第八話 目安方の敵は本能寺にあり? ~逆風吹き荒れる!保守派家老の逆襲と魂のプレゼン大会の巻~
幕府巡検使・水野内記忠清という名の、相馬中村藩にとっては観測史上最大級、いや、もはや「神風」と呼ぶべきか「疫病神」と呼ぶべきか評価の定まらぬ強烈な台風は、多くの謎と、それ以上の大きな波紋を藩内に残して江戸へと慌ただしく去っていった。
藩主・相馬昌胤は「水野殿は、我が藩の独創性と先進性を、心の底から高く評価してくださったに違いない! これで相馬中村藩の名も、ついに幕閣に轟き渡り、日の本中の大名が羨望の眼差しを送ってくることじゃろう! いやあ、めでたい、めでたいのう!」と、相変わらず絵に描いたような能天気さで、一人祝杯を上げんばかりに大喜びしていたが、藩の屋台骨を支える重臣たちの受け止めは、それとは百八十度、いや、もはや地球の裏側ほどに異なっていた。
「…財政帳簿の記載方法における著しい杜撰さ、藩士の規律の目に余る緩み、目安方という前代未聞の役職の権限の曖昧さと越権行為の数々…水野殿が残されたご指摘は、どれもこれも我が藩の存立の根幹に関わる、極めて深刻かつ重大なものばかりであったぞ…」
渋沢勘定奉行は、評定の場で、まるでこの世の終わりでも見たかのような苦虫を、それこそ百匹ほどまとめて噛み潰したような、険しくも青ざめた顔で呻いた。彼の胃袋は、水野忠清滞在中、常にギリギリと音を立てていたという。
「うむ。全くもって渋沢殿の仰る通り。特に『目安方の活動が、時に藩の伝統的秩序を著しく乱し、既存の各役職の業務遂行を妨げている』とのご指摘は、断じて看過できん。栗田のあの型破り、いや、もはや常軌を逸したやり方は、確かに一部の物好きな領民や、何も分かっておらん若輩の藩士たちの支持を得ておるやもしれんが、いささか…いや、あまりにも度が過ぎておる。このままでは、いずれ藩内に修復不可能なほどの大きな混乱と亀裂を招きかねん」
筆頭家老・大和田常政も、苦々しげに顔を歪め、厳しい表情で渋沢勘定奉行に全面的に同調する。彼の目には、水野忠清の視察と、その後の報告が、栗田謙信の行き過ぎた、そして危険極まりない「改革」という名の暴走に対する、幕府からの最後通牒のように映っていたのだ。
栗田謙信自身は、水野の残した「お主の情熱は本物じゃと感じた。だが、その情熱を間違った方向に使うな。もしそうなれば、この水野内記忠清が、容赦なくお主を断罪する」という、脅迫とも激励ともつかぬ謎の言葉を、自分なりに(もちろん、いつものように超絶ポジティブに、そして極めて都合よく)解釈し、「よし! 水野様も、私のこの熱きパッションと、改革への揺るぎない信念を、ついに認めてくださったのだ! これはもう、改革のアクセルをベタ踏みし、我が相馬中村藩を、日の本一の、いや、世界をも驚愕させる『エクセレント・カンパニー…いえ、エクセレント・ドミニオン・オブ・ドリームズ』へと、一気に飛躍させる、またとないビッグチャンス到来の予感ですぞ!」と、一人で勝手に盛り上がり、次なる驚天動地の改革案の策定に、ますます熱と拍車をかけていた。
しかし、その水野忠清の視察を明確な境として、藩内の空気は、まるで梅雨空のように、確実に、そして急速に変わりつつあった。それまで、栗田謙信の奇抜な改革の数々を、どこか遠巻きに、あるいは「また何か面白いことを始めたぞ」と、半ば呆れ、半ば面白半分に眺めていた多くの家老や上級武士たちの間に、謙信という異質な存在と、彼が猛スピードで進める急進的すぎる改革に対する、強い警戒感と、そして明確な反発の感情が、まるで燎原の火のように、急速に、そして制御不能なほどに広がり始めていたのである。その中心にいたのは、言うまでもなく、筆頭家老・大和田常政であった。
大和田常政は、代々相馬家に仕える譜代の家臣の筆頭格の家柄であり、藩の伝統と格式、そして何よりも武士としての誇りを、己の命よりも重んじる、筋金入りの超保守派であった。
彼にとって、どこからともなく現れた、元は足軽上がりの、素性の知れぬ若造である栗田謙信が、藩主・昌胤の寵愛を良いことに、まるで我が物顔で藩政を壟断し、次から次へと常識外れで、かつ武家の品位を著しく貶めるような改革を断行し、藩の秩序を根底からかき乱し、あまつさえ幕府の巡検使にまで目をつけられるような、国家存亡の危機とも言える事態を引き起こしたことは、断じて、断じて許しがたい、万死に値する暴挙と映っていた。
「もはや看過できん…! 断じて看過できんぞ! あの目安方の小生意気な小僧、栗田謙信を、これ以上、一日たりとも野放しにしておけば、我が相馬中村藩三百年余の輝かしい歴史と伝統、そして先祖代々受け継いできた武家の誇りは、完全に地に堕ち、崩壊するであろう! そしていずれは、幕府からもその無軌道ぶりを咎められ、お家お取り潰しの憂き目に遭うやもしれん! そうなる前に、我ら代々藩に仕える忠臣が、今こそ敢然と立ち上がり、断固たる態度で藩主様をお諫めし、あの藩を食い物にするシロアリのごとき小僧を、藩政の中枢から、いや、この相馬の地から永久に排除せねばならぬのだ!」
大和田は、腹心の家臣や、同じように栗田謙信のやり方に強い不満と危機感を抱く他の保守的な家老たち(渋沢勘定奉行も、その一人として名を連ねていたが、彼の表情は、大和田とは異なり、どこか複雑で、苦渋に満ちたものであった)と、夜な夜な料亭の奥座敷や、自らの屋敷の密室で密談を重ね、栗田謙信を完全に失脚させ、その影響力を藩内から一掃するための、具体的かつ陰湿な策を練り始めた。
彼らの策略は、まさに老獪かつ巧妙、そして執拗であった。
まず、目安方の活動予算に対する風当たりが、これまで以上に、そして露骨なまでに強くなった。謙信が、水野忠清からの指摘事項(財政帳簿の改善や藩士の規律向上など)への対策として提案する新たな企画(例えば、「全藩士対象・コンプライアンス研修」や「武士道精神再興のための倫理教育プログラム」など)は、評定の場で、渋沢勘定奉行から「財政が依然として逼迫しておる折、そのような不要不急にして効果不明瞭な支出は、一切認められん!まずは隗より始めよ、目安方自身の無駄遣いを徹底的に削減するのが先決であろう!」と、問答無用、取り付く島もないほど冷徹に却下された。目安方の日々の運営費さえも、「費用対効果が著しく低い」「無駄が多い」として大幅に削減され、謙信は、日々の活動資金の捻出にさえ苦慮し始める有様であった。
次に、目安方の活動に対する、城内各部署からの、あからさまな非協力的態度が目立ち始めた。謙信が、各部署の業務改善のためのヒアリングや現状調査を申し入れても、「現在、多忙を極めており、対応致しかねる」「それは目安方の管轄外の案件であろう」などと、様々な理由をつけてけんもほろろに断られたり、提出を求めた重要な資料が、いつまで経っても「現在精査中」の一点張りで全く出てこなかったり、あるいは、やっと出てきたかと思えば、明らかに不正確で、都合の悪い情報が巧妙に隠蔽されたものばかりが上がってくるようになった。これは、大和田派の家老たちが、裏で各部署の責任者に対し、「目安方の若造に協力するな」「下手に情報を渡せば、揚げ足を取られて責任を追及されかねんぞ」といった形で、強い圧力をかけているためであることは、火を見るよりも明らかだった。
さらに、城内では、謙信に関する、悪意に満ちた、そして巧妙に真実を織り交ぜた噂話が、まるで黒い霧か、あるいは感染力の強い疫病のように、人から人へと、あっという間に広まり始めた。
「目安方の栗田は、藩の財産を己の懐に入れ、夜な夜な江戸で豪遊三昧の贅沢な暮らしをしておるらしいぞ。あのアンテナショップとやらも、そのための隠れ蓑だとか」
「いや、それどころか、あの男は、実は他藩から莫大な金で雇われた間者で、我が相馬藩を内側から混乱させ、弱体化させ、最終的には乗っ取ろうと企んでいる、とんでもない悪党だという噂だ。あの奇抜な改革も、全てはそのための策略らしい」
「そもそも、あの男の言う『前世』とやらも、全てが出鱈目、作り話ではないのか。あのような若さで、あれほどまでに多岐にわたる知識や経験を持つなど、常識的に考えてあり得んだろう。きっと、どこぞの悪徳商人にでも入れ知恵された、操り人形に違いあるまい」
根も葉もない、しかし聞く者によっては、その奇抜な言動も相まって、つい信じてしまいかねない巧妙な嘘や悪口が、まるで真実であるかのように囁かれ、栗田謙信は、いつしか「藩を危機に陥れる、胡散臭く、そして危険極まりない要注意人物」として、一部の、特に年配の藩士たちから、白い目で見られ、敬遠されるようになっていた。
目安方の若い衆である田中新兵衛や結城小平太も、その煽りをまともに食らった。他の藩士たちから、「お前らも、あのいかさま師、栗田の口車に乗せられた哀れな手先か」「目安方なんぞという、得体の知れん役職に関わっていると、お前たちの将来にも傷がつくぞ。今のうちに足を洗った方が身のためだ」といった陰口を叩かれたり、武芸の稽古中に、わざと手荒な、危険な扱いを受けたりと、様々な形での陰湿な嫌がらせを受けるようになった。彼らは、悔しさと怒りに唇を噛み締め、時には涙を流しながらも、栗田謙信の目指す改革の正しさと、その人柄を信じ、ただひたすらに耐え忍んでいた。
岩田権左衛門は、この藩内に渦巻く、重く、そして不穏な空気の変化を、長年の経験と勘で、誰よりも敏感に察知していた。彼の胃痛は、このところ、もはや薬も効かないほどに悪化し、夜も眠れぬ日が続いていた。
「栗田…最近、お前に対する風当たりが、尋常ではないほどに強くなっておるのを、さすがのお前でも感じておるのではないか? 城代家老の酒井忠助様も、心なしかお前と距離を置き、以前のように庇ってくれなくなったように見える。これは…間違いなく、筆頭家老の大和田様や、渋沢勘定奉行様あたりが、本気で、そして本格的にお前を潰しにかかっておる証拠だ。少しは…いや、もっと真剣に身辺に気をつけ、そして何よりも、その挑発的な言動を、今だけでも慎んだ方が良いのではないか? このままでは、本当に取り返しのつかないことになるぞ…」
権左衛門は、珍しく、そして心の底から真剣な、心配に満ちた表情で、謙信に忠告した。その目には、これまでにないほどの深い憂慮の色が浮かんでいた。
しかし、謙信は、そんな権左衛門の、血を吐くような忠告を、どこ吹く風といった様子で、あっけらかんと、そしていつものように、超絶ポジティブに(あるいは、もはや救いようのないほど致命的に鈍感なのかもしれないが)言い放った。
「権左衛門殿、ご心配には及びません! ありがとうございます! これは、どんな偉大なる歴史的改革にも、必ずや、それこそお約束のようにつきものである、『既得権益にしがみつく旧体制からの強烈なバックラッシュ』という名の、いわば『産みの苦しみ』『成長痛』のようなものでございます! むしろ、これだけの激しい反発があるということは、それだけ拙者の進める改革が、この相馬中村藩の、古く凝り固まった構造の根幹を揺るがし、新しい時代への大きな変革のうねりを生み出し始めたという、何よりの証左ではございませんか! これは、絶体絶命のピンチなどではなく、大いなる『自己変革の機会』であり、次なる『飛躍的ブレイクスルー』への、神様が与えてくださった、ありがたい試練なのでございます! いやあ、ますます、ますます燃えてきましたぞー!」
謙信は、拳を固く握りしめ、目を少年漫画の主人公のように、いや、もはや何かに取り憑かれた狂信者のようにギラギラと輝かせている。権左衛門は、その姿を見て、もはや言葉もなく、「こいつは…本当に、本当に、救いようのないほどの…大馬鹿者だ…そして、俺は、何故こんな男の元で、こんな胃の痛む思いをせねばならんのだ…前世でよほどの悪行でも重ねたというのか…」と、天を仰いで深々と、そして心の底から絶望的に、長いため息をつくしかなかった。彼の寿命は、この数ヶ月で、確実に、そして加速度的に縮んでいることだけは、間違いなさそうであった。
そして、ついに、その運命の日は、嵐の前の静けさのように、やってきた。
筆頭家老・大和田常政とその一派が、周到な準備と根回しの末、満を持して、藩主・相馬昌胤に対し、目安方筆頭・栗田謙信の即時罷免と厳罰を求める、詳細かつ長大な、そして悪意に満ち溢れた弾劾状を提出したのだ。
その日の評定の間は、これまでにないほどの厳粛さと、息も詰まるような緊張感、そして何か不吉なことが起ころうとしているかのような、重く、不穏な空気に包まれていた。栗田謙信は、まるで打ち首を待つ罪人のように、評定の間の最も末席に、たった一人ポツンと座らされ、居並ぶ家老たちの、冷たく、そして敵意に満ちた視線に、一身に晒されていた。
「殿! 我ら一同、ここに謹んで、そして断腸の思いをもって申し上げます! 目安方筆頭・栗田謙信は、その就任以来、武家の常識を弁えぬ奇矯なる言動と、藩の和を顧みぬ独断専行をもって藩政を著しく混乱させ、武士の本分と誇りを忘れ、藩の貴重な財産を湯水のごとく浪費し、さらには先般の幕府巡検使・水野内記忠清様にまで、数々の無礼を働き、我が藩の面目を著しく汚すなど、その罪状、枚挙にいとまなく、断じて、断じて許しがたきものと、ここに断言いたします! このままこの者を放置すれば、我が相馬中村藩三百年余の輝かしい歴史と、先祖代々受け継いできた武家の伝統と秩序は、完全に崩壊し、いずれは幕府からもその無軌道ぶりを厳しく咎められ、お家お取り潰しの憂き目に遭うことは必定! 何卒、殿の速やかなるご英断をもって、即刻、栗田謙信を罷免し、その罪状に応じて厳罰に処していただきますよう、我ら一同、伏して、伏してお願い申し上げる次第でございます!」
大和田常政が、顔を憎悪と義憤で紅潮させ、声を怒りに震わせながら、弾劾状を、まるで罪状を読み上げる検事のように、朗々と、そして一言一句力を込めて読み上げた。その内容は、これまでの栗田謙信の活動の全てを、ことごとく「藩に対する重大な罪状」として断じる、悪意と偏見に満ち溢れた、恐ろしいものであった。
藩士大運動会は「武士の品位を地に貶め、風紀を著しく乱した愚行」、藩内リサイクルオークションは「藩の貴重な財産を不当に、かつ安価に処分し、私腹を肥やした背任行為の疑い」、様々な福利厚生改革は「藩士を怠惰で軟弱にし、闘争心を奪う堕落策」、江戸のアンテナショップ「相馬屋」は「藩主を欺き、無謀な道楽に藩の財産を注ぎ込み、大赤字を垂れ流している放蕩の極み」、そして水野巡検使への常軌を逸した対応は「幕府に対する重大な不敬であり、国家反逆罪にも等しい」と、ありとあらゆる非難と誹謗中傷の言葉が、これでもかとばかりに並べられていた。
さらに、大和田派の家老たちが、まるで示し合わせたかのように、次から次へと立ち上がり、謙信の「罪状」を裏付ける(とされる)様々な「証言」や、「証拠物件(もちろん、その多くは捏造か、あるいは極めて偏った解釈によるもの)」を提示し、彼がいかに藩にとって有害で、危険な存在であるかを、これでもかとばかりに、大声で、そして芝居がかった身振りで糾弾した。中には、明らかに大和田の圧力に屈し、あるいは何らかの弱みを握られ、不本意ながらも、顔面蒼白で、震える声で謙信に不利な証言をさせられている気の毒な役人の姿も見受けられた。
評定の間は、完全に、栗田謙信の公開処刑、断罪の場と化していた。謙信は、唇を固く結び、顔面蒼白になりながらも、ただ黙って、その激しい非難の言葉の嵐に、まるで荒れ狂う海に翻弄される小舟のように、必死で耐えていた。その顔からは、いつものような自信に満ち溢れた不敵な笑みは完全に消え去り、さすがに深い緊張と、そしてほんの少しの、しかし確かな悔しさが滲み出ているように見えた。傍らに控える岩田権左衛門は、顔面蒼白で、唇をわなわなと震わせ、祈るような、あるいは今にも飛び出していって大和田の胸ぐらを掴みかかりそうな、複雑な思いでその光景を見守っていた。
(栗田…お前も、ついに年貢の納め時、万事休すか…? いや、しかし、このまま黙って、指をくわえてやられるような、そんな腑抜けた男ではあるまい…何か、何か起死回生の大逆転の秘策があるはずだ…!頼む、何か言ってくれ、栗田!)
全ての、嵐のような糾弾が終わったとき、評定の間は、まるで墓場のような、水を打ったような静けさに包まれた。居並ぶ全ての者が、藩主・相馬昌胤の、最後の、そして最も重い裁定を、固唾を飲んで、息を殺して見守っていた。
昌胤は、腕を組み、眉間に深い皺を寄せ、難しい顔でしばらくの間、目を閉じて沈黙していたが、やがてゆっくりと、そして重々しく口を開いた。
「…うむ。大和田、そして皆の者の申すこと、その憂国の情、そして藩を思う心、よく分かった。確かに、栗田のこれまでのやり方は、我が藩の、いや、日の本の武家の常識からは、大きく、そして著しくかけ離れたものが多かった。時に、このわし自身でさえも、肝を冷やし、驚かされることばかりじゃった。……して、栗田。何か、最後に申し開きはあるか? これだけの、山のような罪状を並べられて、このまま黙って、潔く腹を切るわけではあるまいな?」
昌胤の、どこか試すような、そしてほんの少しだけ期待を込めたような言葉に、謙信は、ゆっくりと、しかし力強く顔を上げた。その目には、いつものような、いや、それ以上の、まるで逆境でこそ輝きを増すダイヤモンドのような、不屈の、そして強い強い光が宿っていた。
「殿! そして、評定の間にましまする皆様! 拙者、目安方筆頭・栗田謙信に対しまして、先ほどより賜りました数々のご指摘、ご批判、そしてお叱りのお言葉、その一つ一つを、真摯に、そして謙虚に受け止めさせていただきます。しかし、断じて申し上げます! 拙者のこれまで行ってまいりました全ての行いは、ただただ、この愛すべき相馬中村藩の輝かしい未来のため、そして何よりも、ここに暮らす全ての藩士と領民の皆様の、心からの笑顔と幸せのために行ったもの! 断じて、断じて、私利私欲や、藩を貶め、危機に陥れるような、よこしまな意図は、この栗田謙信の心には、ただの一片たりとも、微塵もございませぬと、ここに、我が魂の全てを賭けて、天に誓います!」
謙信は、力強く、そして一点の曇りもない声でそう言うと、傍らに恭しく置いていた、これまた巨大な、そしてこれまでのどんな巻物よりも豪華で、何やら美しい彩色がふんだんに施された、巨大な絵巻物のようなものを、評定の間の床に、ゆっくりと、しかし堂々と、そしてまるで秘宝でも開陳するかのように、厳かに広げ始めた。
「これは、拙者が目安方筆頭に就任して以来の、約半年間にわたる『目安方活動・中間成果報告書、並びに今後の相馬中村藩未来創造ビジョン・超絶プレゼンテーション~感動と改革の軌跡、そして夢と希望へのロードマップ・完全版~』と題したものでございます! どうか皆様、今一度、この栗田謙信の、最後の、そして魂を込めた話に、ほんの少しだけで結構ですから、耳を傾けていただき、そして、この絵巻物に描かれた、我が藩の輝かしい未来の姿を、その目でご覧いただきたいのでございます!」
その絵巻物は、長さ数間(十数メートル)にも及ぶ、まさに壮大なもので、そこには、これまでの栗田謙信の数々の改革の成果が、具体的な数値データ(もちろん、謙信が集め、彼独自のフィルターを通して解釈し、そして若干の希望的観測と誇張を加えて見栄え良く加工されたもの)や、誰にでも一目で理解できる(と謙信が信じている)分かりやすいグラフ(手書きだが、何故かエクセルやパワーポイントで作成したかのような、妙な精緻さと、そして時折混じる謎の3D表現がある)、そして何よりも、改革によって笑顔を取り戻し、生き生きと日々の暮らしを送る領民や藩士たちの姿を描いた、色鮮やかで、感動的で、そして時々、抱腹絶倒のコミカルな絵図が、まるで一大歴史絵巻、あるいは大河ドラマのオープニング映像のように、次から次へと、息もつかせぬ勢いで展開されていた。
謙信は、その巨大な絵巻物を、まるで魔法の杖のように巧みに指し示しながら、これまでのどのプレゼンテーションよりも、熱く、力強く、そして感動的に、滔々と語り始めた。その姿は、もはや単なる目安方筆頭ではなく、藩の未来を憂い、その再生を訴える、一人の情熱的な改革者、いや、もはや革命家とすら呼べるほどの、凄まじい気迫とオーラを放っていた。
「まず、皆様! ご記憶にも新しい、あの大運動会! 大和田様は、これを『武士の品位を貶める愚行であり、風紀を著しく乱した』と、厳しく断じられました。しかし、果たして本当に、本当にそうだったのでしょうか!? どうか、この絵図をご覧ください! そこに描かれているのは、部署や身分、年齢の垣根を越え、ただ純粋に、共に汗を流し、声を掛け合い、喜びを、そして時には悔し涙を分かち合った、我が藩の藩士たちの、偽りのない、生き生きとした笑顔、笑顔、笑顔でございます! この経験が、どれほど彼らの心と体の鬱憤を晴らし、日々の業務への士気を高め、そして何よりも、組織としての一体感と仲間意識を、深く、そして強く醸成したことか! 事実、あの運動会後、各部署間の風通しは格段に良くなり、目安箱への建設的な意見や前向きな提案も、以前の三倍以上に増加いたしました! これらは、銭や米では決して測ることのできない、しかし何物にも代えがたい、我が藩の未来にとって最も重要な『無形の財産』、すなわち『人と人との絆』なのでございます!」
謙信は、絵巻物に描かれた、泥まみれになりながらも満面の笑みで綱を引き合う藩士たちの姿や、肩を組んで応援する奥方衆、そして目を輝かせて声援を送る子供たちの姿を指し示しながら、声を震わせ、涙ながらに(もちろん、半分以上は計算ずくの演技だが、それでも彼の言葉には真実の響きがあった)訴えた。
次に、問題視されたリサイクルオークション。
「そして、あのリサイクルオークション! これを『藩の貴重な財産を不当に、かつ安価に処分し、あまつさえ私腹を肥やした背任行為の疑いがある』とまで、ご批判を賜りました。しかし、皆様、どうかもう一度、冷静にお考えいただきたい! あのオークションで我々が売買したのは、長年、城内の納屋や蔵の隅で埃をかぶり、誰からも忘れ去られ、ただただ朽ち果てるのを待つだけであった、いわば『死蔵された物品』、すなわち『負の遺産』でございました。それを、我々は、必要としている藩内の部署や、あるいはそれを有効に活用できる藩士や領民の方々へ、公正かつ透明な競争入札という手段を通じて、適正な価格で再配分し、結果として、これだけの新たな歳入(謙信は、絵巻物に描かれた、オークションの具体的な売上金額と、その使途の内訳が書かれた部分を、高々と指し示す)を、我が藩にもたらすことができたのでございます! そして、それ以上に重要なのは、この前代未聞の催しを通じて、藩士や領民の皆様の間に、『物を大切にする心』『限りある資源を有効に活用する知恵』そして『工夫次第で、無価値なものにも新たな価値が生まれる』という、新しい時代の価値観が、確かに芽生え始めたということでございます! これぞまさしく、『サステナブル(持続可能)な循環型共生社会の実現』への、小さくとも確実な第一歩なのでございます!」
続いて、様々な福利厚生改革の成果。
「さらに、藩士たちの心と体の健康増進と、日々の生活の質の向上のために実施いたしました、様々な福利厚生改革! 美味しくて栄養満点、ボリューム満点の昼餉の提供、心の闇に寄り添う『お悩み駆け込み寺』の開設、そして日頃の地道な努力が正当に評価され報われる『月間MVP制度』の導入…これらは、決して『藩士を怠惰で軟弱にし、闘争心を奪う堕落策』などでは断じてございません! むしろ、藩士一人ひとりが、心身ともに健康で、日々の生活に不安を感じることなく、安心して、そして誇りを持って日々の職務に打ち込めるような、最高の労働環境を整備し、彼らが生まれながらに持つ無限のポテンシャルと創造性を、最大限に引き出すための、極めて重要かつ戦略的な『人財育成マネジメント戦略』なのでございます! どうか、このアンケート結果の劇的な変化をご覧ください! 藩に対する総合満足度、日々の仕事への意欲とやりがい、そして自らの将来への明るい希望…その全ての項目が、これらの施策の導入前後で、確実に、そして驚くべきほど劇的に向上しておるのでございます!」
そして、問題山積と指摘された江戸のアンテナショップ「相馬屋」。
「江戸日本橋に開設いたしました、我が藩のアンテナショップ『相馬屋』は、確かに、まだ大きな利益を生み出し、藩財政を潤すには至っておりませぬ。その点は、深くお詫び申し上げます。しかし、この『相馬屋』は、単なる物販店ではございません! 我が相馬中村藩の誇るべき文化、受け継がれてきた卓越した技術、そして何よりも『相馬中村ここにあり!我ら陸奥の魂、決して侮るなかれ!』という、熱く燃える不屈のチャレンジ精神を、日の本経済の中心地である江戸から、日本全国津々浦々へ、いや、ゆくゆくは七つの海を越え、遠く万国の地へまでも高らかに発信する、極めて重要な『戦略的情報発信拠点』なのでございます! すでに、江戸の町では『相馬屋』のユニークな商品と、我々スタッフの心のこもった『おもてなし』の噂が、口コミで、あるいは瓦版(もちろん謙信が裏で手を回して書かせたもの)で広まり、我が藩の特産品に対する江戸の目利きたちからの問い合わせや、取引の申し出も、日増しに増えております! これは、我が藩の将来の大きな飛躍と発展に繋がる、確かな、そして力強い布石なのでございます!」
謙信は、次から次へと、まるで魔法のように、絵巻物を繰り広げながら、よどみなく、そして全身全霊の情熱を込めて語り続ける。その言葉は、時にユーモラスで会場の笑いを誘い、時に感動的で家老たちの涙腺を刺激し、そして常に、この相馬中村藩と、そこに暮らす全ての人々への、深く、そして揺るぎない愛情に満ち溢れていた。
評定の間にいた家老たちは、最初は「また栗田の、いつもの大袈裟な戯言が始まったわい」と、腕を組み、冷ややかに、あるいは侮蔑的な視線を送っていたが、謙信の、どこまでも真摯な語り口と、絵巻物に生き生きと描き出された具体的な成果(あるいは、少なくともそう見えるもの)、そして何よりも、そこに溢れんばかりに描き出された、藩士や領民たちの、偽りのない、心からの生き生きとした笑顔、笑顔、笑顔の数々に、次第に、知らず知らずのうちに引き込まれ、いつしか固唾を飲んで、食い入るように聞き入っていた。
謙信の、もはや魂の叫びとも言えるプレゼンテーションが、佳境に入ったその時、目安方の若い衆、田中新兵衛と結城小平太が、おずおずと、しかし決然とした態度で前に進み出た。
「も、申し上げます! 殿、そして皆様! 拙者、足軽組の田中新兵衛からも、一言、どうしても申し上げたく存じます!」新兵衛は、緊張で声を上ずらせ、顔を真っ赤にしながらも、しかし、これまでにないほどはっきりとした、力強い口調で言った。
「拙者は、栗田組長…いえ、目安方筆頭の元で、この数ヶ月間、働かせていただくようになってから、生まれて初めて、自分の仕事に、そしてこの相馬中村藩の藩士であることに、大きな誇りを持ち、そして、この藩のために、領民の方々のために、何かをしたい、何かお役に立ちたいと、心の底から、本気で思えるようになりました! あの大運動会も、毎日の美味しい昼餉も、そして先日までお手伝いさせていただいた江戸のお店での仕事も、その全てが、拙者にとっては新鮮で、刺激的で、そして何よりも、大きなやりがいのあるものでした! 栗田筆頭は、確かに、時々、いえ、いつも型破りで、常識外れで、何を考えているのか分からないような方ですが、そのお心の根底にあるのは、誰よりもこの相馬中村藩を深く愛し、そして領民の方々の幸せを心から願っておられる、熱く、そして純粋な想いであると、この田中新兵衛、信じて疑っておりません!」
続いて、結城小平太も、背筋をピンと伸ばし、力強い声で言った。
「某も、田中新兵衛殿に全く同じく! 栗田筆頭の教えやご指示は、時に奇抜で、突飛で、我々凡人の理解を遥かに超えていることも多々ございますが、その根底には、常に我々藩士一人ひとりへの、まるで慈父のような温かい眼差しと、この藩の輝かしい未来への、誰よりも熱く、そして揺るぎない想いが、確かにございます! 某は、栗田筆頭の元で、剣術の技だけでなく、人として、そして真の武士として、多くの、本当に多くのことを学ばせていただきました! どうか、栗田筆頭に、これからも我々を、そしてこの相馬中村藩を導いていただく機会を、お与えください!」
二人の、若く、そしてどこまでも真摯な、魂からの訴えに、評定の間の空気は、明らかに、そして劇的に変わり始めていた。それまで謙信を非難していた家老たちの中にも、ハッとしたように顔を上げる者や、何かを深く考え込むように腕を組む者が出始めた。特に、比較的若い世代の藩士たちの中からは、彼らの言葉に同調するかのように、小さく、しかし力強く頷く者や、思わず拳を握りしめる者たちが、次々と現れ始めた。
その時、岩田権左衛門が、ついに意を決したかのように、ゆっくりと、そして重々しく立ち上がった。その顔には、長年の苦労と、そして最近の過度の心労が深く刻まれていたが、その目には、これまでにないほどの、強い決意の光が宿っていた。
「殿…そして、評定の間にましまする皆様。わしは、この栗田謙信という、誠に奇妙きてれつ、摩訶不思議な男の、一番近くで、その…その筆舌に尽くし難いほどの奇行の数々を、それこそ嫌というほど、骨の髄まで見せつけられてきた者でござる。正直、これまで何度、こやつの首を絞めて、目安方の井戸にでも放り込んでやろうかと思ったこともあり、胃薬と頭痛薬の世話にならぬ日は、誇張でも何でもなく、ただの一日たりともござりませぬ。じゃが…じゃが、このどうしようもない大馬鹿者が、この相馬中村藩に来てからというもの、この藩が、そして何よりも、ここに暮らす藩士や領民たちが、確実に、そして良い方向に変わり始めたのも、また、紛れもない、動かしがたい事実なのでござる。わしは、学もなければ、難しい理屈もよう分からん、ただのしがない足軽上がりの武骨者。じゃが、こやつが、来る日も来る日も、まるで念仏のように唱え続けておる、『お客様(領民)の笑顔のため』『藩の未来のため』という、その言葉に、ただの一片の嘘偽りもないということだけは、この岩田権左衛門、我が命に代えても、そう信じておりまする。どうか、皆様、今一度、この、どうしようもないほどの大馬鹿者で、世間知らずで、そして空気を全く読めない男の、しかし、誰よりも真っ直ぐで、純粋で、そして熱い心根を、汲んでやってはいただけぬでしょうか…」
権左衛門は、そこまで言うと、言葉に詰まったのか、あるいは感極まったのか、深々と、本当に深々と頭を下げた。その震える肩には、これまでの彼の全ての苦労と、そして謙信への複雑な、しかし確かな信頼の念が込められているように見えた。その目には、うっすらと、しかし確かに、涙が光っていた。
そして、これまで沈黙を守っていた城代家老の酒井忠助も、静かに、しかし凛とした声で口を開いた。
「殿。筆頭家老の大和田殿の申される、藩の伝統と秩序を重んじるお心、そして渋沢勘定奉行殿の、藩財政の規律を守らんとするお強いご懸念も、いずれも藩を思うが故の、もっともなことと深く拝察いたします。しかし、この栗田謙信が、我が相馬中村藩に、これまでにない新しい風を吹き込み、多くの藩士や領民に、生きる希望と働く喜びを与えたことも、また紛れもない事実。彼のやり方は、確かに荒削りで、型破りで、時に常軌を逸し、危ういことこの上ない。じゃが、その行動の根底にあるのは、紛れもなく、この藩への揺るぎない忠誠と、そこに暮らす民への深い慈愛の心であると、この酒井、信じております。ここはひとつ、彼のこれまでの功績を認め、その上で、今後の目安方の活動については、その権限と責任を明確にし、より慎重に、かつ評定の場で十分に議論を重ね、藩全体の合意形成を図りながら進めていく、という形ではいかがでしょうかな」
酒井の、冷静かつ、常に全体のバランスを考慮した、的確な意見に、評定の間の空気は、さらに、そして決定的に、謙信擁護の方向へと大きく傾き始めた。
最後に、全ての意見と、そして謙信の魂のプレゼンテーションを聞き終えた藩主・相馬昌胤が、ゆっくりと、そしてこれまでにないほどの威厳を込めて、その重い口を開いた。
「…うむ。皆の者の意見、そして栗田の熱い想い、しかと、この耳と心で受け止めた。大和田、そなたの申す、我が藩の長きにわたる伝統と、武家としての揺るぎない秩序を重んじる心、そして渋沢、そなたの申す、藩財政の厳格なる規律を守り、一文の無駄も許さぬという強い心、それらは、藩に仕える家臣として当然の、そして commendable(コメンダブル:賞賛に値する、と謙信が以前どこかで言っていたのを昌胤は気に入って使っている)な心得であり、このわしも、深く、そして重々承知しておる。じゃが…」
昌胤は、そこで一旦言葉を切り、射るような、しかしどこか温かい眼差しで、謙信を真っ直具に見据えた。
「しかし、栗田。そなたという、誠に得体の知れぬ、しかし何とも面白い男が、この相馬中村藩に来てからというもの、この城が、そして何よりも、ここに暮らす領民たちの顔が、明らかに、そして見違えるほどに明るく、そして生き生きとなったのも、また、誰にも否定できぬ紛れもない事実じゃ。わしは、何よりも退屈が大嫌いで、そして新しいものが大好きな性分でのう。そなたが次から次へと巻き起こす、奇想天外な騒動の数々は、時に肝を冷やし、頭を抱えさせることもあるが、それ以上に、このわしの、退屈しきっていた心を、激しく、そして心地よく躍らせてくれる。先般の幕府巡検使、水野殿の言葉にもあったではないか。『この藩には、他の、どの大藩にもない、得も言われぬ奇妙な…いや、一種の…そう、『活力』のようなものが、確かに感じられた』と。その、我が藩に宿り始めた新しい『活力』の源の一つが、間違いなく、そなた、栗田謙信であることは、このわしが一番よく分かっておるつもりじゃ」
「よって、目安方筆頭・栗田謙信の罷免は、断じて許さん。目安方の活動も、当面は、いや、今後も継続させる。ただし!」
昌胤は、そこで声を一段と強め、威厳に満ちた表情で、居並ぶ家臣たちを見渡した。
「ただし、今後の目安方の活動については、城代家老・酒井の申す通り、その内容と予算、そして何よりもその実現可能性と藩全体への影響を、この評定の場で十分に精査し、皆の知恵と意見を集め、より我が藩の実情に合った、そして持続可能なものとしていくこと。大和田、渋沢、そなたたちも、ただ頭ごなしに反対するだけでなく、栗田と共に忌憚なく議論を戦わせ、より良き、そして実りある改革となるよう、その経験と知識をもって努めよ。そして栗田、そなたも、決して自らの才を過信し、独断専行に走ることなく、ここにいる家老たちの、時には厳しい意見にも真摯に耳を傾け、謙虚な心を忘れず、より慎重に、そして着実に事を進めること。良いな!これが、わしからの、藩主としての厳命である!」
「ははーっ! ありがたき幸せ! 身に余る光栄に存じます! 殿の、そして皆様のご期待に必ずや沿えるよう、そして皆様からのご指導ご鞭撻を真摯に賜りながら、この栗田謙信、全身全霊、粉骨砕身をもって、我が相馬中村藩の輝かしい発展と、万民の幸福のために、どこまでも尽くしてまいる所存でございます!」
謙信は、床に額がゴツンと音を立ててぶつかるほど深々と、そして何度も、何度も頭を下げた。その目には、安堵と、感謝と、そして新たなる、さらに困難な挑戦への燃えるような決意の光が、力強く宿っていた。
筆頭家老・大和田常政とその一派は、完全勝利とはいかず、むしろ謙信の立場をより強固にする結果となったことに、苦虫を百匹ほどまとめて噛み潰したような、何とも言えぬ複雑な表情で唇を噛み締めていたが、藩主の厳命とあっては、もはやこれ以上、公然と反論することもできない。彼らの謙信に対する警戒心と反発は、依然として、いや、むしろ水面下でさらに根強く残るであろうが、少なくとも、表立って謙信を追い落とそうとする動きは、当面は封じられた形となった。
栗田謙信は、まさに九死に一生を得た。しかし、それと同時に、自分のやり方だけが常に正しいわけではないこと、そして、より多くの人々の理解と協力を得ながら、慎重に、そして着実に改革を進めていくことの重要性を、改めて、そして深く痛感するのであった。
「まだまだ、私の『お客様(藩と領民、そして時には手強い家老の皆様も含む、全てのステークホルダー!)満足度ナンバーワン』への道は、遠く、そして果てしなく、そして障害物だらけで険しいですな…! しかし、だからこそ、これほどまでに燃えるような、エキサイティングで、やりがいのある挑戦はございませんぞ! さあ、岩田権左衛門殿、田中新兵衛君、結城小平太君! 我らが目安方の次なる改革のステージへ、新たな希望を胸に、共に出陣いたしましょうぞ!」
目安方執務室に戻るなり、謙信は、まるで何事もなかったかのように、いや、むしろ先ほどまでの死闘でさらにエネルギーをチャージしたかのように、早くも次なる野望に向けて、目をキラキラと、いや、もはやギラギラと獣のように輝かせていた。
岩田権左衛門は、そんな謙信の、もはや常人には理解不能な、底なしのポジティブさと、不死身のタフネスぶりに、呆れ果てたような、しかしどこか安堵したような、そしてほんの少しだけ誇らしげな、非常に複雑な表情で見つめながら、心の底から、本当に心の底から、この数ヶ月間で最も深く、そして長いため息をついた。
「……お前のせいで、俺の寿命は、確実に、そして驚異的なスピードで、加速度的に縮んでいる気がする……頼むから、本当に頼むから、少しは…ほんの少しは、大人しく、そして平穏無事に過ごしていてくれんか……切に願う…」
その、あまりにも切実で、そして哀れなほどの、魂からの叫びが、興奮状態で次なる改革プランの構想に没頭し始めた栗田謙信に、果たして届いたかどうかは、定かではない。
相馬中村藩の、波乱万丈、予測不能、そして何故か目が離せない、抱腹絶倒の改革の物語は、まだまだ、どこまでも、そしておそらくは永遠に、続いていくのであった。
ブクマと評価を頂けると作者が喜びます。本当に喜びます。




