から出て来ない五月に征嗣は心配になり、脱衣所で声をかけようか迷う。耳を澄ませると微かに少し苦しそうな声が聞こえてきて征嗣は声をかけてみる事にした。
「五月‥大丈夫か?」
遠慮気味に声をかけるも返事が無い。
「入るぞ‥」
征嗣がそう言った事にも気付かず夢中で自慰行為に耽ってしまい征嗣の目の前で五月はあられもない姿で達してしまった。お互い目が合い固まってしまう。
「すまん!」
流石の征嗣も顔を真っ赤にして慌ててドアを閉め、五月は脱力しながらその場にへたり込んだ。改めて五月は己の痴態に呆然となると恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。自然に涙が零れる。しかしそのまま其処に留まる訳にも行かず身体を流して風呂を出た。
「アイスでも食うか?」
征嗣は努めて平静を装いながら視線を合わせないようメニューを見ながら聞く。
「いらない‥もう‥寝るから‥」
「そうか‥」
五月にはその気遣いが痛過ぎてそれだけ返し、ベッドに入って布団を被る。征嗣もどう声をかけるべきか考えたが何も言えずそのままソファで横になった。
翌朝、先に目覚めていた征嗣に起こされて五月は目を覚ます。
「そろそろ用意しないと時間だぞ」
「うん‥分かったよ」
征嗣はそう言いながら腰タオルで髪を乾かしていた。それを見て五月は自分もシャワーを浴びに何時も以上に重い身体を引きずって浴室へ行く。部屋着を脱いで浴室に入るとまだほんのり湯気が上がっていた。そして微かに漂う嗅ぎ慣れた匂いに五月は思わず頬を染め固まる。
〈先生だって男だもん‥そういう事もするよね‥〉
そう思いながら五月は頬を染めつつ気を取り直しシャワーを浴びた。
ホテルを出て駅前でモーニングを食べてから電車に乗る。
「次の依頼先は何処だ?」
「出雲だよ、だからこのまま日本海沿いを電車で移動するから‥今回は市街地に近いからレンタカーで行こうかと思ってる」
征嗣が車窓を眺め聞くと五月はスマホを弄りながら答えた。相変わらず視線を合わせないように話すが出来るだけ普段通りで居るように二人は務める。そして数日の出張が無事に終わると二人は自宅に戻った。
「はぁ‥やっぱり家が最高!」
カバンを置いてソファに腰を下ろすと五月はしみじみそう言った。
「五月、先に洗濯物を出せよ」
征嗣はそう言いながら自分のカバンから洗濯物を出して籠に入れる。
「分かってるよ
後でちゃんと片付けるから‥それより買って来たお土産食べようよ」
五月は返しながらカバンをごそごそ漁って地域限定のスナック菓子を出した。
「まぁ、美味しそうですね!」
唯天の私益鬼でありこの家の家事をする向日葵がお茶を出しながら言う。前の家に居た葵と違って積極的な明るい感じで名前通りの可愛い女性であった。
「いっぱい買って来たから皆で食べよう」
五月がそう言って菓子をテーブルに並べると向日葵も嬉しそうに傍に腰を下ろし征嗣もソファに座る。五月は向日葵に土産話をしながら皆でお茶を飲んだ。お茶を飲んで片付けが済むと五月と征嗣は部屋に戻る。少しベッドに横になりながら考え事をしていたが身体を起こすとスマホを弄りだした。話したい事が有るから時間を作れないかとメッセージを送ると五月はスマホを睨みながら返事を待つ。相手は悠だ。暫くすると返事が返って来る。会えるよう互いのスケジュールの調整を試みるも暫く会え無さそうな感じだった。すると悠から今、電話しても良いかとメッセージが返って来る。五月はすぐに電話をかけた。
『今日の夜なら時間の都合つきそうなんだけどそっちに行っても良い?』
「そんな、遠いのに悪いしそれなら僕がそっちに行くから!
僕は明日も休みだからさ‥」
悠が言うと五月はそう言って電話しながら出かける準備を始める。五月の自宅から悠の自宅までは電車を乗り継いで2時間ほどかかるので来て貰うのは流石に申し訳ない。電話口で話が決まると五月は早速、部屋を出た。
「向日葵、今から出かけるから晩御飯要らない‥今日はたぶん帰らないからね」
「はーい、行ってらっしゃーい」
五月が玄関まで降りてきて奥に呼び掛けると向日葵はリビングから顔を出して笑顔で返す。恐らく話し込むとまた帰れないだろうと思い五月はそう言って家を出た。
駅前で悠への手土産を買って電車に乗る。約束の時間までは充分なのだが五月は話したくて居ても経っても居られなかった。約束の二時間前に待ち合わせた場所近くの駅に着く。悠が通う大学は賑やかな地域にあり、一人暮らしのマンションもいろんな店の多い便利な場所なので時間潰しには困らない。五月はあちこちの店を覗きながら時間を潰しつつ逸る気持ちを抑えた。
時間になると早めに約束のカフェに向かう。窓際の席に着き道行く人を眺め、悠の姿を探した。約束の時間より少し遅れて雑踏の中に悠を見つけると五月は手を振る。
「ごめん、待った?」
「大丈夫、僕もさっき来た所だから‥」
二人は軽く挨拶を交わすとカフェを出て食べ物や飲み物を近所のスーパーで買い込んで悠の自宅へ向かった。外で食べる方が手間は無いが何時も話し込んでしまうので店を移動するよりこの方が効率的なのである。悠の自宅に着くと早速、五月はこの出張であった事を話した。
「それは確かに気不味いかも‥でも向こうがそうやって配慮してくれてるなら大丈夫なんじゃない?」
「それはそうなんだけど‥でも次の日、先生の後にシャワー浴びた時、一人でしてる感じがあったんだよね
これってちょっと期待しても良いのかなって思っちゃう自分が居るんだよ」
悠が苦笑交じりに言うと五月はモジモジしながら返す。悠には長堀との初体験の話も既にしていてこういうぶっちゃけた話も出来る仲になっていた。
「でもそういうオナニーって初めてする時、戸惑うよね
俺も初めてした時、傷付けて大変な事になった覚えがあるよ」
「え?そうなの?」
「うん、丁度、慣れて来た頃に彼氏が居なくってさ‥前だけじゃ物足りなくて自分でこっそりお風呂でしてみたんだよね
上手くいかなくて無理したら血が出て止まらなくなってちょっと焦った」
「そうなんだ‥僕はまだ慣れて無くて恐々してたから良かったのかもしんない」
赤裸々にそう告白し合いながら互いに苦笑いを浮かべる。
「でも一回しただけでオナニーしたくなるほどその長堀さんて巧かったんだね」
「初めてなんで比べようは無いんだけど凄く巧かった‥と、思う
痛みとか違和感なんてすぐに飛んじゃったから‥その後は機会が無かったから会って無いんだけどもしまた二人きりになったら拒めないかも‥」
「そっか‥とうとう五月君もビッチ発言しちゃうようになっちゃったかぁ」
「あ、酷い!」
そんな感じで話に花が咲き夜は更けていく。
「僕の使ってる玩具で良かったら使ってみる?
ちゃんと洗ってるし使う時はゴム着けてるから汚くは無いと思うよ?」
風呂に入る前に悠はそう言って自分のコレクションを出して来る。
「うわ‥男性用のグッズってこんなに有るんだ‥」
「とりあえず買ってみたけどあんまり良くなかった物もあるから‥こういうのってなかなか捨て難いからそのままになってるんだよね」
五月は生唾を呑みながら頬を染めつつ手に取ってみた。
「これってどうやって使うの?」
よく分からない形状に五月はあれこれ聞いては顔を赤くする。
「初心者ならこれくらいが一番、抵抗無いかも‥早くイきたい時はこれなんか即効性があるかもね‥」
悠が説明してくれるのを五月は熱心に聞き入った。そして使いたい物を選んで借りると風呂場へ向かう。それから一時間ほどして五月はフラフラになりながら風呂から出てきた。
「めちゃくちゃ‥良かった‥
一応、ゴムも被せて使ったしちゃんと洗ったけど念の為にもう一回、洗ってね」
「うん‥腰‥マッサージしてあげるから横になって‥」
五月が借りた物をへっぴり腰で返すと遥は苦笑しながらベッドを指す。結構あったローションはほぼ底の方になっていて悠は然程年の離れていない五月に対し、若いなぁと内心、溜息を吐いた。
翌朝、悠は学校へ行き、五月は家に向けて帰って行く。ずっと心がモヤモヤしていたのだが出すモノを出したせいか何だかすっきりした気分で弾むように家に帰って来た。上機嫌で帰って来た五月に征嗣は何だかホッとする。自慰行為を見て以来、五月がいろいろ取り繕って気を使い過ぎている事に気付いていたからだ。悠に会いに行った後、五月の機嫌は何時も良くなって帰って来るので内心、征嗣は悠にとても感謝していた。
「五月様、もう部屋に戻られるんですか?
食後のコーヒーは?」
「今日は良いや‥」
皆で和やかに昼食を取ると五月はそう言って何時もより早めに部屋に戻ってパソコンの前に座る。そして悠から教えて貰った通販サイトをドキドキしながら開いた。其処には様々なジャンルのアダルトグッズが有り、五月は頬を染めながらあれこれ見てみる。
〈うわ‥こんなのも有るんだ‥〉
赤面しつつ興味津々で使用方法などを見て使い方を学んだ。偶に引く物もあったが試してみたい物もあった。しかし流石に購入するまでには至らずサイトを閉じる。
〈ちょっと欲しいけど見つかった時に恥ずかしいもんなぁ‥でも‥気持ち良かったなぁ‥〉
五月は悩みつつ悠の家で借りたおもちゃの感触を思い出し赤面した。ふと気付くともう日が傾きかけていて五月は慌ててメールのチェックに入る。明日の詳細が唯天から送られてきている筈だ。
「え?変更?」
内容を確認してみると思わず五月は驚いてそう呟く。今までこれほど急な変更は無かったから尚更。
【場所・都内某所から静岡県某所へ変更】
【依頼内容・大まかな変更無、祭礼の予備準備としての鬼狩作業
当初の予定通り呪霊が絡む要素有り、呪術師と合同での駆除作業とする
尚、近くに祭礼が行われる区域がある為、陰陽師との連携も必要となる】
詳細は現場にて龍王院家眷属・義亮宗近氏に確認する事
五月は難しい顔でそのメールを読んで少し溜息を吐いた。
〈今までメールで詳細や注意点くらいは書いてくれてたのに‥向こうで全部、打合せとかこんな事無かったのにな‥〉
五月は頭を掻きながら背凭れに凭れて宙を見上げる。とにかく征嗣と打ち合わせて十分な備えをしていこうと席を立った。
翌日、五月は少し過剰気味な装備を整えて待ち合わせの場所まで車で向かう。
「何か今回は唯天さんのメールが不親切過ぎるんだよね
大まかにやる事変わらないからって殆ど何も書かれて無いし鬼狩じゃない人に詳細聞いても何処まで信頼して良いかも分かんないのに‥」
運転しながら五月は少し膨れた。
「それだけ信頼して貰ってる証拠だろう?
それに何時までもあいつ頼みという訳には行くまい?」
「それはそうなんだけどさ‥」
少し呆れながら征嗣が言うと五月はまたぷうっと膨れる。子供なのか大人なのか偶に分からない態度に征嗣は少し困ったように微笑む。そして昼少し前に待ち合わせ場所のコテージに着くと宗近に案内されてコテージに設えられた座敷に通された。
「もうすぐ呪術師の方々も参られるので揃いましたらお話を始めさせて頂きますね」
五月は少し緊張した面持ちで征嗣と末席に腰を下ろそうとしたが侍女に上座に近い席を促されそちらに腰を下ろす。そして上座に腰を下ろした宗近と当たり障りない会話をしながら呪術師組が来るのを待った。
「呪術師の方々がお見えになりました」
襖の向こうからそう声をかけてきた侍女に宗近が返事をすると襖がスッと開く。
「あれ?五月君?」
5人ほど入って来た中に長堀が居て五月を見てそう声をかけてきた。五月は動揺しつつ会釈だけで返す。まさかこんな席で再会するとは思いもしなかったのだ。
「知り合い?」
「ええ、出張の時にちょっとお世話になったんですよ」
別の呪術師に聞かれ長堀は答える。
「よくお越し下さいました、どうぞおかけ下さい」
宗近が空いている席を指し示し言うと呪術師達は腰を下ろした。
「食事をしながら今回の仕事について説明させて頂きますので双方、お寛ぎ頂きながらお聞き下さい」
宗近が言うと侍女達が入ってきてそれぞれの前に前菜を並べていく。
「まずは軽く互いを紹介させて頂きます
私は今回、こちらを任されております義亮宗近と申します
こちらは鬼狩見習の天宮五月さんと使役鬼の永藤正嗣殿‥こちらは特級呪術師の時任誉さん、同じく特級呪術師の七種順一さん、同じく特級呪術師の長堀紅音さん、一級呪術師の南部京一郎さん、同じく一級呪術師の新川泰平さんです」
宗近が順番に紹介していくとそれぞれ示された者は頭を下げた。
〈長堀さんって一級じゃなかったっけ?〉
五月は内心そう思いながらチラッと長堀を見ると長堀はそれに気付き少し微笑んで返す。
「ではこれからは箸を付けながらお聞き頂いても構いませんので‥」
皆の前に前菜が並んだのを確認すると宗近が言って微笑みそれぞれ箸を取った。それを見て宗近は自分も少し料理を口にしてから話し始める。
「今回、急遽予定を変更させて頂いたのは重大な事実が発覚したからで皆様方を混乱させてしまった事を先にお詫びしておきます」
「重大な事実とは何です?」
宗近の言葉に空かさず時任が返した。
「本来の依頼内容は周知の事と思いますので省かせて頂きますが件の鬼塚が対になっている事が判明しました
それがこちらの祭礼場所の近くに在る鬼塚なのですが向こうは朱雀王子家、こちらは龍王院家の管轄になるため今まで気が付かなかったのです
こちらの祭礼場所になっている神社はこの辺り一帯の氏神なのですが手違いがあって前回、祭礼が行われていなかったんです
そのせいでこちらの鬼塚が活性化し、向こうの鬼塚に影響を与えていたんですよ
向こうも当初は呪霊の大量発生も祭礼前なのでただの鬼塚の初期活性による影響だと思っていました
しかし先日、向こうの鬼塚の見分を鬼狩の早波唯天さんに依頼した結果、対になる塚がある筈だと言われ調べる事になったんです
それがこちらの鬼塚で判明すると同時に神社の祭礼が滞っている事も発覚したんです
それで急遽こちらも祭礼を行う事になったのですがこの際、鬼塚の処分も行う事になりました
ですから二拠点で同時にその作業を行いますので封印を解くまでに活性化した呪霊の始末をお願いしたいのです
ただ、対になると言っても向こうに居る鬼の方が強力なようで呪霊のクラスも高位のようです‥こちらは祭礼が滞った状態で向こうよりも影響が少ないですからね」
「なるほどね‥それで向こうは特級クラスばっかりの派遣なんだ」
宗近が説明すると長堀が溜息を吐く。
「あの‥それじゃぁ唯天さんは今、向こうに居るんですか?」
五月はそれに驚いて聞いてみた。
「ええ、向こうはまだ貴方には荷が重いと仰って自身の仕事をキャンセルして入られたようです
それでもこちらも今までと違ってかなり強力な鬼なので気を引き締めてかかるよう伝えてくれと仰ってました」
宗近は返して少し微笑むが五月はそれを聞くと少しプレッシャーを感じる。通りで素っ気ないメールだと内心、五月は納得した。詳しく説明されていたらこんなに落ち着いて準備出来なかったろうと思ったからである。それから宗近は今後の手順や配置など食事をしながら続け、皆も都度、分からない事は質問していった。
「とりあえず夕刻までに人払いを済ませ、日が落ちてから我々は準備にかかります
それまでお部屋をご用意しておりますので皆さんは仮眠を取られて下さい
早めに夕食を取って頂き、こちらの準備が整いましたらバスで現場までお送りします」
食事が終わると宗近はそう言って閉め括り、それぞれ席を立つ。座敷を出る時に個々のコテージの鍵を渡された。それぞれのコテージの位置は案内板に表記されていたのですぐに分かるようになっている。
「久しぶり、まさかこんな所で再会するとは思って無かったよ」
「ご無沙汰してます
それはこっちもですよ
それにしても長堀さんって特級呪術師だったんですね‥僕、てっきり一級だと思ってました」
「前に会った時はまだ一級だったんだよ
特級に昇格したのは最近なんだ」
「そうなんですね、おめでとうございます!」
歩きながら長堀が話しかけて来ると五月も微笑みながら返す。
「おい、長堀‥とりあえず先に打ち合わせすんぞ」
二人で話していると先を歩いていた新川がそう言って長堀に声をかけてきた。
「じゃぁ、また後でね‥」
「はい、宜しくお願いします」
長堀がそう言って皆を追いかけると五月はそれを見送る。
「じゃぁ、僕達はやる事も決まってるし先に休ませて貰おうか‥」
「そうだな‥だが、念の為に俺はもう少しだけ宗近に詳しく話を聞いておくからお前は先に休んでおいてくれ」
「分かった‥じゃぁ、夕食の時にね」
二人もそう言ってその場で別れ、五月は用意されたコテージに入ると部屋で先に休む事にした。
夕方になるとそれぞれ仮眠から目覚めて眷属が用意してくれていた夕食を取り、準備を始める。五月と征嗣も装備を整えて集合場所に顔を出した。
「全員揃ったようなのでこれから神社の方へ移動して頂きます
こちらのバスへ乗って下さい」
皆の顔を見まわして宗近がそう言うと一行はぞろぞろとバスに乗り込む。どうやら陰陽師組は先行しているのか居るのは五月達と呪術師だけだった。バスの中で宗近が確認の為に配置や現時点での進行状況を説明していく。そして神社に着くと呪術師達は待っていた眷属達に連れられ配置に就き、五月も鬼塚へと案内された。神社から百mほど離れた場所に問題の鬼塚がポツンとある。
「こちらが鬼塚になります
まだ辛うじて封印がされている状態なので然程、邪気は漏れ出してはいませんが妖気がきついので今は軽微な領域で囲っています
五月さんは準備が整うまで此方で呪霊や悪霊がこの領域内に侵入するのを阻止して下されば構いません
呪霊の処理が終わりましたら向こうと同時に特殊領域で囲い直して封印を解きますので後は宜しくお願いします」
「承知しました‥では、特殊領域を張る際はくれぐれも非難が遅れないよう皆さんには徹底しておいて下さいね
一人でも領域内に人間が居れば憑りつかれてしまう可能性があるので‥」
小さな塚の周りにカプセルのように張られた領域を指しながら担当眷属が説明すると五月はその状態を確認しながら返す。
「分かりました、では私は神社の方へ戻ります」
そう言って眷属が去って行くと五月は屈んでその塚を領域越しに眺めた。
「ねぇ、先生‥対になる塚ってだいたい首と胴とか身体が別れたモノが対にされるよね?」
「ああ、そうだが?」
「これ、僕の感覚じゃ五体満足っぽいんだけどどう思う?」
難しい顔で考え込んだ後に五月は振り返って征嗣に聞く。そう言われて征通は五月の隣に立つと同じように塚を眺めた。
「確かにそのようだ‥欠損部分は感じられんな」
「って事は血縁の鬼って事なのかな?」
征嗣が言うと五月は立ち上がって征嗣の方を見る。
「‥か、主従か夫婦かもしれん
今と違って昔は肉親より関係が深かった場合も多々あったからな‥そういう関係性で共に鬼となる事も少なくはなかった
まぁ、特殊な方ではあるが‥」
「そっか‥何だか切ないね」
少し愁いの表情で征嗣が説明すると五月も少し寂しそうな表情でもう一度、塚に視線を向けた。すると神社の向こうの方から地鳴りのような音が響いて来てそれを合図に他の場所からも騒音が響き始める。
「始まったな‥」
征嗣が宙を見上げ言うと五月も辺りの気配に神経を配った。辺りに呪霊や雑多な霊の気配は無い。
「どうやらこっちの方には何も居ないみたい」
「恐らく塚の妖気が漏れ出している間に危険と判断して雑多なモノは散ったんだろう
今は妖気封じをしてあるが残穢は辺りにまだ残っているからな」
「でもそうなって来ると僕達は本番まで殆ど出番無いかもね」
五月はそう言うとその場に腰を下ろした。
「念の為に気は抜くなよ?」
「分かってるよ、でも気を張り過ぎても本番でばてちゃうから‥
感知を最小限にするから先生は見える所を頼むね」
五月は立膝を付き目を閉じると刀に寄り掛かるように身体の力を抜く。端から見れば転寝でもしているようだがこれが五月なりの本番へ向かう準備でもあった。
半時間ほどでだいぶ辺りは静かになって来て一時間もすると辺りから音は聞こえなくなる。五月は目を開けると少し欠伸交じりにゆっくり立ち上がった。
「どうやら終わったっぽいね」
「そうだな」
頭を掻きながら五月が言うと征嗣も返す。すると人の気配が近付いてきて時任が二人の前に現れた。
「お疲れ様、呪霊の方はほぼ片付いたんで今、取りこぼしが無いか確認させてる
気配は無かったけどこの辺りも一応、見てきたが大丈夫そうだった」
「お疲れ様です
多分、この辺りの雑多なモノは残ってる鬼の妖気に当てられて散ってたんだと思います
僕も此処で様子を見ていましたが全く出番無しでした」
時任が言いながら辺りを見回すと五月も苦笑しながら返す。
「封印を解く際、念の為に宗近君の指定領域の上から私の術式で結界を張ります
そうすれば指定領域から波動や衝撃が漏れてもそれを吸収するので‥ですから領域を気にせず心置きなく戦って下さい」
「それは助かります
まだ対峙していないのでどれくらいの鬼か分かりませんがそういった事を気にしないで戦えるとこちらとしても戦闘に集中出来るので‥」
「どうしても指定領域に鬼に特化した制限を設けるとそう言った部分が脆弱になるからありがたい」
時任が言うと五月と征嗣は少し見合って口々に答えて微笑んだ。三人で話していると宗近もやって来る。
「お疲れ様です、先程、七種さんから呪霊駆除終了の報告を受けました
では都内側の報告を待って一斉に鬼塚の封印を解きます」
「お疲れ様です、こちらは何時でも行けますよ‥先生、そろそろ‥」
宗近が言うと五月はそれに返し征嗣を見た。すると見る間に征嗣は鬼に変化する。その様子に宗近と時任は少し驚きながらそれを眺めた。
「変化する所を初めて拝見しましたが本当に征嗣殿は鬼なのですね」
「これが本来の姿だ‥まさかこの姿で世間を闊歩する訳にはいかんから人だった頃の姿を維持している」
少し感心したように宗近が言うと溜息交じりに征嗣は答える。
「でも初見で見ると怖いですよね‥普段の先生からは想像出来ないもん」
「確かに‥では今から略式領域から指定領域に切り替えますね」
苦笑しながら五月がフォローすると宗近はそう言って術式を展開して鬼属用の指定領域をかけた。そして略式領域を解くと抑えられていた妖気と邪気が一気に吹き出す。
「凄い邪気と妖気だ‥何だかこちらまで当てられそうになるな‥」
「もう半分封印も解けかかってますからね
もし気付かず封印が解けていたらと思うとぞっとしますよ」
思わず顔を手で覆いながら時任が呟くと宗近も少し顔を顰めた。
「じゃぁ、私も指定領域の外側に術式を施すとしよう‥では先に領域の外へ出ておきます」
「宜しくお願いします」
時任がそう言うと五月はその背中を見送る。
「私も塚の封印を解きましたら速やかに領域外へ出ますので後は宜しくお願いします」
「分かりました」
宗近が言うと五月は答え、三人は都内側から連絡が来るのを待つ。数十分ほどその場に待機していると宗近のインカムに連絡が入り、封印解除の時間が告げられた。
「今から2分後の午後10時45に封印解除術式に入ります
お二人とも準備をお願いします」
宗近が時計を確認しながらそう言うと五月達は頷く。五月は刀を鞘から抜き、征嗣は五月を抱えながら何時でも鬼を炙り出せるよう地面に手を付いた。そして時間が来ると宗近が封印解除術式を展開する。
「鬼封解印!」
奏上の後、宗近はそう叫びながら塚石に触れると何かが爆ぜるような音が響いた。同時に自身に領域を張りつつ後方へ飛ぶと宗近はその場から去る。
「先生!」
それを見届け今度は五月が叫ぶと征嗣が鬼を炙り出した。すると塚石から湧くように巫女姿の美しい女性が姿を現す。
「久方ぶりに目覚めてみれば美味そうな輩が居るの」
女性は笑みを浮かべ座った眼差しで五月を見据えてそう言った。見た目は普通の人間のように見えるが纏う妖気や邪気は正に鬼。征嗣を足掛かりに五月はそれに返さず刀を振り上げ、叩き落すように振り降ろす。しかし見えない何かに跳ね返された。
「かった‥何なの、この硬さ!」
「邪気や妖気ごと切らんとダメだ
今までの鬼のように外容だけ切ろうとするな」
後方に飛んで五月が痺れる腕を擦ると征嗣はそう言って五月を庇うように前に出る。
「その刀‥鬼狩か?
面白い、骨の髄までしゃぶってくれようぞ」
そう言って女性が襲い掛かって来ると征嗣は反撃に転じるがそれを擦り抜けて五月に向かって来た。鋭い爪が五月に伸びて来るとそれを刀で受け止める。征嗣はすぐに鬼女の後ろから襲い掛かるが鬼女はそれをひらりと交わすと一気に恐ろしい鬼の姿となった。
「人に使役される鬼の分際で忌々しい‥貴様から先に屠ってくれよう!」
そう言うと鬼女は征嗣に襲い掛かり五月は混戦している二人に割って入ろうと間合いを詰める。征嗣が身を引いた瞬間に五月は切りかかるが思うように歯が立たない。
三人で乱戦する事、一時間弱、ついに五月の刀に限界が来て折れてしまう。
「先生!」
五月は後方へ飛びながら折れた刀を捨て、征嗣を呼んだ。征嗣は五月を抱えると鬼女に向かって行く。
「笑止!同じ鬼同士、貴様の爪は我には届かんぞ?」
鬼女はそう言うと征嗣の攻撃を受け止めた。
「俺の爪は届かんがこいつの刃は効くだろう?」
征嗣がそう言うと鬼女は己の胸を貫く刃に気付く。刃の先には五月が居た。鬼女は断末魔の叫びをあげてその場に倒れ、鬼の姿から元の美しい女性の姿に戻る。
「旦那様‥すみません旦那様‥」
譫言の様にそう言って一粒涙を流すと鬼女は塵のように掻き消えてしまった。五月はそれを見届けるとがくっと膝を折る。
「やっぱりこっちの刀はまだ無理だな‥」
溜息交じりに五月はそう言うとその場に大の字になった。
「初めての実戦で一振りでも出来ればたいしたものだ
まぁ、出来れば始終これで戦えるようになるのが理想だがな‥」
「うん‥頑張るよ
ってかどうしよう‥借り物の刀、折っちゃった‥」
征嗣が刀を引き受け己の中に仕舞うと微笑んで言うが五月は折った刀を拾い上げそれを気にする。
「まぁ、素直に謝るしか無かろう‥」
「そうだね‥それより領域の外まで連れてってくれない?
身体に上手く力が入んないんだよ」
そう言った征嗣に両手を差し出し五月が甘えると征嗣はまた五月を抱えて領域の外まで向かった。征嗣に抱えられたまま五月は領域外に出ると表で待機していた宗近と呪術師達に鬼の駆除を報告する。
「すみません、龍王院家からお借りしていた刀を折ってしまって‥」
「お役目ですから仕方ありません
また、代わりの刀を手配させて頂きます」
ようやく征嗣から降りると五月は申し訳無さそうにそう言って折れた刀を差し出した。それを見た宗近の笑顔が一瞬、引き攣ったような気がしたが気のせいだと五月は自分に言い聞かせる。
「それで唯天さんの方は大丈夫なんですか?」
「ええ、三十分ほど前に終了したと連絡を受けています」
向こうの状況を気にして聞くとその答えに五月は乾いた笑みでそうですかと返した。流石は唯天と思うと同時に己の力量を知った瞬間でもある。
「ともかく無事に済んで良かったです
お疲れでしょうから皆さんは戻ってお休み下さい
私は後始末をしてから戻りますので‥」
宗近が皆を見回して言いながらバスの方へ誘導するとそれぞれ来た時と同じようにバスに乗り込んだ。人の姿に戻った征嗣は鬼の姿の時のように癖で五月を抱えてバスに乗り込もうとする。
「せ、先生、大丈夫だから‥バスまでくらい歩けるよ」
「ん?ああ、そうか?」
思わず照れながら五月が慌てると征嗣はすぐに五月を降ろした。
「仲良いんだね」
五月達が最後に乗り込んで席に着くと微笑んで長堀は二人の傍に座る。五月は少しドキッとしながら長堀を見た。仲が良いねと言われてもどう返して良いのか分からず返事に困る。何より迂闊な返答をしてあの日の話を征嗣の前でされたくはない。
「仲が良いも何も俺はこいつの私益鬼だからな‥五月の身を案じるのは当然の事だ」
征嗣は素っ気なく返して窓の外へ視線をやる。五月からはその表情は読み取れなかった。
「まぁ、そうだよね
ごめんね、無粋な事聞いちゃった」
「いえ、それより呪霊の方も大変だったんですか?」
長堀が苦笑すると五月は話題を変えようと話を振る。コテージに戻るまで五月と長堀は差し障り無い話をしていたが征嗣は黙ったままずっと車窓を眺めていた。
「長堀さん達は明日帰るんですか?」
「他の皆は帰るけど僕は正宗と別件の仕事がこの近くであるからこっちに居るよ
勿論、ホテルを取ってるからそっちには移動するけどね」
コテージに着き、バスを降りながら五月が聞くと長堀は返す。
「五月君はどうなの?」
「僕は祭礼の見学が出来るようならさせて貰おうかと思ってます
まだ許可は貰って無いんで無理なら大人しく帰りますけどね」
「そうなんだ‥もし暇なら連絡してよ
明日は僕、フリーだからさ」
そう言うと長堀は名刺を差し出し微笑んだ。五月は受け取ろうかどうしようか一瞬迷ったが素直にそれを受け取った。そしてそれぞれコテージに戻る。
「もうすぐ3時か‥何か食べてから寝る?」
「いや、俺はもう休む
それより明日の予定はどうする?」
「明日は宗近さんに祭礼を見学させて貰えるか確認してさせて貰えそうなら準備を手伝おうかなって思ってる
もし無理だったら帰るけど‥とりあえず起きてからかな‥」
「分かった‥おやすみ」
「おやすみ」
コテージに戻って来て軽く話すと二人はそれぞれの部屋へ。五月は着替えもせずベッドに横になるとすぐに眠りに落ちた。
翌日、少し遅めの朝食を取りにメインコテージに行ってみると宗近や呪術師達もテラスで朝食を取っていて五月達もそれに加わった。
「今回の祭礼は琴吹様がされるんですか?」
「いえ、こちらの祭礼は五百旗頭家の麗が行います
琴吹様は今、中国地方の祭礼に周られておりますので‥」
「そうなんですか‥じゃぁ、見学とかさせて貰うのは難しいですよね?」
皆で談笑しつつ食事を取りながら五月が思い切って宗近に聞いてみると面識の無い名が上がってきて少し残念そうな顔をした。
「構いませんよ、もしご希望なら何時でも見学して頂く様にと琴吹様から賜っておりますからね」
「本当ですか?
なら、是非、勉強させて下さい」
微笑んで返す宗近に五月は身を乗り出し嬉しそうに言う。
「勉強熱心なんだな‥うちの若手達にも爪の垢煎じてやってくれよ」
七種は茶化すように笑いながら言うと五月は少し照れ笑いをした。
「でも、新見や安藤なんかは熱心だぜ?
こいつも一級に甘んじて無いで特級にランクアップしたし‥分野じゃなくて向上心の問題だろ?」
南部は返しながら長堀を指す。
「確かに一番大事なのは向上心ですよね
うちの眷属も似たようなものですよ」
宗近は苦笑しながら南部に同意した。そんな和やかムードで皆は食事を終えると帰り支度を整えに各自、コテージへ戻って行く。
「私はこれから準備があるので神社へ向かいますが五月さん方はこちらでのんびりお過ごし下さい
祭礼自体は明日の朝からになりますので‥」
「あの、良ければ僕も何かお手伝いさせて下さい!」
「お気持ちは嬉しいのですが今回は少し繊細な作業が多いのでまた次回にでもお願いします」
「そうですか‥では今日はこちらでのんびりさせて頂く事にします」
宗近が席を立って言うと五月は申し出るがやんわり断られてしまった。仕方なく五月は宗近の後姿を見送る。
「それにしても君は華奢なのにパワフルだな‥昨日あれだけふらついていたのにもうすっかり元気そうだ」
時任が食後のコーヒーを飲みながら声をかけて来る。
「まだ上手く力のコントロール出来なくって瞬間的にへばっちゃうんですよ
少し寝たりこうして食事すれば元に戻るんですけどね」
「そんなに妖刀って扱い大変なの?」
五月が苦笑交じりに答えると長堀も聞いてきた。
「普通の妖刀と違って特殊らしいです
所有してる藤森家の人間でも扱えないそうなんで‥だから使わない時は先生に保管して貰ってるんですよ」
「なるほど‥呪術師で言うところの伊集院家の【倭田爪】と同じ類の妖刀なんだな‥」
「へぇ‥他にも僕のところみたいに妖刀を所持してる家があるんですね?」
「刀に限らず特殊な呪具を所有してる術師の家って結構あるよ
まぁ、危険度や力の強さはピンキリみたいだけどね」
五月達がそんな話をしている間も征嗣は素知らぬ顔でコーヒーを飲んでいる。五月は余りにも征嗣が話に入って来ないので話を振ろうとしたがその前に征嗣は席を立った。
「俺は先に戻っている」
「うん‥」
そう言い残すとさっさと去って行ってしまい五月は溜息交じりにそれを見送る。
「それにしても彼は凄いね‥その辺の特級呪霊じゃ歯が立たないだろうな」
「分かるんですか?」
時任が困ったような笑みで言うと五月は驚きながら時任を見た。
「私の家系も半分は元鬼狩だからね
今でこそ呪術師の名門と言われてはいるけど江戸初期まではどっちの術者も居たんだよ
室町時代、まだ一介の呪術師だった時任家と鬼狩だった刈谷家が家の存続の為に合併した‥みたいな感じかな?
でも僅差で時任家の血の方が強かったせいか何時の間にか呪術師ばっかりの家系になったんだ‥その名残かもしれないけれど呪霊だけじゃなく鬼の強度も何となくだけど分かるんだよね」
「その話‥僕、初めて聞きましたけど?」
時任が説明すると長堀も驚きながら時任を見る。
「だって言って無いから‥下手な事言うとまた仕事振られるだろう?
だから上には内緒にしておいてくれ」
時任はそう言うとウインクした。陰陽師のように奥ゆかしく丁寧なイメージだった時任の意外な一面に五月は苦笑する。
「さて‥じゃぁ、私もそろそろ戻って荷物を纏めるとしよう
君は蘇我と次の仕事だったね?」
「はい、今日は待ち合わせ場所のホテルに泊まって明日合流します」
「まぁ、引率だからめったな事は無いだろうけど頑張って‥五月君も機会があればまた宜しく‥」
「はい、お疲れ様でした」
長堀と五月はそう言って時任を見送った。
「時任さんって初見ではもっと硬い人かと思ってたんですけど意外とおちゃめな方なんですね」
「まぁ、立場的にどうしても外面は作らなくちゃいけないから‥でもあの人、一見おちゃめそうに見えるけど結構怖いんだよね
そんな事より五月君も暇ならこれから何処かへ出かけない?
僕も今日は暇だし付き合うけど?」
苦笑しながら五月が言うと長堀も微笑んで返すが最後に誘うような目で五月を眺める。
「あ‥っと‥今日は先生も居るし止めときます」
一瞬、迷いはしたが五月は申し訳無さそうにそう返した。長堀の齎す快楽には惹かれるがもし此処でまたそうなってしまえば恐らく征嗣の顔をまともに見れない。
「そ?じゃぁ僕は昼過ぎに出るから何か用があったら部屋まで来てね」
「はい、そうさせて頂きます」
そう言って微笑むと長堀も席を立ち五月もそれに続く。そして二人はそれぞれ自分のコテージに戻った。
コテージに戻ると征嗣は広間で本を読んでいて五月はひょいと何を読んでいるのか覗き込んだ。
「何読んでるの先生?」
「ああ、其処にある本をな‥」
五月が聞くと征嗣はコテージに設えられている書棚を視線で指す。小さな書棚ではあるが雑誌や小説等が置いてあった。
「へぇ‥全然、気にしてなかったけど本棚まで在ったんだ」
五月は今更、気付いて本棚の方へ行くと自分も何か読もうかと眺める。
「別にあの長堀とか言う奴の所で時間を潰して来ても良いんだぞ」
征嗣が本に視線を落としたままそう言うと五月はハッと振り返った。
「え?何で僕が長堀さんと時間潰すのさ?」
少し焦りながら聞いてみる。
「俺はあいつらと違ってお前が誰と親密になろうが反対するつもりはない
四六時中、俺と一緒にいるよりその方がよっぽど健全だ」
何かを含んだような物言いに五月はあの日の事を知っているのかと青くなると同時に悲しみが込み上げてきた。
「僕は‥僕も此処で本を読む事にする」
五月は言いかけて唇を噛むと無理くり微笑んで本棚に視線を戻す。本棚を物色する振りをしながら涙を堪えると口から零れそうな秘めた想いをまた胸の奥に沈めた。軽く息を吐き気持ちを整えながら本を取ると五月は征嗣の傍に腰を下ろしてそれを読み始める。
二人の間に沈黙だけが流れた。
きっと征嗣の想いは初代・殺鬼にあるのだろう。前に垣間見た光景を考えても恐らく歴代「さつき」達も自分と同じように征嗣に想いを抱いていた筈である。その気持ちを拒む事も受け入れる事も出来ない征嗣の様も知っていた。きっと征嗣は「さつき」との別れの度に傷付き悲しんだ事だろう。そして歴代の「さつき」達も最後の時に気付くのだ‥永遠を生きる征嗣にとっての想い人は何処までも初代・殺鬼なのだと‥。容姿がどれだけ似ていようがその心も魂も初代・殺鬼でない事を征嗣も歴代「さつき」達も分かっているから尚更。だから五月は征嗣に決して想いは伝えないと決めたのだ。それでも五月自身の中に在る恋心は消える事はない。
微妙な沈黙の中、ノックの音がして宗近の遣いが五月達のコテージにやって来た。
「昼食の方はこちらでお召し上がりになりますか?
それとも朝食同様あちらのテラスでお召し上がりになりますか?」
「えーっと‥どうする先生?」
「天気も良いし外で食べる方が良いだろう?」
「じゃぁ、そちらへ伺います」
「承知しました、ではテラスの方へご用意させて頂きます」
そう尋ねられると五月は征嗣に聞いて返事をする。そして二人は本を置くと二人でテラスの方へ向かった。
「あれ?三上様?」
テラスへ行くと明希と宗近、それに長堀も居て三人で何やら話している。
「お、来たか‥」
「どうしてこちらに?
向こうはもう良いのですか?」
明希が五月に気付いて微笑むと驚きながら五月は返した。
「おう、後処理も唯天が全部やってくれたお陰で祭礼も早々に始める事が出来たんでな‥俺はもうやる事無くなったんでこっちの様子を見に来たんだよ」
「そうだったんですね‥って言うか唯天さんは?」
「もう次の現場へ行ったよ
それよりお前に伝言だ
今回の一件を無事に片付けられたんなら自分としては早波家当主としてお前を一人前として認めるってさ‥その旨を正式な書状でうちと龍王院家宛に出すそうだ」
五月は明希と話しながら席に着くとそれを聞いて嬉しそうな表情を浮かべる。
「おめでとう、これで五月君も立派な鬼狩ですね」
「やったじゃん」
「ありがとうございます!」
宗近と長堀も祝福を述べると五月は二人に礼を言ってから征嗣を見た。征嗣は良かったなと言いたげに微笑んでそれに返す。そして5人で談笑しながら昼食を取り、食事が終わると明希と長堀は揃ってコテージを後にした。
「少し早いのですが細やかな祝い膳をご用意しました
また正式な昇格式がお屋敷でありますがとりあえず我々の気持ちです」
その日の夜、麗が合流した夕食時に宗近はそう言ってご馳走を振舞ってくれる。五月は皆から祝福されたのが嬉しくて始終照れ笑いで嬉しそうにご馳走を頬張った。
翌日は予定通り祭礼を見学させて貰ってから帰路に着く。放置されていたとはいえ鬼塚の件を除けば然程、込み入った祭礼は必要ないらしく昼過ぎには全て終わってしまった。昨日、宗近達が準備と称してやっていた事もほぼ鬼塚の後始末に関わる内容で唯天なら簡単に処理出来た仕事であると五月は後々聞く事になる。
それから一月ほど経ったある日、正式な昇格が決まり五月は咲衛門と共に龍王院家と朱雀王子家に召集された。
「龍王院家当主として正式に君を鬼狩として認めるよ」
「ありがとうございます
お役目、しかと拝命しました」
何時も以上に緊張した面持ちで正装し、五月は謁見の間で形式的な式を済ませると離れに通される。
「お忙しい中、本日は昇格の認定をありがとうございました」
離れに琴吹が入って来ると咲衛門がそう言って五月と共に深く頭を下げた。
「それは構わないから楽にしてよ
とりあえずご飯食べながら話そうか‥」
相変わらず琴吹はフレンドリーにそう言いながら上座へ座って胡坐をかく。五月は久しぶりに会う琴吹に嬉しくて咲衛門よりも多く話しかけた。
翌日は朱雀王子家へ招かれて昇格式を済ませる。其処でも離れで持成され五月は少し緊張しながら智裕との対話を楽しんだ。琴吹と違って余り会う機会が無いので智裕には必然的に緊張してしまうのである。
「そう言えばダーリンから聞いてるんやけど好きな人居るんやて?
お見合い話あるんやけどせやったら無しにしとこか?」
デザートを摘まみながら智裕が思い出したように話を振ると五月は戸惑う。
「あ‥いえ、あの‥その件なのですがもう少し待って頂けませんか?
僕もまだ正式に鬼狩になったばかりなので其処まで気が回らなくて‥でもその内に妻を迎えようとは考えているので‥」
五月は好きな者が居るのかと問われ咄嗟にそれを否定すると話を保留に持っていく。
「そういう事なら何時でも言うてくらはったらええわ‥まぁ、あの売女のとこでも見繕ってくれるやろうけどな‥
うちの所は四天王クラスの家から相手出すよって心に留めといてや」
相変わらず智裕は琴吹を貶すと張り合うようにそう言った。それに関しては琴吹と明希の関係を知っている身としては苦笑いで返すしかない。こんな感じでも智裕と明希の夫婦仲が円満である事に五月は不思議で仕方なかった。そして緊張の朱雀王子家での式を終えるとその翌日には橘家の屋敷で五月のお披露目と就任式が控えていた。
「お前は「二十四代目・さつき」就任と同時にこの藤森家の当主となる
その事を肝に銘じてこれから会う者達に接しなさい
これから会う者はあくまでも格下であるという事を忘れず立ち居振る舞いは気を付けるように‥でなければ向こうも戸惑い困惑するからの」
「うん、分かった」
迎えの車の中で咲衛門が五月に言い含めるがそうは言われても今まで目上としか接した事の無い五月はどうしようか内心悩んでしまう。
〈威張るのも違うし当主の立ち居振る舞いって言われてもよく分かんないよ〉
少し途方に暮れながら車窓を眺め思うと溜息を吐いた。
橘の屋敷に到着すると咲衛門と五月は案内され支度を整えに準備用の座敷に通される。
「咲衛門様、五月様、失礼します」
そう言うと襖を開けて初老の男性が入って来た。
「久しいな藤吉」
「ご無沙汰しております咲衛門様」
咲衛門は男性を見て少し微笑むと男性は返してから五月の方を見る。
「この度は「二十四代目・さつき」の継承おめでとうございます五月様
私は橘家当主・藤吉と申します
これから宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
藤吉は自己紹介すると丁寧に頭を下げ、五月は緊張しながら返し咲衛門をチラッと見た。
「この五月はまだ当主として不慣れ故、厄介をかけるであろうが宜しく頼むぞ藤吉」
「承知してございます‥では、お支度の方を始めさせて頂きますので咲衛門様は離れにてお待ち下さい」
咲衛門は何時もの五月の祖父では無く、藤森家当主として振舞っていて五月は少し見直しつつその風格や威厳というモノを学ぶ。
「では儂は離れで待っておるから支度が整ったら離れに来なさい」
「はい」
咲衛門はそう言い置くと慣れた様子で部屋を出て行き、五月は何だか傍に居て貰えない不安で一杯だった。
「では五月様、お召替えをさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「あ‥はい、お願いします」
藤吉が微笑んで言うと五月は戸惑いながら返す。すると襖が開き、侍女達が装束の入った盆をそれぞれ持って入って来て五月を囲んだ。そして五月の服を脱がせようとすると五月は慌てる。
「あ‥あの、僕、自分で着替えられるので大丈夫です!」
「五月様、こういう場合のお召替えは我等にお任せ下さい
それもご当主としてのお務めでございます」
思い切り照れながら五月が少し身を引くと藤吉はにこやかに諭した。五月はそう言われると仕方なく侍女達に着替えを任せる。まるで着せ替え人形のようだと五月は思いつつされるがままになった。何時もの儀式用の衣装と違って少し華美な装飾が付いていて内心、七五三のようだなと更に照れ臭くなる。頭もしっかり結い上げられて冠まで着けられると益々コスプレ臭い。儀式装束の時はよっぽどの場合以外、冠は付けず髪を降ろすかキッチリ束ねる程度なので余計にそう思った。
「流石「さつき」の名を継承するご当主だけは有りますね
とてもご立派です」
「恐れ入ります」
全て整った姿を見て藤吉が嬉しそうに言うと五月は照れながら返す。
「其処は「ありがとう」でようございますよ
我等は貴方様の眷属です
全てにおいてお気遣い無用にございますのでどうか何なりとお命じ下さいませ」
藤吉はまた五月に教えるように言うとゆっくり立ち上がり五月を伴って離れへ向かう。
「咲衛門様、五月様の準備が整いました」
藤吉は離れまで来るとそう声をかけてからゆっくり襖を開けた。
「なかなか似合っておるな」
五月が促され離れに入ると咲衛門は目を細めてそう言う。既に咲衛門も同じく特別な装束を身に着けていた。
「何だか何時ものと違って派手過ぎて恥ずかしいな‥何だか七五三みたいだよ」
「まぁ、似たようなもんじゃ‥では、広間へ向かうとしようかの‥」
照れながら五月が言うと咲衛門は返して藤吉に目配せする。すると藤吉は二人を伴い大広間へ向かった。広間への襖が開けられると大勢の人が居て一斉に五月達に頭を下げる。咲衛門は迷わず上座へ向かって腰を下ろすと五月は藤吉に促されその隣へ腰を下ろした。
「皆、息災で何より‥此処に座すは我が孫であり今より藤森家の当主となる「二十四代目・さつき」である
今後もその忠誠を新しい当主に向けて貰いたい」
「「「は!」」」
咲衛門が人々を見回してそう言うと頭を下げた人々から一斉に返事が戻って来て五月はその迫力に少し委縮してしまう。
「えと‥この度、「二十四代目・さつき」を襲名し藤森の当主となった五月です
宜しくお願いします」
咲衛門に視線で促され五月は戸惑いながら挨拶して頭を下げようとしたが咲衛門にそれを止められる。五月が咲衛門を見ると小さく頭を振ったので五月は頭を下げるのを止めた。するとようやく皆は顔を上げて五月に視線を向ける。
「この度は正式な鬼狩の就任おめでとうございます
我等もこの晴れの日に立ち合えた事を誉に思います」
中央に座る少しいかつい感じの青年が口上を述べる。五月も覚えのある建前上の長い口上が終わるとようやくそれぞれの自己紹介が始まった。
「私は三杉家当主、歩武と申します」
長い口上を述べた青年はそう言って再度、頭を下げると其処から順番に自己紹介を始める。
「私は菱川家当主、宗助と申します」
「そして私が先程ご挨拶させて頂きました橘家当主の藤吉でございます
そしてこちらが橘の次期当主となる息子の藤四郎でございます
今後、五月様のお世話はこの藤四郎がさせて頂きますので宜しくお願い申し上げます」
その隣に座っている中年男性が次に挨拶し、傍に控えている藤吉が自分と隣にいる息子を指し最後に締め括った。
「少し見ぬ間に立派になったな‥」
「恐れ入ります、咲衛門様には並々ならぬ温情を頂きましたお陰で当主候補として此処に在らせて頂いております」
咲衛門が藤四郎を見ながら言うと藤四郎は深く頭を下げてそう返す。それから次々に各家の者達が五月に挨拶と自己紹介を行い全て終わる頃には五月の頭はパンク寸前だった。
「では祝宴の席をご用意しておりますのでそちらへご案内します」
全ての過程が終わりようやく藤吉がそう言うと五月はホッとする。咲衛門と五月が立ち上がるとまた皆は一斉に頭を下げた。少しギョッとしながらも五月は咲衛門と共に藤吉郎に付いて行く。また先程の部屋で咲衛門と別れると五月は着てきた平服に着替えた。装束を脱ぐまでは侍女に手伝って貰ったが流石に自分の服を着る時は丁重に断る。
「お着替えがお済みなようなので宴席へご案内させて頂きます」
着替えを手伝ってくれた侍女がそう言って五月を伴い宴席へ向かった。廊下の途中で咲衛門と合流すると庭園に設えられた宴席へ。上座の中央に咲衛門と共に腰を下ろす。周りには各家の当主と少し離れた場所にその次席が陣取り二人が腰を下ろすと同時に宴は始まった。各家当主は先程と違いフレンドリーに咲衛門に話しかけている。五月も初めは緊張していたが先程と違い、皆が温和な感じで接してくれるのですぐにそれは解れた。
「それにしてもあの悪ガキの鼻垂れがよう此処まで立派になったの」
「もう勘弁して下さいよ咲衛門様‥」
咲衛門が笑いながら言うと藤四郎は恥ずかしそうにそう返し少し小さくなって酒に口を付ける。
「本当に倅が小さい頃はご迷惑ばかりお掛けしました」
藤吉もそう言いながら苦笑した。
「お前も似たようなものだったではないか」
咲衛門と藤吉達が親しげに話しているのを見て五月は何時もの咲衛門を見ているようで安心する。先程の咲衛門は五月にとって知らない人物のようだったからだ。
「藤吉も藤四郎も小さい頃、咲衛門様に悪戯ばかりしてよく怒られてたんですよ」
「そうなんですか?」
宗助がこっそりそう耳打ちすると五月は少し笑いながら返す。
「橘家は気風なのかやんちゃ者が多いですからね
誰にでも物怖じしない所があるんですよ」
困ったように微笑んで歩武がそれにこっそり続けた。どうやらこっちの二家は陰陽師に近い性質なのか崩していてもキッチリしていて上品だ。そんな感じで和やかに宴は進んで行き途中途中で各家の者が五月達に挨拶に来ていろんな話をしてくれた。お陰で五月は各家の色合いや雰囲気がいろいろと掴めて安心する。数時間に及んだ宴が幕を閉じると五月と咲衛門は神社に戻った。
「お爺ちゃん、僕、早く立派な当主になるからね」
神社への階段を上りながら五月が微笑む。
「そうだな‥じゃが無理はせんでええ‥
お前はお前らしく真っ直ぐいなさい」
咲衛門も微笑んで返すと五月は頷いた。
それから五月は簡単な仕事は分家に任せて難易度の高い仕事だけに集中するようになる。時折、神社に来ては咲衛門から助言を貰った。
「それでこの間、話した仕事なんだけど‥」
「それは青森でしたようにやれば良い
それよりそろそろ神社に戻って来て宮司の仕事も覚えてくれんかの?」
茶菓子を摘まみながら話していると咲衛門がそう言う。
「そうだね‥だいぶ鬼狩の仕事にも慣れて来たしそろそろ戻ってちゃんと宮司の仕事も覚えるよ
まだ新しい所に引っ越したばっかりだから後一月ほど待ってて‥」
「まぁ、それで構わんが刀の扱いにはもう慣れたか?」
「初めの頃よりは慣れた‥でも全力で使うのはまだ10分が限界かな?」
二人で話していると玄関が開く音がして氏子が居間の方へ入って来る。
「あら、五月ちゃん、来てたのね」
「鈴木のおばさん、こんにちは‥もしかして夏祭りの準備?」
「ええ、これから皆でお昼を食べながら割り当てを決めるのよ
今年は太田さんの家も息子さん達が帰って来たから賑やかになるわよ」
そんな話をしながら鈴木は勝手知ったる感じでキッチンでお湯を沸かしながら沢山の湯のみを出す。
「そっか‥もうすぐお昼になるんだね
じゃぁ、僕そろそろ行くね」
「うむ」
「あら、五月ちゃんも皆とお昼食べて行けば良いじゃない?」
「僕ちょっと昼から用事があって‥また今度ゆっくりご馳走になります」
「あらそう?」
五月はそう言うと席を立ってその場を後にした。
神社を出て途中で簡単に昼食を取ると五月は橘本家に顔を出す。そして小一時間ほど仕事の話をしてから自宅の方へと帰って行った。車庫に車を入れて自宅に入ろうとすると何だか見覚えのある顔にばったり会う。
「あれ?五月?」
「もしかして恭介?」
驚いた顔でそう言った恭介に五月も驚いた顔で二人その場で固まった。
「何だよ‥お前もしかしてまた此処に住んでんの?」
「え?ああ、うん‥此処って知り合いの家でさ‥ちょっとの間だけ居る事になったんだ」
恭介がようやく正気に戻って聞くと五月はドキドキしながら答える。そう言えば近所に住む恭介は当時の級友であったと今更思い出した。住んだ事のある家に住む時はそう言った人物が居ない場所を選んで住むようにしていたのだがうっかり忘れてこの家に住む事を決めてしまったのである。五月は辻褄を合わせる為に脳をフル回転させた。
「ってか久しぶりだし家来いよ
母さんもきっとびっくりするぜ」
恭介はそう言って自分の家を指す。
「ああ‥うん‥でも先に荷物置いて来るね」
「おー‥じゃぁ、うちで待ってっから鍵開けとくし昔みたいに勝手に上がって来いよ」
「分かった」
そうやり取りすると二人はそれぞれ自宅へ戻った。
〈はー‥焦ったぁー‥〉
玄関を入ると五月はぺたんと座り込む。
「何だそんな所で‥」
その様子をリビングから出てきた征嗣は見て呆れたように聞いた。
「実はさ‥」
五月は困ったような顔で立ち上がりながら征嗣に事情を話す。
「そういう事なら此処に長居は出来んな‥良い機会だしそろそろ神社へ戻る手配をしたらどうだ?」
「それ、お爺ちゃんにも言われて来たよ
そうだね‥あんまりすぐ引っ越すと変だから適当に話を考えとかないといけないな‥
とりあえず誘われてくるから行ってくる‥多分、晩御飯もご馳走になるだろうから先生は適当に食べててね」
「分かった」
五月は手荷物を征嗣に渡すとまたそのまま玄関を出る。
「お邪魔しまーす!」
昔のように五月は恭介宅まで来るとそう声をかけながら家に入った。するとリビングから恭介とその母が顔を出す。
「な、本当に五月だろ?」
「あら本当‥五月ちゃん久しぶりね」
恭介が言うと母親は驚きながら言って五月に微笑んだ。
「おばちゃん、お久しぶりです」
五月は返しながら靴を脱ぐと昔のように入って来て恭介と一緒に二階へ上がる。
「部屋、殆ど変わって無いね‥」
「まーな‥それより何でこっちに?
もしかして同窓会の話誰かから聞いたのか?」
五月は何時も座っていた場所に腰を下ろすと部屋を眺めて言った。恭介は下から持って来たペットボトルを五月に差し出し返す。
「こっちに来たのは知り合いに頼まれたんだよ
暫く住みながらで良いから片付けをしてくれって‥本当は別の所に住んでるんだよね
って言うか同窓会有るの?」
「うん、伊藤達がそろそろ案内状出してる筈だけど‥うちもまだ来てないから明日か明後日くらいには届くんじゃないかな?」
「でも僕、卒業まで居た訳じゃ無いし届かないかもね」
「ああ、それなら大丈夫
皆も五月に会いたいって言ってたから出してる筈だぜ?
あ、でもお前、引っ越しばっかりだから宛先不明で戻って来るかも‥」
「それは多分、大丈夫だと思う‥何時も連絡先は爺ちゃんちにしてあったから‥」
「そっか‥なら絶対来いよ
皆、楽しみにしてたからな‥って言うか昔からぺちゃぱいだったけど成長しても相変わらずぺちゃぱいだなお前‥」
「それなんだけど実はさ‥」
体型で突っ込まれ五月は仕方なく自分が女として育てられていた事実を当り障り無い範囲で打ち明けた。恭介は驚きながらもそれを聞いて腑に落ちた事が有るのかすぐに納得する。そんな感じで話が盛り上がり、案の定というか何時も通り恭介の母にごり押しされる形で夕飯をご馳走になった。父親の帰りが遅い家なので恭介と妹と母親の三人と其処に五月が加わるスタイルもそのままだ。
「五月ちゃんが女の子だったら恭介のお嫁さんにって思ったのに‥残念」
別れ際、恭介の母親にそう言われ五月は困ったように微笑むしか出来なかった。
自宅へ戻ってホッと一息吐くと五月はリビングに顔を出す。
「先生?」
しかしリビングには征嗣の姿は無くそう声をかけてみた。
「何だ‥思っていたよりも早く戻って来たんだな」
「そうでも無いよ‥しっかり晩御飯も頂いてきちゃったし‥って言うかもうお風呂入って来たの?」
浴室の方から頭を拭きながら征嗣がリビングに入って来ると五月はソファに腰を下ろし返す。
「ああ、さっき圭吾が報告ついでに美味そうな造りを差し入れてくれたんでそれで一杯やろうと思ってな‥」
「え、そうなの?
僕も食べる!」
「お前は食って来たんだろうが‥」
「良いじゃん、それに晩酌付き合う
僕も先にお風呂入って来るから待ってて!」
五月はそう言うと急いで自分も風呂に向かった。ザックリ身体を流し出て来ると征嗣は先に呑んでいて五月も其処へ座って一緒に造りを摘まみながら酒を呑む。
「同窓会、ちょっと楽しみかも‥此処は比較的、長く居たから仲の良い子が多いんだよね」
「偶にはゆっくり楽しんで来ると良い」
当時の思い出話をしながら五月は微笑んだ。
そして話は「椅子取りゲーム」へと続いて行く。
神社に戻って来た五月は表の顔である宮司としての務めも咲衛門についてあれこれ習い、同じく神社で働く榊や伊佐木にも氏子や参拝者の対応などを教えて貰った。小さい頃から手伝い程度はしていたが細かい事まで教えて貰うと結構、複雑なものもある。榊や伊佐木は斎藤家から派遣されてきた眷属ではあるが一般人として近くで生活していて地域にも馴染んだ存在だ。だから五月の事も幼少から知っているし五月自身もよく懐いていて襲名するまで実際、二人が自分の眷属である事実を知らなかった。
「例え身内だとしてもそれを知られる訳にはいかんのでな‥」
咲衛門は打ち明ける時にそう言ったので五月も今まで通り二人には接する事にする。勿論、二人も五月への態度は変えなかった。
そんな感じであっと言う間に夏が過ぎ、紅葉の季節も過ぎて雪が舞い始めた頃、五月と咲衛門は社務所で伊佐木と共にストーブを囲んで正月用の札やお守り作りに精を出す。
「ただいま戻りました」
そう言って榊が肩を竦めながら入って来ると五月達はそちらへ視線を向けた。
「お疲れ様です‥今、あったかいお茶を淹れますよ」
伊佐木はそう言って席を立ちストーブの上にあるヤカンを手にする。
「大山さんの具合はどうだったね?」
「まぁ、お年ですからなかなか思うようにはいかないようですけどもう杖をついて歩いておられましたよ
もう少ししっかり歩けるようになったら娘さんも自宅に帰るそうです」
咲衛門が聞くと榊は返しながらストーブの傍まで来て手を翳した。
「大山のお爺ちゃん頑固だからまた世話にはならんって言われたんじゃない?」
「はは、まぁね
でも流石に今回は年末の神棚神事をお願いされたよ
あの足じゃ神棚を運べそうも無いからね」
五月も聞きながら手を止めると出来た物を箱に纏め机の上を片付ける。そう話していると伊佐木がお茶を淹れて戻って来て皆は談笑しながら休憩を入れた。
「五月ちゃーん‥居るー?」
お守り等を売る売店の方から誰かがそう声をかけて来たので五月はそちらに顔を出す。
「あ、増田のおばちゃんこんにちは!」
「これ、うちで取れた長ネギと大根お裾分け」
五月がそう言うといかにも畑仕事の最中という感じの様相で増田は袋を掲げて見せた。
「わぁ、何時もありがとう!」
「良いのよ‥それより明後日は宜しくねって飯塚のお婆ちゃんが言ってたわよ」
「うん、まだまだ見習いだけどしっかりやるから心配しないでって伝えといて‥」
五月はそれを受け取りながら返すと増田が続けて二人は世間話に花を咲かせる。
「何時もすまんね‥それより雄三さんは良いのかい?」
「あらヤだ、下に待たせたままだったわ‥それじゃぁね五月ちゃん」
余りに盛り上がってるので咲衛門が顔を出して言うと増田は慌てて去って行った。
「本当に増田のおばちゃんが来ると長くなるよね」
「まぁ、あの性格だから救われとる人も多いんじゃがな‥」
五月が苦笑すると咲衛門も苦笑いで答える。
「お、増田さん所の野菜ですね
相変わらず綺麗で立派な大根と長ネギですね」
「うん、まずは神様にお供えしてから頂こうね」
伊佐木が袋を覗き込んで言うと五月は返す。
「じゃぁ、私が神前にお供えしてきますよ」
「お願いします」
榊がそう言いながら五月から袋を受け取ると去って行った。
「っと‥私もそろそろ次の仕事に向かわないと‥」
「寒いから気を付けてね」
「また降りそうなんでもう一枚、上着の下に着てから出掛けますよ」
榊もそう言うと残ったお茶を飲み干して立ち上がり社務所を出て行く。五月と咲衛門はそれを見届けるとまた作業を再開した。
「お爺ちゃん」
「何じゃ?」
「僕、そろそろお嫁さんを貰おうと思うんだ
あんまり急がなくて良いってお爺ちゃんは言ってくれたけどあんまり時間も無いしさ‥」
作業をしながら五月が言うと咲衛門は一瞬、動きを止めたがすぐに手を動かす。
「そうか‥」
「だから跡継ぎの心配はしなくて大丈夫だよ
ちゃんと子供を作るからさ‥」
一泊置いて咲衛門が返すと五月は作業を止めずに続けた。
「何時から気付いておった?」
「歴代の鬼狩の手記を読んでて分かっちゃったんだ
初めは年代順に読んでて気付かなかったんだけどね‥何だか違和感あったから「さつき」の手記だけ並べてみて気付いた」
「そうか‥お前は昔からそういう聡い所があったな‥全く‥不憫な事だ」
二人は黙々と作業をしながら話す。
「三上様は諦めるなって言ってくれたけどどっちにしてもちゃんと準備だけはしておこうと思ってる
弥生さんの子供も男の子が生まれたし心配はしなくて良いのかもしれないけれど僕としては出来るだけの事はしておきたいんだ」
「お前がそう思うてくれるのは有り難いがの‥だがただの爺としてはもう少し我儘で居てくれた方が良いの‥」
「ありがとう‥僕はそう思ってくれてるだけで頑張れるよ」
咲衛門は返しながら少し手元が滲んで見えて目頭を押さえた。
「あー寒い‥また冷えてきましたね
今晩はおでんにするっておっしゃってましたよ」
そう言いながら伊佐木が戻って来てストーブに手を翳す。五月と咲衛門はそれをきっかけに気持ちを入れ替えた。
「おでん久しぶりだぁ」
「そう言えば秋の終わり頃にして以来じゃな」
「はは、最近は白菜の差し入れが多かったですからね‥うちも必然的に鍋ばかりになっちゃってましたよ」
そんな話題でまた和やかに三人で話しながら作業を再開した。
慌しく年末年始が過ぎ、ようやく落ち着いた3月頃の事、五月は珍しく征嗣と出張に行く事になる。依頼主は朱雀王子家で古い鬼塚の調査だった。指定されたホテルに征嗣と入ると五月は一人で件の場所へ向かう。少し起伏のある田んぼや畑しかないような場所でタクシーを降り、脇道を進んで行くと奥に車が二台停まっていて智裕と明希が眷属と何か話していた。五月は挨拶しながらその輪に入って行く。
「この辺りは本来、うちらの管轄やのうて宮家が管理してるんですけど区画譲渡を前提に依頼されてうちらが敷地内の調査をしたんです
ほなら、こないなもんが出て来てね‥こっちで処理するよう言われてるんやけど宮家側にも土地守の方にも資料が無いからこの石塔の正体がよう分からんねん」
智裕はそう言いながら一枚の写真を出して見せる。
「何かの目印‥でも無さそうですね
お地蔵さんっぽくも見えますけど‥」
五月は写真を手に取ると難しい顔でそれを睨みながら呟いた。
「唯天にも見て貰ったが鬼の気配は微かに在るが封印されている訳でも無さそうなんでいまいち鬼塚と定義出来るモノが無いらしい
下手に突いて大物が出て来ても困るから念の為にお前と征嗣に見て貰った方が良いと言われて来て貰ったんだ
この奥には一応、宮内庁が認定している古墳があるらしくて一部は囲われて立ち入り禁止区域になっているが周りは見ての通り一般人も自由に出入り出来る
今までは周りに何も無かったんで結界は張らずにそれで管理してたんだが何でもこの辺りが住宅地になるそうで古墳の範囲にきちんと結界を張るらしい
それに伴い故意にしろうっかりにしろ侵入する輩が出ねぇようその境目を国に譲渡して管理させるそうだ
で、その譲渡部分の調査中にそいつが見つかってな‥書類上は何の表記も無いんで勝手に作られたものだとは思うんだが譲渡される前に何とか処理したいんで詳しく見てくれねえかって話なんだ」
明希は補足しながら目の前の小山を見て溜息を吐く。確かに辺りに人家は無く小山へ続く道も無い。一般人が好きに入れると言ってもわざわざこんな何も無い所に入る者も居ないだろう。だが民家が出来ればそんな場所でも人が入る可能性は出て来る。人が寄ればそれだけ鬼の活性率は上がって来るのでもし微かでも気配が有るなら調べておくに越した事は無いのだ。
「分かりました、ではとりあえず今から現場へ行って現物を確認してみます」
「それなんだがな‥実はかなり道中が大変な感じなんで今日は止めておこう
明日、朝から俺が案内するから‥」
五月が勢いよくそう返すと明希は誤魔化し笑いで言った。微かに嫌な予感が走る。
「ほな、そういう事で後は頼みますで‥うちは祭礼がありますよってな‥」
「おう、また詳細が分かったら連絡する
それよりあんまり無理すんじゃねぇぞ
任せられるんなら聖月に任せて屋敷に戻れよ」
「心配せんでもうちはそんな軟や無いわ
それよりちゃんとお土産買うて来てや」
「分かってるよ」
智裕がそう言うと明希は返して頭を掻いた。一見、素っ気ないように見えるが相変わらず何時までも仲睦まじい夫婦である。
「何時も思うんですけど三上様って智裕様と居る時だけ柔らかい表情しますよね」
「そうか?俺としてはあんまり変わらないつもりなんだがな‥」
智裕を見送ってから明希の車に乗り込み、五月が言うと明希は表情も変えず返してエンジンをかけた。ホテルに戻ると征嗣はロビー横の喫茶部分で雑誌片手にコーヒーを飲んでいて五月はすぐにそれに気付く。
「先生、どうしたのこんな所で‥」
「よぉ、久しぶりだな‥」
「ご無沙汰してます」
五月が声をかけると明希も続き、征嗣は明希を見て軽く会釈しながら返した。
「暇だったんで少し買い物に出ていたんだ‥思ったより早く戻って来たんだな」
征嗣は足元の紙袋を視線で指して五月に答え雑誌を置く。
「軽く説明だけ聞いて戻って来たから‥明日、現場に連れて行ってくれるそうだから先生も一緒に来てね」
五月は返しながら征嗣の傍に座ると明希も腰を下ろした。そしてそれぞれ飲み物を注文して雑談に花を咲かせる。
「そういやあいつんとこの眷属と見合いしたんだって?」
「はい、でも何だか僕にはもったいない人だったんでお断りしてしまいました
智裕様からも何人かご紹介頂いたんですけどまだお見合いまで決め兼ねてて‥」
不意に明希が聞くと五月は困ったように微笑んで頬を掻いた。
「別に焦る事は無いさ‥大事な問題だからよく考えて決めりゃ良い」
五月の気持ちに気付いている明希としてはそう言ってやるくらいしか出来ない。
「あ、すみません‥ちょっと席を外します!」
電話に気付き五月はそう言って中座すると電話に出ながらホテルから出て行く。
「あいつも思い切ったもんだな‥まぁ、良い返事がしてやれねぇ俺等の責任でもあるが‥
あんたはこのままで良いのか?」
明希は溜息交じりにその背中を見ながら征嗣に聞いた。
「良いも何も五月が決める事です
俺はただの私益鬼でもう人の世界に介入出来る立場じゃない」
征嗣はそう言うと冷めてしまったコーヒーに口を付ける。
「お前もあいつも拗らせてるよな‥もっと自由に生きりゃ良いのに‥」
「誰も彼も貴方のような訳にはいかないんですよ
それに‥いえ、これ以上は止めましょう」
明希が溜息交じりに呆れると征嗣は少し俯き加減で言って口を閉ざした。
「泣き言くらいは聞いてやるよ
本当はあんたもあいつが好きなんだろ?
過去の殺鬼じゃ無くあいつが‥」
明希はそう言いながら煙草を咥える。征嗣はそれに答えず黙ったままだ。
「あいつはお前が未だに「初代・殺鬼」に惚れてると思ってる
まぁ、始めはそうだったんだろうが今は違うんだろ?」
明希がそう言うと征嗣は少し顔を背ける。
「初代からずっと誰一人、守る事も受け入れてやる事も出来なかったのに今更、夢を見ようとは思わん」
暫くの沈黙の後、征嗣は顔を背けたまま呟いた。
「別にあんたが悪かった訳じゃ無いだろ?
勿論、今までの「さつき」やあいつが悪い訳でもねぇ‥だが、このままじゃ今までと同じ後悔を繰り返すだけだぜ?」
「例えそうなると解っていても俺はあいつに生身の人間と恋をして欲しい
俺は所詮、幻影だ‥今までもこれからも誰にも何も残してやる事は出来ない」
明希が諭すように言うと征嗣は少し明希を見た後、また視線を戻して返す。
「ったく‥お互いそれだけ想いあってんのに何でこうも頑固なんだかねぇ」
呆れるように言って明希は背凭れに身を預けた。結局、五月も征嗣も相手の事を考え過ぎて気持ちを置き去りという矛盾に嵌っているのである。
「お待たせしてすみませんでした」
二人が沈黙する中、五月が駆けながら戻って来てまた席に着いた。
「あの‥何かあったんですか?」
「いや、それより飯でも食いに行くか‥それと少し買い物もしなけりゃならんしな‥」
何だか重い空気に五月が聞くと明希は返して席を立つ。征嗣は一旦、荷物を置きに部屋へ行き、戻って来ると三人で出かけた。
「とりあえず此処で明日着て行く服を買う」
明希が車を停めてそう言ったのは作業着の店で五月の嫌な予感は益々濃くなる。
「あの‥何で作業着の店で服を買うんです?」
「明日、行く所は道が無い上にかなり険しい場所を通るんでな‥お前のその服じゃ差し支える」
明希はそう言いながら五月のサイズを聞いて相応の服を何点か見繕う。
「試着して出来るだけフィットする物を選んでおけ‥俺はロープとハーネスを見て来る」
そう言うとピックアップした物を手渡して別の売り場へ行ってしまう。
「先生は作業着無くて良いの?」
「俺は基本的に必要無い‥服は体裁で着ているだけだからな」
五月が聞くと征嗣は溜息交じりに返した。五月はそう言われて乾いた笑みで試着室に入ってあれこれ着てみる。
「これどうかな?」
着替えると試着室のカーテンを開けて征嗣に意見を聞いてみる。
「少し腿がだぶつき過ぎてる感じだな‥出来るだけフィットする物と言われているからもう一つサイズダウンした方が良いんじゃないか?
上着も袖が長過ぎだ」
「やっぱりそうだよね‥」
征嗣が言うと五月はまたカーテンを閉めて着替えた。そうやってあれこれ着替えてみて一番フィットする物を選ぶ。
「決まったか?」
五月が試着室から出て来ると明希が戻ってきてそう声をかけた。
「はい、これが一番ぴったりでした」
五月がそう言って一組の上下を見せると明希はそれを受け取る。
「会計を済ませて来るから車の方へ行っといてくれ」
明希はそう言うと車のキーを征嗣に渡し、五月達は他の作業着を戻してから車へ戻った。それから夕食を取りホテルへ戻る。
「俺は二階のバーで呑んでるからお前達も来るなら荷物置いて降りて来い」
「分かりました」
明希はそう言って二階で降りると五月達は返し上階へ上がって行った。バーに入って明希が吞んでいると五月だけが降りてきて隣に座る。
「あいつは?」
「先に休むそうです」
「そうか‥で、さっきの電話は長かったが誰からだったんだ?」
「琴吹様からです
この間のお見合いの件でお断りしてしまったのでまた次の方をご紹介頂けるそうで‥まだ智裕様からご紹介して頂いた方にも会っていないので保留にして頂きました
それとこの近所で5日後に祭礼があるそうなので良かったらまた見学に来ると良いって‥」
あれこれ話しながら二人でのんびり酒を楽しむ。五月もようやく呑み方が分かってきて適度な所で切り上げた。
「だいぶ酒の呑み方も覚えてきたようだな」
「流石にあれだけ失敗すれば凝りますよ
その節は三上様にもご迷惑おかけしました」
微笑みながら明希が言うと五月は苦笑する。
「まぁ、それが若い内の特権なんだよ
それより下の方は満足出来てるか?
溜まってんなら良いとこ連れてってやるぜ?」
明希が茶化すように聞くと五月は驚いた顔の後、少し難しい顔で頬を染めた。前のように慌てて否定するでなく、照れながらも返事を考える姿もまた成長したなと明希は感じる。
「それなりには溜まってるんですが一人である程度は処理してるので‥それにその‥余り女性相手だと盛り上がれないというか‥」
五月は正直に答えた。
「あいつと寝たせいでまさか女が抱けなくなったとか言うなよ?」
「あ、いえ、そういうんじゃないんです!
ちゃんと女性にも反応してます!」
明希が呆れながら聞くと五月は速攻で否定する。
「なら良いが‥まぁ、女にそそらないって言うより結局はあいつに抱かれたいんだろ?」
溜息交じりに言われ五月は少し俯いて頷く。
「そんなに辛ぇなら我慢しねぇで告っちまえよ‥結婚と切り離せねぇってんなら結婚しねぇで子供だけ作りゃぁ良いじゃねぇか」
「まだ‥自分の寿命の事、知る前に何度か告白しようって思ったんですよ
でもその度に先生にやんわり拒絶されちゃったんです
それからずっと苦しくて‥でも自分の命が僅かなんだって知った時、分かっちゃったんですよ
過去の「さつき」達に言い寄られた時もきっと先生は苦しかっただろうなって‥過去の「さつき」達を見送った時も辛かったんだろうなって‥
そしたら僕‥自分の辛さなんかちっぽけなものだって思えたんです
先生はまだこんな地獄を生きて行かなくちゃいけなくて‥僕はもし呪いが解けて生きられてもたかが100年ほどですからね
先生の地獄を考えたら我慢出来ない事は無いんですよ」
明希の言葉に五月は一泊置いて寂しそうに微笑んで答えた。
「そんな所は大人びる必要ねぇんだよ‥ったく、変な所ばっかりマセやがって‥」
明希はムスッとしながら答えるとウイスキーを飲み干す。五月はそう言われると苦笑で返した。
「さて、そろそろ行くか‥」
そう言いながら明希が席を立つと五月も続く。
「まぁ、俺や紅音なら多少は相手してやれる
代わりにゃならんだろうが性欲処理ってだけなら利用すりゃ良い」
明希は軽い気持ちでそう言いながらエレベーターのボタンを押す。
「じゃぁ、お願いしても?」
エレベーターに乗り込んでから五月は明希を眺めながらそう聞いた。明希は余りにも意外な返答に五月を見て固まる。
「冗談です、そんなに驚かないで下さいよ」
「ったく‥少し会わねぇ内にだいぶ狸になって来たな?」
五月が微笑んで言うと明希はしてやられたと言わんばかりに口の端を釣り上げた。五月が其処まで言えたのは半分、酒のせいでもあるが眷属を使う内に身に着けた強かさである。
「じゃぁ、お休みなさい」
「ああ、お休み」
エレベーターを降りてそう挨拶すると二人はそれぞれの部屋に戻っていった。
翌日、三人で昨日の打ち合わせた場所まで来ると明希はトランクからあれこれ出して用意を始める。
「とりあえずこれ着けろ」
明希はそう言って五月にハーネスを渡した。
「こんな物が要るくらいハードなんですか?」
「まぁ、有るに越した事は無いという感じだ
あくまでも補助という所か‥」
五月が慣れない物を四苦八苦しながら装着しつつ聞くと明希は慣れた感じで自分もハーネスを装着する。まるで高所足場にでも上るような風体になると五月は益々、不安になった。
「準備も出来たしそろそろ行くか‥」
明希はそう言うとロープを斜めがけして林の中に入って行く。がさがさと草木を分け入り蜘蛛の巣を掃いながら進んで行くと目の前が壁のようになっていた。
「俺が先に上ってロープを降ろすからお前はそれを使って登って来い」
「え?もしかして此処を上るんですか?」
明希が言うと五月は呆然とその壁を見上げた。傾斜角度は50度を超えてほぼ90度に近い場所も在る。
「これくらいならまだ問題はねぇよ」
そう言うと明希は木を伝いながら軽々と登っていく。あっと言う間に上まで辿り着くと明希はロープを降ろした。
「ゆっくりで良いからロープを伝って上がって来い
征嗣、五月を下から支えながら上がってやってくれ」
上から明希が言うと五月はロープの端を自分のハーネスに付けて登り始める。足場が悪いのと慣れない山登りに五月は足を取られながら何とか進んで行く。自分もそれなりに鍛えているので明希のように軽々登れると思っていたが予想以上にもたついた。
「やっと着いた‥」
明希の所まで辿り着く頃には少し息切れしてしまい思わず口からそう零れる。
「まだまだこんなもんじゃねぇから頑張れよ」
涼しい顔で明希が微笑むとロープを巻きながら言われて五月は気が遠くなった。
それから険しい山中を上ったり下ったりしながらようやく昼くらいに現場に到着する。
「これが問題の石碑だ」
明希がそう言うと五月は傍に寄って屈む。道祖神のようにも地蔵のようにも見えるが殆ど風化してうっすら人型であるのが分かる位のただの石だった。
「確かに鬼の気配は在りますね
でも唯天さんが言うように封印じゃ無いです
術の痕跡も見えないし何かと連動してるって訳でも無さそうだし本当によく分からないですね
それに何だろう‥とても優しい感じがする‥」
五月はそう言いながらそれに触れてみる。すると恋しい気持ちと誰かを労わるようなそんな優しさが心に流れ込んできた。五月の目から自然と涙が溢れる。
「どうしたんだ?」
「分かんない‥何だか‥凄く切ないんだ‥」
その様子に征嗣が聞くと五月は涙を拭いながら返した。
「やっぱり術の痕跡も無いしトラップも感じられないからこの石碑に意識を集中すればもしかしたら何か読み取れるかも‥」
五月は続け、もっとその石碑から何かを読み取ろうと目を閉じる。その恋しさと切なさを産むのは何なのか集中すると脳裏に当時の光景が浮かび上がった。
主に裏切られ鬼となった者が居た
主を殺め、家族を殺め、友さえも屠った
それでも鬼は主への恋慕を捨てきれず、何時しか主の眠るこの場所へひっそりと碑を建てて人も喰わずに命尽きるまで通い続けた
主と共に野山を駆け、幸せだった記憶を辿る日々、鬼となった己が初めて安寧を得られた時間
消滅する瞬間、鬼は主への届かぬ想いと殺めてしまった命への後悔で一粒の涙を流し光に掻き消えた
五月は目を開けるともう一度、涙を拭って溜息を吐く。
「何か分かったのか?」
明希が聞くと五月は少し寂しそうに微笑んで頷いた。
「これは鬼が造った供養塔です
この石碑は己の殺めてしまった主の姿を模して作られた身代わりだったんですよ
だから鬼の気配が微かに残ってたんですね
この碑にはこれを建てた鬼の幸せだった思い出や恋慕や後悔が全部詰まってるんです
そしてその想いは主に通じて主の魂もその鬼を許し労わっていた
これはそんな二人の想いの詰まった遺物なんですよ」
五月はそう言うとその碑を慈しむように撫でる。
「じゃぁ、普通に撤去しても問題は無いんだな?」
「そうですね‥でも出来るなら粉々に砕いてこの辺りの土に返してあげたい感じです
例え何も残らない鬼でも思い出くらいは大好きな主と共に居させてあげたいですし‥」
明希が確認すると五月はそう言いながら立ち上がった。
「お前がそうしたいならそれで構わねぇよ
こっちとしても手間が省けるしな‥」
明希が微笑むと五月は征嗣の方を見る。
「先生‥頼んでも良い?」
「構わんよ」
五月が聞くと征嗣は鬼に変化してそれを一瞬で粉砕した。木漏れ日にその粉塵がキラキラ輝く。五月はその後、心を込めて祝詞を挙げ、場を浄化して残された鬼の気配ごと空へと送った。
「さて、無事決着も付いた事だし戻るか‥」
晴れやかな顔で明希が言うと五月も満足そうに微笑んだが一瞬で肩を落とし溜息を吐く。
「そう言えばまたあの険しい道を戻るんでしたね」
「そういう事だ‥まぁ、こんな場所に来る事はもうねぇだろうから安心しろよ」
泣きそうな顔で微笑んで五月が溢すと明希は苦笑した。
「それにしても唯天の感知や術式だけの解析アプローチじゃ何も分からなかったのにたった少し意識にアクセスするだけで解決出来ちまうんだから大したモンだ」
「多分、そういった能力に優れてるのが藤森の性質なんだと思います
逆に僕は唯天さんや先生みたいに鬼の感知に関しては鈍感な方なので‥鬼狩としてはその辺がネックなんですよね」
山道を戻りながら明希と五月は話すが既に五月は息が切れている。
「そういやあいつはかなりの鬼を使役しているがお前はそういうのはしないのか?」
「祖父はそういう事が出来るんですけどどうやら僕には‥というか「さつき」の名を継ぐ者にその才能というか力が無いみたいです
その代わりに先生が都度、目覚めるので何か特殊な作用でもあるのかもしれません」
「その辺の記録は残ってないのか?」
「一応、家に伝わる文書は全て目を通しましたけどそう言った記述は無かったです
他の分家に収蔵されている文書にも目を通しましたがやはり何もありませんでした」
「そうか‥もしかしたらその辺の謎を解けばお前の制限された寿命の謎も解けるのかもしれんな‥」
歩きながら話していると明希のその言葉に思わず五月は足を止めた。
「どうした?
疲れたなら休憩を入れるか?」
それに気付くと明希が振り返って聞く。
「そうか‥もしかしたら僕の中に先生を縛ってる何かの正体があるのかも‥」
少し考え込みながら五月は呟いた。
「何か心当たりでもあるのか?」
「いえ、そう言う訳では無いんですけど僕が先生に助けて貰った時の事を思い出したんです
あの時に先生の力の一部を使って僕を助けたんだよね?」
明希が聞くと五月はそれに返して征嗣に確認する。
「ああ、そうだが?」
「その時に僕は先生の中の過去の「さつき」達の記憶を見ました
初めは気のせいや思い込みなのかもって思ってたんですけど歴代「さつき」達の手記を見てあれは当時の記憶だったんだって確信したんです
あれは先生からの視点だったけど同じくらい「さつき」達の感情が伝わってきました
もし先生の力だけなら其処まで「さつき」達の感情は読み取れない筈‥だからもしかしたら初めから「さつき」達と先生の中に何か共鳴したり連動する力のようなモノが有るんじゃないかってさっき三上様が言った言葉で思ったんです
先生は栢斗鬼媛の術で「さつき」の私益鬼になったって言ってたけどもしかしたら根本から違うのかもしれない」
征嗣の答えに五月は己の考えを明希に説明した。
「そもそもお前はどうやって「さつき」の使役鬼になった?
初代・殺鬼が死んだ後に鬼に帰化したなら初代・殺鬼には使役されていなかった事になる
「さつき」には何時から仕えていたんだ?」
明希もふと気付いて征嗣に問う。
「俺が鬼になってすぐの記憶は封印される直前‥我を忘れて人々を殺戮し、栢斗鬼媛の術でようやく正気を取り戻した辺りからだ
「暫し眠りに就くが良い、次に目覚めた時に其方の悲しみも晴れよう」と言われ、次に目覚めた時に居たのが二代目の殺鬼だった
その時に俺の中に龍王院家が使用する固縛印のようなモノが在ったのでこれは栢斗鬼媛が俺に課した償いの機会なのだと思った
そして俺は殺鬼を鍛え、初代と同じように立派な鬼狩に育てた
だが初代・殺鬼が亡くなった年齢を迎えると何の脈絡も無く消え入るように亡くなってしまいそれからすぐに俺も強制的にあの場所へ引き戻され眠りに就く事になった
後は同じ事の繰り返しだ
どれほど原因を探してもその時代の龍王院家の当主に助けを請うてもどうにもならなかった
俺が覚えているのはこれだけだ」
征嗣は少し視線を外し寂しそうに答えた。
「じゃぁ、状況に因る憶測だけで具体的に「さつき」の私益鬼になった経緯の詳細は分からないって事だな‥
これはちゃんと琴吹にも確認した方が良いのかもしれねぇな‥」
明希はそう言うと宙を見上げ溜息を吐く。
「ま、とにかく全てはホテルに戻ってから話そう‥こんな所で日が暮れたら厄介だからな」
「そうですね」
少し微笑んで明希が続けると五月も苦笑しながら返しまた皆で歩き始めた。
日が傾きかけた頃、ようやく車まで戻って来て五月は車の前でへたり込んだ。
「はぁ‥やっと戻って来れた‥」
「お疲れさん‥それより酷ぇ格好だな‥」
五月が天を見上げながら言うと明希は苦笑しながら煙草を咥える。そう言われて五月は自分の身体を見ると泥やよく分からない汚れでドロドロだった。そして明希と征嗣の方を見ると二人とも全く汚れておらずいかに自分がどんくさいのか思い知らされる。
「とりあえずハーネス外して車に乗れ‥早く帰って風呂入って飯だ」
明希はそう言いながら手早くハーネスを外し、ロープやウエストポーチ等と一緒にトランクに掘り込む。五月と違って明希は全く疲れも見せずサクサク動いていて五月も慌ててハーネスを外してトランクに入れた。
「あ‥でもこのまま乗ったら車が汚れちゃいますね‥」
「別に掃除させるから構わねぇよ
ほら、早く乗れ」
泥だらけの自分を見ながら五月が躊躇いがちに言うと明希は急かして自分も運転席に乗り込む。三人が乗ったのを確認すると明希はすぐに車を出した。
ホテルに戻って来ると駐車場では無くアプローチの方へ車を付ける。
「お帰りなさいませ」
「悪いが車洗っといてくれ‥」
スーツの男性が出て来て挨拶をすると明希はそう返しホテルに入った。五月達はそれを見ながら後に続く。
「風呂入って着替えても1時間もありゃ大丈夫か‥じゃぁ、6時にロビー集合でな‥」
部屋の在る階まで来るとエレベーターを降りながら時計を見て明希が言った。五月達は頷くとそれぞれ部屋に戻る。
約束の時間にロビーまで降りて来ると五月は辺りを見回してみたがまだ二人は降りてきていないようだ。少しその場で待っていると征嗣が降りてきた。
「何だ‥まだあいつは降りて来てないのか?」
「うん、何かあったのかな?」
征嗣も辺りを見回し聞くと五月は少し不安そうに返す。
30分ほど二人で待っているとようやく明希が降りてきた。
「悪ぃな‥待たせた」
「いえ、それより何かあったんですか?」
「ちょっと電話が長引いちまってな‥それよりホテルを移動しなきゃならんから荷物を纏めて来てくれねぇか?
事情は後で話す」
明希に言われて五月と征嗣は顔を見合わせてから頷き荷物を取りにもう一度、部屋へ戻る。
急いで荷物を纏めて二人が戻って来ると忠助が何やら明希と話し込んでいた。二人が五月達に気付くと付いて来るように促しホテルを出て待たせていた車に乗り込んだ。
「一体、何があったんです?」
ただならぬ雰囲気に五月は車が走り出すと聞いた。
「別に大したこっちゃねぇんだがちょっと確認しなきゃなんねぇ案件が出来てな‥
此処からじゃ少し不便なんで智裕達が居るホテルに移動する事にした
琴吹も其処に入るらしいからついでにお前等にも移動して貰おうかと思ってな‥」
明希が説明すると五月は緊急案件でなくて良かったと少しホッとする。ただでさえ今日の山登りで筋肉痛が確定しているのに追加の仕事ならどうしようかと思ったからだ。三十分ほど走った先の賑やかな辺りで車は停まり、これまた豪華な感じのホテルに入る。忠助が案内するように先を歩く。
「飯は?」
「お部屋にご用意させて頂いてます」
明希と忠助はそうやり取りするとロビーを素通りしてエレベーターで最上階に上がり、三人はスイートルームに案内された。大きなテーブルには既に前菜が並んでいて席に着くと飲み物も運ばれてくる。
「とりあえず飯を食おうぜ」
席に着くなり明希がそう言って早速、前菜に箸を伸ばした。五月達もそれを見て同じく食べ始める。昼は場所が場所だったので簡単な携行食しか食べていなかったのでお腹はペコペコだった。
「めちゃくちゃ美味しい!」
「はは、空腹が一番のご馳走ってヤツだな」
五月がそう言いながら食べ進めると明希も苦笑気味に微笑んで返す。あっと言う間に前菜を食べ終わると次々に料理が運ばれてきた。
「それにしても三上様って凄いんですね
動きは呪術師の方に負けないくらい機敏なのに体力も有るんですから‥僕、明日は絶対に筋肉痛ですよ」
満腹になるほど料理を堪能した後、デザートを摘まみながら五月は感心する。
「そうでもないぜ‥昔に比べりゃ確実に動きも鈍くなってるし体力もそれなりだ
もう二十代も後半に入っちまったからな‥」
「え?三上様ってお幾つなんです?」
「言って無かったか?今年で26だ」
「ええっ!?まだそんなにお若かったんですね?」
五月は明希の年を聞いて驚いた。確かに見た目は相応で初見の印象は自分と変わらないかと思っていたのだが長く接していると落ち着き方がどう贔屓目に見ても三十代だと思っていたのである。そう考えると出会った時は今の自分と同じくらいの計算だ。五月は自分がどれだけ幼かったか思い知る。
「さて‥飯も食ったしそろそろ行くか‥」
「何処かに行かれるんですか?」
「ああ、さっき言った別件の確認作業だ
急だったんでこの部屋しか取れて無いから悪ぃがお前等はこのまま此処に泊まってくれ
どうせ今夜は帰れんからな‥明日の昼くらいには戻って来るからそしたらまた声をかけに来る」
「分かりました‥行ってらっしゃい‥」
そう言って明希は席を立つと五月に返しながら上着を羽織ってドアの傍に控えていた忠助と共に足早に去って行った。
「五月さん達の部屋はお取りしてますよ?」
「良いんだよ、こうでもしなけりゃ間違いすりゃ起こらねぇからな‥」
廊下に出ると忠助が聞き、明希は溜息交じりに返す。
「では別に部屋をお取りしましょうか?」
「いや、戻ったら奥の智裕の部屋で寝るから構わねぇよ
偶には嫁さん孝行しとかねぇとな‥」
再度聞いた忠助に明希は少し微笑んで返すと煙草を咥えた。
五月はというと明希が去った後も眷属に薦められ征嗣と共に地酒を頂く。
「さっきのも美味しかったですけどこれも美味しいですね」
「お気に召して何よりです‥今年はとても良い出来だったそうですよ」
そんなやり取りを給仕の眷属としながら五月は征嗣と共に暫く呑んだ。そして吞み終わると綺麗に片付けをして眷属は去って行く。
「美味しかったぁ‥もう動けないよ」
五月はそう言うと満足気に背凭れに身を預けた。
「疲れたろうから軽くシャワーを浴びて休んだらどうだ?」
「そうだね‥幾らお風呂入って来たからってこのまま寝る訳にはいかないもんね」
征嗣が言うと五月は少し眠そうに返してから奥の浴室へ向かう。
「先生、お風呂空いたよ」
「ああ、分かった
先に休んでいてくれ‥」
余り時間もかからずに五月が浴室から出て来て言うと征嗣は返し交代で入った。征嗣も軽くシャワーを浴びるだけにしてバスローブで出て来ると冷蔵庫からビールを出して呑む。
寝室へ行くと五月はベッドに無造作に横になったまま力尽きるように寝ていた。
「おい、ちゃんと布団に入って寝ろ」
「うん‥もう、無理‥」
身体を揺すって起こしてみたが五月は鬱陶しそうにそう言って動かないまま顔だけ伏せる。征嗣は仕方なく五月の身体を抱えて布団を掛けてやろうとするが寝ぼけているのか五月はそのまま抱き付いてきた。
「先生‥大好き‥愛してる‥」
寝言のようにそう言った五月に征嗣は固まり五月を見る。既に五月は寝息を立てていて意識は完全に無いようだった。征嗣はそれに返すように苦しそうな表情で自分も五月を抱き締め額に口付ける。そして己の中の欲望が抑えられる内に五月を寝かせて自分は寝室を後にした。
翌日、五月が目覚めると辺りに征嗣の気配は無く、着替えて寝室を出ると征嗣はソファで眠っていて思わず溜息を吐く。
「先生?こんな所で寝てたら風邪引くよ?」
五月はそう言いながら征嗣の顔を覗き込んだ。
「ん?ああ‥起きたのか?」
征嗣は目を覚ましてそう言うと身体を起こす。
「あんなに大きなベッドなんだから隣に寝れば良いのに‥僕、そんなに寝相悪く無いよ?」
「別に気を遣った訳じゃないさ‥少し呑んでそのまま寝てしまったんだ」
五月が言うと征嗣はソファの前にある空いた数本の缶ビールを見ながら返した。
「それよりもう少し寝る?
こんな所で寝てたんならあんまり休めて無いでしょ?
寝るならちゃんと布団で寝た方が良いよ」
「いや、大丈夫だ‥それより朝食を取りに行こう」
「確か朝食は2階のレストランだったっけ‥起きたタイミングで好きな時間に行くよう言われてたね」
そう話すと二人で朝食を取りにレストランへ行く。豪華な朝食バイキングに目移りしながら二人で朝食を取り、明希が戻って来るのを部屋で待った。
「ねぇ、先生‥一つ聞いて良い?」
「何だ?」
二人でぼんやりテレビを見ながら五月が聞くと征嗣も視線を外さず返す。
「栢斗鬼媛ってやっぱり琴吹様に似てたりする?」
「雰囲気は何処と無く似てる感じはある‥龍王院家の方々はその加護のせいか独特の雰囲気を持っておられるからな
だが顔は余り似ておられないように思う」
「そうなんだ‥でもそう言われてみると千代丸様と琴吹様も顔は全く似て無いけど雰囲気は似てるもんね」
そんな話をぼんやりしつつ時間を潰していると昼前にようやく明希が戻って来た。
「昨日の話を直接聞きたいから智裕が一緒に飯食おうってさ」
「もう祭礼は良いんですか?」
「ああ、今朝方終わって戻って来てる」
明希にそう言われて五月は少し緊張しながらもその申し出を受ける。
「この近くで祭礼だったんですか?」
「少し離れてはいるが此処が一番、便利だからな‥こっちで仕事の時は智裕も琴吹もだいたいこのホテルを利用してる」
廊下を歩きながらそんな話をして一番奥の特別スイートまで来ると中へ入る。五月達の所より当然、広くて豪華で眷属が其処彼処に控えていた。明希に促されて五月と征嗣は席に着く。すると順番に料理が運ばれてきたがまだ智裕は現れない。
「直に来るだろうから先に食ってようぜ」
明希はそう言うと箸に手を付けた。戸惑いはしたが五月も少し遅れて箸を持つと征嗣もそれに続く。
「ごめん、遅なったわ!」
何となく無言で食事を始めるとそう言いながら智裕が寝室の方から出てきた。五月と征嗣はすぐに箸を置くと立って一礼する。
「ああ、構へんから食べてや」
智裕はそう言いながら微笑んで自分も座って箸を取った。
「さっきの件はどうなった?」
「宮家が後始末するそうや‥寧ろうちらは何も聞かんかった事にせぇって暗に言うてたからもうええんちゃう?」
明希が聞くと智裕は返して料理を摘まむ。
「それよりご苦労はんでした‥ダーリンからだいたい聞いたけどどんな状況やったか詳しく聞かして貰える?」
智裕が話を振ると五月は事細かく智裕に昨日の事を話して聞かせた。
「何やハッピーエンドなんかバッドエンドなんか微妙な話やなぁ
でもその主言うんはあの古墳に埋葬されてるお方なんは間違いなさそうやね
何でも鬼に殺された逸話のある方らしいから‥うちも詳しくは教えてもうてないけど公な記録に残らん程度の皇族らしいわ」
全ての報告が終わると智裕は溜息を吐く。それから談笑しながら昼食を終えると休む間もなく智裕は席を立つ。
「ほな、うちは屋敷に戻りますけどダーリンはどうしますんや?」
「俺はちょっとあいつに用事が出来たんでこのまま此処であいつを待つよ」
智裕の問いに明希がそう返すと見る間に智裕は不機嫌になった。
「うちが忙しいのにまたあの売女と宜しくしはるんですか?」
「そう言う用事じゃねぇって‥」
しかし次の瞬間、満面の笑みで智裕が言うと明希は視線を外して小さく答えた。
「まぁ、宜しいわ‥とにかくいらん事ばっかりせんとちゃんと言うた事やってくれはらんと困りますで!」
「分かってるよ」
明希を睨んで言うと智裕は聖月に目配せする。明希はずっと智裕と視線を合わせなかった。
「ほな、後はダーリンに任せときますよってゆっくりしてってや‥」
「はい、ありがとうございます」
去り際、智裕が優しく微笑んで言うと五月はドキドキしながら立ち上がり礼をしてそう返す。内心、二人の痴話喧嘩が始まった時、余りの空気感に生きた心地がしなかった。
その後、明希に薦められて五月は眷属によるマッサージを受ける事になり明希と征嗣は連れ立って何処かへ行ってしまう。夢心地で五月は提供されるいろんなマッサージを受けた。お陰で筋肉痛もしっかり解れて疲れも解消する。
「ありがとうございました
お陰で凄く身体も軽くなりました」
「それは良かったです
では最後にこちらへどうぞ‥」
ホテルのVIPマッサージ室で施術を終え、シャワーを浴びてバスローブ姿で出て来ると眷属にそう礼を言ったがまた施術室に案内された。五月はもう充分なんだけどなと内心思ったが通された先でそういう事かと納得する。バスローブ姿の女性が一人、頭を下げ待っていて奥には施術ベッドではなく普通のベッドがあった。
「あの‥これって‥」
「智裕様から婚姻に関わらず子を設けた方が良いとのご伝言でございます」
戸惑いながら五月が言うと眷属はにっこり微笑んで返してから部屋を出て行く。明希では無く智裕からと言われて五月は断る事が出来ず仕方なくその女性と寝屋を共にした。
〈正に種馬って言う感じかも‥〉
行為が終わると五月は少し疲れた表情でまた眷属に案内されて部屋に戻る。部屋に戻ると既に明希達は戻って来ていてまた三人で一緒に夕食を取った。
「明希ちゃん、来たよ!」
食事をしながら三人で談笑していると琴吹が飛び込んできて明希に抱き付く。
「お前‥来るのは明日じゃなかったのか?」
「もうダッシュで片付けて前乗りしたんだから‥あ、五月君久しぶり!」
呆れながら言う明希に対してニコニコ笑顔で空いた席に腰を下ろし琴吹が答えた。眷属は慣れた様子で琴吹の分も食事を用意する。そして四人で談笑しながら食事を再開した。
「ああ、それからお前んとこの書庫に栢斗鬼媛に関する資料はどれくらい残ってるんだ?」
ふと思い出し明希が聞く。
「栢斗鬼媛の資料って言うか栢斗鬼媛文書はだいたい読んだけどそれ以外には鬼狩の資料って無いんだよね
実際、栢斗鬼媛以降にも時折、鬼狩を纏める人が居たけどその人達も栢斗鬼媛文書の続きで書いてるから‥って言うか栢斗鬼媛がどうかしたの?」
琴吹が説明してから明希に質問を返すと明希と五月は山で話した事を琴吹にも聞かせた。
「そういう事なら一度、詳しく調べてみるよ
綾三郎は長く当主に居た人だから手記の量も多いんだけどもしかしたら同じ棚に柏姫の手記もあるかもしれないし‥だいたい同時期に当主印を持つ人が複数いる場合はそうやって収められてるからね」
「宜しくお願いします」
琴吹はそう言いながらグラスに口を付けると五月は躊躇いがちに微笑んで返す。そうやって談笑しながら夜も更けて来ると明希は五月達にこのままこの部屋で宿泊するよう言って琴吹と出て行った。
二人は順番に風呂を済ませると一緒に寝室へ行き、ベッドに入る。五月はまた征嗣がソファで寝てしまわないように風呂から上がって来るまでリビングで待っていた。本当はまたソファで寝ようと思っていた征嗣はこれには少し困ったが大人しく五月に従う。
「じゃぁ、お休み」
「ああ、お休み」
五月が微笑んで言うと征嗣も返し灯りを消した。
「先生‥まだ起きてる?」
「ああ‥」
暫くして五月が話しかけると征嗣は背を向けたまま短く返す。
「僕ね‥ちゃんと奥さん貰うよ‥」
「ああ‥」
五月がその背中を眺めながら言うと征嗣はやはり動かず短く返した。五月は今すぐにでもその背中に寄り添いたかったが少し唇を噛んで堪える。
「ちゃんと奥さん貰って子供もしっかり作って‥だから心配しなくて良いからね」
「幸せになるんだぞ‥」
「うん‥大丈夫‥」
五月はそう言って微笑むと征嗣の返事に返し自分も背を向けた。本当は反対して欲しかったが予想通りの返答に涙が零れる。喉元まで出かかった「先生が好き」という言葉をまた深く深く沈め眠りに就いた。
おわり




