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拙者、お客様は神様だと申したはず! ~令和のバイトリーダー、うっかり江戸で天下泰平(主に接客面で)を目指す~  作者: ストパー野郎
第一部 ~バイトリーダー、城下を騒がす! おもてなし改革と七転八倒の毎日~
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第七話 幕府の役人がやってきた! ~お江戸の鬼か仏か?おもてなし監査地獄変の巻~

今日中に11話まで投稿します。

 江戸日本橋の片隅で、産声を上げたばかりの相馬中村藩アンテナショップ「相馬屋」。店主である目安方筆頭・栗田謙信の、常識外れで奇想天外、そして時に抱腹絶倒の販促活動と、彼のもとで働く岩田権左衛門、田中新兵衛、結城小平太、そして江戸っ子町娘お駒ちゃんら「チーム相馬屋」の、ぎこちなくもひたむきな奮闘は、良くも悪くも江戸の町で徐々に、しかし確実に注目を集め始めていた。


「おい、聞いたか? 日本橋の裏通りに、何やら妙チキりんな店ができたらしいぞ。店主が元武士で、毎日店の前で歌ったり踊ったり、客の悩み相談に乗ったりしてるんだとよ」


「へえ、そりゃあ面白そうじゃねえか。何でも、東北の相馬って藩の店で、珍しい田舎の産物を売ってるらしいぜ。相馬焼とかいう焼き物も、若い娘っ子たちの間じゃ『逆に新しい』ってんで、ちいとばかし流行り始めてるって話だ」


「だがよ、あの店、時々騒動も起こしてるみてえだぞ。この間なんざ、万引き犯を捕まえたはいいが、店主が説教した挙句に干し芋持たせて帰しちまったとか。武士の風上にも置けねえってんで、近所の旦那衆は眉をひそめてるらしいぜ」


 そんな噂話が、江戸の茶屋や髪結床、湯屋などで、まことしやかに囁かれるようになった頃。その噂は、回り回って、ついに幕府の中枢にまで届くこととなった。



「相馬中村藩、とな。確か、陸奥の小藩であったな。ここ数年、これといった動きもなかったはずだが…」


 江戸城内の一室。幕府の財政を預かる勘定奉行の一人が、部下の提出した報告書に目を通しながら、訝しげに呟いた。報告書には、最近の江戸市中での「相馬屋」の評判と、その店主である栗田謙信なる人物の奇抜な言動、そして、それに呼応するかのように、本国の相馬藩内でも「目安方」なる新しい役職が設置され、何やら藩政改革が急速に進められているらしい、という風聞が記されていた。


「はっ。伝え聞くところによりますれば、その目安方筆頭・栗田謙信なる者、元は足軽の身分ながら、藩主・相馬昌胤公の覚えめでたく、異例の抜擢を受け、藩財政の立て直しや領民の生活改善に、型破りな手法で取り組んでおるとのこと。先の藩内リサイクルオークションなる催しでは、藩の不用品を売却し、少なからぬ収益を上げ、また、藩士大運動会なる奇妙な行事で、藩士の士気を高めたとも聞き及んでおります」

 部下の役人は、淡々と報告する。


「ふむ…リサイクルオークション? 運動会? まるで商人の真似事か、子供の遊びではないか。しかし、それで財政が改善し、士気が上がるとは…にわかには信じがたい話じゃな。あるいは、何か不正な手段で私腹を肥やしておる輩がおるやもしれん。あるいは、藩主が乱心し、藩政を混乱させておる可能性も…」


 勘定奉行は、眉間に深い皺を刻んだ。外様大名である相馬藩の動向は、幕府としても常に注視しておかねばならない。特に、財政状況の悪化や、藩内の混乱は、時として幕府の介入を招き、最悪の場合、改易かいえきの口実ともなり得るのだ。


「よし、分かった。相馬藩の現状、そしてその目安方なる者の実態を、この際、徹底的に調査する必要がありそうじゃな。早速、巡検使を派遣する手筈を整えよ。人選は…そうじゃな、あの男に任せるか。水野内記殿を呼べ」



 水野内記忠清みずのないきただきよ。幕府の若手官僚でありながら、そのあまりの厳格さと清廉潔白さ、そして一切の不正や無駄を許さぬ徹底した仕事ぶりから、「幕府の鬼監査役」「氷の内記」などと、味方からも敵からも恐れられる切れ者であった。彼は、これまで数々の藩の不正を暴き、多くの悪代官や腐敗役人を断罪してきた実績を持つ。その水野忠清が、巡検使として相馬中村藩に派遣されるという知らせは、数日後、早馬によって国元にもたらされ、藩内を震撼させた。


「ま、幕府の巡検使じゃとー! しかも、あの『鬼の内記』と恐れられる水野忠清殿が、直々にお越しになるじゃとー!」


 城代家老・酒井忠助は、江戸屋敷からの急報を読み上げながら、顔面蒼白となり、その場でへなへなと座り込んでしまった。評定の間に集った他の家老たちも、一様に血の気を失い、まるで世界の終わりでも告げられたかのような絶望的な表情を浮かべている。


「お、おのれ栗田め…! あ奴が江戸で、また何か余計な騒ぎを起こしたに違いあるまい! だから申したのじゃ、田舎侍が江戸で商人の真似事など、時期尚早だと!」筆頭家老・大和田常政は、顔を真っ赤にして怒鳴るが、その声も震えている。


「い、いや、大和田殿、栗田だけの所為とは…しかし、この時期に巡検使とは…一体、幕府は何を嗅ぎつけたのじゃろうか…」渋沢勘定奉行も、珍しく冷静さを失い、額に脂汗をにじませている。「万が一、我が藩の財政帳簿に、何か些細な不備でも見つかろうものなら…あるいは、目安方の活動が『分不相応な改革』と見なされようものなら…お、お取り潰しもあり得るやもしれん…!」


 評定の間は、かつてないほどの緊張と恐怖に包まれた。藩主・相馬昌胤だけが、一人、「ほう、幕府の役人が来るとは、これは本格的に我が藩の改革の成果が、ついに江戸城にまで認められたということか! いやあ、めでたいのう! これで相馬藩も、日の本に名を轟かせる日も近いわい! はっはっは!」などと、相変わらず超絶ポジティブ、いや、もはや現実逃避としか思えない呑気なことを言って、家老たちの神経をさらに逆撫でしていた。


 そんな絶望的な雰囲気の中、渦中の人物である栗田謙信だけが、一人、目をキラキラと輝かせ、まるで遠足前の子供のように興奮を隠しきれない様子であった。


「皆様、ご安心ください! これは我が相馬中村藩にとって、絶好の『PRチャンス』でございますぞ! 幕府の巡検使様に、我が藩の素晴らしい改革の成果と、領民たちの幸せそうな笑顔、そして何よりも、この栗田謙信が提唱する『お客様第一主義』の理念を、心ゆくまでご堪能いただき、感動していただくのです! そうすれば、水野様はきっと江戸城にお戻りになり、『相馬藩、恐るべし! まさに日の本武士の鑑!』と、将軍様に大絶賛してくださるに違いありません! 目指すは、幕府公認『日本一の優良藩』の称号獲得でございます!」


 謙信の、あまりにも楽観的で、現実離れした、そしてどこかネジが数本飛んでいるとしか思えない宣言に、家老たちはもはや反論する気力もなく、ただただ呆然と彼を見つめるばかりであった。岩田権左衛門だけが、傍らで「栗田…お前は、本当に、本当に救いようのない馬鹿だ…」と、心の底から呻いていた。



 かくして、栗田謙信プロデュースによる、「幕府巡検使・水野内記忠清様お迎えプロジェクト~究極のおもてなしと感動体験による幕府公認優良藩認定獲得大作戦~」が、半ばヤケクソ気味に始動した。


 謙信は、まず「水野様おもてなし対策本部」を目安方執務室に設置。自ら本部長に就任し、権左衛門を副本部長(強制的に)に、新兵衛と小平太を遊撃部隊長(何をするのかは不明)に任命した。

 最初のミッションは、徹底的な情報収集であった。


「敵を知り己を知れば百戦殆うからず! まずは、水野内記忠清様という『お客様』の、お人柄、ご趣味、ご嗜好、過去の監査でのご発言やご指摘事項、そして何よりも『琴線に触れるポイント』と『絶対に踏んではいけない地雷』を、江戸屋敷のネットワークを最大限に活用し、徹底的にリサーチするのでございます!」


 謙信の号令一下、江戸屋敷の留守居役や出入りの商人たちが、必死になって水野忠清に関する情報をかき集めた。しかし、その結果は、「極めて真面目で厳格、清廉潔白、一切の賄賂や接待は通用せず、趣味は囲碁と漢詩、好物は麦飯と質素な漬物、酒は一滴も飲まず、甘い物も好まない、唯一の弱点は極度の方向音痴らしい(ただし真偽不明)」といった、およそ「おもてなし」のしようがない、絶望的な情報ばかりであった。


「ふむ…これは手強い『お客様』ですな…しかし、どんな難攻不落のお客様にも、必ずや攻略の糸口はあるはず! 『方向音痴』という情報が本当なら、そこが突破口になるやもしれませんぞ!」謙信は、一人不敵な笑みを浮かべていた。権左衛門は、その笑顔を見て、また一つ、新たな厄介事が始まる予感に襲われた。


 次に、視察ルートの選定と、その徹底的な事前準備である。

「水野様には、我が藩の『良いところ』だけを、これでもかとご覧いただき、その他の『改善中の箇所(つまり、まだダメなところ)』は、決して目に触れさせてはなりませぬ! いわば、『選択的情報開示によるポジティブ・イメージング戦略』でございます!」


 謙信は、藩内地図を広げ、水野忠清が視察しそうな箇所――城、武家屋敷、練兵場、藩校、勘定方の帳簿、そして城下の町並みや農村――をリストアップ。そして、それぞれの場所で、何を見せ、何を隠し、誰がどのように対応するかの詳細なシナリオを作成した。


 視察ルート沿いの道は、領民たちが総出で掃き清められ、道端には季節の花々(もちろん、近隣の山から急遽移植してきたもの)が植えられ、古びた家々の壁は、急ごしらえで白く塗り直された(ただし、雨が降ったら剥がれるかもしれない)。農村では、最も出来の良い田畑だけを選んで視察コースに入れ、そこでは、事前に選ばれた「模範的農民(実は、屈強な足軽たちに農民の格好をさせ、にわか仕込みの農作業をさせている)」が、満面の笑みで稲刈り(の練習)をしている、という演出まで計画された。

 さらに、想定問答集の作成と、それに基づいた徹底的なリハーサルである。


「水野様は、必ずや厳しいご質問をなさるはず! それに対し、我々は、よどみなく、理路整然と、そして何よりも『我が藩はこんなに素晴らしいのです!』という熱いパッションを込めて、完璧にお答えせねばなりませぬ! そのための『巡検使様対応・完全無欠問答マニュアル(全三百問、模範解答付き)』を作成いたしました! 藩主様から足軽の一兵卒に至るまで、全員、これを丸暗記し、いつ何時、いかなる質問をされても、完璧に答えられるよう、血反吐を吐くまで特訓あるのみです!」


 謙信の作成したマニュアルには、「我が藩の財政状況は?→極めて健全、かつ将来性豊かです(詳細は渋沢奉行が冷や汗をかきながら説明)」「藩士の士気は?→比類なきほど高く、皆、藩のために命を捧げる覚悟です(運動会効果とMVP制度のおかげです、と付け加えること)」「目安方の活動内容は?→領民の声に耳を傾け、藩政に活かす、画期的なシステムです(具体的な活動内容は、あまり詳しく話すとボロが出るので適当に濁すこと)」といった、あまりにも現実離れした、しかし自信満々の模範解答が並んでいた。


 リハーサルは、目安方執務室や城の大広間で、連日連夜行われた。謙信が水野忠清役を怪演し、家老たちや各部署の責任者たちが、汗だくになりながら、必死で模範解答を暗唱した。権左衛門は、その光景を眺めながら、「これは…もはや喜劇か、それとも悲劇か…」と、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。

 食事と宿泊の準備も、謙信の指示のもと、着々と進められた。


 饗庭料理頭には、「水野様の度肝を抜き、そのお堅い心をトロトロに溶かす、相馬中村藩の粋と真心を集めた、究極の『おもてなしフルコース懐石(ただし、食材は全て質素なものを用い、見た目の美しさと創意工夫で勝負すること)』」という、極めて難易度の高い(そして矛盾した)指令が下された。饗庭は、頭を抱えながらも、職人の意地とプライドを賭けて、前代未聞の創作料理の開発に取り組んだ。


 宿泊先は、城内の一室を、謙信自らが陣頭指揮を執り、数日かけて「質素ながらも清潔感と機能美に溢れた、究極の癒し空間ミニマル・ジャパニーズ・スイート」へと改装した。ただし、予算は渋沢勘定奉行が「一銭たりとも出さん!」と頑なに拒否したため、内装材のほとんどは、先のオークションの売れ残りや、城内の不用品を再利用したものであった。その結果、部屋の隅には何故か錆びた槍が飾られ、床の間には作者不明の不気味な掛け軸が下がり、枕元には謙信手作りの「安眠促進アロマ(ラベンダーもどきの何かと、大量の杉の葉を混ぜたもの)」が置かれるという、およそ癒しとは程遠い、カオスな空間が誕生した。


 そして、極めつけは、「藩民総出ウェルカム隊(ただし実態はサクラ部隊)」の組織である。


「水野様が視察されるルート沿いで、我が藩の領民たちが、まるで自発的に、心からの歓迎の意を表しているかのような光景を、さりげなく、しかし効果的に演出するのでございます! 例えば、道端で子供たちが元気に『お代官様、ようこそ相馬へ!』と声を揃えて挨拶したり、農家の主婦たちが道端に打ち水をして『お暑い中、ご苦労様でございます』と涼やかな笑顔で声をかけたり、あるいは、若者たちが集まって『相馬藩繁栄万歳!』などと書かれた幟旗を振ったりするのです! これにより、水野様は『おお、この藩は、かくも領民に愛され、そして活気に満ち溢れているのか!』と、感動すること間違いなしでございますぞ!」


 謙信の、もはや詐欺スレスレの演出計画に、酒井忠助は「栗田殿…それは少々やりすぎでは…もしバレたら、それこそ幕府の心証を著しく損ねるのでは…」と懸念を示したが、謙信は「ご安心ください! 全ては『自然な流れ』に見えるよう、綿密に計算し尽くされた『高度な演出』でございます! 『事実は小説より奇なり』、いえ、『事実は演出より奇なり』を目指すのです!」と、全く悪びれる様子もなく言い放った。権左衛門は、その言葉を聞きながら、もはや何も言う気力も失い、ただただ、自分の額に「南無阿弥陀仏」と書きたい衝動に駆られていた。


 数日後、ついに運命の日がやってきた。


 早朝、江戸を発った幕府巡検使・水野内記忠清の一行が、相馬中村藩の藩境に到着したとの報が、早馬によって城にもたらされた。城内は、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなり、藩主・昌胤をはじめとする重臣たちは、慌ただしく正装に着替え、出迎えの準備を始めた。


 謙信は、この日のために新調した(というより、古着の羽織を染め直し、目安方の紋(もちろん謙信が勝手にデザインしたもの)を大きく刺繍しただけの)一張羅を身にまとい、目安方の若い衆と共に、最終チェックに奔走していた。


 やがて、水野忠清の一行が、供侍数名を従え、馬に乗ってゆっくりと城門へと近づいてきた。水野忠清は、噂に違わぬ、年の頃は四十代半ば、痩身で背が高く、鋭い眼光を宿した、いかにも切れ者といった風貌の武士であった。その表情は硬く、一切の感情を読み取ることができない。

 城門前では、藩主・昌胤、酒井忠助、大和田常政、渋沢監物ら、藩の最高幹部たちが、深々と頭を下げて一行を出迎えた。


「水野様、遠路はるばる、かくも鄙びた相馬の地へ、ようこそお越しくださいました。藩主の相馬昌胤にございます。何のおもてなしもできませんが、ゆるりとお過ごしください」昌胤が、いつになく神妙な面持ちで挨拶をする。


「巡検使を拝命つかまつった、水野内記忠清である。これより数日にわたり、相馬藩の藩政、財政、その他諸々について、厳正に調査させていただく。よしなに」


 水野忠清は、馬上から一同を見下ろし、抑揚のない、事務的な声でそう告げた。その言葉と態度からは、一切の親しみや温情は感じられず、家老たちは、改めて「鬼の内記」の異名の所以を肌で感じ、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


 そんな中、一人だけ、満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせている男がいた。栗田謙信である。

「水野様! ようこそ、我が心の故郷、相馬中村藩へ! 拙者、目安方筆頭を拝命しております、栗田謙信と申します! この度は、水野様のような高潔にして英明なるお方を、我が藩にお迎えできましたこと、藩士一同、いえ、領民一同、感涙にむせび、三日三晩踊り明かしたいほどの喜びに打ち震えております! どうか、この数日間、我が藩のありのままの姿をご覧いただき、そして、この栗田謙信が全身全霊を込めてご提供いたします『究極のおもてなし』を、心ゆくまでご堪能くださいませ!」


 謙信は、水野忠清の馬の前に躍り出ると、まるで長年待ち望んだ恋人にでも会えたかのように、暑苦しいほどの歓迎オーラを全身から発散させながら、深々と、そして何度も頭を下げた。


 水野忠清は、突然目の前に現れた、奇妙な羽織を着て、やたらと馴れ馴れしく、そして異常にテンションの高いこの男を、眉間に深い皺を寄せ、心底から怪訝そうな、そして若干引いたような目で見つめていた。権左衛門は、その後ろで、「馬鹿者! 初対面から何を馴れ馴れしく! 少しは控えんか!」と、顔面蒼白で謙信の羽織の裾を必死で引っ張っていた。


 こうして、幕府巡検使・水野内記忠清による、相馬中村藩の監査が、波乱と不安と、そして一抹の期待(主に謙信の)を乗せて、幕を開けたのであった。



 視察初日。水野忠清は、まず城内の主要な施設を見て回ることになった。案内役には、もちろん栗田謙信が(半ば強引に、そして藩主の「栗田なら面白いことをしそうだ」という、ありがたいような迷惑なような後押しもあって)任命された。


「水野様、こちらが我が藩の誇る練兵場でございます! ご覧ください、あの引き締まった藩士たちの勇姿を! 日夜、このような厳しい訓練に励み、いかなる事態にも即応できる、精強なる武士道を叩き込んでおります!」


 練兵場では、この日のために選抜された、見栄えの良い若い藩士たちが、掛け声も勇ましく、一糸乱れぬ槍術や剣術の型を披露していた。その動きは、確かに見事ではあったが、どこか芝居がかっているようにも見えなくもない。


「ふむ。形ばかりは整っておるようだが…実戦ではどうかな」水野は、相変わらず表情を変えずに、淡々と呟く。


「もちろんでございます! 我が藩の武士は、勇猛果敢にして、その忠誠心は日本一! いざ鎌倉とあれば、獅子奮迅の働きをお約束いたします! さあ、水野様、次は藩校でございます! 我が藩の文武両道の精神をご覧にいれましょう!」


 謙信は、水野の言葉を都合よく解釈し、意気揚々と次の視察場所へと案内する。権左衛門は、その後ろで、「栗田、お前は少し黙っていろ! 水野様がお前の軽口にうんざりしておられるではないか!」と、必死で目配せを送るが、興奮状態の謙信には全く届いていない。


 藩校では、生徒たちが論語を朗々と素読し、教師がそれを解説するという、絵に描いたような模範的な授業が行われていた。しかし、よく見ると、生徒たちの手元には、謙信が作成した「巡検使様お見えの際・藩校生徒心得(大きな声で、ハキハキと、そして時々『なるほど!』と感動したフリをすること)」と書かれたカンニングペーパーが隠されている。


「水野様、いかがでございましょう。我が藩では、武芸のみならず、学問にも力を入れ、知勇兼備の人材育成に努めております!」


「…子供たちが、やけに芝居がかった感心の仕方をしておるように見えるが…気のせいかな」水野は、鋭い目で生徒たちを一瞥し、ぽつりと言った。謙信は、背中に冷たい汗が流れるのを感じたが、すかさず笑顔で切り返す。


「め、滅相もございません! それは、水野様のような偉大なるお方を前にして、子供たちが緊張と興奮のあまり、普段以上の熱意を示しておるだけでございます! さあ、次は勘定方へ! 我が藩の健全なる財政状況をご覧にいれましょう!」


 勘定方では、渋沢勘定奉行が、自ら帳簿を広げ、水野に説明を始めた。その内容は、事前に謙信と(徹夜で)打ち合わせした通り、都合の悪い数字は巧みに隠蔽し、都合の良い数字だけを強調するという、粉飾決算スレスレの、いや、もはや完全にアウトなものであった。


 しかし、渋沢の長年の経験と、その重厚な物腰、そして何よりも「嘘を言っているようには到底見えない」その迫力に、水野もさすがに簡単には不正を見抜けず、「…ふむ。帳面上は、特に大きな問題はないようだが…」と、首を捻るばかりであった。謙信と渋沢は、その瞬間、目と目で合図を送り合い、ほんの一瞬だけ、共犯者のような笑みを浮かべた(ように見えた)。



 視察二日目は、城下の町並みと、近隣の農村の視察であった。


「水野様、こちらが我が藩の城下町でございます! ご覧ください、この活気と賑わいを! 領民たちは皆、日々の暮らしに満足し、藩政に感謝し、笑顔で暮らしております!」


 謙信が案内する視察ルート沿いでは、事前に仕込まれた「藩民総出ウェルカム隊(サクラ部隊)」が、これ以上ないほど完璧なタイミングで登場し、模範的な歓迎の言葉を述べ、水野に深々と頭を下げた。道端では、子供たちが「お代官様、万歳!」と声を揃えて旗を振り、農家の主婦たちが「お暑い中、本当にご苦労様です」と、作りたての麦茶を差し出し、若者たちが「相馬藩、日本一!」などと書かれた幟旗を、これ見よがしに振り回していた。そのあまりにも出来すぎた、そしてどこか不自然な光景に、水野は、さすがに眉をひそめ、


「…栗田殿。この藩の領民たちは、皆、余程の芝居好きと見えるな。あるいは、何かよほど後ろめたいことでもあるのか…?」と、鋭い視線で謙信を射抜いた。


「め、滅相もございません! これは全て、領民たちの偽らざる心からの歓迎の気持ちの表れでございます! 我が藩の善政の賜物と、自負しております!」謙信は、顔を引きつらせながらも、必死で取り繕う。


 農村の視察では、最も収穫量の多い、絵に描いたような美しい田園風景が広がる場所が選ばれた。そこでは、屈強な足軽たちが、慣れない手つきで農民の格好をし、「殿様、今年も豊作でございますだ!これも全てお殿様と目安方様のおかげでございますだ!」などと、棒読みの台詞で感謝の言葉を述べていた。水野は、その足軽たちの、妙に筋肉質な腕や、日に焼けていない不自然な肌の色を訝しげに眺めていたが、特に何も言わなかった。


 そして、事件は、城下の視察の途中で起こった。謙信が、自慢のアンテナショップ「相馬屋」の支店(という名の、広場に無理やり設置した小さな屋台)の前を通りかかった時である。


「水野様! こちらが、先日江戸にも出店し、大評判となっております、我が藩のアンテナショップ『相馬屋』の、記念すべき国内第一号支店でございます! どうぞ、我が藩自慢の特産品を、ご試食ください!」


 謙信は、水野の腕を掴み、半ば強引に屋台へと引きずり込もうとした。屋台では、お駒ちゃんが「へい、らっしゃい! 今日はとびきり新鮮な海の幸が入ってるよ!」と威勢の良い声を上げ、新兵衛と小平太が、緊張した面持ちで商品を並べていた。


 水野は、その屋台に並べられた、相馬焼の奇抜なカップや、カピバラの組木パズル、そして強烈な匂いを放つ古漬けの樽などを、怪訝な目で眺めていたが、謙信が「さあ、水野様! まずはこの『究極のメディカル・デトックス古漬け』を一口! 体内の毒素が浄化され、頭もスッキリいたしますぞ!」と、古漬けの小片を無理やり水野の口元へ運ぼうとした瞬間、

「無礼者! お戯れも大概にされよ!」


 水野の供侍の一人が、鋭い声で謙信を制止し、その手を厳しく払い除けた。古漬けの小片は、宙を舞い、地面にポトリと落ちた。


 場は一瞬にして凍りついた。謙信は、顔面蒼白になり、その場に立ち尽くす。権左衛門は、もはやこれまでと観念し、目を閉じた。


 水野忠清は、そんな騒動を、冷たい目で静かに見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

「…目安方、栗田殿。お主の、その…何というか、過剰なまでのおもてなしの心は、分からんでもない。だが、物事には限度というものがある。儂は、この藩の真の姿を見に来たのだ。見せかけの歓迎や、都合の良い情報だけでは、正しい判断はできん。明日からは、儂自身の目で、自由に藩内を視察させてもらう。案内は不要じゃ」


 その言葉は、静かだったが、有無を言わせぬ響きを持っていた。謙信たちの、完璧なはずだった「おもてなしプラン」は、こうして脆くも崩れ去ったのである。



 視察最終日。数日間にわたり、予告なしに藩内の様々な場所を自由に見て回った水野忠清は、最後に再び評定の間に姿を現し、藩主・昌胤と重臣たちを前に、視察結果の総評を述べ始めた。その表情は、相変わらず硬く、何を考えているのか全く読み取れない。


「…さて、数日間にわたり、相馬中村藩内を視察させてもらった。結論から申さば、この藩は…誠に『奇妙な藩』であると、そう言わざるを得ん」


 水野の第一声に、家老たちの顔に緊張が走る。


「まず、財政。渋沢勘定奉行の説明では、帳簿上は大きな問題はないとのことであったが、儂が見る限り、歳入に対して歳出が明らかに多く、慢性的な赤字体質であることは明白じゃ。先のオークションや、間伐材活用といった新たな試みは評価できなくもないが、それらが藩財政を根本から立て直すほどの効果を持つかは、甚だ疑問と言わざるを得ん。帳簿の付け方も、いささか…いや、かなり杜撰な箇所が見受けられた。これは早急に改善すべきであろう」


 渋沢勘定奉行は、顔を真っ赤にして俯いた。


「次に、藩士たちの規律。練兵場での訓練は見事であったが、城下の武家屋敷周辺では、昼間から酒を飲んで騒いでいる者や、町人と見紛うようなだらしない身なりの者も見受けられた。先の運動会とやらで士気が上がったと申すが、それは一時的なものに過ぎず、武士としての基本的な規律や緊張感が、全体的に緩んでおるのではないかという印象を受けた」


 大和田筆頭家老は、苦虫を噛み潰したような顔で、ギリリと歯ぎしりをした。


「そして、目安方。栗田殿の活動は、確かに領民の声を聞こうという姿勢は斬新であり、一部では効果も上がっておるやもしれん。しかし、その権限は曖昧であり、時に藩の秩序を乱し、既存の役職の業務を妨げている側面も見受けられる。目安箱に寄せられる声も、藩政への建設的な意見というよりは、個人的な不平不満や、下らぬ揉め事の訴えが多いように見受けられた。あれでは、単なるガス抜きの場にしかなっておらんのではないか」


 謙信は、唇を噛み締め、じっと水野の言葉に耳を傾けていた。


 厳しい指摘が次々と飛び出し、評定の間は、まるで葬式のような重苦しい空気に包まれた。家老たちは皆、顔面蒼白となり、もはやこれまでかと観念した表情を浮かべている。


 しかし、水野忠清は、そこで一旦言葉を切り、一同を見回すと、意外な言葉を続けた。


「…だが、しかしじゃ。この藩には、他の、これまで儂が視察してきたどの藩にもなかった、一種の…そう、『活力』とでも言うべきものが、確かに感じられた。それは、奇妙なほどに…強いものじゃった」

 家老たちは、顔を上げた。


「領民たちの表情も、他の視察先で見た、お上に怯え、日々の暮らしに疲れ果てた者たちのそれとは、明らかに異なっていた。貧しいながらも、どこか明るく、そして何よりも、藩政に対する不満を、恐れずに口に出せる雰囲気が、この藩にはあるように見受けられた。目安箱の投書内容も、確かに下らぬものも多かったが、それは裏を返せば、領民が藩を信頼し、声を上げやすい環境があるということの証左やもしれん」


「そして、何よりも、目安方筆頭・栗田謙信。お主の存在じゃ」


 水野は、初めて、真っ直ぐに謙信の目を見据えた。


「お主のやり方は、型破りというか、常識外れというか、もはや破天荒としか言いようがない。お主の言うこと為すことの半分以上は、わしには理解不能じゃし、正直、目眩がするほどじゃった。じゃが…お主の、その…その藩を思う『情熱』とやらは、本物じゃと感じた。そして、その情熱が、この澱んでいた小藩に、新しい風を吹き込み、何かを変えようとしておることも、また事実じゃろう」


「この相馬中村藩は、多くの問題を抱え、そして多くの矛盾を内包しておる。じゃが、それと同時に、他の大きな藩が失ってしまった、何か大切なもの…そう、例えば『変化を恐れぬ心』や『上も下も一緒になって何かを成し遂げようとする熱気』のようなものを、まだかろうじて持ち続けておるのかもしれん。それが、この藩の持つ、唯一にして最大の『可能性』なのかもしれんな」


 水野忠清は、そう言うと、ふっと、ほんの一瞬だけ、まるで氷が解けるかのように、その硬い表情を緩ませたように見えた。


「…以上が、儂の視察結果の総評じゃ。江戸に戻り、ありのままを上に報告する。それが吉と出るか、凶と出るかは、今後の相馬藩、そして目安方・栗田、お主自身の働きにかかっておる。肝に銘じておくがよい」


 最後に、水野忠清は、再び謙信を呼びつけ、低い声で言った。


「栗田、と申したか。お主は…誠に、得体の知れぬ、そして面白い男だ。お主のような破天荒な者が、この堅苦しい武家社会の中で、どこまで通用するのか、あるいは潰されるのか…今の儂には、正直、判断できぬ。だが、一つだけ言っておく。その…その『お客様は神様です』とかいう、お主の訳の分からん信念と、その常軌を逸した『情熱』とやらを、決して間違った方向に使うでないぞ。もしそうなれば、その時は、この水野内記忠清が、容赦なくお主を断罪することになるであろう。肝に銘じておけ」


 それは、厳しい警告のようでもあり、しかしどこか、ほんの僅かな期待と激励が込められているようにも聞こえる、不思議な言葉であった。


 そして、水野忠清の一行は、嵐のように現れ、そして嵐のように江戸へと帰っていった。


 幕府の巡検使という、藩の存亡を左右しかねない大きな嵐は、(一応のところ)何とか去った。評定の間では、藩主・昌胤が「おお、水野殿は、我が藩の改革をおおむね高く評価してくださったようじゃな! これで相馬藩も安泰じゃ! さすがは栗田じゃ!」と、相変わらず能天気に大喜びしていたが、渋沢勘定奉行や大和田筆頭家老、そして岩田権左衛門らは、「いや、殿…あれは、相当に厳しい警告と、山のような課題を残して行かれたのですよ…」と、揃って頭を抱え、深いため息をついていた。


 栗田謙信は、一人、目安方執務室に戻り、水野忠清の残した言葉を、何度も何度も反芻していた。

(得体の知れぬ男…情熱…間違った方向に使うな…か。確かに、俺のやり方は、この時代では異端なのかもしれない。だが、俺は、俺の信じる『お客様第一主義』を、そして『藩を良くしたい』という純粋な想いを、決して曲げるつもりはない!)


 謙信は、窓の外に広がる相馬中村藩の城下町を眺めながら、決意を新たにした。水野忠清の指摘は、彼の心に重くのしかかっていたが、それと同時に、次なる改革への、新たな闘志を燃え上がらせてもいたのだ。


「よし! まずは、水野様に指摘された財政帳簿の改善と、藩士たちの規律引き締めからだ! そして、その先には、我が藩の未来を担う子供たちのための『教育改革』と、全藩士の能力を最大限に引き出す『人財育成戦略』が待っている! やることは山積みだ! だが、それがどうした! この栗田謙信、お客様(藩と領民)の笑顔のためなら、どんな困難も乗り越えてみせますぞ!」


 その頃、遠く江戸の幕府中枢では、水野内記忠清から提出された「相馬中村藩視察報告書」が、時の老中の元へと届けられていた。報告書を読み終えた老中は、渋い顔でしばらく何かを考えていたが、やがて、ふっと口元に微かな笑みを浮かべ、こう呟いたという。


「相馬藩…そして、目安方筆頭・栗田謙信、か。ふむ…これは、なかなかどうして、面白いことになってきたやもしれんな……」


 相馬中村藩と、その運命を背負う(と勝手に思い込んでいる)栗田謙信の未来には、まだまだ多くの波乱と、そして予測不能な展開が待ち受けていることを、誰も、そして謙信自身も、まだ知る由もなかった。

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